毎日毎日、やることに追われて、伸び放題。
1週間から、10日ほどして、伸びきった爪を、良く切れる爪切りで、パチンパチンと切ってやすりで磨く、切り終わって、スッキリ感のサッパリ感。
大仕事を、やったような達成感。
簡単なことながら、いろいろやることをやってからでないと、爪切り出来ない。
1週間過ぎて、いよいよ10日ぐらいたって、爪が気持ち悪く、今日こそは爪を切るぞ、と大変な覚悟で、爪切りを出してきて、手足の爪を伐り始める。
そこで、今日のニュー・ことわざ「能ある鷹は、爪を切る。」
万事に言えることだが、些細なことも後回しにしがちな性癖は、この後も直らないのか。
嗚呼、神様。
4月の深酒がたたって、アルコール類は一切駄目になった。仕方なく、オレンジジュースを注文。
おまけに、バイトの新人ばかりで、声かける人もいない。ここに来る意味もない。
次の日、病院帰りに、また寄ってみた。しっかり者のナナが居た。
訳を話して、今日もオレンジジュース。
以前ユキのために描いたバラの花、聴くと、いつの間にかユキが卒業したので、必要なくなった。
好い娘(こ)だったのに、もう会うことはない。
ここは、イタリアのバールのような気軽な店。
家の中に、何枚かのカレンダーが、かかっているが、国民の祝日ではないので書いていない。
母の日も国民の祝日ではないので、カレンダーには出ていない。
しかし、商業主義から、デパートや、専門店で大々的に宣伝され、みんなも認識してプレゼントにカーネーションの花を添えて、お母さんへの感謝の気持ちを表すことになっている。
小さな子供は、手製のお手伝い券を作って、回数券?を渡したりする。母親はもらった券を換金出来ないので、何を手伝わせるか迷ってしまう。家事手伝いを、頼みそびれて一か月も過ぎると不渡りになり、それでももらってうれしい。
父の日に、お手伝い券もらったら、日曜大工でも、とはいかないので、どうするか。
母の日に比べ、騒がれることも無く、かなり影が薄い存在だ。
母は強しだ。
母の日は、5月の第2日曜日となっている。
父の日は、知っています?
それは6月の第3日曜日。
今年は、6月15日、ありましたよ。
ごろ寝でもさせてよ。
家の中で、ごろごろ。語呂合わせなら、任せなさい。
5月6日で、ゴロゴロでどうじゃろ。
昔のような、雷おやじもいなくなって久しい。家事親父。
イクメンファーザーにも、感謝の手を差し伸べよ。
整理、整頓は、不要のモノを捨てること。
分かっています。
使わなくなった大きなものは、壊してゴミに出す。
意外と捨てられないで、溜まってゆくのは、小さなもの、机の引き出しの中のモノ。
空き箱の中に、思い出の品々が、ごろごろ。
箱ごと押し入れに入れて、収納場所を狭くしている。
ものを増やさない。
これも分かっています。
気にいって、買いこんだら、どんどん増えてゆく。
旅のお土産などは、お菓子などの消耗品(おいしいものなら大歓迎)。
昔、いただいたお人形の類は、いつの間にかガラスの人形ケースが、満員電車のようになっている。もちろん自分で買ってきたものもある。
もともと気にいって買った衣装や、アクセサリーなど愛着があって簡単に捨てられない。
流行もあることながら、有るもので間に合わせることが出来れば、充分と心得ること。
鞄なども、現役時代のビジネスバックや、その他もろもろの袋物も、押し入れをふさいでいる。
ブランド物でないから、資産になるとは言えまい、高価買取で、換金出来る代物では無いのだ。
今回、プレゼントはともかくとして、自分への記念品は、メノウを彫った3センチ足らずの、「白いフクロウ」を一個にした。テレビ台の片隅で目を光らせている。
普段から、片づけが出来ない。
留守にすると、なおさら山積みになっている。
気にしないで、ぼつぼつやろう。
裏庭のヤツデが、いつの間にか大きく葉を広げている。
目につかないのをいいことに、思い切り、でっかくなっている。
どこまで大きくなるか、放置して様子を見ることに。
一方、陽のあたる場所でも、枯れて消滅する植物もあるのに。
自然の成り行きと言うものだ。
忙しい事は、いいことだ。
ボケてる暇が、無いことは、いいことだ。
昨日病院へ行って、先日の内視鏡検査で、胃の細胞を三か所、取って調べた結果、癌らしきものもなく、一切安心して、大丈夫とドクターのお墨付きを頂いた。
明日は、いつもの東京の病院へ行き、血糖値の検査、こちらの方は、旅で沢山食べたので、カロリーオーバーで、デッドラインを越えるか。
観光地を巡った後は、病院巡り。
さえないね~。