つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

へんてこな観覧車

2013-11-13 01:45:18 | 日記
余った赤ワインがどうしようもないので、砂肝と玉ねぎと舞茸で赤ワイン煮込みを作る。
赤ワインを結構な量入れて、舞茸からも色が出るので、泥のような煮込みができた。
牛肉を買うのを躊躇ったけれど、牛肉の方が美味しいだろうなということと、赤ワインは想像以上にコクが出てしつこかった。
砂肝も玉ねぎも舞茸も、そんなにしつこい奴らではないはずだから。
単に、材料に対して赤ワインを入れ過ぎただけということもある。

1年ほど前に買った出汁昆布がまだたくさんあるから、昆布で出汁をとって、一旦取り出して刻んでそのまま鍋に戻す。
ジャガイモとベーコンを入れて、さて何スープにしようかとその時点から考える。
鶏ガラで中華でもいいし、コンソメでポトフ風でもいいし、赤味噌と昆布出汁は合わなかったことを経験済みなのでこれは却下、あ、白味噌を溶いて生姜を磨りおろして入れよう。

白味噌と一緒に赤唐辛子を1本そのまま入れる。
確か誰かの料理ブログか何かだったと思うけれど、お味噌汁の味がなんとなくしまらないというとき、お酢を数滴か唐辛子を切らずに入れると良い、ということを読んだことがある。
私は元々お酢が嫌いなので試してはないけれど、唐辛子はそれ以来度々入れる。
辛い、という感じにはならなくて、本当に味の引き締め効果がある。
長く入れておけば多少辛みも出てくるので、生姜のすりおろしと一緒に入れれば何だか元気が出るようなホットなお味噌汁ができる。

豆腐も余っていたので、すりごま、醤油、昆布茶、みりんで、白和えのようなものを作る。
本物の白和えはどうやって作るのか知らないけれど、うま味調味料と塩気の配合さえ間違えなければそれなりになるのだなと思う。
あとはそれっぽく見せたければ色を入れたり、何かを散らしたり上から振りかけたりすればいい。

ウェイパーとかほんだしとか、つまり“味の素”というのは本当に良くできている。
化学調味料って美味しいのだ。
だって“味の素”だから。
脳にセロトニンをぶち込めば、の話もそうだけれど、「おいしく感じる」ということが「おいしい」ということになる。

ただ、それでしか「美味しい」と感じられなくなることは酷く残念なことで、素材は素材で力があって、更においしいが上乗せされるような人や場所などのシチュエーションなんかもプラスされたりして。
「美味しい」というのは複合的な要素が成す経験だ。
食べる以外の経験によって味覚が社会化されることも別に悪いことではなく、しかしそれによって見えなくなっているおいしさがないものか。

味のみの「おいしい」は快楽主義的であり、それを取り巻く全体の「おいしい」は幸福主義的とでも言おうか。
誰かは快楽主義的な「おいしい」で結局のところ満足しないのかもしれない、誰かは幸福主義的な「おいしい」しか知らないかもしれない。
味が美しい、それが「美味しい」

どっちでも何でもいいけれど、それに対して良いものは良いと言える自分自身と、それに固執しないフラットな見方がほしいものである。
食べることと自分の味覚について、よく分からないから、と今まで考えることを拒否してきた分野だ。
しかし考えてみると、全部自分の身体で実験できるし、舌は実に分かりやすい反応をするので面白い。
そして何せ行為自体がしなくてはならないことのひとつなので面倒くさがりな私でもできる。

考えたいことを考えずして、何を考えるのだろう。

今日は内田勘太郎さんとミックジャガーとU2とレッチリを。
「ラブレター」と「ナビゲーター」のコードをギターで追う。

さて湯船にでも浸かろうか。