なんだか毎日お味噌汁を食べているような気がする。
前回、いつものお味噌汁を作ってできあがったお味噌汁が美味しくなかった。
具材との一体感がなく、「味噌!」という感じがして塩辛かった。
私は料理をするときに計ったりは一切しないので、多少のブレはあるだろうが、よく作るものの加減はそんなにはブレないだろうと思う。
お味噌汁で失敗したのは初めてではなかろうか。
何がいけなかったのか、いつもは入れない具のネギか、いつも入っている油揚げが入ってないからか、味噌を入れてから沸騰させたまま放っておいたか、いやそれはない、いや、明らかに思い当たる節があった。
いつも鰹の厚削りを使って出汁をとる。
鰹節でとらないのは、けいこがずっとそうしていたからで、あとは単純に厚削りの方が出汁が強力な感じがするのと、鰹節だと出汁を濾さないといけないのが面倒だからだ。
厚削りであれば菜箸でつまみ出せる。
鰹節は沸騰したお湯に入れるのが正しい出汁の取り方だと思うが、厚削りの場合は昆布と同様に水から入れる。
これが正しいかどうか分からないけれど、けいこがそうしていたから。
このとき、あまりに寒かったので食器の洗い物にお湯を使っていた。
最後、お湯がまだ出るからもったいないのでお味噌汁の水として使ったのだった。
お湯に鰹厚削りを入れて、それはすぐ沸騰した。
何となく、浸す時間が短かったから、具材を煮るときも少しそのままにしておいた。
たぶんこれが原因だ。
そんな確信を持ちつつ、これが原因ならと顆粒のだしを投入して、軽く4~5杯分もできてしまったお味噌汁を2日2食ずつ飲んだ。
そしてまた新しくお味噌汁を作る。
ネギと油揚げ、今日はえのきもある。
鰹厚削りで、水から時間をかけて出汁を取る。
この失敗は二度はしたくないと、いつもよりも念入りに灰汁も取る。
できたお味噌汁を立ったまま、お玉で味見。
あぁ良かった。
家で料理するのは、ざっと炒めるとか、ざっと煮るくらいにしたいものだけれど、“じっくり”するということも大切なのだ。
にんにくやショウガや唐辛子の香りを出すのも、冷たい油の状態から弱火でじっくりと言うではないか。
家で仕事をするので家にいることが格段に増えて、というかほとんど家にいて、寒い季節が追い打ちをかけて、自炊の数もとても増えた。
けれど大してレパートリーが増えない。
IHヒーターになったから、煮込み料理をたくさんやろうと思っていたのだけれど、あまりやっていない。
昔から買う食材はほとんど決まっているし、調味料はここ何年かで定番入りしたのは昆布茶くらいだろうか。
ごはん、パスタ、うどん、焼きそば、食パン。
卵、納豆、ウインナー、ベーコン、ときどき鶏肉、油揚げ、豆腐、玉ねぎ、ときどきニンジン、ときどきピーマン、ジャガイモ、えのきたけ、しめじ、ショウガ、こまつな、鯖缶、ときどきトマト缶。
もちろん他のものを買うこともあるけれど、鯖缶が最近の定番ニューフェイスくらいなもので、ひとり暮らし歴10年で大方この枠を外れたことがない。
ここから何を作ろうと考えるので広がらないのか。
食べたいものを考えてから、買い物に行けばいいのか。
久しぶりにツタヤに寄った。
私は昔から映画フリークでは全くないけれど、長い間海外ドラマ以外は全然観ていなかった。
何一つ事前に観たいと考えていたものはなく、旧作7作品700円だったので、以下の7つのDVDを借りる。
リンダリンダリンダ
シド&ナンシー
ドアーズ
トウキョウソナタ
境遇
孤高のメス
ダイハード3
「リンダリンダリンダ」はただふと目に留まってしまっただけで、でも目に留まってしまったので借りざるを得なかった。
そして「シド&ナンシー」はあのシド・ヴィシャスの話であり、「ドアーズ」はあのドアーズのジム・モリソンの話。
