かぁちゃんが再婚した連れ合いを亡くしたのが66歳の時だった。
全ては「今、考えてみると・・・。」という話なのが口惜しいけれど、
振り返って置きたいと言うのがブログを始めた理由の一つでもあるので、
思い出せるだけ思い出しておこうと思う。
と言いつつ、どうしても自分の中で整理できない感情があって、ず~っと書けないままだった。
でも、かぁちゃんが壊れていった段階を振り返らない事には私も先へ進めない。
・・・よなぁ・・・やっぱり
なので、やはり書き留めておこ~っと せめて今年のうちには・・・。
かぁちゃんの嫁いだ人は、比較的若くでパーキンソンを病んだ人だった。
嫁いでしばらくして分かった事で、再婚を強く薦めたかぁちゃんの友人も知らなかったらしい。
・・・事前に調べれば例え恋愛結婚だったとしても、阻止したのかもしれないが
かぁちゃんに対する愛情のなさから、全てを他人事にしてしまっていた。
心のどこかで彼女の側にいる事を拒否した事から来る私の無責任さ。
でも、パーキンソンという病の症状がどういう物で、薬の副作用がどんな物か、
私もだけど、皆、知らなかったのだと思う。一緒に生活してないのだもの。
自分の親は元気で当然。何か特別な事がない限りそう信じてしまっている事は
誰にも責められる事じゃない。
と・・・無理やりそう考えられれば、まだ救いもあるけど、
元々甘えん坊のかぁちゃんには、荷が重すぎた事は安易に想像できる。
徐々に心を病んで行っても仕方がない・・・けど、その頃の私ときたら、
「人の反対を無視して、勝手な事をしておきながら、泣き言を今更言うな。」
という冷たい対応しかしなかったし、
私が側に居るから「甘え癖」が治らないんだ。距離を置くのは彼女の為。
本気でそう思っていた。
おそらく、私が思っている以上に、かぁちゃんは弱かったのだと思う。
まわりに振りまく我儘としか思えない言動・・・それに皆が惑わされていただけで、
そうでもしないと、自分が保てなかったんだよね。
そして、当時私は・・・「自分の親の老い」なんて事は考えた事もなかった。
そして、パーキンソンが大変な病気だなんて本当の所は何もわかっちゃいなかった。
義理の父にあたる人も、きっと辛かったんだなぁ・・・。
その辛さ、結局誰も分かってあげられてなかったじゃないのかなぁ・・・。
かぁちゃんが「また鍋をこがしちゃった。」と何度も言い出したのは、
連れ合いの具合が悪くなり始めた頃で、かぁちゃんは65歳になるかならないからの頃。
同時にその頃から、我が家への電話の回数が半端でなく増え始めた。
朝、夜中に関わらず、ワンコール切りや、無言電話を含めて20回、30回・・・。
当然、優しい言葉や普通の会話をするのにも限度がある訳で・・・。
留守電にも無言のまま、容量がいっぱいになるまで入っているし、
買い物から帰って来てすぐに鳴った電話に出ると、
「あんた、私の電話に出たくないんでしょ。」と、憎まれ口。
あまりのしつこさに、電話線を抜いてしまった事もある程まいってしまってた。
同じ様な電話を妹宅にもかけていたので、
「おねぇ、今日は○○回やった。しゃぁないなぁ。」
「おお、うちは○○回やったぞ~。ほんまにしゃぁないなぁ。」
と、お互いに電話で一日を締めくくっていたっけ
・・・今なら分かる。鍋を焦がすのも電話の回数も、うっかりや我儘じゃなくって、
鍋を火にかけていた事や、自分が電話をかけた事を忘れかけてたんだよね。
・・・今なら、同じ話を聞けば「気を付けてあげてくださいよ、それは・・・。」と
他人様には言う事だってできる。
けど、その頃は連れ合いの介護疲れで、まいってるんだ。としか思っていなかった。
電話で愚痴を聞いて、かぁちゃんの気が済むならそれでいいや・・・。としか思っていなかった。
