goo blog サービス終了のお知らせ 

つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

締められる

2013-11-19 01:27:49 | 日記
ポール・マッカートニーの来日公演。
先日東京ドームシティに行ったとき、とても寒かったから、それだけは嫌だと思ってダウンをひっぱり出してロングブーツをはいて、真冬はこれ以上にどう防寒するのかという格好で、自転車で向かう。
夕方5時を過ぎて今日初めて家を出たものだから、外の気温はさほど低くはなくて、間違った格好をしてしまったことはすぐに気付いた。
きっと帰りは冷えるさ、誰にも迷惑かけてないし、と訳の分からない口調で心の中で呟いた。

初めて入った東京ドームの中。
よく広く大きなものを比較するときに「東京ドーム○個分」と言ったりするけれど、この大きさが基準なのか。
確かにこの広さなら悠々と野球ができそうだ。
ここでプラネタリウムをやってど真ん中に寝たら、サハラ砂漠の星空みたいに視界を空のようなドームだけで埋められるだろうか。

モンゴルのテントの巨大版みたいなドームは、所狭しと椅子が敷き詰められていて、じわじわと黒山の人だかりとなった。
「S席注釈あり」の席は、かなり後ろで上の方だったけれど、機材に阻まれて全然見えないどころか、米粒みたいな大きさのポールはずっと目で追えたし、大きなモニターだってあるので決して悪い席ではなかった。

ポール・マッカートニーは、すごかった。
「ビートルズはすごいんだ」「ポールもよくわからないけどすごいんだ」という表現以外に私は上手く表せないけれど、ピースフルでハートフルでおちゃめでサービス精神旺盛で、ロックだった。
月並みな言葉を並べると、71歳には到底思えない。
今も昔と同じキーでやっているらしく、アンコールにも2回応え、全2時間半以上にもわたる長いライブを結構涼しい顔をしてやっていた。

私は全部は全然分からないけれど、昔のビートルズの曲からポールのソロ、現在のバンドのウィングスの曲など、色んな時代の曲をやった。
私のイメージとしてはビートルズは「ビートルズ」というジャンルのような、そんな音楽性を感じていたけれど、今日のポールは「ビートルズ」ではなく「ポール」だった。
というよりか、「ポールというショー」。
昔の曲も懐古的ではなく、生々しいロックだった。
そして新曲を何曲かやっていたけれど、単純な意味でそれらが一番うるさく、溌剌としていた気がした。
観客それぞれに思い出の曲があるらしく、曲の出だしはあらゆる各所から歓声が沸いた。

ポールの愛する人、前妻のリンダやジョン、ジョージなどに向けられた歌もあった。
確かにポールは偉大過ぎる世界的なロッカーだけれど、そこにはひとりの人間として心臓が鼓動していて、血液が循環している。
ひとりの人間が大勢の人を目の前に、ギター弾いて歌っている、そういうことなんだなと思った。

中学や高校の音楽の教科書でやった「イエスタディ」や「ヘイジュード」などは、もう完璧で完全なる既製品として想像の余地を与えなかった。
いや、それは違う、私が想像力を持っていなかった。
しかしそれくらいビートルズやポールという存在は、否応なくそこに存在していて「良いもの」であるレッテルさえも超えた“みんなの歌”のように私には聞こえていた。

今日それらも生で聴いて、ああこの人が作ったのか、と知っていることをもう一度、それを始めて知ったかのように認識した。
思いがあって、熱が消えなくて、一生懸命にやってきたのだろうか。
今日見たポールはあくまで「ショーの人」であるけれど、それもまたポールの一部分だ。

ポールは言った、「君らが生まれる前の話さ」。


ポールの公演なのでポールのことを先に書いたが、このコンサート自体、友人がぴあのヒロトとマーシーのポール来日の対談から彼らも東京3日間このコンサートに行くということを知り、そこから派生して行くことになった。
それに、ポールは私が愛する多くのロックンローラーたちに光を見せたロックンローラーだ。
だから私の直接の光でなくても、見ておきべき聴いておくべき人だ。
だから、ありがとうの気持ちでいっぱいだった。

