国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

1979年の中越戦争の戦争目的とは何だったのか?同様の目的による中朝戦争はあり得るか?

2007年09月30日 | 中国
●中越戦争 - Wikipedia

中越戦争
戦争: 中越戦争
年月日: 1979年2月17日 - 3月16日
場所: ベトナム北部
結果: 双方が勝利を主張
交戦勢力
ベトナム 中華人民共和国
指揮官
ベトナム:ヴォー・グエン・ザップ、中国:楊得志

戦力
ベトナム:国境警備民兵100,000
中国:陸上軍200,000(ベトナム側主張:600,000)、作戦機300

損害
ベトナム:中国側主張:戦死30,000、ベトナム側主張:民間人10,000死亡
中国:中国側主張:戦死6,954、戦傷15,000、ベトナム側主張:戦死26,000

中越戦争(ちゅうえつせんそう、Sino-Vietnamese War)または第三次インドシナ戦争は、中華人民共和国とベトナムの間で1979年に行われた戦争。中国が支援していたポル・ポトのクメール・ルージュ政権は、カンボジアで大量虐殺を行っていたが、ベトナムによるカンボジアへの大規模な侵入と占領 (Cambodian-Vietnamese War) はこれを終わらせた。この占領に対抗し、中国はベトナムへの侵攻を開始した。中国軍はベトナムへの1月ほどの侵略の後、撤退した。


・概要
ベトナム戦争(1965年~1975年)終結直前、ベトナムの隣国カンボジアでは1975年4月にロン・ノルの親米軍事政権が倒れ、1976年1月にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を奪取し、民主カンプチアの成立を宣言した。しかし間も無く大量虐殺を伴う恐怖政治を行うようになった。また、ほぼ同時に成立した統一ベトナムとの間では対立が激化し、1978年1月に国境紛争によって国交を断絶した。ベトナムはカンボジアから亡命していたクメール・ルージュの軍司令官ヘン・サムリンたちを支援するという形でカンボジアに侵攻し、1979年1月にプノンペンを攻略、ヘン・サムリンによる親ベトナムのカンボジア政権を樹立した。ポル・ポトは密林地帯に逃亡しポル・ポト政権は崩壊した。

この背景には当時の中ソ対立も絡んでおり、ベトナムにはソ連が、ポル・ポト政権には中国がそれぞれ後ろ盾となっていた。ベトナムとカンボジアが親ソ連となったことに対応し、当時、ソ連への敵意が強かった中国の小平と華国鋒は開戦を決断した。中国にしてみれば、ベトナム戦争で中国の支援を受けたベトナム政府が、親ソ連となりカンボジアのポル・ポト政権を崩壊させたことは、恩を忘れた裏切り行為と映った。しかし当時のベトナム政府にとっては、ポル・ポト政権が、カンボジアのベトナム系住民への迫害を含む恐怖政治を行い、ベトナムに大量のカンボジア難民が流れ込んだことは看過できないことであった。


・戦況の推移

中国は56万の軍をベトナム国境に集結させ威圧した。1979年2月17日、中国は「懲罰行為」と称して、雲南と広西からまず10万の陸上軍によりベトナム北部に侵攻した。中国ではこの決定を「對越自衛反撃戦」と呼び、ソ連・ベトナム連合の侵攻を恐れての行動でもあった。この時期、ベトナム軍主力はカンボジアにあり、北部には正規軍3個師団ほど(約3万人)と民兵しかいなかったが、この民兵はベトナム戦争において米軍に勝ちベトナムを統一した主力であった(彼らは戦後、故郷に帰っていたが、再び民兵として防衛部隊を構成した)ために、彼らは実戦経験が豊富であり、さらにベトナム戦争時の大量のソ連製や中国製の長距離砲を含む各種の武器、弾薬も残っていた。そればかりでなく、南ベトナム政府が持っていた米国製戦車や装甲車、火砲や弾薬も大量に使用可能であり、まさに精鋭の民兵だった。

