詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

ピッキ蛙外伝(7) ートヨタグループ時代の詩ー

2009年06月21日 | 日記
トヨタグループ時代は
一度も旅行に行ったことがなかった
トイレに入っていても
大声ですぐに呼ぶ呆けた母だったので
仕事中も心配でたまらなかった

夜には
「オムツが濡れて気持ち悪い」とか
「今日はまだご飯をたべてない」とかで
何度も起こされ
「おやすみかあさん」
「あんたも良い夢をね」と母に言われると
複雑な気持ちだった

まだインターネットもない頃だったし
研究開発部門の同僚たちと
同じ時期に始めたパソコンも
タイプライターに毛が生えたようなもので
一生懸命プリンターへとブラインドタッチの毎日だった

そんな中での唯一の楽しみは
母が眠ったあとに
ほっと一服しながら
書く過激な詩作だった


   国民総葬式国家ー日本

国民の税金や共有財産を
掠め取ることしか頭になかったこの国の
いよいよ閨閥化してゆく政官財の
壮大なバベルの塔も
いよいよ完成の時を迎えつつある

つい40年ほど前には
借金ゼロだった国や地方は 
いまや少なく見積もっても1000兆円の借金
といったって 
いつの時代も最終的には
国民の血税から支払わせられる
というよりも
さらに増税をしたいがために
無茶苦茶な使い方をする政官財というのが正確なのかもしれない

本来年金や雇用保険積み立て者に
その全額を支払うべきだったのに
約10兆円の年金積立金を強奪しての「リゾート法」や
グリーンピア以降も恥じることなく
自然破壊と人間破壊に懸命だった厚生労働省官僚たち
あまりにも無茶苦茶使いすぎたり
毎年数兆円の株運用損のために
年金記録を廃棄したのかもしれない

彼らに負けず劣らず
正当な担保をとるという資本主義の根本を覆して
バブル投資を強制した財務省官僚や
バブルに狂奔した挙句
税金でその後始末を尻拭いさせた
この国の大銀行や大企業官僚たち

その彼らが
我々の血税からの数十兆円もの援助で息を吹き返し
いまやわが世の春楽しみ
史上最高の利益を貪り
社会貢献どころか
国民への恩返しさえも忘れて ますます
アメリカのハゲタカ国際金融資本家に瓜二つ

かなり前に読んだSF「斎藤家の核弾頭」(篠田節子)にも
そう遠くないこの国の
似たような未来の話があって
ランク付けされた国民背番号の下位の人間から
臓器移植や人体実験や食料へと
順番に抹殺されてゆく

そこでは 俺みたいに
学歴も社会に役立つ才能もない自称詩人の類の人間が
真っ先に反社会的という烙印を押されて
データー収集や管理用のマイクロチップを
体内に埋め込まれて 監視カメラだらけの
原発跡地や公害跡地・災害跡地へと追いやられる

そこで
遺伝子変異等の実験データーを十分に採取された後は
めでたく勤めを終えて
臓器移植や食料のために抹殺される
めでたし めでたし
その場所の放射能やらの安全値が確認された後に
税金ネコババに目の血走った政官財支配層の
日本低国株式会社の偉いさんたちの
豪邸がにょきにょきと建ち並ぶ

原宿に留置場より
国会や首相官邸の隣に
税金ネコババ政官財ための留置場を作るべきだ
様々な特権を与えれている
官僚・企業企業官僚の犯罪が
あまりにも多すぎる
そしてこれが
日本人のモラル崩壊の原因だ
特権を利用して税金犯罪を繰り返す者たちは
全財産を没収して島流しや国外追放にすべきだ

いまや、政官財=税金泥棒というイメージが
日本人共通の常識となりつつある。
表題の国会に核弾頭をぶち込むという爽快なSF小説は、日本SFの金字塔、篠田節子の「斉藤家の核弾頭」。

ピッキ蛙外伝(6) 「高校時代の夢をみた」

2009年06月21日 | 日記
夢はどうしていつも勝手に記憶を作り変えてしまうんだろうか。

母に起こされて柱時計を見ると、始業時間にとても間に合いそうにない。けれども欠席が多くて「このままでは卒業できないかも」と担任に言われたばかりなので、しぶしぶと自転車に乗っかる。(自転車で通学した事なんか小中高と皆無なのに・・)

いつの間にか朝うっすらと積もっていた雪はいつの間にかすっかり消えている。駅の周りで駐輪場を探すが見つからないので、三輪車の隣に自転車を止めてると、中学の後輩二人が駅からとやってくる。

