●トルコのギュル大統領がキプロスでの平和と平等を主張 Sep 19, 2007 TVNZ
トルコの新大統領は両方の民族集団に配慮したキプロスの和平調停を要求し、ギリシャ系キプロスの批判に対抗してトルコ軍の役割を擁護した。自称北キプロストルコ共和国を承認しているのはトルコだけである。世界の他の国は南側のギリシャ系キプロス国家を承認している。ギリシャ系キプロス国家はEUではキプロス全島を代表しており、トルコ政府はそのEUに加盟することを狙っている。
アブダラ・ギュル大統領は先月就任して以来最初の外国訪問先である北キプロスで、北キプロス共和国のMehmet Ali Talat大統領との共同記者会見の場でこのように述べた。「キプロスには二つの現実が存在する。二つの民主主義、二つの国家、二つの言語、二つの宗教だ。この二つの現実に基づいた解決策が受け入れられなければならない。」
しかし、南キプロスの外務省はギュル大統領のトルコが三万五千人の兵士を駐留させている北キプロスへ訪問を非難した。「ギュル大統領が大統領としての初回の外国訪問として、EUの一部であるキプロス共和国の一部であり三十三年間トルコ軍によって違法に占領され続けている地域を選んだという見え透いた行為は、国際法秩序に対する攻撃である。これはEU加盟国であるキプロスに対する挑発と侮辱だ。」
当時ギリシャを支配していた軍事政権に支援されたギリシャ系キプロス人による政変の後、1974年にトルコが島の北部を侵略して以来、キプロスは分断されている。キプロスのTassos Papadopoulos大統領は最近、トルコ軍はキプロス国民にとって唯一の敵であると語り、トルコ軍の撤退を再び求めたばかりである。
・平和
以前トルコ外相としてキプロス問題という難題に取り組んだギュル大統領は、撤退要求を拒絶してこう語った。「トルコ軍は北キプロスと南キプロスの両方に平和をもたらしている。敵との非難は根拠がない。」
以前に首都アンカラで報道陣に対してギュル大統領は国際貿易の制限継続にも関らず過去数年間に北キプロスの国内総生産が倍増したことに触れ、経済的見通しに楽観的であると述べている。ギュル大統領は、それらの制限を撤廃するとの約束を遵守せよというEUに対する要求を繰り返した。事実上北キプロス共和国が国際的に承認されてしまう事に繋がるのではないかとの恐れから、ギリシャ系キプロス人はこれまでその様な動きを阻止してきた。
トルコ系キプロス人は2004年の住民投票で、島を再統合するという国連の青写真を支持したが、ギリシャ系キプロス人はそれを阻止した。ギリシャ系キプロス人がキプロス共和国としてEUに加盟して月日が流れ、トルコ系キプロス人はのけものにされている。
ギュルはキプロスのEU加盟後初めて北キプロスを訪問したトルコ大統領だ。トルコもまた2005年10月にEU加盟交渉を開始したが、トルコ政府がギリシャ系キプロス人に港や空港を開放することを拒否しているため、交渉は8分野で凍結されたままになっている。
ギュル大統領はキプロス訪問に際して夫人を同行させた。これはトルコのファーストレディとしての公式デビューとなった。彼女はこれまで公式の場には出なかった。というのは、トルコの世俗的なエリート階層は、強力な軍の将軍達も含めて、彼女のイスラム教徒としてのヘッドスカーフに反対しているからだ。
http://tvnz.co.nz/view/page/536641/1359287
●キプロス再統一、失敗 2004/04/26 JANJAN (田中龍作)
【何が起きているのか】
30年間分断が続くキプロスの再統一を目指す国連案の是非を問う住民投票は24日、投開票が行われた。ギリシャ系住民の圧倒的な反対(78・5%)で国連案は否決され、ギリシャ系のキプロス共和国のみ5月1日からEU加盟する。EU東方拡大の大きな試金石だったが、キリスト教徒とイスラム教徒の共存が難しいことを改めて示す結果となった。人口わずか80万人、鹿児島県ほどの面積しかない小さな島国の動向が、なぜ欧米の注目を集めたのだろうか。日本のマスコミも大きく取り上げた。
【30年続く分断とは】
キプロス問題を理解するために、歴史をおおざっぱに振り返ってみる――
1960年、英国の植民地から独立し、「キプロス共和国」となる。初代大統領のマカリオス(ギリシャ系)が63年、憲法を改正してトルコ系住民の権利を制限しようとしたことから内戦がぼっ発する。国連平和維持軍の駐留でとりあえず武力衝突はおさまった。
ところが73年、ギリシャ本国に誕生した軍事政権が(キプロス共和国の)反大統領派を後押ししてキプロスでクーデターを起こした。5日後、トルコ本国はトルコ系住民の保護を名目に軍事進駐した。分断の始まりである。島の北側3分の1がトルコ系住民(イスラム教徒)の領土、残る南側3分の2がギリシャ系住民(キリスト教徒)の領土となった。トルコ系住民は83年「北キプロス・トルコ共和国」として勝手に独立宣言した。承認しているのは、世界中でトルコ本国だけだ。国際社会が承認しているのは「キプロス共和国」(ギリシャ系)である。
人口約80万人のうちギリシャ系は85%、トルコ系は12%となっており、マジョリティーとマイノリティーの歴然とした差が、再統一交渉を難しくしてきた。地中海の東端に浮かぶキプロスは、冷戦時代はソ連の南下を食い止めるための戦略要衝だった。今は中東ににらみを利かすためにトルコを懐柔しなければならない米国と東方拡大を目指すEUの権益がぶつかる。
