国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

米のアルメニア人虐殺非難決議案は、ギリシャ人とアルメニア人が支配階層だった東ローマ帝国の再興が目的?

2007年03月12日 | トルコ系民族地域及びモンゴル
●トルコ猛反発 米のアルメニア人虐殺非難決議案 「穏健な日本」と対極  産経新聞 2007年3月11日

 【ワシントン=古森義久】米国議会の下院に90年前のアルメニア人虐殺でいまのトルコを非難する非拘束の決議案が出され、採択される見通しも生まれてきた。現在のトルコ政府は同決議案に猛烈に反対し、もし可決の場合にはトルコ国内の米軍による基地使用をも制限すると言明し、両国関係の危機までが語られ始めた。米議会民主党が日本の慰安婦問題糾弾の決議案を審議する状況と酷似しているが、トルコの対応は日本のそれとはまったく異なっている。

 同下院には1月末、1915年から数年間に起きた「アルメニア人虐殺」を非難し、その非難を米国の今後の対トルコなどへの外交政策に反映させるという趣旨の非拘束の決議案が民主党アダム・シフ議員(カリフォルニア州選出)らによって提出された。虐殺開始の記念日とされる4月24日までに本会議で採決される見通しだ。

 アルメニア人虐殺とはオスマン帝国時代のトルコにより帝国領内少数民族のアルメニア人約150万人が虐殺されたとされる事件。欧米の歴史学者の間でも「トルコによるジェノサイド(事前に計画された集団虐殺)」とされ、今回の決議案でもその用語が使われている。

 しかしトルコの歴代政府も国民多数派も集団虐殺とは認めず、現政権はアブドラ・ギュル外相をこの2月、ワシントンに送って米側の政府や議会に対し同決議案が採択された場合、トルコ国内の反米感情が燃え上がり、政府としても自国内のインジルリク基地などの米軍による使用を禁止あるいは制限すると警告した。

 米国議会が外国、とくに同盟国の歴史的な行動をいま取り上げて非難するという動きは、日本の慰安婦非難決議案のケースとまったく同じだ。しかし、トルコが対米安保関係を変更してまで国家をあげて猛反対するという点は日本の対応とはまるで異なっている。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20070311001.html





●アルメニア人虐殺問題 - Wikipedia

アルメニア人虐殺問題は、19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、帝国の少数派・辺境住民であるアルメニア人に対して、多数派のムスリム(イスラム教徒)住民たちが行ったとされる迫害事件を巡る問題である。

もっとも大規模な迫害は第一次世界大戦中に起きたアルメニア人の強制移住と、それに伴って数多くのアルメニア人が命を落とした事件である。それを組織的虐殺として認めるか否かを巡り、21世紀に至るまで多くの人々によって国際的な論争が続けられているが、未だ決着はついていない。

・オスマン帝国におけるアルメニア人問題の発生
オスマン帝国におけるアルメニア人の社会は、アナトリアの東部に居住する農民たちの農村社会と、イスタンブルなどの都市部に居住する交易離散共同体との大きくふたつからなりたっていた。特に後者は貿易や金融業で成功して富裕な商人層を形成しており、また建築家や造幣官などの職務によって宮廷、中央官庁に仕えて重用される者も多い、オスマン帝国の中央政府と共存共栄する共同体であった。

19世紀に入るとアルメニア人の中からカトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け、特権を享受する者が現れてムスリム(イスラム教徒)との間に軋轢が生じ始め、また富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めたが、依然として大きな問題にはならなかった。しかし、ロシア帝国が南カフカスを南進し、1877年の露土戦争でアルメニア人居住地帯の北東部を占領すると状況に決定的な変化が訪れる。アルメニア人人口を抱え込んだロシアは、オスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約でアナトリア東部のエルズルム、ディヤルバクル、スィヴァスなど一帯のアルメニア人居住地域におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。これをきっかけにオスマン帝国領内でアルメニア人の民族運動が盛り上がり、帝国外ではアルメニア人民族主義者がフンチャク、ダシナクツトゥーン(ダシナク派)など、アルメニアの独立を目標とする政党が結成された。やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う抵抗運動すら現れ始めた。一方、先の露土戦争のとき、ロシアの占領地からオスマン帝国に逃れてきたムスリムの難民たちから、キリスト教徒であるアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、オスマン帝国下のムスリム、すなわち都市部でアルメニア人と接するトルコ人や東部でアルメニア人と混住するクルド人の間で、アルメニア人を国内にありながら外国と通謀し「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。

