『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

もう一つの事情

2006年10月19日 03時08分50秒 | ぺこちゃんにまつわる話
役所へは行って来た。私がお役所が苦手なのは、担当の方が苦手だから・・・。
という何ともおそまつな理由で情けないけれど。
かぁちゃんの以前の住んでいた役所の担当の方がとても親切だったので、
どうしても比べてしまってよろしくない。
(ちなみに、こちらも介護保険担当の方はとっても親切で分かりやすく説明してくださる。)

けど、少し解った事がある。
新しく変わった制度について、もしかしたら役所の方もよく解ってらっしゃらない?
いつも受身の立場でしか考えて来なかったけど、
新しくなるという事はそれを施行する側も手探り状態なのだろう。
せめて担当者くらいは、共通の認識を持ち、理解する時間の余裕を持って実施の時期を決めてくれたら良かったのに・・・と思うけど、それこそ現場はそんな細かい事にまで手が回らないのが現状なのかもしれない。

先日の判定見直しの件、デイサービスの職員さんの言われるままに申請したけど、
あちこち聞いて分かった事は、全てがそうだと言わないけれど、知的障害の場合、他の合併症がなければ、療育手帳で重度だとしても「区分2」になるようになっているって事。
口の悪い?妹に言わせると「知的障害者は自分で歩けたら区分2になるようになっとる!。」
・・・らしい

正直言って「区分2」でも何でも構わないけど、要は各区分の認識のされ方が問題なんじゃ?
「自分一人でで歩ける」=「自分一人で通勤通学ができる」なんて事は有り得ない。
「自分で努力する」「頑張る!」という事が出来ないって事も障害の一部分なのに、
個々の障害を無視したようなマニュアル作りがおかしいとどうしても思ってしまう。
介護認定も同じ様な事があるんじゃないかなぁ。
「出来ると本人が思っている事」=「出来ているという事」じゃないと思う。
その点、かぁちゃんは「自分の思いを言葉に出来ない」から「出来ない」事が第三者に伝わりやすいので、判定に関してこちらは悩む暇もない。
なので、まぁ足して二で割ればちょうどいいのか・・・って問題でもない

ぺこちゃんの「判定見直し」について、新たに分かって来たもう一つの事情。
事業所側がそれを勧める理由と言うのがやはり存在するって事。
事業者はボランティアではないので、運営を維持して行く必要があるのは当然。
ぺこちゃんの場合、4年近く通っている所でゆっくり確実に築き上げて来た人間関係を、こんな理由で白紙に戻されたくないと、ついつい熱くなってしまうけど、
事業者側には「区分に応じて国から受ける補助金」の問題がそこに大きく関わってくる。
ちょっと、あまり面白くないけど、今現在の生活を続けさせたいと思いが勝る。

ぺこちゃんの場合は、施設側からのアドバイスで「見直し申請」に踏み切れたけど、
そう出来ない、同じような障害を持つ人たちは沢山いらっしゃる筈だ。
知れば知るほど、心のどこかで「後ろめたさ」のような物を感じてしまって複雑な気分。
色々考えるのをよそう・・・とは思うけど、しっくり落ち着くなんて出来そうにない。

御上の思惑と事業者の思惑との間で、ふらふら揺られ続けているようで、何か嫌だ。

仮に判定の見直しが通らなかった時に、嫌々でも私が望む方向で自分の将来を勝手に決められてしまうだろう、ぺこちゃんは・・・と思うと、益々心が疼く。
「成るように成る。どう成っても慣れる。」結局、それしかないのかな。

あ~、駄目駄目。ここの所、いつにも増して愚痴っぽくなっていけない。
・・・やっぱり秋のせいかしら、何となく心が弱くなってるのね
「成るときには成る!成らずとも慣れてやろうじゃないか!!」くらいでないとね


かぁちゃんの摩訶不思議な行動に振り回されてる事が、結構気晴らしになっている。
「な~にやってんのよ!おっかさん!」・・・実に罪が無いというか、他の何事よりも大変と言うか、
昨日はビスケットの粉を撒き散らす、砂かけばばぁでありました。
結構楽しい、かぁちゃんの妖怪七変化なのでありまする





コメント (3)
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