ちょっとこれはさておき、私は会場に着いて友人と落ち合う前、ヒロトを見た。
暗がりの中、ハンチングをかぶって革ジャンを来ていてあの形なのはヒロトだ。
すれ違った瞬間に私は仰天してヒロトを見た。
追いかけて声をかけようとも思ったのだけれど一瞬にして「こんなにヒロトが楽しみにしていたポールのコンサートにプライベートで来ているのに邪魔してはいけない」とかを考えて、それも本当に頭をよぎったけれど要は小心者ゆえに身体が動かなかった。
ヒロトは細い足を蟹股早足で颯爽と闊歩して消えてしまった。

その後、友人と落ち合ったとき私は若干の錯乱状態だった。

手荷物検査で「録音機器やカメラはお持ちではありませんか」と聞かれて、大真面目に「携帯電話なら持ってますけど!」と答えた2年前の斉藤和義のライブ。
そのときの友人と一緒で、そんな思い出を今日また辿りながら、笑っている。
ライブ中に飲んだレモンサワーのせいでトイレに行きたくなってしまった私たちが、2人ともあの危なっかしい階段をほろ酔いで転ばずに行って帰ってこれたのは、思い返しても奇跡だ。



壊せ

2013-11-17 02:04:45 | 日記
なんだか毎日お味噌汁を食べているような気がする。
前回、いつものお味噌汁を作ってできあがったお味噌汁が美味しくなかった。
具材との一体感がなく、「味噌!」という感じがして塩辛かった。

私は料理をするときに計ったりは一切しないので、多少のブレはあるだろうが、よく作るものの加減はそんなにはブレないだろうと思う。
お味噌汁で失敗したのは初めてではなかろうか。

何がいけなかったのか、いつもは入れない具のネギか、いつも入っている油揚げが入ってないからか、味噌を入れてから沸騰させたまま放っておいたか、いやそれはない、いや、明らかに思い当たる節があった。

いつも鰹の厚削りを使って出汁をとる。
鰹節でとらないのは、けいこがずっとそうしていたからで、あとは単純に厚削りの方が出汁が強力な感じがするのと、鰹節だと出汁を濾さないといけないのが面倒だからだ。
厚削りであれば菜箸でつまみ出せる。

鰹節は沸騰したお湯に入れるのが正しい出汁の取り方だと思うが、厚削りの場合は昆布と同様に水から入れる。
これが正しいかどうか分からないけれど、けいこがそうしていたから。

このとき、あまりに寒かったので食器の洗い物にお湯を使っていた。
最後、お湯がまだ出るからもったいないのでお味噌汁の水として使ったのだった。
お湯に鰹厚削りを入れて、それはすぐ沸騰した。
何となく、浸す時間が短かったから、具材を煮るときも少しそのままにしておいた。

たぶんこれが原因だ。
そんな確信を持ちつつ、これが原因ならと顆粒のだしを投入して、軽く4~5杯分もできてしまったお味噌汁を2日2食ずつ飲んだ。

そしてまた新しくお味噌汁を作る。
ネギと油揚げ、今日はえのきもある。
鰹厚削りで、水から時間をかけて出汁を取る。
この失敗は二度はしたくないと、いつもよりも念入りに灰汁も取る。

できたお味噌汁を立ったまま、お玉で味見。

あぁ良かった。

家で料理するのは、ざっと炒めるとか、ざっと煮るくらいにしたいものだけれど、“じっくり”するということも大切なのだ。
にんにくやショウガや唐辛子の香りを出すのも、冷たい油の状態から弱火でじっくりと言うではないか。

家で仕事をするので家にいることが格段に増えて、というかほとんど家にいて、寒い季節が追い打ちをかけて、自炊の数もとても増えた。
けれど大してレパートリーが増えない。
IHヒーターになったから、煮込み料理をたくさんやろうと思っていたのだけれど、あまりやっていない。
昔から買う食材はほとんど決まっているし、調味料はここ何年かで定番入りしたのは昆布茶くらいだろうか。