・問題の概要
19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり、オスマン帝国領内でアルメニア人に対する大規模な迫害が起こったことは確実な歴史的事実として知られている。これを「トルコ国家」によるアルメニア人の組織的虐殺であるとみなす人々は、この一連の事件をアルメニア人虐殺と呼んで非難している。

二度の迫害のうち、一度目はアブデュルハミト2世専制期の1894年から1896年にかけて行われた迫害・襲撃であり、イスタンブルなど西部の大都市を含む帝国全土でアルメニア人が迫害された。

二度目のそれは第一次世界大戦中の1915年から1916年にかけて統一と進歩委員会(通称は統一派、いわゆる青年トルコ党)政権によって行われた古代からのアルメニア人居住地(いわゆる大アルメニア)の南西部にあたるオスマン帝国領のアナトリア東部からのアルメニア人強制移住であり、これにともなって数多くのアルメニア人が犠牲になった。二度目の迫害では多くのアルメニア人が組織的に虐殺された結果、数百万人単位の犠牲者が出たとも言われており、「アルメニア人虐殺」といえば狭義には二度目のそれを言うことも多い。

また、第一次世界大戦の終結後にはアルメニア人たちによってオスマン帝国領のアルメニア人居住地域を含むアルメニア国家の建設が試みられるが、ロシアの赤軍とトルコ革命軍の攻撃の前に粉砕された。この戦乱のために多くのアルメニア人が命を落としたことは間違いなく、アルメニア人虐殺に対する非難にはこの経過における問題も含むことがある。

二度目のアルメニア人虐殺を巡っては、トルコ革命の結果1923年にオスマン帝国にかわって成立したトルコ共和国は、あくまで戦時下の強制移住によって結果的に大量のアルメニア人が死亡してしまったのだという見解を示しており、大戦中にオスマン帝国全体で犠牲になった人々のうちの一部であるとみなしている。

一方、アルメニア人社会では虐殺がナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストのように組織的に行われたと考えられており、またオスマン帝国からトルコ共和国に至る「トルコ国家」が一貫した責任を有するとする。特に4月24日は、1915年に虐殺が開始された記念日とされており、毎年トルコを非難する国際的なキャンペーンが行われている。

・オスマン帝国におけるアルメニア人問題の発生
オスマン帝国におけるアルメニア人の社会は、アナトリアの東部に居住する農民たちの農村社会と、イスタンブルなどの都市部に居住する交易離散共同体との大きくふたつからなりたっていた。特に後者は貿易や金融業で成功して富裕な商人層を形成しており、また建築家や造幣官などの職務によって宮廷、中央官庁に仕えて重用される者も多い、オスマン帝国の中央政府と共存共栄する共同体であった。

