国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

秋篠寺訪問記:秋篠宮の名の由来、廃帝淳仁天皇と徳仁親王の廃太子、道鏡の役を演じる雅子妃と愛子内親王

2014年09月16日 | 京阪奈学研都市への遷都
最初の国難であった白村江の敗北に続く壬申の乱で成立した天武王朝は恐らく新羅系王族による名誉革命型の日本国乗っ取りであり、その後の天武系皇族の排除は大きな禍根を残した。安史の乱による唐弱体化を背景に天智系復帰を果たした光仁天皇はその怨霊を弔うために秋篠寺を建設した。第二の国難である元寇の時には大元帥明王が秋篠寺に作られている。秋篠寺は国難に深く関わる寺であり、秋篠宮の命名は明治維新以来の第三の国難への対処を意図したものと思われる。国際金融資本・欧米文明が大銀行破綻やスコットランド独立等の「安史の乱」で一挙に弱体化した時点で皇太子を含めた長州系王族は排除され、秋篠宮が即位して光仁天皇の様に孝明天皇系皇統への復帰を果たすことだろう。適応障害との雅子妃の悪評、愛子内親王の不登校等の悪評は彼女らが現代の道鏡の役割を果たしていることを示す。淳仁天皇が男系最後、称徳天皇が女系最後の天武系天皇となるために道鏡は決定的な役割を果たした。雅子妃と愛子内親王は道鏡の役割を俳優として演じている。今後の徳仁親王の廃太子に決定的役割を果たすだろう。 . . . 本文を読む
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