【国連案にギリシャが猛反発】
分断国家を抱えたのではEUは安定感に欠ける。EU加盟が悲願のトルコは、キプロスがトルコ系住民も加わったうえでEU入りすることを強く望んでいた。こうした背景を受けて国連主導による再統一交渉が始まり、アナン事務総長が以下の調停案を示していた(概要)。
・北側に帰還するギリシャ系住民数の制限(73年、トルコ軍の進駐により南側に逃れたギリシャ系難民は多い)。
・北側(現在トルコ系住民領土)でのギリシャ系住民の所有権)土地など)の制限。
・国会(1院制)の議席数は両者(トルコ系、ギリシャ系)同数。
・トルコ軍駐留は向こう7年間認める。
著しくトルコ側に有利で、ギリシャ側には不利であるように受け止められているが、事情がある。63年、初代大統領マカリオス(ギリシャ系)がトルコ系住民の権利を制限したために内戦となった。この歴史的教訓を生かしマイノリティー(トルコ系)に不利ならないように、とアナン総長が配慮したためだ。
当然ギリシャ系住民はアナン案に反発を強めた。ギリシャ正教のある司祭は「我々を2等市民におとしめるものだ。住民投票をボイコットすべき」と呼びかけた。パパドポラス大統領自らも「反対票を」と国民に訴えていた。
【トルコは外にいてもらいたい】
ヨーロッパはキリスト教文明の地である。EUは米一極支配に対抗する色彩が濃い。イスラム教国で親米国家のトルコにとってEUの敷居は高い。事実トルコは87年に加盟申請したが、冷戦崩壊後(90年代)に申請した旧東欧諸国の方が先にEU加盟するありさまだ。
ヨーロッパは中世に100年にわたって十字軍戦争を戦い、ギリシャのあるバルカン半島は16世紀から400年近くオスマントルコの支配に苦しんできた。今は移民(イスラム教徒が多い)問題を抱える。対立の歴史は長く、今にまで及んでいる。EUのある委員は「トルコは中東とのバッファ(緩衝地帯)となるためにも外にいてもらいたい」とさえ言う。ものは言いようだが、トルコには加盟してほしくないというのが欧州諸国の本音だろう。
◆筆者注:国連案をめぐる住民投票でトルコ系住民は61・5%が賛成した。
http://www.news.janjan.jp/world/0404/0404253595/1.php
●【北キプロス編】④北キプロスへの流入者
北キプロスは、承知のとおり、キプロス島の分断国家の片割れである。しかも、南のギリシア人居住区と、厳しい対立をし続けている。昨今南のキプロスがEUの加盟に向けて、97年2月よりヒアリングが開始されるとの声明が、ABより発表されてから緊張が高まって来つつある。というのも、加盟候補国でもあるトルコが、キプロスとは違って、正式加盟が見送られたこともあり、その傾向は一層強い。北キプロスのデンクタシュ大統領などは、場合によっては、北キプロスとトルコの合併も辞さずとの荒っぽい見解すら、公にするに至っているのである。北キプロス側の主張としては、キプロス島には、二つの主権が現存していることを認めた上で、両国の連合国家を造ることが、常に上げられている。しかし、南のキプロスからしては、国際的には全くその存在すら認められていない、北キプロスの主権を認めるわけがないのである。このようななか、北キプロスでは、確実にトルコ化が進んでいるのである。
その一つには、都市の呼称が、トルコ風こ変えられていることが上げられよう。例えば、僕の好きなギルネといラ都市は、南のギリシア人居住区では、キレニアと呼ばれている。そればかりか、北キプロス西部の中心的都市と言っても、言い方は悪いが、田舎の都市ギュゼルユルトゥや、更にもう少し西に行ったところにあるイェシルユルトゥという町の名前を聞いたとき、余りに露骨なネーミングに、少々鼻白む思いがしたことがある。というのも、ギュゼルユルトゥは、「美しい祖国」を意味するトルコ語だし、イェシルユルトゥは、「緑の祖国」を意味するトルコ語なのである。およそ元々からそのように呼ばれていたとは、考えにくい呼び名なのである。
次に、北キプロスで出会った人から気付いたことを書いてみよう。僕は、レフコシャからギルネに着いたとき、すぐに銀行に立ち寄り両替を済ませたのだが、その僕を待ち構えるように、一人の男が僕に近づいて来た。彼は、船に乗りいろいろと外国を渡り歩いて、船の荷役の仕事をしていたらしく、手に持つ各国の紙幣を見せながら、日本の紙幣、果てはトルコ・リラをくれと所望する。要するに形を変えた物もらいと見た。彼の話を聞いていると、今朝、ガジアンテップから、このギルネ港に着いたとのことで、いくらかでも金が欲しいのだと、正直に告白した。朴訥とした話し方や気弱そうな感じに、嘘はないと思ったが、だからと言って、施しをする程までとは思わなかったので、丁重に断ったが、やけにガジアンテップ出身という、この男の言葉が耳に残った。そのときは、この後、僕は、トルコに渡り、そのガジアンテップに行くつもりだからだろうと思っていた。その明くる日、ゲミーコナーウという小都市の西方にあるローマ時代の劇場を、訪れたときである。一通り見終わった後、そこの管理人と世間話をしていたとき、お互いの身の上話に相なった。彼が言うには、自分は、ディヤルバクル出身であるが、今ディヤルバクルは、戦争状態であると言い出したのである。ディヤルバクルというのは、トルコ東南部の都市で、クルド人が多数を成すと言われている所である。先程記したガジアンテップからは、バスで約5時間の距離にある。そのディヤルバクルが、そのような状況にあることは、日本で知られているか、更に、この戦争について、どのように思うかと、問われたのである。僕はトルコ語の質問に対し、その言葉が、よく聞き取れなくて、答えることに困ったことはいくらでもあるが、トルコ語が理解できているのに、その質問に答えることをためらったのは、後にも先にも、この時だけである。真正面から聞かれたとき、僕は、心の中で、「これは、答えられないよ一」と叫んだのであった。余りにも生々しい政治問題への発言は慎まねばとの思いが、強く働いたことは事実である。せめてものお返しに、ディヤルバクル出身のあなたが、何故、今、北キプロスにいるのかと問うだけであった。その男の人は、自分は、結婚して、ここへ来たのだという主旨のことを答えてくれた。