中国軍は国産の62式軽戦車を主力にベトナム北部に侵攻したが、ベトナム軍の対戦車兵器により大半が撃破され、またベトナム国境付近は地雷原になっていたために歩兵を進めるのは困難だった。そのため中国軍は軽戦車から69式戦車と59式戦車といった MBT を投入し、山越えをしてベトナムの側面に回りこむ策に出、さらにゲリラ戦に遭うのを防ぐため徹底的に山やジャングルを70式130mm30連装自走ロケット砲や火炎放射器で攻撃した。

しかし作戦は思うように進まず、ベトナム側の反撃が予想よりも強かったため中国軍は初めての対砲兵レーダーの使用に踏み切った。対するベトナム軍は、大量の敵歩兵に背後に回り込まれることを防ぐため、複数の陣地を構築し、敵に損害を与えつつ陣地戦を行い整然と後退した。中国軍はその後、ベトナムの防衛線を突破し、2月26日にラオカイを、3月5日には中越国境付近の町ランソンを占領することに成功し、ベトナム北東部全域を制圧したが大損害を出した。ベトナム軍主力は包囲されることなくランソンから後退した。その日の夜、中国中央軍事委員会は3月6日からの撤退を命じ、新華社もそれを報じた。3月16日にはベトナム領から撤退した。

当時の装備の面ではベトナム軍は、ソ連からの全面的な支援を受け陸上戦力・航空戦力ともに高い水準を維持していた。中国では中ソ対立以前のソ連製の兵器をもとに装備の開発をおこなってきた、例えば、当時中国軍の最新型戦闘機は MiG-21 の初期型である MiG-21F-13 をもとに中東や西側から入手した物を基にしたレーダーやエンジンを搭載させて発展させた殲撃七型であったが、ベトナム軍では MiG-21 の完成型である MiG-21bis が運用されていた。中国軍の主力機は殲撃七型、レーダーを積んだ殲撃六型(MiG-19PM の発展型)、レーダーを搭載せず武装搭載量も貧弱な殲撃五型(MiG-17F のライセンス生産型)で、爆撃機は轟炸五型(Il-28 のライセンス生産型)や轟炸六型(Tu-16 のライセンス生産型)を保有していたが、いずれも当時すでに相当の旧式機の領域に入っていた。地上軍でも、中国軍は旧式の車輌が多かった。(69式戦車、70式130mm30連装自走ロケット砲、Q-5 攻撃機などは例外)。とは言ってもベトナム陸軍も戦車は T-55 が主力であり、T-34/85も使用していた。また、ベトナム軍では過去にアメリカ軍や旧南ベトナム軍より鹵獲したアメリカ製兵器(M113装甲兵員輸送車、M41軽戦車、M48中戦車、UH-1 イロコイ汎用ヘリ、F-5 フリーダムファイター軽戦闘機、A-37 ドラゴンフライ軽攻撃機、A-1 スカイレイダー攻撃機など)も多数運用されていた。

この戦争の犠牲者に関しては、中国人民解放軍の昆明軍区の報告書である「対越自衛反撃戦総結」では2月17日から2月27日までにベトナム軍1万5000人を殲滅し、2月28日から3月16日までに3万7000人を殲滅したと主張し、自軍の戦死者は6954人戦傷者は1万4800人ほどだと報告している。一方ベトナム国防省の軍事歴史院が編集した「ベトナム人民軍50年 (1944-1994)」では60万人の中国軍2万人を殺し、4万人を負傷せしめたと記している。中国首脳部はこの戦争で人民解放軍の立ち遅れを痛感し、軍の近代化を推し進めるようになった。一説では小平が文革以来乱れていた軍を引き締めるための教訓をあたえる目的があったというが事実は不明。

ベトナムはヘン・サムリン体制を保護するため、その後もカンボジア駐留を続け、1980年6月には隣国ラオスとタイの国境紛争に介入してタイに侵攻するなど、影響力強化のための軍事介入を続けた。改革開放路線であるドイモイ体制が始まって、1989年9月にようやく撤収した。