ごはん、パスタ、うどん、焼きそば、食パン。
卵、納豆、ウインナー、ベーコン、ときどき鶏肉、油揚げ、豆腐、玉ねぎ、ときどきニンジン、ときどきピーマン、ジャガイモ、えのきたけ、しめじ、ショウガ、こまつな、鯖缶、ときどきトマト缶。

もちろん他のものを買うこともあるけれど、鯖缶が最近の定番ニューフェイスくらいなもので、ひとり暮らし歴10年で大方この枠を外れたことがない。

ここから何を作ろうと考えるので広がらないのか。
食べたいものを考えてから、買い物に行けばいいのか。


久しぶりにツタヤに寄った。
私は昔から映画フリークでは全くないけれど、長い間海外ドラマ以外は全然観ていなかった。
何一つ事前に観たいと考えていたものはなく、旧作7作品700円だったので、以下の7つのDVDを借りる。

リンダリンダリンダ
シド&ナンシー
ドアーズ
トウキョウソナタ
境遇
孤高のメス
ダイハード3

「リンダリンダリンダ」はただふと目に留まってしまっただけで、でも目に留まってしまったので借りざるを得なかった。
そして「シド&ナンシー」はあのシド・ヴィシャスの話であり、「ドアーズ」はあのドアーズのジム・モリソンの話。
こういうことが気になるのだから仕方ない。
あとは、以前人から勧められたもの。

「リンダリンダリンダ」はだいたい想像した通りの青春映画だった。
私が抱いている「リンダリンダ」や「終わらない歌」「僕の右手」の解釈とは違う描かれ方をしていたけれど、ブルーハーツが若者に絶大な支持を得たというのはこういうことなんだろうと思った。
抑圧とか鬱屈とか言い知れないイライラの中の、抜け道としての音楽、純粋な意味でのバンドへの憧れ。
私は所謂青春期にこういうことを自覚していなかったのでわからない。

ただ、青春映画としての手触りは「桐島、部活やめるってよ」に近いものがあってなかなかリアルだった。
牽制したり、突っ張ったり、突っ切ったり、人に合わせたり合わせられなかったり、ほとんど自覚のない中で行われるそれらは明確な感情の落としどころがなくて奇妙な感じがする。
「桐島、部活やめるってよ」の方が話としては断然技巧的であるし作り込まれたものであると思うけれど。

あと、ヒロトの弟である甲本雅裕が先生役で出演していたので、勝手に色々と想像してしまった。

「シド&ナンシー」もだいたい想像した通りの薬物映画だった。
あの映画はシド•ヴィシャスの人生の物語ではあるけど、おそらく本当のこともいくつかあるだろうと思う。
私はセックス・ピストルズのメッセージも「自分であれ」ということが根本だと思っているが、「マイウェイ」を薬物にまみれた身体で“自分らしく”歌ったシドは果たして幸せだったのだろうか。
もっとも、21歳で死んでいるわけで、精神性も何もそこですべてが終わっている。

補足的に知ったことだが、元セックス・ピストルズボーカルのジョン・ライドンは現在57歳でお笑い番組に出ているらしい。
ただこのことしか知らないけれど、かっこいい人だなと思う。

他はまだ観ていない。




最初の音

2013-11-15 01:18:15 | 日記
湯島の菊まつり。
3年前に友人と一緒に行って以来、翌年からは友人が遠方に引っ越してしまったためひとりで行っている。

菊の種類や、重たい花の頭を支える白い針金の支柱、一つひとつに付けられた賞、鈴なりにかかっている絵馬、猿の大道芸、狭い場所に並んだ少しの屋台、奇妙な和服の人形に飾り付けられた小ぶりの菊、おじさんおばさんの団体。
全体に咲いている菊の数も1つも違わないのではないかというくらい、毎年同じ光景がある。

