国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

日本ではなくなった、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国

2017年03月24日 | 21世紀の日本の進むべき進路
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 IISIA代表・原田武夫の言葉をお届けします!

             IISIA公式メールマガジン 2017年3月13日号
                発行:  http://www.haradatakeo.com/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   □■□ IISIA代表・原田武夫からの〈メッセージ〉 □■□

⇒“今日の焦点”はズバリ:

 「“PAX JAPONICA会議”、始まる」です。

⇒その理由は……:

 ─昨日(13日)、弊研究所はフェイスブック上で新しい公開グループをリリース致しました。名付けて「PAX JAPONICA会議」です。
  (コチラからどうぞ⇒https://goo.gl/5K0ecF)

 ─その趣旨は?
  以下をお読みください:
・・・

「激動の世界の中で、最後は日本が世界の真ん中になる」

これがパックス・ジャポニカ(Pax Japonica)です。

このグループは皆さんと広く、公開の場で次のような点について気軽に議論をしていくために開設しました:

●なぜ今からPax Japonicaなのか?

●Pax Japonicaが実現するならば、そのきっかけは何か?

●Pax Japonicaの要素は何か?

●Pax Japonicaが始まる中で私たち一人ひとりは何をしていくのか?

Pax Japonicaは何も政治や外交、経済、そして安全保障などに限りません。

より広く「日本的であること(being-Japanese)」が問われるわけです。

したがってジャパン・ブランドであるとか、あるいは今はやりの地域ブランディングなども広く含まれてきます。

また大前提としての「日本の風土」「日本食」「日本の美」なども当然その中では大きな要素になってきます。

以上の様な問題意識で皆様からの投稿を広く受け付けたいと思います。是非、お気軽に投稿ください!

・・・

 ─公開グループですので、どなたでも閲覧は可能です。
  またフェイスブック登録者であれば「読者登録」も可能です。

 ─是非「読者登録申請」のボタンを教えて下さい。
  当方で原則的には必ず承認致します(一部例外があります)。

“PAX JAPONICA”とは何か?
今、私たち自身は何を考え、どうすればよいのか?

議論は既に大いに盛り上がっています!
「 https://goo.gl/5K0ecF 」を今すぐクリックし、あなたもご参加下さい!

心よりお待ちしております!





PAX JAPONICA会議公開グループ | Facebook

Takeo Harada 3月14日 13:45

「あなたが”私は日本人だ!”と強く感じる瞬間は何時ですか?」
私たちが日本人である、と自らについて考えているのは、何も戸籍やら言葉やら、あるいは着ている者やらだけではないでしょう。何というか、独特のフィーリングではないかと私は考えますが、いかがですか?
そういう意味で、皆さんが「私はやっぱり日本人だ!」と感じる瞬間ってどういうときでしょうか?是非知りたいです。

私の場合は、外交官でしたので、そうですね、例えば国際会議の場においてです。こちらも決して外国語を喋れないわけではないのですが、とにかくインド人やら中国人やら、アメリカ人やらがペラペラとやっているわけです。うるさいですし、何かはやりの言葉を流暢にしゃべっているふりをする。
しかし、それらはいずれも意味が無い言葉ばかりなのです、私の頭からすると。何というか、より巨大な存在から与えられた枠組みの中でそのキャッチフレーズみたいなものをリフレイン(繰り返し)しているに過ぎない。そのため、何の付加価値もない(実はB20会合がそうなっています)。
そこでこちらとしては堂々、発言をするわけです。日本人が発言するなんて言うことはめったにないですから、それだけでも注目を集める。しかもそこで言ってやるわけですよ、「そもそもここでの議論の枠の外にかくかくしかじか、こういう全く別の、しかもより本質的な論点があるのではないか」と。すると皆、ハッとする。すごいね、日本人はということになる。
はぐれ者であっても良いじゃないですか。グローバリズム?要りませんね。私たちは私たち自身が想ったことを、適時的確にずばり言い出せばよい。海の向こうの者たちは、そういう瞬間に日本人が発する言葉=事の刃の鋭利さをよく知っているのですよ。
いずれにせよ、私が外交場裏で感じた「日本人らしさ」はそういったものでした。民間外交に現場を移した今でも全くもってそうです。

ちょっと堅くなりましたが・・・皆さん、どうでしょうか?是非、皆さんが「私は日本人だなぁ」と痛感する瞬間、是非気楽にお書きください!!