この二人の男との出会いは、僕に、一つの確信を浮かばせたのであった。それは、二人とも、トルコ国内で、特に貧しいとされる東南部の出身であり、二つの都市とも、ともにクルド人の町だったからである。その地域の人たちが、何らの理由で、北キプロスヘ移住してきているという事実が、この際重要なのである。今、トルコ政府は、北キプロスと協同で、いつかはやって来ると信じているキプロスにある事実上の二つの政府の連合、ないしは合併に向けての作戦を着々と進めているのである。トルコ国内の、しかもトルコ内部ではややこしいと思っている地域の住民を中心として、北キプロスヘの移住を積極的に勧奨しているのである。即ち、近年の国連仲裁による、地域紛争の解決に当っては、住民の意思に委ねるとして、最終的に住民投票に移されるということが、常套手段化している姿を、射程に入れての作戦なのである。だから、クルド問題や、トルコ国内の経済的格差をも、同時に解決できる手法として、正に一石二鳥の政策として、このようなことが行われているのである。僕の出会った二人も、だから、このような政策の駒として、北キプロスヘやって来たことが、推測されるというものなのである。そう言えば、レフコシャのホテルヘ遊びにきていた近所のおっちやんも、随分と訛りのあるトルコ語を喋っていた。あの人のトルコ語は、まちがいなく黒海地方の訛りと見受けた。彼らは、一体どのような思いで、この北キプロスに住んでいるのだろうか。よく、EUは、トルコに対し、正式加盟への条件として、三つの問題の解決を要求する。クルド間題を含めたトルコ国内の人権問題、経済問題、そしてキプロス間題である。これを見てみると、北キプロスヘの移住問題は、正にこの三つの条件を、全て合わせ持つ、今のトルコを集約的に表す事象だとは、言えないだろうか。
(注)キプロスは、今やEUの次期加盟候補国だし、トルコも、ようやく次の次の加盟候補国となった。私がキプロスへ行くと言うと、ちょっとでもキプロス問題をご存知の方は、心配をしていただくが、このような情勢下、取り返しのつかないことは、予想し得ない段階に入っていると言っていいだろう。が、だからと言って、キプロス問題の解決の糸口が掴めているとは、全くもって言えない現況にあることも忘れてはいけないのである。
http://sari-lacivert.hp.infoseek.co.jp/nandemo/hp/kktc-3-4.html
●北キプロス・トルコ共和国
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/cypurs.html
【私のコメント】
EUのメンバーであるギリシャとキプロスは、北キプロスに入国した記録がパスポートに残っている人の自国への入国を認めていない。これは、イスラエル入国の記録があると入国できないシリアやイエメンと同様の厳しい対抗処置である。トルコは北キプロス問題での対立を根拠にキプロスの航空機や船の自国への寄港を認めていないが、EUはこの問題でトルコが全面譲歩することをEU加盟の条件として要求している。キプロス問題でEUはトルコに対して非常に強硬なのである。9月22日に北キプロスの船がシリアを訪問し、北キプロスパスポートを持つ人々がそれを示すことで上陸した件でも、キプロス政府がシリアに釈明要求と再発防止を要求しており、AP通信によればキプロス大統領は「問題は解決した」と発言している。小国キプロスが大国トルコに対してこれほどまでに優位に立てるのは、背後にEU(特に独仏連合)の支持があるからとしか考えられない。
キプロスは先にEU加盟を申請していたトルコを追い越してEUの正式メンバーとなり、来年1月からは通貨統合によってキプロスの通貨がキプロスポンドからユーロになる。これは、北キプロスやトルコにとっては手痛い敗北であろう。キプロスはトルコリラがそのまま通用しており通貨統合の先輩という見方もできるが、実際には北キプロスに自国通貨を発行する能力がないのだろう。つまり、独立国としては到底やっていけないということである。北キプロスは事実上トルコ共和国の県の一つの様な状態である。その政策もトルコ政府に支配されているのだろうと想像される。イギリス植民地時代に分割統治の方針が採られて少数派のトルコ人が優遇されて民族対立が煽られてきた事を考えると、国際金融資本=大英帝国が作りだした問題であるとも言える。1974年という、国際金融資本が大きな敗北をした直後の時期にトルコ軍が北キプロスを侵略・占領したこと、南北キプロスの他に島内にイギリス軍事基地が複数存在する事を考えると、キプロス統一で軍事基地撤去を住民に迫られ、イスラエルを支援する為の重要な基地が使えなくなることを恐れたイギリスがトルコに働きかけて侵略を実行したという可能性が考えられる。
