マーラー特有の遠近観を見事に聴かせた カンブルラン指揮読響「巨人」
第1楽章序奏から、『舞台袖にて3本のトランペットで ppp』を指示したマーラー交響曲第1番「巨人」。その精神を終楽章第4楽章最後の731小節まで貫いた演奏だった カンブルラン指揮読響。指揮者カンブルランの読みの深さも凄いが、その「困難な演奏」を実現してしまう読響メンバーの演奏の質の高さにも脱帽。1番ホルンの久永は、明日日曜マチネーでは第1楽章から、第4楽章並みの演奏を全曲貫徹して下さい。
帰宅してから、スコア(私高本が所有しているのは音楽之友社版=ウニヴェルザール社刊全集第1巻の許諾複製)を読み返すと、あるわあるわ、各楽章の頭の「編成」読んだだけではわからない細かな指示の数々。批評書くのがこんなに遅くなってしまったではないかw
マーラー交響曲第1番「巨人」は、失恋の心の痛みを描いた「さすらう若人の歌」を発展させた交響曲。(捨てられてしまった)元恋人を忘れ切れない切なさが全編を覆う。「遠い昔の良かった時代=遠い」と「フラれた現実=近い」が交錯する作品。それが数秒の内に入れ替わる、を描いたのが「巨人」とカンブルランは主張している。
明日の「日曜マチネー」を聴く人に、敢えて聴きどころを言うならば、終楽章=第4楽章。それまで全く演奏していなかった 4番フルートと4番オーボエが始動して、コーダでは「7本のホルンにトランペットとトロンボーンが各1本加わる」も全て実現。
1番トランペットと1番トロンボーン(アルト)がピアノで重なった直後に「急激なクレシェンド」が2度ある。トランペット+トロンボーンの静けさに唖然
信じられない「短時間でのクレシェンド」も全て実現。弦楽器だけでなく、管楽器も含めてである。
私高本が聴いた範囲内で、「進む方向が似ている録音」を問われれば、『テンシュテット指揮ロンドンフィルの全集』を挙げておく。音響の良い東京芸術劇場で、1人でも多くの人が カンブルラン指揮読響マーラー交響曲第1番「巨人」を聴いて欲しい。今日の様子だと、13:59に入場でも楽々当日券が買える様子。私高本は、13:59 会員券で通過w
前半の ハイドン「太鼓連打」について。「マーラー交響曲前にちょいと」という演奏では無く
「ハイドン時代には、メインでトリだったんだよ」感を滲ませる演奏
具体的には