父が死んで今日で丸5年。
私は「亡くなる」という言葉ではうまく理解ができなくて、いつも直接的な言葉を使う。
7月11日は、私の新卒入社の部署での飲み会だった。
飲み会がお開きになって、妹からのメールで私は父の死を知った。
どこの居酒屋だったかは記憶にないけれど、そのメールを見た瞬間に音が消えて映像だけになったのをよく憶えている。
音のないほんの一瞬の世界で、自分の目の玉が揺れていて、世界も歪んだ。
泣きながら、ああ遠くに行ってしまったんだと五反田の蒸した曇り空を見遣った。
毎年感慨に耽るけれど、今年は明らかに違うことがある。
私は父が死んでから初めて、後悔していることだ。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、私は初めて自分のことを知った気がした。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、「本当」に触れるとこうなるんだと知った。
もう遅いも何も、なぜ今さら後悔なのか、開いてしまった感情には逆らえない。
あのときは、東京に感謝していたし仕事に救われたと思った。
確かにそうだった。
病室で苦しそうな父の姿を見ることが、これ以上にストレスなことが、これ以上恐ろしいことがあるだろうかと思った。
怖くて、見たくなくて、逃げて。
それで自分を保つのがやっとだった。
そういう自分を責めているわけではなくて、それで自分を保てたのだからよかったはよかった。
あのとき私は確かに、大丈夫、だった。
父の命がもう長くないだろうと知って2か月半、実質は2か月だろうか。
事故などで予期せず逝ってしまったわけではない。
時間は短かったけど、してほしかったことやしてあげたかったことをする時間はあったはずだが、それでも私はそのときには何もほしくなかったしどうにか過ぎ去るのを祈りながら待っただけだった。
いつも今思うことが自分の中での真実で、当時の「今」思っていることも紛れもなく真実だった。
今の発想を持てなかった当時の私に、怒ってもどうしようもないし寧ろよくがんばったねと言ってあげたい。
私が今していることは究極のないものねだりだ。
死んでしまったから、もういないから、そうしているだけだ。
自分のための救いのようなものをロマンチックにエゴイスティックに求めているだけだ。
ただ、特に好きでもなかった父のことがどうしてこんなに悲しいのだろうと、頭で理解と整理をしようとしたところで、理性がぷつんと切れたときの感情には逆らえないのだから、やっぱり私は本当に悲しいのだと思うし、やっぱり本当にほしかったけど得られなかったものがあったのだと思う。
好きだから、と手放しで言えたなら、たぶんすごく話が早い。
親と子供の関係は絶対的で、受け手としての子供が感じることはどうであれその子供の中においては正しい。
親が全く意図せずに何かを与えたとしても。
ただ受け手としての子供の感じ方というのは本当に様々で、親がすべてを想像できるものでもなければ親が悪いというわけでもない。
あることに感じ入ってしまう子供がいれば、またあることに感じ入る子供もいて、特に感じ入らない子供だっている。
しかし、それはどの子供のどの思いも、その子供の中に置いてはやはり本物だ。
親が子供に与える影響や衝撃は、良いものもそうでないものも計り知れないものだ。
死ぬことが、もう絶対に会えないことと同義であることを、私は当たり前のように知っていた。
そんなどうしようもないことが今やっと腹に落ちてきて、どうしようもなくどうしようもない。
何かを人に伝えるのは簡単でないことがあるけれど、本当に大事だと思うことは伝えておきたい。
皆が私と同じように思っているわけではないから、私が時々他人に対して過剰だったり鋭利だったりしてしまうことを知りつつ、それでも大事なことが間に合わなかったなんて嫌だ。
何事にも、人のため、なんてことはたぶんあり得ない。
人のためと思ってそれをする自分のためだ。
元気ですか。
死んだ人に聞くことではないけれど。
妹に子供が産まれました。
病床で「命は繋いでいかなあかんなあ」と呟いた言葉、私にはすとんとは落ちてこなかったけれど、ちゃんと繋がっています。
母も優しい顔をして、孫を抱いています。
私は私で、大きな幸せを知りました。
・・と、私は死んだら何もなくなると思っているけれど。
どしゃぶりの雨の中、ある人のお焼香する手が震えていた。
それもよく憶えている。