19世紀に入るとアルメニア人の中からカトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け、特権を享受する者が現れてムスリム(イスラム教徒)との間に軋轢が生じ始め、また富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めたが、依然として大きな問題にはならなかった。しかし、ロシア帝国が南カフカスを南進し、1877年の露土戦争でアルメニア人居住地帯の北東部を占領すると状況に決定的な変化が訪れる。アルメニア人人口を抱え込んだロシアは、オスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約でアナトリア東部のエルズルム、ディヤルバクル、スィヴァスなど一帯のアルメニア人居住地域におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。これをきっかけにオスマン帝国領内でアルメニア人の民族運動が盛り上がり、帝国外ではアルメニア人民族主義者がフンチャク、ダシナクツトゥーン(ダシナク派)など、アルメニアの独立を目標とする政党が結成された。やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う抵抗運動すら現れ始めた。一方、先の露土戦争のとき、ロシアの占領地からオスマン帝国に逃れてきたムスリムの難民たちから、キリスト教徒であるアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、オスマン帝国下のムスリム、すなわち都市部でアルメニア人と接するトルコ人や東部でアルメニア人と混住するクルド人の間で、アルメニア人を国内にありながら外国と通謀し「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E5%95%8F%E9%A1%8C









●アルメニア人 - Wikipedia

アルメニア人は、アルメニアの主要民族。中東系の民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。

古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世の東ローマ帝国ではギリシャ人に次ぐ主要民族として多くのアルメニア人が官僚や将軍・聖職者として仕え、中には皇帝になった者までいる。なお、アルメニア人は単性論のアルメニア教会の信者がほとんどだが、東ローマ帝国に仕えた者は東方正教会の信者となり、言語もギリシャ語を使用していた。

12世紀にアルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は世界中に拡散し、商工業の担い手として各地にネットワークを広げて活躍した。この点はよくユダヤ人と比較されることも多い。移住先に於いても独自のネットワークを築き宗教をアイデンティティとすることなど、両者には共通している側面もある。シリアやイスラエルには比較的大規模なアルメニア人社会が存在する。ヨーロッパではフランスに40万から50万人といわれるアルメニア人が住み、政界・銀行・芸能など多方面に進出して、フランス社会に大きな影響力を持っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA






●Representative Adam Schiff (D-CA 29th)

Background Information

Party: Democrat
Residence: Burbank
Marital Status: Married (Eve Sanderson)
Prev. Occupation: Attorney, Educator
Prev. Political Exp.: CA Senate, 1996-2000
Education: BA Stanford University, 1982; JD Harvard University, 1985
Birthdate: 06/22/1960
Birthplace: Framingham, MA
Religion: Jewish
http://www.congress.org/congressorg/bio/?id=1974





【私のコメント】
1915年から数年間に起きた「アルメニア人虐殺」を非難し、その非難を米国の今後の対トルコなどへの外交政策に反映させるという趣旨の、民主党アダム・シフ議員(カリフォルニア州選出)らによって提出された非拘束のアルメニア人虐殺非難決議案はカリフォルニア州に多く居住するアルメニア系住民の政治力と思われる。ユダヤ系であると公式ホームページで示しているシフ議員の選挙区であるカリフォルニア州第29選挙区はGlendaleなどのアルメニア系住民の多い地域であり、その影響だろう。シフ議員のホームページでも、彼が2006年9月21日に米下院でアルメニアの独立15周年を記念する演説を行たことが最上段に表示されている。彼は親アルメニア系議員と考えて良い。

同じディアスポラを経験したユダヤ人としての同情もあるのかもしれないが、「ホロコースト記憶の日」の演説が5番目に挙げられているのとは対照的だ。あるいは、かつてウィーンをオスマントルコに包囲されたオーストリア出身のシュワルツネッガーカリフォルニア州知事も関与しているかもしれない。



トルコが対米安保関係を変更してまで国家をあげて猛反対するという点は日本の対応とはまるで異なっているとの指摘もあるが、この理由は簡単で、日本の従軍慰安婦強制連行は全く事実無根なのに対し、トルコのアルメニア人虐殺は事実だからだろう。ただ、「パレスチナ人と同様の、かつて追放された故郷へ戻る権利」を根拠に、亡命アルメニア人がセーブル条約の示すアルメニア人国家地域に移住するかどうかは微妙だ。というのは、旧トルコ領内のアルメニア人農民はトルコ人の虐殺によってほとんど全滅してしまったと想像されるからだ。