行ったときにはもう夕暮れで、iPhoneを取り出してフラッシュを点けたり点けなかったりしながら立派な菊の花を撮る。

今日行って気づいたことがあった。
まだそれについて私はちゃんとは受け入れていないし、そんなに大それたことでもないかもしれないし、でもなんだか心がざわざわとした。
全般的に私が一番恐れていると言ってもいいことの類だ。

私、花に飽きてきたかもしれない。
飽きた、という表現が正しいのかはわからない。

これまでどんなに花にどきどきしてきただろう。
るんるんと花屋に行って、かわいい子を見つけては連れ帰り、長い時間花の写真ばかり撮っていた。
撮った花の写真たちを見返せば、その時の情景までが一緒に思い出せたし、私は自分で撮る花たちが好きだった。
遠く北海道まで花畑も見に行くし、自ら行きたいところの一番が花畑だった。
東信さんのフラワーアレンジメントも追いかけたし、東さん主催の教室にも行ったし、分厚い花集も買った。

その度に、あー好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、と生々しく本気で思ってきた。
芍薬の中に入れるのなら、虫になりたいと本気で思っていた。
何度もなんども、花を見てぎゅうっとなってきた。

確かに今でも好きは好きだけれど、ものすごくどきどきするというようなことがなくなった。
先日退職のお花をいただいたときもそうだった。
大好きな花束をいただいて、奇声かため息か漏らすところが、そういうふうにはならなかった。
私は私に、あれ?と思った。
このことには少し前から薄々気付いていたけれど、怖いので無意識に見ないようにしてきたような気がする。

花畑には何度でも行きたいし、生花は私の部屋に彩りをもたらし続けるだろうけれど。
花の写真もまだまだ撮るだろうけれど。

今日、寸分の狂いもない湯島の菊まつりに出向いて、それは隠せない事実として突きつけられた。
嬉々と写真を撮っていたけれど、嬉々具合が全然違う。
私のことだから、私が一番よく分かる。

本当は、私は結構このことに怯えている。
そしておそらく人が想像する以上に私はこのことをものすごく悲しんでいる。
誰の慰めも、自分の慰めさえも効かない。
飽きてしまうということ、感動しなくなってしまうということ。

飽きないように努力してもたぶん無駄。
感じようと努力しても多分無駄。

自分の心なのに、自分で操れない。

でも私は、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、と思えるものに、触れたくて、その中に入りたくて、味わいたくて、それを理由に生きている。
それなのに、その一片を失くしてしまうのはある種の失恋なのではないかと思う。

今私が、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、と思っているものたちもそのような時が来るのだろうか。
新しくて良いものを探し続けて、いくつもいくつも、自分に合わないと投げ捨て続けるのだろうか。
またその途中で私の心を引っ掴んで離さないくらい、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、という何かが現れるだろうか。

飽きてしまうことに怯えて、それを小出しにして出し惜しみしながら味わうようなことは馬鹿の極みだ。

心が言うことを一生懸命聴いてあげるしかない。
それが、今の私にとって、「強く生きる」ということかもしれない。

それを無視し続ければ、本当に感動することに立ち会ったときに心がジャンプしなくなってしまうだろう。
私のもの、私の心。



へんてこな観覧車

2013-11-13 01:45:18 | 日記
余った赤ワインがどうしようもないので、砂肝と玉ねぎと舞茸で赤ワイン煮込みを作る。
赤ワインを結構な量入れて、舞茸からも色が出るので、泥のような煮込みができた。
牛肉を買うのを躊躇ったけれど、牛肉の方が美味しいだろうなということと、赤ワインは想像以上にコクが出てしつこかった。
砂肝も玉ねぎも舞茸も、そんなにしつこい奴らではないはずだから。
単に、材料に対して赤ワインを入れ過ぎただけということもある。