「先輩どこの大学を受験するんですか?」
これはとてもきつい質問だ。
つい最近担任にもいわれたばかりだった。
「君に受かりそうな大学はとてもありそうにないな。俺の出た教育大学はとても環境のいいとこだから受けてみたらどうだ」

僕の地元の小樽は、伊藤整や小林多喜二や賢治や啄木や山中恒や大好きな詩人左川ちかの傑作を輩出した港街で、日本の労働運動の聖地みたいな街だったけど・・東京に出ることしか考えていなかった高校時代だった。けれども親からは、国公立大学以外は認めないと言われていたので、内地への大学進学はほとんど絶望的だった。

それから各駅停車の列車でやっと高校に着くと、同級生の友人が首吊り自殺したというので、てんやわんやの騒ぎだった。
その友人が死んだという文藝部部室へ入ると、死ぬ間際に彼が失禁したのか・・木造の床には青い水溜りが一つだけ残されていた。

◆高校時代というと思い出すのは井上陽水の「青空ひとりきり」(これ以上はない絶唱ゆえに権力から毛嫌いされるのかも・・)ー
http://www.youtube.com/watch?v=xTKmwBOyaJU&feature=PlayList&p=9CBA1FD3449544C7&index=22
それ以上に詩的な妻石川セリの「八月の濡れた砂」はーhttp://www.youtube.com/watch?v=nnHUY7Yma5Y

どうしてだかずっと大好きな山崎ハコの歌「サヨナラの鐘」はー
http://www.youtube.com/watch?v=YW9zKV3i_jg&feature=related
聞くといつも泣いてしまう「望郷」はー
http://www.youtube.com/watch?v=9k2C92vU0y8&feature=related
宮崎死刑囚についての歌「ブリキのマーチ」はーhttp://www.youtube.com/watch?v=GEmLecLbBCo

日本社会崩壊の真の原因はー

2009年06月21日 | 歴史
ちょと専門的だけど、法政大学大原社会問題研究所教授五十嵐仁の記事をアップしたい。その眼からウロコの記事はー
http://www.labornetjp.org/news/2009/0429kouen
全文をアップしようと思ったけど字数制限のため・・詳しくは上記サイトや僕のHPを。

《<はじめに>  -前略ー
人間というのは、見たくないものは見えません。見ようとする時、初めて見えるという場合が多いわけでして、発見というのは状況をただ漠然と眺めているだけではできない。新しい運動の芽や可能性を発見するような“目”を養っていただきたいと思います。そのために参考になるような話ができれば、と思っています。 -中略ー

さて現在、国際的な金融・経済危機が大問題になっています。それが日本に波及するという形で、昨年の秋から大きな経済問題、雇用問題が発生しました。これには、大きな二つの背景があるのではないでしょうか。日本の場合、それが特に大きな問題を抱えることになった原因であると思います。

昨年第四四半期のGDP成長率は年率換算ですが、日本はマイナス12・1パーセント、アメリカがマイナス6・2パーセント、ユーロ圏がマイナス5・7パーセントです。おかしいじゃありませんか。発生源はアメリカのリーマン・ショックです。リーマン・ブラザースという証券業界第四位の会社が破綻したことから始まった。昨年の9月15日です。震源地がアメリカなのに、そのマイナスが6・2パーセントで、波及した日本が2倍近くもマイナスだというのは、一体どういうことなのでしょうか。ここから、話をはじめたいと思います。

日本の第四四半期のGDP成長率がアメリカ以上の落ち込みとなったのは、経済危機が増幅されたからです。アメリカから危機がやってくる前に、すでに日本は危機にさらされていました。内なる危機が日本経済や産業社会を蝕んでいたからです。すでに病気になって体力が弱っていた時に、外から猛烈な嵐が吹き付けてきた。だから、日本経済はひとたまりもなくひっくりかえってしまいました。回復も、アメリカやユーロ圏よりも遅いと見られています。IMFの今年の経済成長、GDPの予測では、日本は主な先進国の中では一番遅い、落ち込みが大きいとされています。なぜそうなのでしょうか。内なる危機とは、いったい何だったのでしょうか。

 それは、小泉構造改革です。金融危機が発生する前に、構造改革という病気によって日本の経済や産業社会、日本人の生活が蝕まれ、ガタがきていたと思います。これを生みだしたのが、小泉さんの大きな罪です。