私は「亡くなる」という言葉ではうまく理解ができなくて、いつも直接的な言葉を使う。
7月11日は、私の新卒入社の部署での飲み会だった。
飲み会がお開きになって、妹からのメールで私は父の死を知った。
どこの居酒屋だったかは記憶にないけれど、そのメールを見た瞬間に音が消えて映像だけになったのをよく憶えている。
音のないほんの一瞬の世界で、自分の目の玉が揺れていて、世界も歪んだ。
泣きながら、ああ遠くに行ってしまったんだと五反田の蒸した曇り空を見遣った。
毎年感慨に耽るけれど、今年は明らかに違うことがある。
私は父が死んでから初めて、後悔していることだ。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、私は初めて自分のことを知った気がした。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、「本当」に触れるとこうなるんだと知った。
もう遅いも何も、なぜ今さら後悔なのか、開いてしまった感情には逆らえない。
あのときは、東京に感謝していたし仕事に救われたと思った。
確かにそうだった。
病室で苦しそうな父の姿を見ることが、これ以上にストレスなことが、これ以上恐ろしいことがあるだろうかと思った。
怖くて、見たくなくて、逃げて。
それで自分を保つのがやっとだった。
そういう自分を責めているわけではなくて、それで自分を保てたのだからよかったはよかった。
あのとき私は確かに、大丈夫、だった。
父の命がもう長くないだろうと知って2か月半、実質は2か月だろうか。
事故などで予期せず逝ってしまったわけではない。
時間は短かったけど、してほしかったことやしてあげたかったことをする時間はあったはずだが、それでも私はそのときには何もほしくなかったしどうにか過ぎ去るのを祈りながら待っただけだった。
いつも今思うことが自分の中での真実で、当時の「今」思っていることも紛れもなく真実だった。
今の発想を持てなかった当時の私に、怒ってもどうしようもないし寧ろよくがんばったねと言ってあげたい。
私が今していることは究極のないものねだりだ。
死んでしまったから、もういないから、そうしているだけだ。
自分のための救いのようなものをロマンチックにエゴイスティックに求めているだけだ。
ただ、特に好きでもなかった父のことがどうしてこんなに悲しいのだろうと、頭で理解と整理をしようとしたところで、理性がぷつんと切れたときの感情には逆らえないのだから、やっぱり私は本当に悲しいのだと思うし、やっぱり本当にほしかったけど得られなかったものがあったのだと思う。
好きだから、と手放しで言えたなら、たぶんすごく話が早い。
親と子供の関係は絶対的で、受け手としての子供が感じることはどうであれその子供の中においては正しい。
親が全く意図せずに何かを与えたとしても。
ただ受け手としての子供の感じ方というのは本当に様々で、親がすべてを想像できるものでもなければ親が悪いというわけでもない。
あることに感じ入ってしまう子供がいれば、またあることに感じ入る子供もいて、特に感じ入らない子供だっている。
しかし、それはどの子供のどの思いも、その子供の中に置いてはやはり本物だ。
親が子供に与える影響や衝撃は、良いものもそうでないものも計り知れないものだ。
死ぬことが、もう絶対に会えないことと同義であることを、私は当たり前のように知っていた。
そんなどうしようもないことが今やっと腹に落ちてきて、どうしようもなくどうしようもない。
何かを人に伝えるのは簡単でないことがあるけれど、本当に大事だと思うことは伝えておきたい。
皆が私と同じように思っているわけではないから、私が時々他人に対して過剰だったり鋭利だったりしてしまうことを知りつつ、それでも大事なことが間に合わなかったなんて嫌だ。
何事にも、人のため、なんてことはたぶんあり得ない。
人のためと思ってそれをする自分のためだ。
元気ですか。
死んだ人に聞くことではないけれど。
妹に子供が産まれました。
病床で「命は繋いでいかなあかんなあ」と呟いた言葉、私にはすとんとは落ちてこなかったけれど、ちゃんと繋がっています。
母も優しい顔をして、孫を抱いています。
私は私で、大きな幸せを知りました。
・・と、私は死んだら何もなくなると思っているけれど。
どしゃぶりの雨の中、ある人のお焼香する手が震えていた。
それもよく憶えている。
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