つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

シャッフルアンドコラージュ

2012-07-11 00:55:27 | 日記
父が死んで今日で丸5年。
私は「亡くなる」という言葉ではうまく理解ができなくて、いつも直接的な言葉を使う。

7月11日は、私の新卒入社の部署での飲み会だった。
飲み会がお開きになって、妹からのメールで私は父の死を知った。
どこの居酒屋だったかは記憶にないけれど、そのメールを見た瞬間に音が消えて映像だけになったのをよく憶えている。
音のないほんの一瞬の世界で、自分の目の玉が揺れていて、世界も歪んだ。
泣きながら、ああ遠くに行ってしまったんだと五反田の蒸した曇り空を見遣った。

毎年感慨に耽るけれど、今年は明らかに違うことがある。
私は父が死んでから初めて、後悔していることだ。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、私は初めて自分のことを知った気がした。
自分の気持ちの「本当」に触れたとき、「本当」に触れるとこうなるんだと知った。
もう遅いも何も、なぜ今さら後悔なのか、開いてしまった感情には逆らえない。

あのときは、東京に感謝していたし仕事に救われたと思った。
確かにそうだった。
病室で苦しそうな父の姿を見ることが、これ以上にストレスなことが、これ以上恐ろしいことがあるだろうかと思った。
怖くて、見たくなくて、逃げて。
それで自分を保つのがやっとだった。
そういう自分を責めているわけではなくて、それで自分を保てたのだからよかったはよかった。
あのとき私は確かに、大丈夫、だった。

父の命がもう長くないだろうと知って2か月半、実質は2か月だろうか。
事故などで予期せず逝ってしまったわけではない。
時間は短かったけど、してほしかったことやしてあげたかったことをする時間はあったはずだが、それでも私はそのときには何もほしくなかったしどうにか過ぎ去るのを祈りながら待っただけだった。

いつも今思うことが自分の中での真実で、当時の「今」思っていることも紛れもなく真実だった。
今の発想を持てなかった当時の私に、怒ってもどうしようもないし寧ろよくがんばったねと言ってあげたい。

私が今していることは究極のないものねだりだ。
死んでしまったから、もういないから、そうしているだけだ。
自分のための救いのようなものをロマンチックにエゴイスティックに求めているだけだ。

ただ、特に好きでもなかった父のことがどうしてこんなに悲しいのだろうと、頭で理解と整理をしようとしたところで、理性がぷつんと切れたときの感情には逆らえないのだから、やっぱり私は本当に悲しいのだと思うし、やっぱり本当にほしかったけど得られなかったものがあったのだと思う。
好きだから、と手放しで言えたなら、たぶんすごく話が早い。

親と子供の関係は絶対的で、受け手としての子供が感じることはどうであれその子供の中においては正しい。
親が全く意図せずに何かを与えたとしても。
ただ受け手としての子供の感じ方というのは本当に様々で、親がすべてを想像できるものでもなければ親が悪いというわけでもない。
あることに感じ入ってしまう子供がいれば、またあることに感じ入る子供もいて、特に感じ入らない子供だっている。
しかし、それはどの子供のどの思いも、その子供の中に置いてはやはり本物だ。
親が子供に与える影響や衝撃は、良いものもそうでないものも計り知れないものだ。

死ぬことが、もう絶対に会えないことと同義であることを、私は当たり前のように知っていた。
そんなどうしようもないことが今やっと腹に落ちてきて、どうしようもなくどうしようもない。

何かを人に伝えるのは簡単でないことがあるけれど、本当に大事だと思うことは伝えておきたい。
皆が私と同じように思っているわけではないから、私が時々他人に対して過剰だったり鋭利だったりしてしまうことを知りつつ、それでも大事なことが間に合わなかったなんて嫌だ。
何事にも、人のため、なんてことはたぶんあり得ない。
人のためと思ってそれをする自分のためだ。

元気ですか。
死んだ人に聞くことではないけれど。
妹に子供が産まれました。
病床で「命は繋いでいかなあかんなあ」と呟いた言葉、私にはすとんとは落ちてこなかったけれど、ちゃんと繋がっています。
母も優しい顔をして、孫を抱いています。
私は私で、大きな幸せを知りました。