更に、かつての東ローマ帝国でアルメニア人はギリシャ人に次ぐ支配的地位にあり、オスマントルコ帝国でもコンスタンチノープルを中心とする都市部に多数のアルメニア商人が居住していたことが注目される。この都市部アルメニア人の迫害と海外移住は今回問題になっている20世紀はじめの二回目の迫害ではなく19世紀末の第一回の迫害がきっかけであると思われるが、都市部アルメニア人の故郷への帰還がもし認められるならば、それはかつてオスマントルコによって滅ぼされた東ローマ帝国の復活を意味するとも考えられる。欧米に居住するアルメニア人の多くはコンスタンチノープルなどの都市部出身であるとも考えられ、彼らがボスポラス海峡という地政学的要地をイスラム教徒から奪還するための新たなシオニズム的運動の推進者になるのかもしれない。そして、シオニズムの中心であった東欧系ユダヤ人がパレスチナとは縁もゆかりもない人々であったのとは対照的に、トルコに住んでいたアルメニア人農民やトルコ北西部に住んでいたアルメニア人商人の共同体が迫害により消滅させられたのは一世紀前のことである。シリアやレバノンなどのアラブ国家地域ではアルメニア人共同体が迫害されずに残存していることと対照的である。

北キプロスやボスニア、コソボ、アルバニアはオスマントルコ時代にイスラム化した地域である。将来人口一億に達する大国トルコが経済発展すればこれらの地域でもトルコへの求心力が働く可能性があり、オーストリアやドイツだけでなくセルビアやブルガリアなどのバルカン諸国にとっても悩みの種だろう。アルメニア人商人によるコンスタンチノープル奪還がもし実行されるならば、それはかつてトルコ人に占領された領土の奪還として、オーストリア・セルビア・ブルガリア・ロシア・ギリシャなどの多様な欧州民族によって強く支持されることだろう。

ドイツに多数居住するトルコ系移民も三分の一がクルド人とされており、将来ドイツがクルド人国家建国を支援してそこにドイツ在住クルド人を送り込んで親ドイツの傀儡国家として維持することも考えられる。シオニズムによるイスラエル建国と同じ事を欧州がトルコでアルメニア人とクルド人を対象に実行するのだ。1960年代にドイツがトルコから大量の外国人労働者(その1/3がクルド人)を受け入れたことも、日本が従軍慰安婦の強制連行を捏造して謝罪し続けたことも、欧州によるトルコ弱体化作戦の一環だったのかもしれない。


この運動の問題点は、イスラム教とキリスト教の間の文明間戦争に発展する危惧があることだ。そのためには、欧州はトルコに隣接するイランやシリア、サウジアラビアを味方に付ける必要がある。トルコは現在は混血化が進んでいるがモンゴル高原を発祥の地とする民族であり、ペルシャ人・クルド人・アラブ人などの太古から中近東に居住してきた民族とは全く異質である。アルメニアの宿敵でありトルコの潜在的な味方であるアゼルバイジャンもイランと同じくシーア派中心の国家であり、スンニ派中心のトルコの味方になるかどうかは微妙である。トルコという異質な民族を共通の敵にすることで、イラン、クルド人国家、シリアやサウジなどのアラブ国家が欧州と共に手を組むことも出来るのだ。

JJ予知夢ではトルコ、ギリシャあたりでの戦争という説があったが、これは恐らくEUが主導するトルコ弱体化の為の戦争で、クルディスタン、アルメニア国境、北キプロス、ボスポラス海峡、アルバニア・コソボあたりが戦場になるのではないかと思われる。そして、欧州文明に同化しようとしないイスラム系住民を一挙に地域外に追放するとともにトルコを大きく弱体化させることになるだろう。かつてのスペインがアラブ系イスラム教徒をイベリア半島から追放した「国土回復運動」がバルカン半島やドイツでも実行されることになるのかもしれない。そして、JJ予知夢の言う「EUの東西分裂」とは、カトリック+プロテスタントの西ローマ帝国と、東方教会の東ローマ帝国の再興を意味するのかもしれない。もしそうだとすれば、西EUの東方国境はフィンランド・バルト三国・ポーランド・スロバキア・ハンガリー・クロアチアの東部国境になり、ボスニアのムスリム人地区やコソボ・アルバニアは東西EUの緩衝地帯として残されることになるだろう。バルカン半島東部・アルメニア・グルジアからロシアにかけての地域が東EUとなり、ロシアがその軍事的・経済的中核として君臨することになるだろう。


