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「灯り」について

2007年01月16日 | 少し昔のお話

以前介護予防で、回想法についてふれましたが、認知症の予防に、昔の事 回想して役立てようと思い立ちましたよ。つまり自分自身の「ボケ防止」じゃて。

他人様には認知症と言う言葉をあてるが、自分自身にはボケで十分。昔使えた言葉が今使えない不自由を何とする。

余談はさておいて、回想と言うことで、少し昔のお話をしてみよう。

今回は「灯り」についてじゃ。

そんなに遠くない昔ながら、今の生活しか知らない人にとっては江戸時代にタイムスリップしたように思うかも知れない。

父と母は、大陸に渡っていたので、祖母と二人で、つまり「おばあちゃんっ子」で育った自分は昔の暮らしが思い出の主たるものある。

夜 隣の村(今は○○町と言う)へ行くのにも街灯はない。

星月夜はまだしも、夜は真の闇、そこで祖母は定紋入りのちょうちん(提灯)を出してきて、ろうそくに火をともしそれを灯りとして、とぼとぼと隣村の親戚へ、ふたりで行ったものでした。

提灯とろうそくとマッチは、セットで身近に置いてありました。

懐中電灯なるものも、ありましたが電池がないと無用のものでございました。

家の中も、電燈はありましたが、電気は定額制で、一灯のみで茶の間だけ照らす40ワットぐらいでしたか。コンセントがないので、松下さんが開発した二股ソケットで、他に引いて使いますが規定以上の電流が流れると安全器のヒューズがとんで真っ暗になります。

そのかわり定額制で一灯のみですから、昼間もつけっぱなしでも料金は変りません。

茶の間以外は、すべて夜はろうそくの灯りが頼りです。

風呂場、水屋、お手洗い(便所)その他は、粗末な燭台か、かまぼこ板に釘を打ち付けた ろうそく立てで灯りを持ち歩きました。

そのうちに、戦争が激しくなって空襲が予想されるようになると、灯火管制が敷かれ、一灯だけの灯りも、電燈の周りにボール紙や布で覆いをつけ、光が外に漏れないように致しました。確かカーテンも黒い布に変っていました。

白壁の土蔵も墨で黒く塗りました。もっとも我が家には土蔵はなかったのでその必要はありませんでしたが。

アメリカのB29が、本土に飛来しても田舎は素通りして、名古屋などの都市に向かいました。そして名古屋の空襲が始まりますと、名古屋方面の夜空が真っ赤に燃えて、爆撃の凄さが近くのように思え震え上がりました。

敵機襲来、空襲警報のサイレンが鳴り響くと、最初の頃は、B29 にむけて、探照灯(サーチライト)をあて高射砲で応戦しょうとしていましたが、高度が高く、高射砲の弾も届かなかったようです。今の宝くじほども、当たらなかったのではないでしょうか。

現代のイルミネーションやネオンサインいっぱいの繁華街は、私達や子供達から、星空を奪いました。

銀河なんてどこにあるのでしょう。

今宵おもてに出て、 千葉の田舎から、東京の夜空を窺うと、かっての空襲の時のように真っ赤に照り映えています。

「長者の万灯より、貧者の一灯」 ちょっと意味は違いますが。

われ心に一灯をさげ夜道を行く。

地球温暖化防止、省エネ、京都議定書よりも、子供達に満天の星空を返えそう。

「灯り」について考えるでした。