その罪の一つは、「自己責任」に基づく「痛みの受容」です。「公(おおやけ)」がどんどん後景に退いていく。むき出しの私利私欲で、規範やルール、法律などが無視され、経営者としての矜持や信頼、信用がどんどん無視されるようになっていってしまった。法律が変えられ、規則や規制が緩和されていっただけでなく、金儲けが最善なのだと、お金があれば何でもできるんだという、そういう哲学・イデオロギーが広範囲いきわたっていきました。それに対して、公的なルールや規範が弱まっていった。いってみれば、金融や経済の論理が前面に出て、政治の論理が後景に退いてしまったということだろうと思います。

二つ目は、「官から民へ」という民営化による「新得権益」の発生です。「新得権益」というのは私の作った言葉ですが、よく言われるのが「既得権益」ですよね。規制緩和や「官から民へ」に反対する官僚は既得権益を守ろうとしているのではないかと言われます。既に持っている権益のことを「既得権益」という。これに対して「新得権益」というのは、あらたに発生した権益のことです。規制緩和し民営化することによって様々な新しい権益が発生した。それはどういうものかというと、最近知られるようになったのが、「かんぽの宿」問題。郵政民営化によって生じた「新得権益」です。安く手に入れて高く売り払う、オリックスが問題になっていますが、それ以前にも1万円で買った宿を6千万円で売る。めちゃくちゃな利益じゃありませんか。オリックスの宮内さんは、こういう規制緩和をすすめるために旗をふってきたわけですが、抜け目なくちゃんと儲けている。様々なビジネス・チャンスを生み出し、それを自らが利用する。一つの例がいま言った「かんぽの宿」問題。すでにかなり儲けたのが、自動車のリース業。タクシーの規制緩和でどんどん参入される。車が足りなくなる。足りないなら、こっちにあるよと車を貸す。それで儲けました。宮内さんは十年間ほど、総合規制改革会議などの規制緩和を推進する会議のトップであり続けた。そういう中で新しい権益を発生させ、ビジネス・チャンスをつかむことで急成長した。「平成の政商」といわれています。政治を利用しながら、規制緩和や民営化の波にのってビジネス・チャンスを拡大し、企業を急成長させました。「ホリエモン」や村上ファンドなども新自由主義的な構造改革の申し子といえるかもしれません。新自由主義政策とマネーゲームによって大きな利益を得たといえるでしょう。

第三に、こういうなかでコミュニティーにおける「ヘソ」の喪失が生じました。地方や地域社会の核が解体していく。地方におけるコミュニティーの中心がなくなり、より大きなところに集中するという傾向があります。村がなくなり、役場がなくなって出張所になる。本庁に行かなければならない。鉄道の駅が廃止されて停留所になってしまった。郵便局がなくなり学校も少子化で廃校になる。昔の村の中心だった所がだんだんさびれていく。
さらに、小泉さんが進めた「三位一体改革」によって地方財政が弱体化する。地方が衰退する。昨日、市長選挙がありまして、現職が敗れるという形でかなり番狂わせがおきています。ー中略ー

2、規制緩和による労働の破壊

同時に、雇用と労働の破壊も進みました。規制緩和は労働市場政策と労働時間政策の二つの分野で具体化されましたが、着実に進んだのは労働市場の規制緩和です。労働者派遣法の制定から始まり、99年に質的な転換、ポジティブリストからネガティブリストへという形で、基本的に禁止し例外として認めるというやり方から、基本的に解禁し例外として禁止するやり方に変わりました。こういう形で、労働市場の規制緩和は着実に進み、非正規化が進行した。今日では雇用者の三分の一を超えています。パートタイム労働者が一番多いですが、特に製造業への派遣が解禁された2004年以降、派遣労働者も非常に増えてきました。

他方で、労働時間管理の規制緩和も、制度的にはある程度進みました。裁量労働制だとか、みなし労働時間などの新しい制度ができて、労働時間の規制、管理がゆるくなった。ゆるくなったけれど、裁量労働制などは、労働組合の抵抗や野党の反対で使いにくい制度にすることに成功した。そのために、新たに正面突破が考えられた。これがホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入問題です。管理職手前の、責任があって比較的収入が高い中堅ホワイトカラーを時間管理からはずそう(エグゼンプション)というわけです。年収700万円とかいっていましたが、日本経団連の提案では年収400万円です。中堅の人たちはみんな労働時間管理から外す。こういうことを狙ったのですが、失敗しました。2007年1月の「労働国会」に出そうとしたのですが、その前の12月に労働政策審議会のなかで労働側が反対し、両論併記になった。最終的に安倍首相がこのまま出したらまずいと、夏に参議院選挙がありましたから、選挙に負けるんじゃないかと。公明党も選挙になったら批判されるだろうと懸念した。それで、これを提案するのをやめたわけです。

