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スニータの 靴 ( ポカラの会  通信27号より )

2006-06-17 20:53:52 | こころの ともしび
 倉光先生の 御著書 「広島学院物語」の中から・・・


>ヒンズー教が国境のネパールでは、金曜日は半ドン、土曜日がお休みで日曜日は平日です。8月6日(土)のことです。主日のミサの後、玄関横の応接室と診療室と発声練習室などをかねた部屋で私は大木神父と将来の夢を語りあっていました。

 すると窓の外に静かに近づき、中をのぞく一人の少女がいました。名をスニータと言うこの少女は事故と病気で相次いで両親が亡くなって、今は17才のお兄さんと二人きりでポカラに住んでいます。お兄さんは自動車修理工場で働いて月1000ルピーを稼いで生活を支えているのです。

日本の小学校5年生くらいにしか見えない13歳の小さなスニータは炊事や洗濯などお母さん役を一切引き受けて大好きな学校に通っています。

 ある日この一家を支える大切なお兄さんが工場で指に大けがをして大木神父のところに治療にきました。病院に行けば大変なお金を工場主から借金しなければならないので、一月1000ルピーの収入の中から、毎日の労働でその借金を返せば生活していけません。その上、病院より大木神父の治療の方が早く治るという噂を聞いたので初めて門を叩いたのです。

 労災保険も失業保険も児童福祉法も生活保護も何もない貧しい国で、食べ物がなくて死んでいく子供たちが毎日何百人もいる国です。

 お兄さんのけがが早く治って働けるようにならないと、毎日のお米や野菜など炊事の材料が買えないとスニータも心配でお兄さんに付き添って、初めて外国人の神父の所にやって来ました。

 幼い兄弟だけで、けなげに生きている姿を見た優しい大木神父は、「けがの治療が終っても困った時にはいつでも相談にくるんだよ」といってその後の二人のことを、いつも気にかけていたのです。その後スニータは時々大木神父を訪ねて来ていたようです。

 窓の外にたたずむスニータを見つけた神父が「何か用ですか?」と優しい声をかけると「いいえ別に用事はありませんが、ただちょっと神父さまの所に来てみたくなっただけです。と 答えます。

「この子はいつでもこういうんです。きっと何か助けを必要としているのでしょう」と 私に言いながら神父は「まあ中に入りなさいよ。」と外の少女に声をかけました。

スニータは部屋に入り、神父と私のまったく意味のわからない不思議な外国語の会話を聞きながらうつむいています。

 時々神父は「何か困ったことがあるのでしょう?さあ遠慮なく言いなさい。」とネパール語でスニータに話かけますが、「いいえ何でもないのです。ただ神父様の側にいるだけで安心するのです」などといってる。そうじゃあない、何か言いにくい問題があってきていることはスニータの顔に書いてあるのです。

いつ果てるとも知れない私との対話は後にして、神父はスニータ来訪の目的を上手に聞き出しました。(もちろん私には全くわからないネパール語で、以下は神父から聞いた話です。)

 学校から素足で来ないで靴を履くように言われたというのです。田舎の子供はみんな素足で学校に通っているのに、町の学校は最近、素足で行く子供が少なくなり身なりもきちんとしてきました。

 怪我で今まで通りには働けず収入の減ったお兄さんに、学校に通わせてもらっているだけでも申し訳ないのに、「靴を買うから 40ルピーちょうだい。」とはどうも言い出しにくいので、大木神父の所にきたのでした。

 40ルピーは日本では自動販売機のジュース1本分にもならない金額です。それを大木神父にも言い出しにくくて、もじもじしていた私の孫のような幼いスニータの心の中の葛藤を思うと私は不憫でたまらず、今思いだしても涙がでそうになるのです。

 「これは優しい日本の人たちからのスニータちゃんへの贈り物なんだよ、靴下も一緒に買いなさい。」と大木神父は50ルピー(約100円)を渡して優しく頭をなでました。これで来週から新しいズックを履いて学校に行けるのです。
 スニータの目には涙が光っていました。

 貧しい人に単に物やお金をあげるのではなく自立を助ける援助を心がけておられる大木神父の態度は、時として私には厳しく冷たすぎるように思えるほどですが、「ポカラの会」会員の皆様からのご援助はこのようなことにも役立っています。
 私はスニータちゃんに代わって、会員の皆様のご支援にあらためて心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

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 私が 何の 拘束もない 「ポカラの会」の 会員になったのは いつのことだったろう? 思い出せないのだが・・・いずれにせよ、只今も 会員であるのは この「スニータの 靴」という お便りが わたしの心を 捉えて 離さなかったことだけはまちがいないと思う。
 


コメント
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