・・と、私は死んだら何もなくなると思っているけれど。

どしゃぶりの雨の中、ある人のお焼香する手が震えていた。
それもよく憶えている。



ティトゥアンの朝

2012-07-08 23:50:21 | 日記
「命名」の色紙を書いて、ペコちゃん焼きをもってはるばる初姪に会いに行く。
この世に降り立ったばかりの赤ちゃんは、健やかそのもので、子猫みたいにふわふわ柔らかくて。
もう少し変な表現をすると、粉のついた大福みたいな手触り。
足や手を持ち上げると、柔らかさが私の手にふんわりと重みをもっておりてくる。

人間がひとり、この世で息を吸い始め、意思を持ち始めた。

家族、が苦手とか、案外私の家族は思ってないのかもしれない。
珠のように美しいこの子が産まれたことは、やっぱりよかったことでしかない。

妹はおかあさんになって、母はおばあちゃんになって、私はおばさんになった。
なんだか、ひとつの時代が終わった気がした。
良いも悪いも、もう前の時代には戻れない、新しいステージ。
そういうもの。

海外にいる兄から100本のバラの花束が届いていた。
こんな贅沢な花束はないと、珠のように美しい姪をそっちのけに私はまた写真を撮った。

人は、自分以外みんな他人だけど、他人にいっぱい愛されるんだよ。
素敵と思えることを、満足と思えることをいっぱい知るんだよ。


妹宅を後にしてフジロックの打ち合わせという名目で友人を家に招く。
彼女が最近買ったというブルーハーツのドキュメントDVD。
私は、それを彼女と一緒に見たかったから持ってきてもらった。
打ち合わせどころではなくなることを想定内に、私は家に着くなり彼女にDVDを出させDVDプレーヤーにセットしていた。

2時間、食い入るように観た。
トイレも我慢して、彼女の飲み物がなくなっていることも知りつつ。
途中彼女おすすめのシーンやもう一度観たいところやモザイクシーンを巻き戻しながら。
大好きだ、という恍惚のため息を漏らしながら。

ああだこうだと、DVDを見ながら話すと、DVDから流れるブルーハーツの声と映像に引っ張られてうまく喋れなくなる。
何度も、何度でも、ぶち抜かれてしまう。

ブルーハーツが結成された1985年、私たちの生まれた年。
ヒロトの誕生日が3月17日。
私たちが早生まれなのはここに意味があったのだと、私の誕生日が1月17日で彼女の誕生日が3月11日、ここにも所縁が!などと意味付けには程遠い理由を並べてはげらげら笑う。

初期のヒロトとマーシーはそれこそ魂剥き出しで顔つきも違う。
いつかマーシーが言っていた「ロックに痺れちゃったんだよね」という言葉の体現がまさしく全身に表れている。
青くて青くて、だからブルーハーツだったんだ。
基本的に繊細で優しいけど、あの頃だけは、パンクロックに取り憑かれたアウトオブコントロールな彼らがいた。
私が最初にYouTubeでぶち抜かれたときの「リンダリンダ」と、「トレイントレイン」もこの頃のライブ映像だった。

あんなことを大声で歌えるのはヒロトとマーシーくらいしかいなくて、彼らが貫き通した青すぎる本当のことは、約25年もの歳月を経て私にも届いた。
年を取ったクロマニヨンズのヒロトとマーシーも十分に素敵だったけど、あの初期の青さや危うさはあのときだけのものだ。
その後の彼らがやっていることはある程度浄化を終えて、ロックを体現する伝える、という職業でありアートであるのだと思う。

「パンクロック」も「ラブレター」のPVもマーシーのソロ活動も、私の知らなかった彼らの作品は量も質もまだまだありそうだ。
全く同じDVDを買おうかと思ったけど、レストランで一緒にいる人と一緒のメニューを頼まないのと同じ精神で、違うDVDを買った。
マーシーのソロも借りてみる。
今度は彼女の家で観よう。と勝手に決める。

曲に乗りながら見てもいい音楽DVDを、あんなに凝視して動けずに見入ってしまう。
青く危ういものに釘づけだなんて、観ているこちら側が青くて危ういことに他ならないのだけど、それでもなんでも好きなものがあるということは、なんて貴いことなんだろう。