興味深いニュースとしては、9月下旬に南北の代表が開いた会合(物別れに終わった)が、チェコスロバキアが分断して誕生したスロバキア共和国の協力で開催されていたという情報がある。これはチェコとスロバキアのような国家分断が解決策になることを意味するのかもしれない。あるいは、スロバキア共和国で少数民族として居住するハンガリー人と同様に、中央アジア出身の侵略者の子孫であるトルコ系キプロス人も統一されたキプロス共和国の中で少数民族として生きて行くべきである、ということを意味しているのかもしれない。トルコ人はイスラム教であるという点を除くと中央アジアの遊牧民族の侵略によって誕生した民族であるという点でハンガリー人に類似しているからだ。
それにしても、EUはなぜこれほどまでにキプロス問題でトルコに対して強硬なのだろうか?その答えは、トルコが北キプロスに本土から住民を大量に送り込んでいることにあると思われる。トルコ側の意図としては、少数派のトルコ系キプロス人の人口を増やして交渉を有利にすることが最も考えやすい(移住者にクルド人が多いのは、生活苦で移住を希望する人にクルド人が多いからだろう)。そして、キプロスをトルコ系北キプロスとギリシャ系南キプロスの連邦国家に変身させることで、EU国内にトルコ系住民から成る主権国家を作り出すことが最大の狙いなのだろう。それは、トルコ本体をEUに加盟させるための工作の一環とも考えられる。
しかし、EUの側から見るならば、多数派のギリシャ人と少数派のトルコ系住民が共存していたキプロスに軍隊を送り込んで北キプロスを占領し、そこに本土から住民を大量に送り込むというトルコの行動は絶対に許せないものだろう。これを放置すれば、将来トルコ系住民がキプロスで多数派になり、キプロス全体がトルコに乗っ取られるという事態も起きかねないだろう。EU域内でありながらEU政府の権限が及ばず、トルコ政府が大量に移民を送り込んでいるという現状は非常に危険なものである。不法移民対策に躍起となっているEU政府を現在のトルコ政府は刺激し続けているのだ。
では、EUはトルコや北キプロスについて一体どの様な状態を理想と考え、どの様なシナリオを立てているのだろうか?JANJANに紹介された『ヨーロッパは中世に100年にわたって十字軍戦争を戦い、ギリシャのあるバルカン半島は16世紀から400年近くオスマントルコの支配に苦しんできた。今は移民(イスラム教徒が多い)問題を抱える。対立の歴史は長く、今にまで及んでいる。EUのある委員は「トルコは中東とのバッファ(緩衝地帯)となるためにも外にいてもらいたい」とさえ言う。ものは言いようだが、トルコには加盟してほしくないというのが欧州諸国の本音だろう。』という部分がEUの本音、理想ではないだろうか。それを前提として、以下に私の想像する幾つかのシナリオを挙げてみる。
1.EU軍事勝利&民族浄化シナリオ
ギリシャ・キプロスとトルコの間で戦争が勃発、EU加盟国の一部あるいはロシアなどがギリシャ側に参戦してトルコ軍を圧倒、イスタンブール・イズミル・北キプロス・トルコ北東部などを占領し、そこに居住するトルコ人を全て追放する。イスタンブールから改称されたコンスタンチノープルにギリシャの首都が移転する。
2.EU軍事勝利&トルコ系少数民族許容シナリオ
戦争勃発とEU加盟国の一部あるいはロシアなどの参戦・勝利までは同じだが、イスタンブール・イズミル・北キプロス・トルコ北東部などの占領地域に住むトルコ人の内で、昔からそこに住んでいるか、あるいはギリシャ領土から住民交換で移住した人々の子孫の内で世俗的な者だけが居住継続を許可され、他の者はアナトリア高原の縮小したトルコ国家へと追放される。イスタンブールとイズミルはギリシャ領土となり、トルコ系住民は少数民族(ただし先住民族ではなく侵略者の子孫)として扱われる。
3.トルコ内戦&緩衝国家成立シナリオ
イスタンブールやイズミル、北キプロスで世俗国家を求める住民のデモが内戦に発展、住民交換の結果、人口千万人程度の世俗主義イスラム国家がトルコから分離独立する。この国はロシアに対するカザフスタンの様な、イスラム圏とEUの間の世俗的緩衝国家として機能する。縮小したトルコ国家はロシアに対するウズベキスタンの様な、より宗教原理主義的な緩衝国家として機能する。世俗的なトルコの支配階層はイスタンブールやイズミルでEU並みの生活水準を享受できるとの確約の見返りにこのシナリオに協力している。
4.現状維持シナリオ
キプロス問題を巡るEUとトルコの対立が継続する。イスタンブール西方やキプロス島内にEUと中東イスラム世界を隔てる万里の長城の様な境界線が設置される。欧州文明のルーツであるギリシャ文明、東ローマ帝国の文明の遺産が中東イスラム世界の支配下になることから宗教戦争が勃発する可能性が常に残され、情勢は安定しない。
5.トルコ完全勝利シナリオ
EUがトルコの主張を全面的に受け入れ、トルコをEU加盟させると共に現状のキプロスの統合を認める。
上記の五つのシナリオの内、私が想定するのはシナリオ2か3である。シナリオ2ではトルコとEUは激しく対立していることになる。シナリオ3ではトルコ支配階層とEUは表向きは対立しているが実際には協力関係にあると想像される。シナリオ1,4,5は可能性が低いと想像する。果たして、トルコの未来はこの五つのシナリオのどれになるのだろうか?それとも、私の想定の他のシナリオが準備されているのだろうか?