これらの動きは、ロシアを包囲し封じ込めるという国際金融資本の世界戦略によって作られた第一次大戦後の中近東の国境線が過去のものとなり、ユーラシア大陸西部の覇権を引き継ぐドイツやフランス、ロシアなどの欧州大陸国家の世界戦略に従って新たな国境線が引かれることを意味すると思われる。米国のユダヤ人もイスラエルのユダヤ人もイランもサウジもシリアも、この覇権移動を前提として自己の利益の確保と引き替えに独仏露に協力している様に思われる。イラン・サウジ・シリアはイラク領土を分割併合するという利益を得る。場合によっては、イランとシリアが領土のうちクルド人居住地域を新たなクルド人国家に割譲するかもしれない。クルド語はペルシャ語と近縁関係にあり、それ故にクルド国家はイランの友好国になりうるのだ。トルコ自身もこの陰謀には気付いており、それ故に米国のイラク攻撃に非常に非協力的であったのだと考えられる。 米国や英国、イスラエルはイラク攻撃の汚名を着ることで、トルコの弱体化とボスポラス海峡の奪還、欧州大陸からのトルコ人追放、トルコ国家の弱体化という欧州大陸国家の一致した利益に貢献し、それと引き替えに新たな世界システムの中での生き残りを狙っているのだろう。


トルコの人口は約七千万人で南北朝鮮の合計に等しい。韓国からの米軍撤退の日時が決まりつつあるのと同時期に、米国とトルコの関係が悪化し、トルコが駐留米軍追放を検討し始めたことは実に興味深い。朝鮮半島で迫害されてきた済州島人や現在苦しい生活に耐えている北朝鮮国民は、迫害によりコンスタンチノープルから追放されたアルメニア商人や、同じく迫害により虐殺されたトルコ北東部のアルメニア人農民、現在迫害されているトルコ南東部のクルド人に相当するのかもしれない。私は昨年4月から、イスラエルと韓国が同時期に国際的に苦況に追い込まれるのを見て両国が同時に滅亡するのではないかと想像してきた。しかし、ユーラシア西部で韓国に対応する国家は実はイスラエルではなくトルコなのかもしれない。アジア大陸の東端と西端に位置する半島に居住する人口七千万人の周辺から孤立した民族という点で、トルコと南北朝鮮は非常に似通っている様に思われる。

以上の私の分析をまとめると、ブッシュ政権による北朝鮮・イラク・イラン三カ国の「悪の枢軸」認定は北朝鮮とイランに関する限りは冷戦と同様の茶番劇であり、実際には友好関係にあると想像される。そして、この「悪の枢軸」認定は、国際金融資本の世界支配後の多極化世界で極となる日本・中国・ロシア・欧州・イラン・アラブなどの利益のために米国が悪役を厭わず戦争を起こすことが目的であると思われる。冷戦の真の目的が日独両国の封じ込めであったのと同様、米国の「テロ戦争」の真の標的は韓国・イスラエル・トルコだろう。この三カ国が弱体化すること、あるいは滅亡することは全ての周辺国が望んでいることである。その望みを米国が軍事力を用いて実現することの引き替えに、日本・中国・ロシア・EU・アラブ産油国・イランなどが米国の経済的苦境を助ける(具体的には、ドル暴落時の金融支援)という密約が存在するのではないかと想像する。
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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-03-12 04:47:49
米国、金融解除の凍結。場合によっては空爆も
北朝鮮、米国による資金凍結解除なければ「相応の措置」
3月11日15時21分配信 ロイター
 [北京 10日 ロイター] 北朝鮮の6カ国協議首席代表、金桂冠・外務次官は10日、米国が同国に対する金融制裁解除を怠れば、北朝鮮側も「相応の措置」を取らざるを得ないと発言した。北京空港で記者団に語った。
 米政府は、北朝鮮が核放棄に向けた初期段階の措置を履行することなどを盛り込んだ先月13日の6カ国協議の合意で、30日以内に金融制裁の緩和を検討するとしていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070311-00000587-reu-int
返信する
Unknown (面白い発想だが)
2007-03-12 23:03:28
いつも面白い記事をありがとうございます。