1年ほど前に買った出汁昆布がまだたくさんあるから、昆布で出汁をとって、一旦取り出して刻んでそのまま鍋に戻す。
ジャガイモとベーコンを入れて、さて何スープにしようかとその時点から考える。
鶏ガラで中華でもいいし、コンソメでポトフ風でもいいし、赤味噌と昆布出汁は合わなかったことを経験済みなのでこれは却下、あ、白味噌を溶いて生姜を磨りおろして入れよう。

白味噌と一緒に赤唐辛子を1本そのまま入れる。
確か誰かの料理ブログか何かだったと思うけれど、お味噌汁の味がなんとなくしまらないというとき、お酢を数滴か唐辛子を切らずに入れると良い、ということを読んだことがある。
私は元々お酢が嫌いなので試してはないけれど、唐辛子はそれ以来度々入れる。
辛い、という感じにはならなくて、本当に味の引き締め効果がある。
長く入れておけば多少辛みも出てくるので、生姜のすりおろしと一緒に入れれば何だか元気が出るようなホットなお味噌汁ができる。

豆腐も余っていたので、すりごま、醤油、昆布茶、みりんで、白和えのようなものを作る。
本物の白和えはどうやって作るのか知らないけれど、うま味調味料と塩気の配合さえ間違えなければそれなりになるのだなと思う。
あとはそれっぽく見せたければ色を入れたり、何かを散らしたり上から振りかけたりすればいい。

ウェイパーとかほんだしとか、つまり“味の素”というのは本当に良くできている。
化学調味料って美味しいのだ。
だって“味の素”だから。
脳にセロトニンをぶち込めば、の話もそうだけれど、「おいしく感じる」ということが「おいしい」ということになる。

ただ、それでしか「美味しい」と感じられなくなることは酷く残念なことで、素材は素材で力があって、更においしいが上乗せされるような人や場所などのシチュエーションなんかもプラスされたりして。
「美味しい」というのは複合的な要素が成す経験だ。
食べる以外の経験によって味覚が社会化されることも別に悪いことではなく、しかしそれによって見えなくなっているおいしさがないものか。

味のみの「おいしい」は快楽主義的であり、それを取り巻く全体の「おいしい」は幸福主義的とでも言おうか。
誰かは快楽主義的な「おいしい」で結局のところ満足しないのかもしれない、誰かは幸福主義的な「おいしい」しか知らないかもしれない。
味が美しい、それが「美味しい」

どっちでも何でもいいけれど、それに対して良いものは良いと言える自分自身と、それに固執しないフラットな見方がほしいものである。
食べることと自分の味覚について、よく分からないから、と今まで考えることを拒否してきた分野だ。
しかし考えてみると、全部自分の身体で実験できるし、舌は実に分かりやすい反応をするので面白い。
そして何せ行為自体がしなくてはならないことのひとつなので面倒くさがりな私でもできる。

考えたいことを考えずして、何を考えるのだろう。

今日は内田勘太郎さんとミックジャガーとU2とレッチリを。
「ラブレター」と「ナビゲーター」のコードをギターで追う。

さて湯船にでも浸かろうか。



ザ・テキサスズ

2013-11-12 01:56:31 | 日記
内田勘太郎 with 甲本ヒロト 横浜THUMBS UP
何か月か前、友人が見つけたこのライブ。
チケットを取るのに、会場であるサムズアップに2人で100回くらいコールした。
友人の方がようやく繋がってチケットを手に入れた。

内田勘太郎さんは、調べてみると元憂歌団の人で、木村充揮さんとは同級生らしい。
いくら勘太郎さん主催のライブとは言え、ヒロトをゲストで呼んだら、ヒロトファンで埋め尽くされることくらい分かる。
失礼だけれども、勘太郎さんを知らずに、ブルースが好きでなかったりなんかしても、チケットは当たり前のようにSOLD OUTだし、ライブ中の目線だってほとんどヒロトに持って行かれるだろうことだって分かっていたと思う。
そういう私も間違いなく、そういう一人だ。

ライブハウスでレストランで、アメリカンな感じがするハンバーガーのお店。
これについての夢は見なかったけれど、想像通り、薄暗くて湿気た感じのテーブルとイスを、今日のためにでき得る限り詰め込みましたといった満席具合。