トルコの新大統領は両方の民族集団に配慮したキプロスの和平調停を要求し、ギリシャ系キプロスの批判に対抗してトルコ軍の役割を擁護した。自称北キプロストルコ共和国を承認しているのはトルコだけである。世界の他の国は南側のギリシャ系キプロス国家を承認している。ギリシャ系キプロス国家はEUではキプロス全島を代表しており、トルコ政府はそのEUに加盟することを狙っている。
アブダラ・ギュル大統領は先月就任して以来最初の外国訪問先である北キプロスで、北キプロス共和国のMehmet Ali Talat大統領との共同記者会見の場でこのように述べた。「キプロスには二つの現実が存在する。二つの民主主義、二つの国家、二つの言語、二つの宗教だ。この二つの現実に基づいた解決策が受け入れられなければならない。」
しかし、南キプロスの外務省はギュル大統領のトルコが三万五千人の兵士を駐留させている北キプロスへ訪問を非難した。「ギュル大統領が大統領としての初回の外国訪問として、EUの一部であるキプロス共和国の一部であり三十三年間トルコ軍によって違法に占領され続けている地域を選んだという見え透いた行為は、国際法秩序に対する攻撃である。これはEU加盟国であるキプロスに対する挑発と侮辱だ。」
当時ギリシャを支配していた軍事政権に支援されたギリシャ系キプロス人による政変の後、1974年にトルコが島の北部を侵略して以来、キプロスは分断されている。キプロスのTassos Papadopoulos大統領は最近、トルコ軍はキプロス国民にとって唯一の敵であると語り、トルコ軍の撤退を再び求めたばかりである。
・平和
以前トルコ外相としてキプロス問題という難題に取り組んだギュル大統領は、撤退要求を拒絶してこう語った。「トルコ軍は北キプロスと南キプロスの両方に平和をもたらしている。敵との非難は根拠がない。」
以前に首都アンカラで報道陣に対してギュル大統領は国際貿易の制限継続にも関らず過去数年間に北キプロスの国内総生産が倍増したことに触れ、経済的見通しに楽観的であると述べている。ギュル大統領は、それらの制限を撤廃するとの約束を遵守せよというEUに対する要求を繰り返した。事実上北キプロス共和国が国際的に承認されてしまう事に繋がるのではないかとの恐れから、ギリシャ系キプロス人はこれまでその様な動きを阻止してきた。
トルコ系キプロス人は2004年の住民投票で、島を再統合するという国連の青写真を支持したが、ギリシャ系キプロス人はそれを阻止した。ギリシャ系キプロス人がキプロス共和国としてEUに加盟して月日が流れ、トルコ系キプロス人はのけものにされている。
ギュルはキプロスのEU加盟後初めて北キプロスを訪問したトルコ大統領だ。トルコもまた2005年10月にEU加盟交渉を開始したが、トルコ政府がギリシャ系キプロス人に港や空港を開放することを拒否しているため、交渉は8分野で凍結されたままになっている。
ギュル大統領はキプロス訪問に際して夫人を同行させた。これはトルコのファーストレディとしての公式デビューとなった。彼女はこれまで公式の場には出なかった。というのは、トルコの世俗的なエリート階層は、強力な軍の将軍達も含めて、彼女のイスラム教徒としてのヘッドスカーフに反対しているからだ。
http://tvnz.co.nz/view/page/536641/1359287
●キプロス再統一、失敗 2004/04/26 JANJAN (田中龍作)
【何が起きているのか】
30年間分断が続くキプロスの再統一を目指す国連案の是非を問う住民投票は24日、投開票が行われた。ギリシャ系住民の圧倒的な反対(78・5%)で国連案は否決され、ギリシャ系のキプロス共和国のみ5月1日からEU加盟する。EU東方拡大の大きな試金石だったが、キリスト教徒とイスラム教徒の共存が難しいことを改めて示す結果となった。人口わずか80万人、鹿児島県ほどの面積しかない小さな島国の動向が、なぜ欧米の注目を集めたのだろうか。日本のマスコミも大きく取り上げた。
【30年続く分断とは】
キプロス問題を理解するために、歴史をおおざっぱに振り返ってみる――
1960年、英国の植民地から独立し、「キプロス共和国」となる。初代大統領のマカリオス(ギリシャ系)が63年、憲法を改正してトルコ系住民の権利を制限しようとしたことから内戦がぼっ発する。国連平和維持軍の駐留でとりあえず武力衝突はおさまった。
ところが73年、ギリシャ本国に誕生した軍事政権が(キプロス共和国の)反大統領派を後押ししてキプロスでクーデターを起こした。5日後、トルコ本国はトルコ系住民の保護を名目に軍事進駐した。分断の始まりである。島の北側3分の1がトルコ系住民(イスラム教徒)の領土、残る南側3分の2がギリシャ系住民(キリスト教徒)の領土となった。トルコ系住民は83年「北キプロス・トルコ共和国」として勝手に独立宣言した。承認しているのは、世界中でトルコ本国だけだ。国際社会が承認しているのは「キプロス共和国」(ギリシャ系)である。
人口約80万人のうちギリシャ系は85%、トルコ系は12%となっており、マジョリティーとマイノリティーの歴然とした差が、再統一交渉を難しくしてきた。地中海の東端に浮かぶキプロスは、冷戦時代はソ連の南下を食い止めるための戦略要衝だった。今は中東ににらみを利かすためにトルコを懐柔しなければならない米国と東方拡大を目指すEUの権益がぶつかる。
【国連案にギリシャが猛反発】
分断国家を抱えたのではEUは安定感に欠ける。EU加盟が悲願のトルコは、キプロスがトルコ系住民も加わったうえでEU入りすることを強く望んでいた。こうした背景を受けて国連主導による再統一交渉が始まり、アナン事務総長が以下の調停案を示していた(概要)。
・北側に帰還するギリシャ系住民数の制限(73年、トルコ軍の進駐により南側に逃れたギリシャ系難民は多い)。
・北側(現在トルコ系住民領土)でのギリシャ系住民の所有権)土地など)の制限。
・国会(1院制)の議席数は両者(トルコ系、ギリシャ系)同数。
・トルコ軍駐留は向こう7年間認める。
著しくトルコ側に有利で、ギリシャ側には不利であるように受け止められているが、事情がある。63年、初代大統領マカリオス(ギリシャ系)がトルコ系住民の権利を制限したために内戦となった。この歴史的教訓を生かしマイノリティー(トルコ系)に不利ならないように、とアナン総長が配慮したためだ。