・戦争後
中越関係はその後も改善せず、1979年から1989年まで何度も国境で武力衝突を起こした。

冷戦終結後両国関係はおおむね安定しているが、ベトナムでは自国への侵略戦争として、中国では一般的に中越戦争を裏切り者(ベトナムは中国の支援のもとで対南ベトナム・アメリカの戦争を戦った)への侵攻と認識され、また旧南ベトナムの経済を支配していた華僑への迫害や、ベトナム難民(ボート・ピープル)が20年以来に渡って香港の深刻な社会問題となっていたため、中華圏でのベトナムのイメージは、中越戦争以降悪いままである。なお、懸案であった国境線は2000年代に入って画定した。

ベトナムは戦後、中国に対し中越戦争は侵略戦争として再三謝罪を要請しているが、中国側は、「ベトナムのカンボジアへの軍事的侵略によるものだ。」とベトナム側への謝罪を拒否している。

2004年には、ファン・ヴァン・カイ首相と温家宝首相が相互訪問。両国の緊密化は進んだ。2006年8月22日~26日、ノン・ドク・マイン書記長が訪中、胡錦涛総書記と首脳会談。共同プレス発表では、資源エネルギー分野を中心とした協力推進を表明し、「良き隣人、良き友、良き同志、良きパートナー」と中越の関係強化を強調。両国海域を跨ぐ北部湾(トンキン湾)の石油天然ガス田の探査及などの協力を加速させるとした。その後も同年10月末にグエン・タン・ズン首相が南寧での中国・ASEAN首脳会議の際に温家宝首相と会談。11月16日にはAPECのため訪越した胡錦涛主席がノン・ドク・マイン書記長らと会談するなど、活発に首脳交流が行われている。 現代の中越関係は、ベトナム戦争期における社会主義兄弟国としての友情、カンボジア問題をめぐる憎悪と対立を経て、いまやビジネスライクに共通利益を目指す共存関係に変わったといえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89






●「北朝鮮の北~シリーズ『中朝開戦』(1)」 2007年2月22日
http://www.akashic-record.com/y2007/cvsnk.html







【私のコメント】
週刊アカシックレコードが今年2月以来、来るべき中朝戦争について9回に及ぶ連載記事を掲載している。しかし、中朝両国が戦争を行うことによって両国にどの様な利益があるのかはあまり明確でない様に思われる。

朝鮮半島と同様の分断状態にあったベトナムでは北ベトナムによる統一後に1979年に中越戦争が発生している。この戦争は公式には「侵略戦争を行うベトナムへの中国による懲罰」が原因であるとされるが、私には今ひとつ腑に落ちないものがある。そこで、中越戦争の真の目的を探ると共に、同様の目的で朝鮮半島統一後に中朝戦争が起きる可能性があるかどうかをについての分析(妄想)を述べてみたい。


・まず前提条件であるが、ベトナムにとってのベトナム戦争とは、華僑によって経済を完全に支配された南ベトナムから華僑を追い出して、ベトナム人が主体となった国家をベトナムに建設することがその目的ではなかったかと想像する。ベトナム戦争後に大量に発生した難民が実は中国系ベトナム人、つまり華僑であったことを指摘するものは多い。そして、国際金融資本としては華僑を通じた東南アジアの間接支配体制を維持することが非常に重要であり、それ故に南ベトナムの滅亡を容認できなかったのだと想像する。

・1972年のニクソン中国訪問と田中角栄による日中国交回復は、国際金融資本陣営に属していた毛沢東を反国際金融資本陣営に寝返らせたものであり、恐らく日本のランドパワー人脈が裏でお膳立てをしている。つまり、戦後の日本外交が成し遂げた最も重要な業績と想像される。この快挙を隠蔽するために「日本の頭越しに行われた米中国交回復は戦後日本外交最大の危機であった」とのディスインフォメーションが行われたのではないかと私は妄想している。

・上記のような仮定を元に中越戦争の戦争目的について考えてみよう。

<中国にとっての中越戦争の目的>
中国は1970年代前半に反国際金融資本陣営に寝返ったが、人民解放軍の内部には親国際金融資本陣営の勢力が根を張っていたと想像される。彼らを軍備不十分な状態でベトナムとの国境線で戦わせてその勢力を減退させ、それによって中国国内を反国際金融資本で統一することが毛沢東死去後の中国指導部の意志だったのではないだろうか?