今日も彼女にありがとう。
フジロックは何とかなるさで何とかしよう。


私の出品した書作展に、大学の先生が見に行かれたらしい。
まあそれなりと思っていた作品も、実際に行かれるとは思っていなかったということもあり想像以上に恥ずかしい。
展覧会など、見られてこそ作品ではあるものの、やはり恥ずかしい。
その恥ずかしさは「お手本のあった先生の作品」ではなく「私から出たもの」であるからということが大きい。
これが私の書いた詩であったらもっと恥ずかしいのだろう。

自身のなさと吹っ切れなさと。
恥ずかしいことをやり抜いたかっこよさ、なんて、まだまだまだまだ、持てない。



初就職より大事なこと

2012-07-06 21:35:42 | 日記
友人が勧めてくれた『HOTEL TIKI-POTO』THE HIGH-LOWS
マーシーが作った曲が多い。

ゆっくりな曲が多いのに、確かにいい。
マーシーが作った曲を、ヒロトがヒロトらしく歌っているのもいい。
確かに「よろこびの歌」も「21世紀音頭」もすごくいい。

とりあえずいろんなことがどうでもよくなる、という状態にしてくれることは、すごいことだ。


「よろこびの歌」詞・曲 真島 昌利

真夜中にうろつく 意味もなくうろつく
一人でいい 一人がいい 真夜中にうろつく

真夜中にうろつく 雨上がりの匂い
取りとめなく 脈絡なく 真夜中にうろつく

まわりに誰がいても まわりに誰がいなくても
自分が好きなものは何なのかは知っている
あふれ出る よろこびの歌
あふれ出る よろこびの歌

真夜中にうろつく おまわりが見ている
今は少しほっといてね 見るだけにしといて

真夜中にうろつく 意味もなくうろつく
一人でいい 一人がいい 真夜中にうろつく



マーシーもうろついていたんだなあ、と私はどこからの目線でそんなことを言うのか。
でもこれ、全部とは言わないが、まるで私なのだ。

フジロックはもちろん生のライブを楽しむものだけど、やっぱり苗場で、iPodからブルーハーツとハイロウズは聴きたいと思う。


ひまわりはその頭が支えられなくなって、首が折れていた。
写真に撮ろうかと思ったけれど、残酷な気がして取れなかった。

どうして、枯れたもの朽ちたもの死んだもの、を写真に撮ることが残酷な気がするのだろう。
明確には誰にも禁じられてはいないのに、それがタブーなのはなぜなのだろう。

例えば生き生きと美しい花を撮るのはよくて、生きている虫を撮るのはよくて、動いている人を撮るのはよくて、萎びた花や虫の死骸、死んだ遺体を撮るのは一般的にはいいように思われない。
単なる色の鮮やかさや美しさが失われてしまうからということもあるだろうが、それだけではなさそうで、社会的倫理的規範が存在するのだと思う。

ただ、そういえば少し前に、しわしわに萎れてしまった芍薬を撮った。
おばあちゃんみたいでかわいいと思った。
動物の生死の境目は明白であるが、植物の場合は難しい。
おばあちゃんを写真に撮ることはいいけれど、棺にカメラを向けることはとんでもなくタブーだ。

でもやはりなぜタブーなのだろう。
棺の中の死んだ人は美しいことだって多い。

今日はどこかの新装開店のお花を拝借。
どこのアレンジメントを見てもJARDINS des FLEURSのフラワーアレンジメントが一番だと思う。



おさそい

2012-07-04 23:52:29 | 日記
すっかり夏みたいな空気で、今日は7月4日で。
私はなんとなく落ち着かなくて、夜中に目を覚ますと珍しく身体は汗でしっとりとしていて、そこからなかなか寝付けなかった。
あのとき、こんなに大事なことだと知っていたら、とも思うけれど、あのときにはそう思っていなかったのだから仕方がない。

自分の胸騒ぎが他人のものと連動しているなんてないと知った。
他人の痛みなんて自分の痛みになんて置き換えられないと知った。
でも、それ以外には何もわかっていなかった。
目を閉じて乗り切ったも同然だった。

後悔なんて、してもどうしようもないことくらい身に染みてわかっている。
しかも、今までそういう後悔はしていなかったのに。
ものすごく長い時間が経って、過去を今一番悔いているなんて初めての経験だ。

人は変わる。
人は変われる。
他人や環境や出来事から影響を受けながら、でも本人が全て選ぶこと。
特に意図せず変わっていくことも、努力して変わろうとすることも、本人が全て選ぶこと。