当然ギリシャ系住民はアナン案に反発を強めた。ギリシャ正教のある司祭は「我々を2等市民におとしめるものだ。住民投票をボイコットすべき」と呼びかけた。パパドポラス大統領自らも「反対票を」と国民に訴えていた。
【トルコは外にいてもらいたい】
ヨーロッパはキリスト教文明の地である。EUは米一極支配に対抗する色彩が濃い。イスラム教国で親米国家のトルコにとってEUの敷居は高い。事実トルコは87年に加盟申請したが、冷戦崩壊後(90年代)に申請した旧東欧諸国の方が先にEU加盟するありさまだ。
ヨーロッパは中世に100年にわたって十字軍戦争を戦い、ギリシャのあるバルカン半島は16世紀から400年近くオスマントルコの支配に苦しんできた。今は移民(イスラム教徒が多い)問題を抱える。対立の歴史は長く、今にまで及んでいる。EUのある委員は「トルコは中東とのバッファ(緩衝地帯)となるためにも外にいてもらいたい」とさえ言う。ものは言いようだが、トルコには加盟してほしくないというのが欧州諸国の本音だろう。
◆筆者注:国連案をめぐる住民投票でトルコ系住民は61・5%が賛成した。
http://www.news.janjan.jp/world/0404/0404253595/1.php
●【北キプロス編】④北キプロスへの流入者
北キプロスは、承知のとおり、キプロス島の分断国家の片割れである。しかも、南のギリシア人居住区と、厳しい対立をし続けている。昨今南のキプロスがEUの加盟に向けて、97年2月よりヒアリングが開始されるとの声明が、ABより発表されてから緊張が高まって来つつある。というのも、加盟候補国でもあるトルコが、キプロスとは違って、正式加盟が見送られたこともあり、その傾向は一層強い。北キプロスのデンクタシュ大統領などは、場合によっては、北キプロスとトルコの合併も辞さずとの荒っぽい見解すら、公にするに至っているのである。北キプロス側の主張としては、キプロス島には、二つの主権が現存していることを認めた上で、両国の連合国家を造ることが、常に上げられている。しかし、南のキプロスからしては、国際的には全くその存在すら認められていない、北キプロスの主権を認めるわけがないのである。このようななか、北キプロスでは、確実にトルコ化が進んでいるのである。
その一つには、都市の呼称が、トルコ風こ変えられていることが上げられよう。例えば、僕の好きなギルネといラ都市は、南のギリシア人居住区では、キレニアと呼ばれている。そればかりか、北キプロス西部の中心的都市と言っても、言い方は悪いが、田舎の都市ギュゼルユルトゥや、更にもう少し西に行ったところにあるイェシルユルトゥという町の名前を聞いたとき、余りに露骨なネーミングに、少々鼻白む思いがしたことがある。というのも、ギュゼルユルトゥは、「美しい祖国」を意味するトルコ語だし、イェシルユルトゥは、「緑の祖国」を意味するトルコ語なのである。およそ元々からそのように呼ばれていたとは、考えにくい呼び名なのである。
次に、北キプロスで出会った人から気付いたことを書いてみよう。僕は、レフコシャからギルネに着いたとき、すぐに銀行に立ち寄り両替を済ませたのだが、その僕を待ち構えるように、一人の男が僕に近づいて来た。彼は、船に乗りいろいろと外国を渡り歩いて、船の荷役の仕事をしていたらしく、手に持つ各国の紙幣を見せながら、日本の紙幣、果てはトルコ・リラをくれと所望する。要するに形を変えた物もらいと見た。彼の話を聞いていると、今朝、ガジアンテップから、このギルネ港に着いたとのことで、いくらかでも金が欲しいのだと、正直に告白した。朴訥とした話し方や気弱そうな感じに、嘘はないと思ったが、だからと言って、施しをする程までとは思わなかったので、丁重に断ったが、やけにガジアンテップ出身という、この男の言葉が耳に残った。そのときは、この後、僕は、トルコに渡り、そのガジアンテップに行くつもりだからだろうと思っていた。その明くる日、ゲミーコナーウという小都市の西方にあるローマ時代の劇場を、訪れたときである。一通り見終わった後、そこの管理人と世間話をしていたとき、お互いの身の上話に相なった。彼が言うには、自分は、ディヤルバクル出身であるが、今ディヤルバクルは、戦争状態であると言い出したのである。ディヤルバクルというのは、トルコ東南部の都市で、クルド人が多数を成すと言われている所である。先程記したガジアンテップからは、バスで約5時間の距離にある。そのディヤルバクルが、そのような状況にあることは、日本で知られているか、更に、この戦争について、どのように思うかと、問われたのである。僕はトルコ語の質問に対し、その言葉が、よく聞き取れなくて、答えることに困ったことはいくらでもあるが、トルコ語が理解できているのに、その質問に答えることをためらったのは、後にも先にも、この時だけである。真正面から聞かれたとき、僕は、心の中で、「これは、答えられないよ一」と叫んだのであった。余りにも生々しい政治問題への発言は慎まねばとの思いが、強く働いたことは事実である。せめてものお返しに、ディヤルバクル出身のあなたが、何故、今、北キプロスにいるのかと問うだけであった。その男の人は、自分は、結婚して、ここへ来たのだという主旨のことを答えてくれた。
この二人の男との出会いは、僕に、一つの確信を浮かばせたのであった。それは、二人とも、トルコ国内で、特に貧しいとされる東南部の出身であり、二つの都市とも、ともにクルド人の町だったからである。その地域の人たちが、何らの理由で、北キプロスヘ移住してきているという事実が、この際重要なのである。今、トルコ政府は、北キプロスと協同で、いつかはやって来ると信じているキプロスにある事実上の二つの政府の連合、ないしは合併に向けての作戦を着々と進めているのである。トルコ国内の、しかもトルコ内部ではややこしいと思っている地域の住民を中心として、北キプロスヘの移住を積極的に勧奨しているのである。即ち、近年の国連仲裁による、地域紛争の解決に当っては、住民の意思に委ねるとして、最終的に住民投票に移されるということが、常套手段化している姿を、射程に入れての作戦なのである。だから、クルド問題や、トルコ国内の経済的格差をも、同時に解決できる手法として、正に一石二鳥の政策として、このようなことが行われているのである。僕の出会った二人も、だから、このような政策の駒として、北キプロスヘやって来たことが、推測されるというものなのである。そう言えば、レフコシャのホテルヘ遊びにきていた近所のおっちやんも、随分と訛りのあるトルコ語を喋っていた。あの人のトルコ語は、まちがいなく黒海地方の訛りと見受けた。彼らは、一体どのような思いで、この北キプロスに住んでいるのだろうか。よく、EUは、トルコに対し、正式加盟への条件として、三つの問題の解決を要求する。クルド間題を含めたトルコ国内の人権問題、経済問題、そしてキプロス間題である。これを見てみると、北キプロスヘの移住問題は、正にこの三つの条件を、全て合わせ持つ、今のトルコを集約的に表す事象だとは、言えないだろうか。