こういうことが気になるのだから仕方ない。
あとは、以前人から勧められたもの。
「リンダリンダリンダ」はだいたい想像した通りの青春映画だった。
私が抱いている「リンダリンダ」や「終わらない歌」「僕の右手」の解釈とは違う描かれ方をしていたけれど、ブルーハーツが若者に絶大な支持を得たというのはこういうことなんだろうと思った。
抑圧とか鬱屈とか言い知れないイライラの中の、抜け道としての音楽、純粋な意味でのバンドへの憧れ。
私は所謂青春期にこういうことを自覚していなかったのでわからない。
ただ、青春映画としての手触りは「桐島、部活やめるってよ」に近いものがあってなかなかリアルだった。
牽制したり、突っ張ったり、突っ切ったり、人に合わせたり合わせられなかったり、ほとんど自覚のない中で行われるそれらは明確な感情の落としどころがなくて奇妙な感じがする。
「桐島、部活やめるってよ」の方が話としては断然技巧的であるし作り込まれたものであると思うけれど。
あと、ヒロトの弟である甲本雅裕が先生役で出演していたので、勝手に色々と想像してしまった。
「シド&ナンシー」もだいたい想像した通りの薬物映画だった。
あの映画はシド•ヴィシャスの人生の物語ではあるけど、おそらく本当のこともいくつかあるだろうと思う。
私はセックス・ピストルズのメッセージも「自分であれ」ということが根本だと思っているが、「マイウェイ」を薬物にまみれた身体で“自分らしく”歌ったシドは果たして幸せだったのだろうか。
もっとも、21歳で死んでいるわけで、精神性も何もそこですべてが終わっている。
補足的に知ったことだが、元セックス・ピストルズボーカルのジョン・ライドンは現在57歳でお笑い番組に出ているらしい。
ただこのことしか知らないけれど、かっこいい人だなと思う。
他はまだ観ていない。
前回、いつものお味噌汁を作ってできあがったお味噌汁が美味しくなかった。
具材との一体感がなく、「味噌!」という感じがして塩辛かった。
私は料理をするときに計ったりは一切しないので、多少のブレはあるだろうが、よく作るものの加減はそんなにはブレないだろうと思う。
お味噌汁で失敗したのは初めてではなかろうか。
何がいけなかったのか、いつもは入れない具のネギか、いつも入っている油揚げが入ってないからか、味噌を入れてから沸騰させたまま放っておいたか、いやそれはない、いや、明らかに思い当たる節があった。
いつも鰹の厚削りを使って出汁をとる。
鰹節でとらないのは、けいこがずっとそうしていたからで、あとは単純に厚削りの方が出汁が強力な感じがするのと、鰹節だと出汁を濾さないといけないのが面倒だからだ。
厚削りであれば菜箸でつまみ出せる。
鰹節は沸騰したお湯に入れるのが正しい出汁の取り方だと思うが、厚削りの場合は昆布と同様に水から入れる。
これが正しいかどうか分からないけれど、けいこがそうしていたから。
このとき、あまりに寒かったので食器の洗い物にお湯を使っていた。
最後、お湯がまだ出るからもったいないのでお味噌汁の水として使ったのだった。
お湯に鰹厚削りを入れて、それはすぐ沸騰した。
何となく、浸す時間が短かったから、具材を煮るときも少しそのままにしておいた。
たぶんこれが原因だ。
そんな確信を持ちつつ、これが原因ならと顆粒のだしを投入して、軽く4~5杯分もできてしまったお味噌汁を2日2食ずつ飲んだ。
そしてまた新しくお味噌汁を作る。
ネギと油揚げ、今日はえのきもある。
鰹厚削りで、水から時間をかけて出汁を取る。
この失敗は二度はしたくないと、いつもよりも念入りに灰汁も取る。
できたお味噌汁を立ったまま、お玉で味見。
あぁ良かった。
家で料理するのは、ざっと炒めるとか、ざっと煮るくらいにしたいものだけれど、“じっくり”するということも大切なのだ。