今回は、東ローマ帝国再建と新レコンキスタ(国土回復運動)ですか。またまたスケールの大きな話です。

管理人氏の読み通り、トルコのEU加盟でこのアルメニア人の問題は、フランスが突如この話を持ち出したことからして、独仏の本音では、トルコのヨーロッパ世界からの放逐を狙っていることは間違いないでしょう。確かに、この点で人工国家であるイラクのフセイン政権を打倒することは必要な条件となります。イランの政権を倒すことは必ずしも必要ではない。現在の状況をうまく説明できています。

しかし、現在のトルコは内戦のような状態にないので、こういった状況を出現させるには、「戦争」が必要でしょうか。またその戦後において、対ロシア戦略のもっとも重要な場所ともいうべき、ボスポラス海峡と小アジアをどう安定させるのかということも問題です。これはロシア側から見ても同じです。

トルコはクルド独立国家の建設には軍事行動を起こすと宣言しているはずなので、やはり、米国とトルコが対立するというのがありふれていますが考えやすい。その後独仏露が仲介という形が望ましいでしょう。イラク領にクルド国家ができると、現在のトルコは常に緊張を強いられるので、長い目でみるとこれは崩壊への第一歩となるはずです。

問題はこのシナリオ描いているのは誰かということです。ただ陰謀は単純ではなく、複数の勢力がお互い影響しながらシナリオを練っているようにも見えますが。

また、民族的に言えば、同じイスラム教徒といっても中東のイランやサウジアラビアは関係は薄く、かつてのロシア、ソ連領だった中央アジアのイスラム国や現在中国領となっている、ウイグル自治区などがが民族的には近いです。トルコが崩壊した場合にこういった国が難民の受け入れ先となるかもしれません。必ず政治的な動揺がユーラシア大陸中心部から東へ波及していくはずです。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-03-13 11:08:10
あの土地からトルコを完全に追い出すのは無理じゃないでしょうか?

これは、ただ単に、アメリカ国内でのアルメニア人の力の大きさだと思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-03-13 12:33:47
ドル崩落のシナリオ完成が近いですね。後はイベントあるのみ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070312-00000638-reu-int
米ハリバートン、ドバイに本社移転へ
3月12日10時18分配信 ロイター

[マナマ 11日 ロイター]
 米石油サービス大手のハリバートン<HAL.N>は11日、レザー最高経営責任者
(CEO)が、東半球での事業拡大に向け、アラブ首長国連邦に本社を移転する
ことを計画していると発表した。
 同CEOはバーレーンで開かれたエネルギー会議で「わたしのオフィスを
ドバイに移し、我が社の世界各地にある事業すべての運営をそのオフィスで行う」
と述べた。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-11-16 16:18:53
>>東ローマ帝国でアルメニア人はギリシャ人に次ぐ支配的地位にあり

支配階級にあったのはギリシャ語をはなす正教信者
つまり「アルメニア系ギリシャ人」であってアルメニア人が支配階級にあったわけではありません
それに中世に出来たアルメニア人の王国は
東ローマ帝国に何度か滅ぼされています。
アルメニアは東ローマにとって「異端」信仰する敵国でした。
返信する

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