(注)キプロスは、今やEUの次期加盟候補国だし、トルコも、ようやく次の次の加盟候補国となった。私がキプロスへ行くと言うと、ちょっとでもキプロス問題をご存知の方は、心配をしていただくが、このような情勢下、取り返しのつかないことは、予想し得ない段階に入っていると言っていいだろう。が、だからと言って、キプロス問題の解決の糸口が掴めているとは、全くもって言えない現況にあることも忘れてはいけないのである。
http://sari-lacivert.hp.infoseek.co.jp/nandemo/hp/kktc-3-4.html
●北キプロス・トルコ共和国
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/cypurs.html
【私のコメント】
EUのメンバーであるギリシャとキプロスは、北キプロスに入国した記録がパスポートに残っている人の自国への入国を認めていない。これは、イスラエル入国の記録があると入国できないシリアやイエメンと同様の厳しい対抗処置である。トルコは北キプロス問題での対立を根拠にキプロスの航空機や船の自国への寄港を認めていないが、EUはこの問題でトルコが全面譲歩することをEU加盟の条件として要求している。キプロス問題でEUはトルコに対して非常に強硬なのである。9月22日に北キプロスの船がシリアを訪問し、北キプロスパスポートを持つ人々がそれを示すことで上陸した件でも、キプロス政府がシリアに釈明要求と再発防止を要求しており、AP通信によればキプロス大統領は「問題は解決した」と発言している。小国キプロスが大国トルコに対してこれほどまでに優位に立てるのは、背後にEU(特に独仏連合)の支持があるからとしか考えられない。
キプロスは先にEU加盟を申請していたトルコを追い越してEUの正式メンバーとなり、来年1月からは通貨統合によってキプロスの通貨がキプロスポンドからユーロになる。これは、北キプロスやトルコにとっては手痛い敗北であろう。キプロスはトルコリラがそのまま通用しており通貨統合の先輩という見方もできるが、実際には北キプロスに自国通貨を発行する能力がないのだろう。つまり、独立国としては到底やっていけないということである。北キプロスは事実上トルコ共和国の県の一つの様な状態である。その政策もトルコ政府に支配されているのだろうと想像される。イギリス植民地時代に分割統治の方針が採られて少数派のトルコ人が優遇されて民族対立が煽られてきた事を考えると、国際金融資本=大英帝国が作りだした問題であるとも言える。1974年という、国際金融資本が大きな敗北をした直後の時期にトルコ軍が北キプロスを侵略・占領したこと、南北キプロスの他に島内にイギリス軍事基地が複数存在する事を考えると、キプロス統一で軍事基地撤去を住民に迫られ、イスラエルを支援する為の重要な基地が使えなくなることを恐れたイギリスがトルコに働きかけて侵略を実行したという可能性が考えられる。
興味深いニュースとしては、9月下旬に南北の代表が開いた会合(物別れに終わった)が、チェコスロバキアが分断して誕生したスロバキア共和国の協力で開催されていたという情報がある。これはチェコとスロバキアのような国家分断が解決策になることを意味するのかもしれない。あるいは、スロバキア共和国で少数民族として居住するハンガリー人と同様に、中央アジア出身の侵略者の子孫であるトルコ系キプロス人も統一されたキプロス共和国の中で少数民族として生きて行くべきである、ということを意味しているのかもしれない。トルコ人はイスラム教であるという点を除くと中央アジアの遊牧民族の侵略によって誕生した民族であるという点でハンガリー人に類似しているからだ。
それにしても、EUはなぜこれほどまでにキプロス問題でトルコに対して強硬なのだろうか?その答えは、トルコが北キプロスに本土から住民を大量に送り込んでいることにあると思われる。トルコ側の意図としては、少数派のトルコ系キプロス人の人口を増やして交渉を有利にすることが最も考えやすい(移住者にクルド人が多いのは、生活苦で移住を希望する人にクルド人が多いからだろう)。そして、キプロスをトルコ系北キプロスとギリシャ系南キプロスの連邦国家に変身させることで、EU国内にトルコ系住民から成る主権国家を作り出すことが最大の狙いなのだろう。それは、トルコ本体をEUに加盟させるための工作の一環とも考えられる。
しかし、EUの側から見るならば、多数派のギリシャ人と少数派のトルコ系住民が共存していたキプロスに軍隊を送り込んで北キプロスを占領し、そこに本土から住民を大量に送り込むというトルコの行動は絶対に許せないものだろう。これを放置すれば、将来トルコ系住民がキプロスで多数派になり、キプロス全体がトルコに乗っ取られるという事態も起きかねないだろう。EU域内でありながらEU政府の権限が及ばず、トルコ政府が大量に移民を送り込んでいるという現状は非常に危険なものである。不法移民対策に躍起となっているEU政府を現在のトルコ政府は刺激し続けているのだ。
