我が書棚の本を読むとき用意するもの。
「雑巾」または「ウェットティシュ」
棚に入っている間に、本の上部に埃が積もっているから、ウェットティッシュで拭きとってから読む。
拭き取ると、二年で相当な量の埃がつもっている。
ただちに人体に影響はないが、その埃を吸い込むと激しい咳が出る。
埃は目に見える。
目に見えないものが、降ってきたり、積もっていたりすると、雑巾やウェットティッシュでは拭き取れない。
吸い込むと、内部被曝になり、危険だ。
運気の良くなる場所は、パワースポット。
目に見えないあ奴が、降ってくる場所は、ホットスポット。
おりから、降って来た梅雨の雨、わが頭上がホットスポット、頭から湯気が出ておるわい。
おのおのがた!油断メサルナ!
「雑巾」または「ウェットティシュ」
棚に入っている間に、本の上部に埃が積もっているから、ウェットティッシュで拭きとってから読む。
拭き取ると、二年で相当な量の埃がつもっている。
ただちに人体に影響はないが、その埃を吸い込むと激しい咳が出る。
埃は目に見える。
目に見えないものが、降ってきたり、積もっていたりすると、雑巾やウェットティッシュでは拭き取れない。
吸い込むと、内部被曝になり、危険だ。
運気の良くなる場所は、パワースポット。
目に見えないあ奴が、降ってくる場所は、ホットスポット。
おりから、降って来た梅雨の雨、わが頭上がホットスポット、頭から湯気が出ておるわい。
おのおのがた!油断メサルナ!
あやめ通りを、降り切った角に、かねてから建築中の某邸が出来あがった。
建築主の入居も間近の様子、ふと見上げると、ツバメの夫婦が巣作りの真っ最中。
せっせと、泥や藁のようなもの運んでいる。
樋から雨水を受けて流すパイプが水平に、軒先の下に出ている。そのパイプの上に巣は八分通り出来あがった。
そんなある日、新築披露の祝典があるらしく、玄関脇に紅白の幕が張られ、はっぴを着た人が出入りしている。
横目に見て遊歩道の方に、いつもの散歩に行った。
帰り道その新邸を、窺って見ると、紅白の幕の脇にテープカットを行った後の紅白のテープとポールがあるではないか。
なんと大仰な、普通の民家で会社でもなさそうなのに(いや失礼)。
そういえば、上棟式の日には餅まきをやったという。
思い出して、ツバメの巣の方に戻ってみると、彼らの巣は綺麗に取り去られ、
水平だった雨どいのパイプは、斜めに直されている。
工務店は、建築主に引き渡す前に点検して苦情の出ないように計らったのだろう。
おかげで、ツバメの夫婦は新居になるはずだった巣を無くされ途方に暮れているのではなかろうか。
津波や、原発で住む家を失われた被災者の方たちのことと思いが重なった。
建築主の入居も間近の様子、ふと見上げると、ツバメの夫婦が巣作りの真っ最中。
せっせと、泥や藁のようなもの運んでいる。
樋から雨水を受けて流すパイプが水平に、軒先の下に出ている。そのパイプの上に巣は八分通り出来あがった。
そんなある日、新築披露の祝典があるらしく、玄関脇に紅白の幕が張られ、はっぴを着た人が出入りしている。
横目に見て遊歩道の方に、いつもの散歩に行った。
帰り道その新邸を、窺って見ると、紅白の幕の脇にテープカットを行った後の紅白のテープとポールがあるではないか。
なんと大仰な、普通の民家で会社でもなさそうなのに(いや失礼)。
そういえば、上棟式の日には餅まきをやったという。
思い出して、ツバメの巣の方に戻ってみると、彼らの巣は綺麗に取り去られ、
水平だった雨どいのパイプは、斜めに直されている。
工務店は、建築主に引き渡す前に点検して苦情の出ないように計らったのだろう。
おかげで、ツバメの夫婦は新居になるはずだった巣を無くされ途方に暮れているのではなかろうか。
