シンプルといいながら、一行ですまない。
「近ごろは 味噌つけて売る 洋菓子屋」
「味噌つけた 洋菓子の味 甘くない」
「キャラクター シャッターの奥 泣いている」 看板娘
シンプルといいながら、一行ですまない。
「近ごろは 味噌つけて売る 洋菓子屋」
「味噌つけた 洋菓子の味 甘くない」
「キャラクター シャッターの奥 泣いている」 看板娘
「亭主が居ついてしまった。」
うん?なに?
街を歩いていて、耳に飛び込んでくる話。
ご主人が、定年で会社勤めをおえて、うちにいる事になったが、女房と顔突き合わせていても なんだと、最初しばらくは10時から、午後三時ぐらいまで、仕事とも遊びともつかず表に出て歩いていたようでありましたが、そう毎日とも行かず、だんだん家にいる日が増えついに家に居ついてしまった という事らしい。
ひところ「亭主元気で留守がいい」というような川柳があったが、専業主婦にとって、毎日家にいられると「ウザイ」と言う事になる。
昔は「女三界に家無し」と言ったものだが、今は「男三界に家無し」てことになった。
いや俺んちは、平屋だ、2階家だ、3階は無いという話ではない。
三界とは、仏教用語で(①欲界②色界③無色界 )の三界の三つの世界を言うようだが、広い世界つまりこの世のこと。
「女三界に家無し」とは、古いことわざで、女と言うものは、若い時は父に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従いで、この広い世界のどこにも安住できる場所を持たない。
今の世は、男は最初会社に属し上司や部下の板ばさみになり、定年後は女房子供に邪魔にされて「男三界に家無し」と安住の地はないのです。
ちょっと昔、俺は定年まで充分働いてきた。もう何もしない、これからはお前が働いて喰え。なんて言った御仁も居ましたが、運動不足で三年ほどで亡くなりました(あとは、かかあの天下)。
70歳まで定年を延長して、出来るだけ長く会社に置いてやって下さい。残業代はいらないです。
美しい国の、領袖さま。
三界に家なくば、山海に生きがいを求めて、自然に飛び出せ!!
以前介護予防で、回想法についてふれましたが、認知症の予防に、昔の事 回想して役立てようと思い立ちましたよ。つまり自分自身の「ボケ防止」じゃて。
他人様には認知症と言う言葉をあてるが、自分自身にはボケで十分。昔使えた言葉が今使えない不自由を何とする。
余談はさておいて、回想と言うことで、少し昔のお話をしてみよう。
今回は「灯り」についてじゃ。
そんなに遠くない昔ながら、今の生活しか知らない人にとっては江戸時代にタイムスリップしたように思うかも知れない。
父と母は、大陸に渡っていたので、祖母と二人で、つまり「おばあちゃんっ子」で育った自分は昔の暮らしが思い出の主たるものある。
夜 隣の村(今は○○町と言う)へ行くのにも街灯はない。
星月夜はまだしも、夜は真の闇、そこで祖母は定紋入りのちょうちん(提灯)を出してきて、ろうそくに火をともしそれを灯りとして、とぼとぼと隣村の親戚へ、ふたりで行ったものでした。
提灯とろうそくとマッチは、セットで身近に置いてありました。
懐中電灯なるものも、ありましたが電池がないと無用のものでございました。
家の中も、電燈はありましたが、電気は定額制で、一灯のみで茶の間だけ照らす40ワットぐらいでしたか。コンセントがないので、松下さんが開発した二股ソケットで、他に引いて使いますが規定以上の電流が流れると安全器のヒューズがとんで真っ暗になります。
そのかわり定額制で一灯のみですから、昼間もつけっぱなしでも料金は変りません。
茶の間以外は、すべて夜はろうそくの灯りが頼りです。
風呂場、水屋、お手洗い(便所)その他は、粗末な燭台か、かまぼこ板に釘を打ち付けた ろうそく立てで灯りを持ち歩きました。
そのうちに、戦争が激しくなって空襲が予想されるようになると、灯火管制が敷かれ、一灯だけの灯りも、電燈の周りにボール紙や布で覆いをつけ、光が外に漏れないように致しました。確かカーテンも黒い布に変っていました。
白壁の土蔵も墨で黒く塗りました。もっとも我が家には土蔵はなかったのでその必要はありませんでしたが。
アメリカのB29が、本土に飛来しても田舎は素通りして、名古屋などの都市に向かいました。そして名古屋の空襲が始まりますと、名古屋方面の夜空が真っ赤に燃えて、爆撃の凄さが近くのように思え震え上がりました。
敵機襲来、空襲警報のサイレンが鳴り響くと、最初の頃は、B29 にむけて、探照灯(サーチライト)をあて高射砲で応戦しょうとしていましたが、高度が高く、高射砲の弾も届かなかったようです。今の宝くじほども、当たらなかったのではないでしょうか。
現代のイルミネーションやネオンサインいっぱいの繁華街は、私達や子供達から、星空を奪いました。
銀河なんてどこにあるのでしょう。
今宵おもてに出て、 千葉の田舎から、東京の夜空を窺うと、かっての空襲の時のように真っ赤に照り映えています。
「長者の万灯より、貧者の一灯」 ちょっと意味は違いますが。
われ心に一灯をさげ夜道を行く。
地球温暖化防止、省エネ、京都議定書よりも、子供達に満天の星空を返えそう。
「灯り」について考えるでした。
ちょっと出遅れで、お正月は旧の丁亥正月(新暦2月18日)に勝手にそうしょうと決めた。
当然 世間様とずれるのですが、「もう幾つ寝るとお正月~」と十二月のビハインド分もゆっくりこなそう。
新暦と旧暦の時差分で、時を稼ぐ新しい手法だ。一ヶ月と18日分浮かせよう。今年の運勢も正確には立春すぎてから大きく開ける事になっているのだ。
ま~ええじゃないの。
ふるさと、山動かず、変らない山の姿に安堵。
伊吹山の遠望、広がる田野に渡る風、舞う雪、鋭くうなる虎落笛(もがりぶえ)に震え、春の息吹を待つ。
底冷えのする近江盆地に、市町村合併で昨年までに出来た東近江市は、山上(やまがみ)の永源寺から、琵琶湖畔の能登川まで、ピザを切り分けたように続いている。
元々の個個の町村名が、分かりにくくなって、それぞれの歴史や伝統の所在が新しい行政区画の中に埋もれてゆく。
暮からお正月まで、ふるさとで過ごし、今日が初ブロ。
今年も、このブログによろしくお付き合いください。