生きている間には、何度か、誰かの為に苦しいほどに無事を祈る事が誰にでもあると思う。
様々にその理由は違っても「どうか無事で・・・」と祈り続ける事は
己の手が何の役にも立たない事を痛感した上で
せめてその祈りが届いてくれと、胸の痛みと共に目に見えない力にすがる。
そうでもしないと、じっと立つことも座る事も出来やしない。
穏やかなお山が突然に牙を剥いてからもう二週間以上が過ぎてしまった。
未だ麓に降りる事が出来ない方々の御家族のお気持ちを思うと胸が痛くなる。
せめて御家族の元に帰れますようにと言う思いと共に、
自らの危険と隣りあわせで救出作業を行ってくださっている方々に深く頭を下げる思いでいっぱいになる。
思いは当事者でない限りその重さは格段に違う。申し訳ないという思いが付き纏う。
その日、背の君は彼の山に30年以上の付き合いの山の仲間と一緒に登る予定だった。
しかし、結果的に仕事の遣り繰りがつかず、悔しい涙を呑んでいたのだ。
お昼過ぎ「手が震える。」と言いながら彼が震える声で仕事場から電話をかけてくるまで、
私はその予定の事すら忘れてしまっていた程のんびりしていた。
・・・「え?みなさんは?」・・・ぐるぐると知り合いのかたがたの顔が浮かんだ。
幸いにして、お仲間20数名は幾つかの偶然が重なって全員が無事に下山された。
それが分かるまでの耐え難い時間。
背の君が親しい友人と電話で話すことが出来たと言うところですっかり安心して、夜中の逃避行を決行したのだけれど、
帰宅してからのニュースで、私の想像など遥かに超えた実情を知って愕然としてしまった。
幸いにして・・・と言う言葉を使ってしまった事への罪悪感は少なからずある。
いつも、いつも、いつも、本当にいつだって自然の破壊力は凄まじく人間は太刀打ちできない。
そして、それらは突然に起きるのだと、こんな時にしか改めて考えられない自分が情けなくもある。
いつ起きるか分からないその時の為に、自分はやはり“生きねばならない”のだと再認識する。
生きる時間は全ての人にその長さの違いはあっても必ず限りがある事には間違いない。
その時間を「しっかり生きているか?」と聞かれたら残念ながら今の私には「いいえ。」としか答えられない。
家族の、友人達の、お知り合いの無事を祈りつつ、己がしっかり生きなければ。
突然にその方達を失われた沢山の人達の悲しみや辛さは
その経験のない者には到底分かり得るものではないけれど、どうかご無事でと言う思いは決して忘れてはいけないのだ。
一昨日、列島台風直撃でまたしても自然は牙をむいて襲い掛かって来た。
そして大小様々な各地での地震の情報はさほど日を空けずに、緊急ニュースがテロップで飛び込んで来る。
一方で、台風一過の青空に目を奪われ急に冷たくなった空気の中で深呼吸する自分もいる。
何よりも恐ろしい相手に心癒されているのも事実。
やはり、しっかり生きねばね。
様々にその理由は違っても「どうか無事で・・・」と祈り続ける事は
己の手が何の役にも立たない事を痛感した上で
せめてその祈りが届いてくれと、胸の痛みと共に目に見えない力にすがる。
そうでもしないと、じっと立つことも座る事も出来やしない。
穏やかなお山が突然に牙を剥いてからもう二週間以上が過ぎてしまった。
未だ麓に降りる事が出来ない方々の御家族のお気持ちを思うと胸が痛くなる。
せめて御家族の元に帰れますようにと言う思いと共に、
自らの危険と隣りあわせで救出作業を行ってくださっている方々に深く頭を下げる思いでいっぱいになる。
思いは当事者でない限りその重さは格段に違う。申し訳ないという思いが付き纏う。
その日、背の君は彼の山に30年以上の付き合いの山の仲間と一緒に登る予定だった。
しかし、結果的に仕事の遣り繰りがつかず、悔しい涙を呑んでいたのだ。
お昼過ぎ「手が震える。」と言いながら彼が震える声で仕事場から電話をかけてくるまで、
私はその予定の事すら忘れてしまっていた程のんびりしていた。
・・・「え?みなさんは?」・・・ぐるぐると知り合いのかたがたの顔が浮かんだ。
幸いにして、お仲間20数名は幾つかの偶然が重なって全員が無事に下山された。
それが分かるまでの耐え難い時間。
背の君が親しい友人と電話で話すことが出来たと言うところですっかり安心して、夜中の逃避行を決行したのだけれど、
帰宅してからのニュースで、私の想像など遥かに超えた実情を知って愕然としてしまった。
幸いにして・・・と言う言葉を使ってしまった事への罪悪感は少なからずある。
いつも、いつも、いつも、本当にいつだって自然の破壊力は凄まじく人間は太刀打ちできない。
そして、それらは突然に起きるのだと、こんな時にしか改めて考えられない自分が情けなくもある。
いつ起きるか分からないその時の為に、自分はやはり“生きねばならない”のだと再認識する。
生きる時間は全ての人にその長さの違いはあっても必ず限りがある事には間違いない。
その時間を「しっかり生きているか?」と聞かれたら残念ながら今の私には「いいえ。」としか答えられない。
家族の、友人達の、お知り合いの無事を祈りつつ、己がしっかり生きなければ。
突然にその方達を失われた沢山の人達の悲しみや辛さは
その経験のない者には到底分かり得るものではないけれど、どうかご無事でと言う思いは決して忘れてはいけないのだ。
一昨日、列島台風直撃でまたしても自然は牙をむいて襲い掛かって来た。
そして大小様々な各地での地震の情報はさほど日を空けずに、緊急ニュースがテロップで飛び込んで来る。
一方で、台風一過の青空に目を奪われ急に冷たくなった空気の中で深呼吸する自分もいる。
何よりも恐ろしい相手に心癒されているのも事実。
やはり、しっかり生きねばね。