津波や、原発で住む家を失われた被災者の方たちのことと思いが重なった。
手賀沼の東西、白鳥の子育てを紹介しましたが、その後東側の親子が見当たりません。
今日あやめ(花菖蒲)を見に行って、水の館付近まで足を伸ばしましたら、西側の親子の白鳥は健在でした。
三羽の子白鳥もだいぶと大きくなり、羽の色も白い色に近づいてきました。
先日、蛇に狙われた岸辺を家族で泳いでいます。
一方、東の親子はしばらく見かけません。
それが、水田の中で動き回っていた後のことです。
「田中(でんちゅう)でござるぞ」とご注意申し上げたにもかかわらず、聞くわけもござらん。
成長前の我孫子コシヒカリを、水搔きのついた足で踏み荒らしたのでは、お百姓さんもたまらねえ。
市役所へ助けを求めたが、鳥獣禁漁区の手賀沼でお奉行様は手を貸せぬとの仰せで引きさがり、農家は夜陰に乗じて網か何かをひっかぶせて、親子ともども何処かへ軽トラで運び去った。
ここまでは、猫おばさんの推理。
猫おばさんは、この辺りの野ラの餌をバイクで運んできて面倒を見ている人。
病気の猫が出ると、ペットのかごに入れて動物病院へつれていく奇特なお方。
どうやら公認のボランティアらしい。(立札に特定の人以外に猫に餌をやらないでくださいと書いてある)
毎日欠かさず雨の日も風の日も、10頭あまりに給食に来る。バイクが入口に止めてあると給餌時間だ。
事情通の猫おばさんの話だから、田圃を荒らした白鳥親子は何らかのお仕置きを受けたに間違いない。
世が世なら、殿ちゅうをわきまえなかったのでは、切腹ものだ。致し方あるまいて。
どこか、移動させられた新天地で親子6羽、水いらず(水は、いるよ)で無事でいることを祈っている。
今日あやめ(花菖蒲)を見に行って、水の館付近まで足を伸ばしましたら、西側の親子の白鳥は健在でした。
三羽の子白鳥もだいぶと大きくなり、羽の色も白い色に近づいてきました。
先日、蛇に狙われた岸辺を家族で泳いでいます。
一方、東の親子はしばらく見かけません。
それが、水田の中で動き回っていた後のことです。
「田中(でんちゅう)でござるぞ」とご注意申し上げたにもかかわらず、聞くわけもござらん。
成長前の我孫子コシヒカリを、水搔きのついた足で踏み荒らしたのでは、お百姓さんもたまらねえ。
市役所へ助けを求めたが、鳥獣禁漁区の手賀沼でお奉行様は手を貸せぬとの仰せで引きさがり、農家は夜陰に乗じて網か何かをひっかぶせて、親子ともども何処かへ軽トラで運び去った。
ここまでは、猫おばさんの推理。
猫おばさんは、この辺りの野ラの餌をバイクで運んできて面倒を見ている人。
病気の猫が出ると、ペットのかごに入れて動物病院へつれていく奇特なお方。
どうやら公認のボランティアらしい。(立札に特定の人以外に猫に餌をやらないでくださいと書いてある)
毎日欠かさず雨の日も風の日も、10頭あまりに給食に来る。バイクが入口に止めてあると給餌時間だ。
事情通の猫おばさんの話だから、田圃を荒らした白鳥親子は何らかのお仕置きを受けたに間違いない。
世が世なら、殿ちゅうをわきまえなかったのでは、切腹ものだ。致し方あるまいて。
どこか、移動させられた新天地で親子6羽、水いらず(水は、いるよ)で無事でいることを祈っている。
***252番
***
ひとの過ちは、よく目につくが
自分の間違いはなかなか気のつかぬものである。
ひとの悪いところを正すことは容易にできるが、
自分の罪は、いかさま師の不利なサイコロを、
隠すように、自分で人目につかぬように、そっと覆うてしまう。
いまどきの、政争を見るように、相手の党の弱点を暴いて、
自分の党の失敗は、包み隠すようなものである。