<ベトナムにとっての中越戦争の目的>
ベトナム戦争が北ベトナムの勝利に終わったが、ベトナム国内にはまだ多数の華僑が残存していたと想像される。その華僑を「敵国中国のスパイの危険あり」との理由で国外に追い出す、あるいは徴兵して中越国境線沿いの戦場で戦死させることがベトナム側の戦争目的の一つではなかったかと私は妄想している。更に、統一間もない自国を一つに団結させる目的で、北側に存在する超大国中国との戦争が演出されたのではないかとも考える。

つまり、中越戦争は中国とベトナムの両方にとって利益のある戦争であり、それ故に戦争が実行されたのだというのが私の妄想的分析である。



・では、週刊アカシックレコードの唱える中朝戦争は、中国と北朝鮮に関してどの様な利益があるのだろうか?

<中国にとっての中朝戦争の目的>

中国国内には吉林省の延辺自治区を中心に200万人程度?の朝鮮族が居住している。しかし、彼らは李氏朝鮮末期の生活困窮からの逃避や大日本帝国時代の満州での高い生活水準を求める移住が生み出した人々であり、一種の経済難民であると想像される。朝鮮族居住地域の先住民族は満州族であって、朝鮮族は後から移住した移民に過ぎないのだ。

中国と朝鮮半島国家の間で安定した友好関係を維持するには、このように国境線と民族分布が一致しない状態を継続するのは不適切である。かつてヒトラーがドイツ系住民の住むチェコ辺境部のズデーデンランドをドイツに吸収合併したように、国境を越えて居住する朝鮮族は戦争の引き金になりかねないからだ。従って、中国が中朝戦争を根拠に自国から朝鮮族を追放する、という計画は中国にとって非常に有益であると想像される。同様の事は国内に朝鮮族を多数抱えるロシアやカザフスタンも考えている可能性がある。中朝戦争時にロシアやカザフスタンが中国側を支援し、国内の朝鮮族を追放する可能性はあり得るかもしれない。その場合、中朝戦争で中立を保つと想像される日本は朝鮮族移送の中継国家の役割を果たすことになるかもしれない。

その他に考えられる中国側の動機としては、人民解放軍内部の反体制派、親国際金融資本勢力などを戦場に送り込んで弱体化させるというものも考えられる。中国政府は決して一枚岩ではないし、シンガポール等の華僑勢力と親しいものも存在する可能性がある。

<北朝鮮にとっての中朝戦争の目的>

北朝鮮は大日本帝国のランドパワー陣営の正統な後継国家であると私は想像(妄想)している。そして、韓国が中国との経済競争に敗れた後は、イスラエルにとどめを刺すという世界史的な偉業を成し遂げた金正日が韓国国内でも英雄とみなされ、両国は統一に向かう(それが徐々に行われるか電撃的なものになるかはわからないが)と私は想像する。これは、ベトナム戦争直後のベトナムと似た状況である。経済的困難、先進国からの脱落の精神的打撃により混乱状態に陥ると想像される韓国の国内を引き締めると共に北朝鮮への統合を推進するには、「北側の超大国中国との英雄的な戦いを実行する北朝鮮を支援しなければならない」というプロパガンダは非常に有効であると想像する。北朝鮮と韓国の間の生活水準や文化水準の格差を考えると、中朝戦争時にはまだ南北は統一されず、将来の統一が合意されただけの状態である可能性が高いだろう。韓国政府が中朝戦争で北朝鮮側について中国と戦う、という事態も起きるかもしれない。もしそれが起きないとしても、韓国国内で愛国的プロパガンダが宣伝され、韓国軍の将校や兵士の多くが北朝鮮軍に志願兵として参加する状況が想像される。米国やオーストラリアなどに居住する韓国系移民も同様に一部が志願兵として韓国に戻るかもしれない。