誰かからすると、「変わってしまった」という表現になることもあるだろう。
それでも、その時の自分にとっての最善を選ぶこと以外にはない。

募るばかりのやり場のない思い。
もしかすると解消方法かもしれないと思うことが一つだけあるが、私はそれを選べるだろうか。

私はこの世に降り立った姪を見たら何を思うだろう。
不意に何かが溢れて泣いてしまわないか、とても心配である。
かわいいかわいい姪を見て、泣いてしまうなんて、でもそうだ、私は家族の前では泣けないんだった。


初めてものもらいができた。
霰粒腫と麦粒腫というのがあって私のは前者らしい。
所謂瞼の縁にできるものもらいは後者だ。

痛くも痒くもないし、見た目にはわからないが明らかに触るとしこりがある。
眼科に行ったら瞼をひっくり返された。

抗生物質入りの目薬を1日4回朝・昼・夕・就寝前、コンタクトを外して点眼してください、とのこと。
それでも治りはすぐには良くならないと思いますのでその時は切開しましょう、と。
痛くも痒くもないので、たぶん4回点眼はしないだろう。
現状維持なら切開とかは嫌である。

病院なんていつぶりだったろう。



もったいない病

2012-07-03 00:23:23 | 日記
楽しそうだね、と言われることが増えた。
本当には楽しくないのにそう言われるのであれば問題だが、本当に楽しいときにそう言われるものだから「だって楽しいもん」以外の返答以外にはない。

「ほんとの瞬間はいつも死ぬほど怖いものだから」
そう、それも本当で、やってやるよという思いと引き換えに、そのほんとの瞬間とその後のことを想像したりして、死ぬほど怖いと思って何度も逃げ出してしまう。

全部が全部、もちろん楽しいわけではないけれど、楽しいことは楽しいなあと100かもしくは色々と他のものを借りたりして120にして感じたい。
大事なことはそれを感じ取れる心と、想いきり感じにゆく精神だ。
楽しいことを最小化して、嫌なことを最大化するなんてもってのほかだ。

フジロックのチケットを手に入れた。
フジロックって富士山でやるの?山の集い・・?から始まって、ロックへの傾倒激しく猛烈に行きたくなってしまった次第だ。

まず、そもそもフェスがなんなのかが実態がわからない。
先日の日比谷野外大音楽堂のライブの規模が山バージョンであることはわかるが、うまく想像ができない。
しかも出演アーティストの大半が知らない。
しかも私はスニーカーを1足も持っていない。

日光が苦手で基本形がインドアで、フェス初参戦の私がそんなことろに行ってしまっていいものなのか、寒いやら人が多いやらトイレに困るやらぬかるんでいるやら、脅しのようなことも多々聞くが、「絶対いいから」という強い声を頼りに情報収集を進める。
ドラゴンドラに乗ってこい、カフェドパリでモヒートを飲んで来い、ここの小道がとてもいい、オレンジコートの奥のストーンサークルで太鼓をたたいてこい、ウイスキーを持っていけ、と適切で細かなアドバイスをくれる人が目の前にいるのは大変にありがたい。
ウイスキーなどで酩酊している場合ではないと思ってはいる。

苗場の会場の地図は、ロールプレイングゲームの地図みたいで、各アイテムが地図上に散らばっていてそれを集めにいくような気分になる。


フジロックにまつわるさまざまなサイトを寝る前にサーフィンする。
宿もちょっと遠くなってしまったけど何とか確保した。
求愛する鳥みたいなド派手なポンチョカッパを友人に借りた。
日本野鳥の会の長靴も買った。
なんとかなるだろうで、なんともならないこともあるようで、荷物の嫌いな私だけど出来る限りの準備をした方がよさそうだ。

でも何かと大丈夫な気がする、と一緒にいく彼女は言っていた。
小心者で大胆、そんなところが似ているような気がする。

方向偏差値は二人とも嘘も誇張もなく、20だ。
でも20分かかっても有楽町駅から有楽町ロフトにはたどり着いたし、その辺の誰かに話しかけてもその人が面白く手を貸してくれたりする。

この日ばかりはヒールのないスニーカーと長靴だから足首を捻って転ぶこともないだろう。
何かに躓いて転ぶことはあるかもしれないけど。

未だにゲレンデを見たことがない私だけど、夏のスキー場はどんなだろう。
楽しい想像はどれだけでもしたらいい。