このように、労働の規制緩和はずっとやられっぱなしだったのではないかと思われていますが、必ずしもそうではありません。労働時間の緩和に対してはかなり抵抗しましたし、最後はホワイトカラー・エグゼンプションの導入を阻止した。たとえば、解雇規制の問題でも、解雇規制を緩和しようという動きがあり、整理解雇四要件がきつすぎるから、労働基準法に「経営者は解雇する権利がある」と書き込もうとした。しかし、これも反対運動でふっとばしました。

労働時間規制の問題では、確かに、ホワイトカラー・エグゼンプションという正面突破の攻撃は跳ね返しましたが、いろんな抜け道を経営側が編み出してきたということも事実です。「名ばかり管理職」や「名ばかり店長」とかの問題です。管理職手当てなどお金を上乗せするから残業代をかんべんしてくれということで、残業代を払うかわりに管理職手当てを出した。しかし、これは引き合わないほどの低額でした。

まだ、これは少額でも払っているからましだと言えるかもしれません。もっとひどいのは「サービス残業」(不払い残業)です。07年のサービス残業は、合計100万円以上で問題とされ摘発された企業が1728社もある。対象労働者数は約18万人。支払われた合計額は272億円で、これだけちょろまかしたというわけです。これは100万円以上の数字で、100万円以下は入っていません。だから、もっと幅広く多くの企業の多くの労働者がちょろまかされ、多額の残業代が未払いになっています。企業平均で1577万円、労働者平均で15万円です。07年度は前年度より49社増えました。サービス残業は問題だと、これだけ報道され批判されているにもかかわらず、企業の側は性懲りも無く続けているというわけです。厳しく批判されなければなりません。

このサービス残業というのは、外国から労働問題の研究者が来ると困ります。説明しても理解してもらえない。お金を払ってもらえないのに、なぜ働くのか。強制された自発性というか、内なる強制力といいますか、そういうものでマインド・コントロールされてしまう労働者がいるということだと思うのでが、それが理解不能なのです。日本における企業社会としての規範力、働かなくちゃならないという力がものすごく強い。逆に言えば、労働者はまじめに働いているということかもしれない。働かせる構造があり、働いてしまう心理があるということです。しかし、それが外国人にはわからない。そういう点では、プライベートな生活をどう考えるか、生活のあり方に対する意識ですね、その考え方が違うのかもしれない。もっと外国人に理解されないのは、過労死です。何で死ぬまで働くのだと。過労死する方は、今でも一万人くらいいると推定されています。最近、労災としての認定率は上がっていますが、しかし、これもある種のワーカホリック状態になってしまうのかもしれません。本人にはストップできない、まわりの人が止めてあげなければなりません。これは問題になってから、もう20年以上になります。過労死弁護団全国連絡会議がありますが、できたのは1988年でした。21年目に入っています。問題になった88年にオギャーと生まれてお父さんが過労死した子どもが、いまや成人になって働きに出て過労死するかという年齢になっている。それだけの時間が経っているにもかかわらず、この問題は未だに解決されていません。

今、職場で大きな問題になっているのは、メンタルヘルス不全の問題です。精神疾患、過労自殺もある。心が病んで自ら死を選んでしまう。働き方が厳しくなって、ゆとりがなくなり、成果・業績が要求される。しかも短期間で。アメリカ方式が導入され、それが労働者をしばり、同時に経営者もしばったということでしょう。経営者がこのようなアメリカ仕込みの経営方式にしばられた結果、雇用削減を優先してしまったということです。失われた10年の中で、リストラした企業の方が評価が高いとか、株価を下げて配当金が少なくなると企業の評価が下がって経営者としての能力が問われるとかという形になりました。90年代の後半から今世紀にかけて、アメリカ的な経営スタイルが入るなかで、そういう形になってしまった。そういう点では、日本の経営者の考え方も大きく変化してきました。

3、貧困化と格差の拡大

サービス残業と過労に続いて、三つ目の問題があります。外国から来た人、特にヨーロッパから来た人には理解できないのが、ワーキングプアの問題でしょう。働いているのに生活できないとはどういうことか。だって、生活するために働いているのじゃないか、どうして働いているのに生活できないんだ、と。逆に、EU諸国の場合には、働いていないのに生活できる。雇用保険、失業手当がきちっと出るからです。

残念ながら  ー後略ー
とても素晴らしい内容なので、是非リンク先や僕のHPで参照を。