昭和40年代から50年代にかけてのテレビドラマ全盛期に、シナリオライターとして数々の名作を数多く生みだした向田邦子さんの生誕80年だというーhttp://www.news.janjan.jp/culture/0906/0906235672/1.php
向田邦子作品で脚本を読んだのは表題作品だけで、テレビで観たのは、「寺内貫太郎一家」をぼんやりと覚えている。
「阿修羅のごとく」はその題名に惹かれて読んだんだけど、小津安二郎監督映画を連想だった。日本でしか生まれえなかった物語なのだろう。
宮澤賢治の詩の”俺はひとりの修羅なのだ”という強烈な詩句がいつまでも記憶に残っていたので、もっと激しい物語を想像していたのだけど・・今はない懐かしい昭和を偲ぶには最適な物語なのかもしれない。
これから生み出されるぼくらの物語こそが、「阿修羅のごとく」という題名に相応しいのかもしれない。
今朝4時からの小沢昭一氏の話がとても面白かった。続きは明朝4時からNHK深夜ラジオで。小沢氏は城山三郎氏や僕の父と同じような経歴だ。戦争末期に、まだ十代で海軍に志願した城山氏や僕の父。そして海軍士官学校へ入学という小沢氏。
海軍士官学校では、戦後日本を想定して英語教育に力を入れていたとか・・
日本には、落語好きとも言うべき文学者の系譜があるのではと思う。その始まりは漱石と子規だろと思う。武士が滅んだ現在、江戸文化を残す稀有の文化なのかもしれない。
その特徴はー ①反権力・反権威 ②苦いユーモア ③肩肘はるのが大嫌い ④タブーへの挑戦 ⑤現実・物への偏愛と人間心理への飽くなき追求
それを受け継いだのが、賢治、井伏鱒二、安吾、太宰治、山本周五郎、司馬遼太郎・・のような気がする。
彼らの特徴はまた、日本料理・日本文化の真髄を体現しているオデンにも通じるのかもしれない。多様性化こそ進化の方向だったし、日本文化のキーワードなのではと思う。
オデンには酒、醤油、味噌(名古屋近辺だけかな?)、昆布、豆腐&豆腐加工品、魚肉練り物、魚貝類、野菜(日本独自の大根からジャガイモ・ごぼう・キャベツ~トマトまで)、牛筋肉・・日本独自の発酵醸造食品や伝統食材等をこれでもかと鍋に放り込んで煮込みながら、それぞれの持ち味が生かされてる上にシンプルな味・・という世界でも稀有な料理ではと思う。
向田邦子作品で脚本を読んだのは表題作品だけで、テレビで観たのは、「寺内貫太郎一家」をぼんやりと覚えている。
「阿修羅のごとく」はその題名に惹かれて読んだんだけど、小津安二郎監督映画を連想だった。日本でしか生まれえなかった物語なのだろう。
宮澤賢治の詩の”俺はひとりの修羅なのだ”という強烈な詩句がいつまでも記憶に残っていたので、もっと激しい物語を想像していたのだけど・・今はない懐かしい昭和を偲ぶには最適な物語なのかもしれない。
これから生み出されるぼくらの物語こそが、「阿修羅のごとく」という題名に相応しいのかもしれない。
今朝4時からの小沢昭一氏の話がとても面白かった。続きは明朝4時からNHK深夜ラジオで。小沢氏は城山三郎氏や僕の父と同じような経歴だ。戦争末期に、まだ十代で海軍に志願した城山氏や僕の父。そして海軍士官学校へ入学という小沢氏。
海軍士官学校では、戦後日本を想定して英語教育に力を入れていたとか・・
日本には、落語好きとも言うべき文学者の系譜があるのではと思う。その始まりは漱石と子規だろと思う。武士が滅んだ現在、江戸文化を残す稀有の文化なのかもしれない。
その特徴はー ①反権力・反権威 ②苦いユーモア ③肩肘はるのが大嫌い ④タブーへの挑戦 ⑤現実・物への偏愛と人間心理への飽くなき追求
それを受け継いだのが、賢治、井伏鱒二、安吾、太宰治、山本周五郎、司馬遼太郎・・のような気がする。
彼らの特徴はまた、日本料理・日本文化の真髄を体現しているオデンにも通じるのかもしれない。多様性化こそ進化の方向だったし、日本文化のキーワードなのではと思う。
オデンには酒、醤油、味噌(名古屋近辺だけかな?)、昆布、豆腐&豆腐加工品、魚肉練り物、魚貝類、野菜(日本独自の大根からジャガイモ・ごぼう・キャベツ~トマトまで)、牛筋肉・・日本独自の発酵醸造食品や伝統食材等をこれでもかと鍋に放り込んで煮込みながら、それぞれの持ち味が生かされてる上にシンプルな味・・という世界でも稀有な料理ではと思う。