全ては「今、考えてみると・・・。」という話なのが口惜しいけれど、
振り返って置きたいと言うのがブログを始めた理由の一つでもあるので、
思い出せるだけ思い出しておこうと思う。
と言いつつ、どうしても自分の中で整理できない感情があって、ず~っと書けないままだった。
でも、かぁちゃんが壊れていった段階を振り返らない事には私も先へ進めない。
・・・よなぁ・・・やっぱり
なので、やはり書き留めておこ~っと せめて今年のうちには・・・。
かぁちゃんの嫁いだ人は、比較的若くでパーキンソンを病んだ人だった。
嫁いでしばらくして分かった事で、再婚を強く薦めたかぁちゃんの友人も知らなかったらしい。
・・・事前に調べれば例え恋愛結婚だったとしても、阻止したのかもしれないが
かぁちゃんに対する愛情のなさから、全てを他人事にしてしまっていた。
心のどこかで彼女の側にいる事を拒否した事から来る私の無責任さ。
でも、パーキンソンという病の症状がどういう物で、薬の副作用がどんな物か、
私もだけど、皆、知らなかったのだと思う。一緒に生活してないのだもの。
自分の親は元気で当然。何か特別な事がない限りそう信じてしまっている事は
誰にも責められる事じゃない。
と・・・無理やりそう考えられれば、まだ救いもあるけど、
元々甘えん坊のかぁちゃんには、荷が重すぎた事は安易に想像できる。
徐々に心を病んで行っても仕方がない・・・けど、その頃の私ときたら、
「人の反対を無視して、勝手な事をしておきながら、泣き言を今更言うな。」
という冷たい対応しかしなかったし、
私が側に居るから「甘え癖」が治らないんだ。距離を置くのは彼女の為。
本気でそう思っていた。
おそらく、私が思っている以上に、かぁちゃんは弱かったのだと思う。
まわりに振りまく我儘としか思えない言動・・・それに皆が惑わされていただけで、
そうでもしないと、自分が保てなかったんだよね。
そして、当時私は・・・「自分の親の老い」なんて事は考えた事もなかった。
そして、パーキンソンが大変な病気だなんて本当の所は何もわかっちゃいなかった。
義理の父にあたる人も、きっと辛かったんだなぁ・・・。
その辛さ、結局誰も分かってあげられてなかったじゃないのかなぁ・・・。
かぁちゃんが「また鍋をこがしちゃった。」と何度も言い出したのは、
連れ合いの具合が悪くなり始めた頃で、かぁちゃんは65歳になるかならないからの頃。
同時にその頃から、我が家への電話の回数が半端でなく増え始めた。
朝、夜中に関わらず、ワンコール切りや、無言電話を含めて20回、30回・・・。
当然、優しい言葉や普通の会話をするのにも限度がある訳で・・・。
留守電にも無言のまま、容量がいっぱいになるまで入っているし、
買い物から帰って来てすぐに鳴った電話に出ると、
「あんた、私の電話に出たくないんでしょ。」と、憎まれ口。
あまりのしつこさに、電話線を抜いてしまった事もある程まいってしまってた。
同じ様な電話を妹宅にもかけていたので、
「おねぇ、今日は○○回やった。しゃぁないなぁ。」
「おお、うちは○○回やったぞ~。ほんまにしゃぁないなぁ。」
と、お互いに電話で一日を締めくくっていたっけ
・・・今なら分かる。鍋を焦がすのも電話の回数も、うっかりや我儘じゃなくって、
鍋を火にかけていた事や、自分が電話をかけた事を忘れかけてたんだよね。
・・・今なら、同じ話を聞けば「気を付けてあげてくださいよ、それは・・・。」と
他人様には言う事だってできる。
けど、その頃は連れ合いの介護疲れで、まいってるんだ。としか思っていなかった。
電話で愚痴を聞いて、かぁちゃんの気が済むならそれでいいや・・・。としか思っていなかった。