その他、中朝戦争の停戦後に中朝の国境確定交渉が行われる可能性も考えられるだろう。両国の国境は河川であるが、明確な国境線(例えば航路中心線など)は確定されていない状況である。また、中国・北朝鮮・ロシアの三カ国の国境が交わる場所では中国の領土が非常に変な形になっており、この部分での中朝国境線の手直しが行われるかもしれない。


・なお、上記の私の分析は何ら確たる根拠のないものであり、単なる陰謀マニアの妄想に過ぎない可能性が高いことをお断りしておく。
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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-10-01 15:18:55
詐欺師集団=国際金融資本を告発するビデオ(日本語字幕付)
http://asyura.com/index.html(★阿修羅♪)
http://www.asyura2.com/07/war96/msg/310.html

この作品で明らかにされるのは、
影の政府が機密扱いしてきた「驚異の公文書」の内容です。

主要なメディアが隠す米国の歴史とは?
大戦や大恐慌を引き起こすために開かれる超大金持ちたちの集まりとは?

自分たちに都合のよい政治をおこなうために背後からあやつる支配者がいるのでしょうか?

その答えに あなたは驚くかもしれない。

200年ほど前 トーマス・ジェファソン大統領は言った

『我々が一度でも通貨の発行を任せてしまったなら、銀行・企業は強大になり、人々の住む家までも奪い尽くすようになるだろう』
返信する
Unknown (Unknown)
2007-10-10 03:55:27
2007/9/28 講師:青木直人(ジャーナリスト)
@UIゼンセン会館(市ヶ谷)
◆『戦略情報研究所』 主催講演会◆
中国と北朝鮮の関係

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/
返信する
中国共産党員は7336万人、フランス総人口の1・2倍 (読売新聞) (Unknown)
2007-10-10 05:42:07
中国共産党員は7336万人、フランス総人口の1・2倍 (読売新聞) http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/09yomiuri20071009id23/

【北京=杉山祐之】9日付中国各紙によると、第17回党大会を間近に控えた中国共産党は8日、今年6月現在の党員総数が、フランス総人口(約6050万人)の1・2倍にあたる約7336万人に達したと発表した。

 党員数は、前回大会があった5年前より約642万人増え、さらに、1960万人以上が入党を申請しているという。世界人口の1%を上回る党員を抱える巨大政党は、今後も膨張し続ける公算が大きい。

 党内には、庶民として暮らす一般党員がひしめく底辺から、胡錦濤総書記1人が立つ頂点まで、権力ピラミッドの階段が果てしなく続いている。

 党大会では、抜きんでた実力、親の威光、強力な後ろ盾など、力と強運で長い階段を上ってきた実力者たちの中から、ピラミッド最上層の住人が選ばれる。


 (日本がお金出すから私利私欲に走る悪等どもが増殖する?)
返信する
Unknown (Unknown)
2008-05-07 19:26:59
日中会議で討論された内容 (ジャーナリスト情報)
2008-05-07 19:25:14
内容紹介
人類に残された時間はあと10年しかない!? 2007年2月に「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が、地球温暖化に関する「第4次報告」を発表、温暖化の影響が「人為的なもの」と断言した。これを受けた英『インディペンデント』紙の“100年後予測”では、地球の平均気温が現在から2.4度上昇した場合、3分の1の生物種が絶滅、3.4 度上昇で北極海から氷がなくなり、4.4度上昇でヨーロッパ南部が砂漠化するという。そして5.4度の上昇で世界の食糧供給は尽き、6.4度上昇でメタン・ハイドレートが噴出して「全球蒸発」、ほとんどすべての生物は絶滅する――。今、科学者たちの間では「人類は温暖化のポジティブ・フィードバック(悪循環)を止めることができるのか、間に合うとしたらいつまでか」が論議になっている。温暖化はすでに“暴走”を始めてしまったのか? 世界中で進行している「恐ろしい現実」と、人類滅亡を回避するための方策をわかりやすく語る。
返信する

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