にんにくやショウガや唐辛子の香りを出すのも、冷たい油の状態から弱火でじっくりと言うではないか。
家で仕事をするので家にいることが格段に増えて、というかほとんど家にいて、寒い季節が追い打ちをかけて、自炊の数もとても増えた。
けれど大してレパートリーが増えない。
IHヒーターになったから、煮込み料理をたくさんやろうと思っていたのだけれど、あまりやっていない。
昔から買う食材はほとんど決まっているし、調味料はここ何年かで定番入りしたのは昆布茶くらいだろうか。
ごはん、パスタ、うどん、焼きそば、食パン。
卵、納豆、ウインナー、ベーコン、ときどき鶏肉、油揚げ、豆腐、玉ねぎ、ときどきニンジン、ときどきピーマン、ジャガイモ、えのきたけ、しめじ、ショウガ、こまつな、鯖缶、ときどきトマト缶。
もちろん他のものを買うこともあるけれど、鯖缶が最近の定番ニューフェイスくらいなもので、ひとり暮らし歴10年で大方この枠を外れたことがない。
ここから何を作ろうと考えるので広がらないのか。
食べたいものを考えてから、買い物に行けばいいのか。
久しぶりにツタヤに寄った。
私は昔から映画フリークでは全くないけれど、長い間海外ドラマ以外は全然観ていなかった。
何一つ事前に観たいと考えていたものはなく、旧作7作品700円だったので、以下の7つのDVDを借りる。
リンダリンダリンダ
シド&ナンシー
ドアーズ
トウキョウソナタ
境遇
孤高のメス
ダイハード3
「リンダリンダリンダ」はただふと目に留まってしまっただけで、でも目に留まってしまったので借りざるを得なかった。
そして「シド&ナンシー」はあのシド・ヴィシャスの話であり、「ドアーズ」はあのドアーズのジム・モリソンの話。
こういうことが気になるのだから仕方ない。
あとは、以前人から勧められたもの。
「リンダリンダリンダ」はだいたい想像した通りの青春映画だった。
私が抱いている「リンダリンダ」や「終わらない歌」「僕の右手」の解釈とは違う描かれ方をしていたけれど、ブルーハーツが若者に絶大な支持を得たというのはこういうことなんだろうと思った。
抑圧とか鬱屈とか言い知れないイライラの中の、抜け道としての音楽、純粋な意味でのバンドへの憧れ。
私は所謂青春期にこういうことを自覚していなかったのでわからない。
ただ、青春映画としての手触りは「桐島、部活やめるってよ」に近いものがあってなかなかリアルだった。
牽制したり、突っ張ったり、突っ切ったり、人に合わせたり合わせられなかったり、ほとんど自覚のない中で行われるそれらは明確な感情の落としどころがなくて奇妙な感じがする。
「桐島、部活やめるってよ」の方が話としては断然技巧的であるし作り込まれたものであると思うけれど。
あと、ヒロトの弟である甲本雅裕が先生役で出演していたので、勝手に色々と想像してしまった。
「シド&ナンシー」もだいたい想像した通りの薬物映画だった。
あの映画はシド•ヴィシャスの人生の物語ではあるけど、おそらく本当のこともいくつかあるだろうと思う。
私はセックス・ピストルズのメッセージも「自分であれ」ということが根本だと思っているが、「マイウェイ」を薬物にまみれた身体で“自分らしく”歌ったシドは果たして幸せだったのだろうか。
もっとも、21歳で死んでいるわけで、精神性も何もそこですべてが終わっている。
補足的に知ったことだが、元セックス・ピストルズボーカルのジョン・ライドンは現在57歳でお笑い番組に出ているらしい。
ただこのことしか知らないけれど、かっこいい人だなと思う。
他はまだ観ていない。
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