●【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】三島由紀夫 「からっぽ」な時代での孤独 - 産経ニュース 2014.10.9  東日本国際大准教授・先崎彰容

 昭和45年7月7日、サンケイ新聞(当時)夕刊に、ある記事が掲載された。

 「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題されたその記事は、異様なまでの焦燥感にみたされていた-「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

 世間は、3月にはじまった大阪万博に酔いしれていた。岡本太郎の「太陽の塔」が、高度経済成長の象徴のように君臨していた。人々が空気のように豊かさをむさぼり吸っている傍らで、三島由紀夫はひとり立ち尽くし、口を覆っていたのである。

 もし日本人の日本人らしさが「豊かさ」にあるとしよう。ではそれを失ったらどうなるのか? 他国がより安い製品を作れば失われてしまう、そんな場当たり的な価値観を「日本人らしさ」の基準にしていいのか。

 確かに学生たちは繊細だった。昭和43年の学生運動、「全共闘運動」と呼ばれる大学生たちの反乱には、戦後=民主主義への違和感があったからだ。耳に心地のよい正義感、正論を吐いている学者たちは何をしているのか。しかも日本は経済的な快楽に溺れ、アメリカの言いなりになっている。正論の裏にある、時代の空虚と偽善、その閉塞(へいそく)感を破壊せよ。そのためには民主主義にすら、一度は「否」をつきつけよ-学生もまた三島同様、焦燥を募らせていた。

 だが、と三島は思った。私は万博に酔いしれる人々はもちろん、彼ら大学生たちとも違う。学生たちは私三島を誤解しているし、半分までしか理解しあえない。

 なぜなら自民党がつくりあげた戦後社会を、私三島は呪っているからだ。「からっぽ」な社会を否定する気分は、学生と同じだ。では何がちがうか、それは私は日本の文化を守るために戦後を否定しているのであって、学生のように破壊と否定、革命だけを夢想していないからだ。

 私には明確な目標がある、否、正確に言えばまだ果たしていない「約束」がある。それは戦前の若者が、なぜ死なねばならなかったのか、何のために命を投げ出したのかに答える、という約束である。

 だから私の人生は、つねに死を飼って生きてきた。最初は戦争で、2度目は多くの友人が死に、そして3度目は戦後を生き延びた「老い」の感覚によって。

 そして三島は思った、文化を担う「天皇」だけが、この約束を果たす存在であると。戦後のふやけきった日本を停止し、文化の咲き誇る「日本」を取り戻すには、天皇こそ必要なのだ。全共闘の学生は、三島のこの言葉=天皇を受け入れることはなかった。だから三島と学生は、「半分」までしか理解できないのだ。

 三島は経済大国日本にも、また学生にも同調できなかった。戦後のどこにも居場所はなく、その華やかで過激なまでに豊穣(ほうじょう)な小説群に抱かれながら、なお、自らは孤独であると感じていた。

 そして思った、戦前の人々と交わした約束を守るには、戦後の象徴天皇制はもちろん、明治立憲制下での天皇にも疑問があると。天皇は政治ではなく、文化のためにこそ奉仕すべきであり、神でなくてはならないと。

 前回の和辻哲郎と、この結論を比較してみてほしい。

 彼らは総じて、保守派だと思われている。だがその天皇像をめぐって、また戦後日本社会への評価は、大きく異なっているようだ。そのちがいが何を意味するのか-こういった繊細な地点から、「この国のかたち」を考える作業をはじめようと思う。