私たちは、ライブが始まる前に、気を持って行かれても食べれそうなもの、という観点でフライドポテトとピザを注文する。
あとは定番になったハイネケンを、グラス持ってきてくれたにも関わらず瓶のまま。

いつものクロマニヨンズのライブも近い時はあと何メートルかという感じだけれど、やはり視界はものすごく限られているし、ステージを見上げている。
それが今日はあと2メートルという距離で、ほんの30センチほどの段差があるだけのステージ。

ヒロトは謙虚な笑顔で出てきた。
勘太郎さんや憂歌団のブルースの曲をたくさんやる。
勘太郎さんのソウルフルなアコースティックギターと、ヒロトの力強い歌とちょっぴり切ないブルースハープ。

アコースティックギターってこんなに強い音が出るのか。
ヒロトってこんなに歌上手だったのか。

生演奏を見ると、齧るだけでもギターをやって良かったと心から思う。
そういえば、私はヒロトが歌が上手いとかそうでないとかいう観点で曲を聴いたことが今までに一度もなかった。

ライブ中は飲み物も飲まず、食べ物を食べず。
大方ヒロト、時々勘太郎さんに目をやる。

勘太郎さんの作るブルースは、男子感に溢れていて、物事を斜めから見ているような、それでいて今行くのさという熱さもあって。
スライドバーを使いながら弾く強めのギターは、ヒロトの声とよく合っていた。

後半、いきなり始まった「ラブレター」
河ちゃんのコーラスが印象的なあのブルーハーツの曲。
あまりに唐突にそれが始まって、心臓がバクバクした。
自分の胸を自分でつかみながら、ぼろぼろと涙が出た。
泣いているという認識はあまりなくて、次から次へと涙だけが溢れ出た。
なぜかわからない、曲はたぶんどれでも良かった、ただブルーハーツ時代にヒロトが作った歌を、ヒロトが歌った、それだけで良かった。

すごい瞬間だった。

今日ヒロトはいつもに増して“はだか”を見せることがなかった。
一度も、こんなに近い客席のお客さんと目を合わせることがなかった。
別にどんなでもいいけれど、道化師みたいなヒロトを凝視するのは、申し訳ないような切ないような気分になる。
道化するのは、きっといつかから自分の意図しないところまで祭り上げられてしまった自分の存在を、何とか正常に保つために得た方法なのだろうなとか思う。

「ブルースはみんな同じ曲。それを作曲なんて言っちゃって」と勘太郎さんは言う。
それでも大量にブルースの曲を作る、演奏する。
いいじゃないか、それで。

勘太郎さんの奥様が寝ている子供を胸に抱いてCDを売っていた。
今日やった曲が入っているCDを1枚買って、心がぱんぱんのまま電車に乗る。
受けたことがあまりに大きすぎて、特に「うれしいうれしいうれしいうれしい」みたいな状況ということでは全然ない。
全然言葉にならない、ただ心がぱんぱん。
こんなふうになったのはいつぶりだろう。
クロマニヨンズのライブでもこんなふうにはならないのだ。

友人は4時か5時起きという早番の仕事の日で、帰りの電車で寝そうだった。
私は今日からフリーターで、11時に起きたものだからなんだか自分が悪いことをしているような気分になった。

2人とも、あまりにお腹いっぱいで消化不良を起こしていたのでいつもよりもスローペースで時々ヒロトを思い出して浮いてしまう脳を少し押さえつけながら喋っていた。
いつも横浜は遠い、と思いながら電車に乗っているのだけれど、行きはそうだったけれど、帰りはすぐだった。
最後にしていた話が面白すぎて、日付が変わろうとする頃、私たちは地下道で大笑いしながら歩いていた。
行く先を堂々と間違えながら。

ほっといてくれ、好きなんだから。
と、すっかり冬の匂いのする風の中を、ストールを手繰って自転車で帰る。