探鳥会なるものに、初めて参加いたしました。
第13回手賀沼流域フォーラム探鳥会~手賀沼周辺の山野の鳥や水鳥を楽しむ~で、13時に市役所前に集まりマイクロバスで「手賀の丘公園」に会員の方の案内で杜から、沼えと移動して野鳥の観察をいたしました。
なんと言っても、カワセミが間近で見られたことで感動しました。
いろいろと学び有意義な半日でした。
ひとりで遊歩道を散歩するのと別の楽しみです。
寅年の虎にかかわる諺を拾ってみましょう。
「前門の虎後門の狼」@普天間移設を解決しようとすると、連立が危うい。
「虎に翼」@チルドレンつれて、大挙中国へ遠征。
「虎を描いて、狗(イヌ)に類す」@立派なマニフェストや公約描いて、閣内右往左往。
「虎を野に放つ」@亀も野に放てば喰いつく。
「虎の威をかる狐」@平和(正義)をかざして、戦争をしかける。
「虎の尾を踏む」@米の機嫌損ねて対米関係悪化。
「虎は千里を行って千里を帰る」@高速道路千円。
「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」@凡人は、何も残らん。
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シンジロ
自民党=信次郎
民主鳩山=トラスト・ミー
そんなわけで、皆さんもアットマークのあと、いろいろ考えて良いお年をお迎えください。
(えぇ~、年内まだまだあるから、急ぐことないよぉ~)だ。
まじめが一番と思います。
まじめであれば、最後は救われるのです。
雨でも晴れでも、まじめにやってれば報われる日が来るのです。
明日はお天気回復するようです。
まじめが、一番です。
手賀沼の水辺に、人慣れしたこぶ白鳥がつがいでいる。
猫に、餌をやりに来るおじさんや、おばさんが、ついでに水鳥や白鳥に餌をやる。
15頭ほどの猫が餌をもらっている。決められた人以外は餌をやってはいけないと表示されているが、このおじさんは決められた餌やりの人かどうか分からない。
こぶ白鳥も遊歩道のこの丘にあがってきて、分け前にあずかっている。
人慣れしているので、吉天のところにも寄ってきておねだりをする。
なにもあげないので、首をのばしていきなり脛をかじられた。ズボンの上から食いつかれ結構痛い。距離を置いて付き合いたい。
友達以上、恋人以下の距離でお願いします。
足るを知ることが、豊かだ。
ほどほどで、生きるには不足でない。
湧水のように、必要なだけあればよい。
貯め込むことは、便秘に似ている。
適度に食べて、適度に排泄して健康を維持できる人は豊かである。
直腸に詰まって出てこない便は、苦しみだ。
膀胱にたまった尿が出ないのも苦しみだ。
すっきりと排泄できて、そのあと頭もすっきりする。
そのあと、何を食べても美味しい。
沢山の富に埋もれても、苦しんでる人もいる。
今日食べることのできない人も、豊かでない。
明日食べることを、保障された人は豊かだ。
貧乏でも、少し食べられるだけで十分豊かだ。
あわただしいと、頭の中だけで考えていると、落ち着かないないで時間ばかり経つ。
日程表を作り、それに従ってやることを、こなして行けば逆に時間の余裕さえ出る。
まぁ、やってみましょう。
ミダイが、買い物のついでに、ミカンを買ってきた。
休憩で、一個づつ食べた。
残りを篭に盛って、そばの棚に載せた。
何もしないのに、わが方のテーブルに一個転がり落ちた。 不思議なことだ。
「もう一個食べたいなァ~」。との想いが天に通じた。言うまでもなく口に入れた。
[求めよさらば与えられん] 、キリストさまは聖書にしるされておられる。
日本では、「棚からぼた餅」、
イエス様は「棚からミカン」と言ったかどうか。
民主党の小沢さんは、「キリスト教は非常に排他的。」と。
クリスマスも近いことだし、そこはマーマー決めつけないで。
年の差、20~25の女性に、散歩の途中声をかけられる。
その女性は、天気の良い日は腰掛のついた手押し車に腰かけて日向ぼっこしている。
最初は挨拶して通り過ぎようとしたら、話しかけられ「大正5年生まれで、93歳になる」「貧乏して何もないが、子供の教育だけはきちんとつけてきた」「娘は某大学をでて、書道の技でお役に立っている」「息子は、いとこが市長している隣の市の役所で働いている」など、プライバシーにわたる話を聞かされる。
いつまでも、立って話を聞いているわけにも行かず、
「日も落ちてで寒くなるので、早めにお家にお入りにになった方がいいですよ。」
「見ず知らずの人に親切に声をかけて貰ってありがとう。」と礼を言われた。
2日目も、3回目も日向ぼっこしていて、指で93才になると示されて同じ話に引き込まれそうであったが、「今日もいいお天気でよかったですね」とだけ、にこやかに挨拶して遊歩道に抜けた。
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別のルートで散歩に出た。建設中の建売住宅の並んでいる先のわずかな空き地の前の陽だまりで、年の差20余と思しき女性が手押し車を右に、フェンスの石に腰をおろして、日向ぼっこしている。
道を訊ねた若いカップルに話しかけたらしいが、あとを通りかかった吉天をしおに逃げたので、挨拶をしたところ、捕まって
「お爺ちゃん、買い物かい、大変だねェ。」
「ここに建ってる住宅は、家と家の間があいてなくて、こんな家は住みたくないね。」
「うちは、農地が広いので一部に独身寮を建てて住宅会社に管理を任せているんじゃ。」
いやはや、しっかりしていなさる。不老所得?で、ふところも温かそう。
いろいろとお話聞かされて、別れようとしたら「どっちに行くんだい。そろそろ、わしも帰るんで一緒に行こう。」
交差点へ出て、彼女は、右に曲がり吉天は信号わたって、向こうに行って振り向いたら、大きく手を振って、しばし別れを惜しんで下さった。
アッパー・ツウェンティ物語。
願わくば、アンダー・ツウェンティにも、めぐり会いますように。
その通りに受け止められる。
求龍堂の2006年の出版。
野菜の静物画に添えた「仲よきことは美し哉」おなじみの絵と文。
南瓜と冬瓜の絵に添えられた「君は君 我は我也 されど仲よき」、
花器に活けたバラの花三輪の絵に、「天に星 地に花 人に愛」
いづれも、七〇歳~八〇歳の作品。
画文集だから、気軽にパラパラとページを繰って見られる。
もっと沢山読んで奥深く触れることが今の自分に必要だ。
食事は朝昼晩三食欠かさず食べるのだから、心の糧も毎日欠かさず摂ることが大切だ。
サプリメントは、目の色変えてあれこれ飲んでいる人も多いのに、良い本を読む人は少ない。
自分も、心の栄養不足を武者小路実篤の「人生論と愛について」を読み進めたい。