他(ひと)の過失(あやまち)は見やすく
おのれのとがは見がたしそうに
他(ひと)あやまちをただすこと
糠(ぬか)を嵌(ひら)くがごとく
おのれのとがは
詐(いつは)りふかき賭者(かけし)の
不利の骰子(さい)を
かくすがごとく
自らおほひかくすなり
おのれのとがは見がたしそうに
他(ひと)あやまちをただすこと
糠(ぬか)を嵌(ひら)くがごとく
おのれのとがは
詐(いつは)りふかき賭者(かけし)の
不利の骰子(さい)を
かくすがごとく
自らおほひかくすなり
***
ひとの過ちは、よく目につくが
自分の間違いはなかなか気のつかぬものである。
ひとの悪いところを正すことは容易にできるが、
自分の罪は、いかさま師の不利なサイコロを、
隠すように、自分で人目につかぬように、そっと覆うてしまう。
いまどきの、政争を見るように、相手の党の弱点を暴いて、
自分の党の失敗は、包み隠すようなものである。
7、8,9、そして今日10日と、ブログは静かに眠っておりました。
明日は、地震発生から三ヶ月になる。
被災地のこと、原発事故と放射性物質の拡散、政治の混迷、経済の停滞、復興へ向けての皆の叫び。
かってない犠牲者と不明者の数の多さ。
もう三月十一日以前のような太平の世には、容易に戻りそうもない。
今が現実で、日常であるなれば、なんとなく襲ってくる疲労感の堆積は心身の疲弊をいや増し続ける。
家人は、夜の10時を過ぎると、早く寝るようにと勧めるが、不連続な夢を見る時間が増えるだけだ。
とりたてて悪夢にうなされると言うほどでもないが、さりとて喜ばしい夢でもない。
熟睡すれば、夢など見ないで済むのだ。
雨が降ったり、暑い日差しの時は、やたら歩くのを控えるからだろう。
適度の運動は、必要だ。仕事のある人は、その達成感で心地よい疲労をいざない熟睡できる。
先日の庭木の剪定をしてくれた職人さんは、八十歳になろうと言うのに、
自転車で走って来て交差点の向こうから、声をかけ手を振っている。すこぶる元気だ。
言い訳になるが、この一週間何するとなく過ぎて、毎日の散歩が、毎日の午睡に変わっていた。
ゆえに、夜の睡眠が中途半端で、不連続な夢ばかり見る。
被災地や、避難所の人たちはもっと不安定な毎日を送っている。
心のバランスを保つことが、いかに大変かと思う。
今日撮りたての、シモツケの花をアップして癒しの一助にしよう。
明日は、地震発生から三ヶ月になる。
被災地のこと、原発事故と放射性物質の拡散、政治の混迷、経済の停滞、復興へ向けての皆の叫び。
かってない犠牲者と不明者の数の多さ。
もう三月十一日以前のような太平の世には、容易に戻りそうもない。
今が現実で、日常であるなれば、なんとなく襲ってくる疲労感の堆積は心身の疲弊をいや増し続ける。
家人は、夜の10時を過ぎると、早く寝るようにと勧めるが、不連続な夢を見る時間が増えるだけだ。
とりたてて悪夢にうなされると言うほどでもないが、さりとて喜ばしい夢でもない。
熟睡すれば、夢など見ないで済むのだ。
雨が降ったり、暑い日差しの時は、やたら歩くのを控えるからだろう。
適度の運動は、必要だ。仕事のある人は、その達成感で心地よい疲労をいざない熟睡できる。
先日の庭木の剪定をしてくれた職人さんは、八十歳になろうと言うのに、
自転車で走って来て交差点の向こうから、声をかけ手を振っている。すこぶる元気だ。
言い訳になるが、この一週間何するとなく過ぎて、毎日の散歩が、毎日の午睡に変わっていた。
ゆえに、夜の睡眠が中途半端で、不連続な夢ばかり見る。
被災地や、避難所の人たちはもっと不安定な毎日を送っている。
心のバランスを保つことが、いかに大変かと思う。
今日撮りたての、シモツケの花をアップして癒しの一助にしよう。