では、EUはトルコや北キプロスについて一体どの様な状態を理想と考え、どの様なシナリオを立てているのだろうか?JANJANに紹介された『ヨーロッパは中世に100年にわたって十字軍戦争を戦い、ギリシャのあるバルカン半島は16世紀から400年近くオスマントルコの支配に苦しんできた。今は移民(イスラム教徒が多い)問題を抱える。対立の歴史は長く、今にまで及んでいる。EUのある委員は「トルコは中東とのバッファ(緩衝地帯)となるためにも外にいてもらいたい」とさえ言う。ものは言いようだが、トルコには加盟してほしくないというのが欧州諸国の本音だろう。』という部分がEUの本音、理想ではないだろうか。それを前提として、以下に私の想像する幾つかのシナリオを挙げてみる。
1.EU軍事勝利&民族浄化シナリオ
ギリシャ・キプロスとトルコの間で戦争が勃発、EU加盟国の一部あるいはロシアなどがギリシャ側に参戦してトルコ軍を圧倒、イスタンブール・イズミル・北キプロス・トルコ北東部などを占領し、そこに居住するトルコ人を全て追放する。イスタンブールから改称されたコンスタンチノープルにギリシャの首都が移転する。
2.EU軍事勝利&トルコ系少数民族許容シナリオ
戦争勃発とEU加盟国の一部あるいはロシアなどの参戦・勝利までは同じだが、イスタンブール・イズミル・北キプロス・トルコ北東部などの占領地域に住むトルコ人の内で、昔からそこに住んでいるか、あるいはギリシャ領土から住民交換で移住した人々の子孫の内で世俗的な者だけが居住継続を許可され、他の者はアナトリア高原の縮小したトルコ国家へと追放される。イスタンブールとイズミルはギリシャ領土となり、トルコ系住民は少数民族(ただし先住民族ではなく侵略者の子孫)として扱われる。
3.トルコ内戦&緩衝国家成立シナリオ
イスタンブールやイズミル、北キプロスで世俗国家を求める住民のデモが内戦に発展、住民交換の結果、人口千万人程度の世俗主義イスラム国家がトルコから分離独立する。この国はロシアに対するカザフスタンの様な、イスラム圏とEUの間の世俗的緩衝国家として機能する。縮小したトルコ国家はロシアに対するウズベキスタンの様な、より宗教原理主義的な緩衝国家として機能する。世俗的なトルコの支配階層はイスタンブールやイズミルでEU並みの生活水準を享受できるとの確約の見返りにこのシナリオに協力している。
4.現状維持シナリオ
キプロス問題を巡るEUとトルコの対立が継続する。イスタンブール西方やキプロス島内にEUと中東イスラム世界を隔てる万里の長城の様な境界線が設置される。欧州文明のルーツであるギリシャ文明、東ローマ帝国の文明の遺産が中東イスラム世界の支配下になることから宗教戦争が勃発する可能性が常に残され、情勢は安定しない。
5.トルコ完全勝利シナリオ
EUがトルコの主張を全面的に受け入れ、トルコをEU加盟させると共に現状のキプロスの統合を認める。
上記の五つのシナリオの内、私が想定するのはシナリオ2か3である。シナリオ2ではトルコとEUは激しく対立していることになる。シナリオ3ではトルコ支配階層とEUは表向きは対立しているが実際には協力関係にあると想像される。シナリオ1,4,5は可能性が低いと想像する。果たして、トルコの未来はこの五つのシナリオのどれになるのだろうか?それとも、私の想定の他のシナリオが準備されているのだろうか?
イスラエルはアラブ諸国から
「滅亡を期待される移民国家」なのですね。
「イスラム系」の国ならボスニアやアルバニアはドイツやイタリア
との古い関係でヨーロッパの仲間なのにね。
中国を非難する人もいるけれど…、そう中国には確かに酷いところもあります。
だけどどれだけ酷くても米国よりかはましですよ。
どう悪く評価しても米国以下なんてことはありえません。
あっ!でも北朝鮮はそうかもしれませんね…。
どうしても中国が嫌いな人はどうぞ勝手に戦ってくださいと言いたいです。
はたして今の日本に米中両面作戦を戦って勝つ見込みがあるのかしら?
まぁ十中八九犬死でしょうね。
第二次世界大戦の二の舞ですよ。
日本人は素直に認めるべきなのです。
日本に許された選択肢はしょせん奴隷の平和か尊厳ある死かだということを…。
独立なんでどうでもいい。
しょせん国家や民族なんて幻想に過ぎないのだから…。
たんに米軍が人民解放軍に代わるだけですよ。
別に殺されるわけでもあるまいに…。
私は憎しみを抱きません。
自分の人生に、日本の運命に抗いません。
全てを投げ出します。
放り投げます。
あるがままに…。
そしてアセンションします!
私の揺ぎ無い決意です。
俺は、チベットみたいに中共に「解放」していただいて、民族浄化されるのは真っ平だよ。
ウイグル人のように半世紀で、900万人も虐殺される憂き目を見るのも真っ平だよ。
全てを放り出すのは、あんただけにしておきな(爆笑)。
オスマン時代は各民族の混住が進んだだめ、人種の特定をするのが困難な状態になっていたようです。
民族交換の時にギリシャ人とトルコ人の判定の基準は
正教徒=ギリシャ人
イスラム教徒=トルコ人
だったようですが、実情はギリシャ語やスラブ系語を話すイスラム教徒が多数おり、
また、トルコ語を話すキリスト教徒も少数いたようです。
ギリシャ語を話すイスラム教徒がかなりいた筈ですが、彼らは「トルコ人」とされて、トルコ送りになったらしいですね。
今の「トルコ人」は、僅か数代前に遡ればギリシャ人やスラブ人、アルメニア人などが多数いる訳です。
つまりは「トルコ人」とは、いったい何ぞやということです。
アルメニア人虐殺非難決議を採択・米下院外交委
【カイロ=安部健太郎】米下院外交委員会は10日、第一次世界大戦中にトルコで起きたアルメニア人虐殺を非難する決議案を採択した。これに対しトルコ政府は11日、決議は「無責任」と猛反発、2国間関係を損ねる可能性があると警告した。
米国とトルコは北大西洋条約機構(NATO)やイラクなどでの活動を通じ協力関係にあるが、トルコ側は今後、イラクへの米軍物資搬入の拠点となっている国内軍事基地の使用を制限するなどの対抗策も検討しているもようだ。
決議案は民主党議員が1月に提出しており、賛成27、反対21で採択された。決議案では1915―23年に当時のオスマン・トルコ帝国からアルメニア人が強制追放され150万人が虐殺されたことを非難。トルコ政府は虐殺の事実を否定、ワシントンに代表団を派遣して決議の採択阻止を目指していた。(22:00)
http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=hr110-106