NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「どんど晴れ」が、二十九日(土)最終回を迎える。いつも高視聴率で人気のドラマ、再放送も含めて欠かさず観ていた人も多かろう。
盛岡の老舗旅館「加賀美屋」という設定で、ヒロイン夏見(比嘉愛未)が、幾多の試練を乗り越え若女将になり、外資の乗っ取りという危機存亡の土壇場を、皆の力を結集切り抜け大団円をむかえる。見逃せない明日、明後日の二回の放送である。
作・脚本は小松江里子さん、主役、脇役皆さんのそれぞれの芸とキャラクター(キャラではない:あっそ。)を引き立て素晴らしいドラマであった。
吉天は、何を言いたいかというと、「加賀美屋」の代々の女将が守りつづけてきたという、伝統の「おもてなしの心」がバックボーンになって、このドラマをひっぱってきたということだ。
玄関にかけられた扁額の「來者如帰」の文字、「来るもの帰るが如し」は、訪れたお客様がまるで、我が家に戻ったようにくつろいでいただける、心のこもったおもてなしをいう。
どんなに近代化や、国際化の世の中になっても日本伝統の心意気を失わないことである。
ドラマは、タイトル通り「どんど晴れ」<どっどはれ>(めでたし、めでたし)終わる。
しかし、今の日本、わが国に、しっかとしたバックボーンはあるのか。
戦争で多くの犠牲を払って、築いた平和の礎も揺らぎ始めている。
政治家は、私利私欲で動き、民の暮らしは疲弊し、人心はよるべを失い荒ぶばかりである。
近代化、機械化文明と引き替えに、日本人の心の中から伝統の気骨を捨て去った。
便利さは、決して「幸せ」ではない。生活が楽になった分だけ、心の貧乏が横たわってくる。思いやりや、いたわりの心がなくても、素敵な人生が送れるものと仮想している。目の前に、介護生活という刃を突きつけられているにもかかわらずだ。
さておいて、わが国の、日本人の、つまり自分自身の「バックボーン」を、「何なのか」。探さなくてはならない。晩節に及んで探し物に明け暮れるとは、いやはや。