                   ◇

【プロフィル】三島由紀夫 みしま・ゆきお 大正14(1925)年、東京生まれ。東大法学部卒業。大蔵省勤務を経て作家に。昭和24年、長編小説「仮面の告白」で文壇デビュー。以後、「潮騒」「金閣寺」など数々の小説を世に問い、戦後日本を代表する作家に。晩年は自衛隊への体験入隊や民兵集団の結成など政治色を強め、45年に陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で自決した。







過去の學士會会報の目次 | 學士會会報 | 会報・発行物 | 一般社団法人学士会

No.920 目次 (平成28年9月発行)

メディアと政治の間 (三月夕食会講演)
濱田 純一 (放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長・前東京大学総長・東大・法博・法・昭47)

放送の公平性について
長谷部 恭男(早稲田大学教授・東大・法・昭54)

なぜ偏向したテレビ報道を排除することが問題なのか
松井 茂記(ブリティッシュコロンビア大学教授・大阪大学名誉教授・京大・法・昭53)

近代世界システム論の課題 ─ ヨーロッパとアジア ─
川北 稔(大阪大学名誉教授・阪大・文博・京大・文修・文・昭38)








●「植民地政策は現地にとって良かった」 英印間で認識に隔たり インド側には強い怒りも | NewSphere|ニュースフィア 更新日:2017年3月21日
カテゴリー:国際

「植民地政策は現地にとって良かった」 英印間で認識に隔たり インド側には強い怒りも

 インドの政治家、シャシ・タルール氏がアルジャジーラに寄稿し、コルコタのヴィクトリア記念堂を英植民地時代の残虐行為を伝えるための博物館にするべきだと主張した。イギリスは征服と略奪の歴史を反省していないという同氏の意見に対して英国内にも賛否両論あり、植民地時代の支配者と被支配者の認識のギャップがいまだ埋まらないことを示している。

◆略奪と搾取の200年。インドをダメにしたのはイギリスか?
 インドの国会議員のタルール氏は、外交委員会の議長を務め、作家としても知られている。同氏は以前からイギリスによるインドの植民地支配に批判的で、2015年には英オックスフォード・ユニオンでの討論会で、イギリスは旧植民地に賠償すべきと主張した。ウェブ誌『Mashable』によれば、このときの同氏のスピーチはYouTubeで400万回視聴されている。討論会での主張をさらに広げて書いた同氏の著書『Era of Darkness(英版Inglorious Empire)』は英印両国でベストセラーとなった。

 同氏はアルジャジーラの記事で、イギリスに征服される前のインドは世界のGDPの27%を占める豊かな国であったが、その後の2世紀以上にわたる略奪と搾取によって、植民地支配終了時には世界で最も貧しく、病み、無教育な国に落ちぶれてしまった、と主張する。英支配のもと、多くの虐殺事件が起こり、イギリスのひどい政策によって不要な飢饉が引き起こされ3500万人が命を落とした。宗教や人種で被支配者を分けることで統治を容易にした「分割統治」政策は、イギリスがインド亜大陸から乱雑で悲劇的なBrexitをした1947年、インド・パキスタン分離独立というホラーで頂点に達した、とも述べている。

 また、驚くべきことに多くのインド人とイギリス人がいまだに人道に対する大英帝国の罪がどれほどのものだったのかを知らないままだ、とする同氏は、植民地時代の歴史的建造物であるヴィクトリア記念堂を英支配の真実を伝える博物館にすべきだと主張。そして、インドの子供達を教育し、イギリスからの観光客を開眼させるべきだと断じている。

◆勉強不足?イギリス人は、大英帝国の歴史に好意的
 2014年にイギリスの世論調査会社YouGovが行なった調査によれば、大英帝国はどちらかといえば誇るべきものと答えた人は59%、恥じるべきものと答えた人は19%だった。植民地政策で征服された国々の暮らし向きは全般として良くなったと答えたのは49%、悪くなったと答えたのは15%だった。多くのイギリス人が、植民地支配は各地に経済成長をもたらし、恩恵を与えたと考えていると見てよいだろう。

 しかし、デイリー・メールのインド版は、イギリスが残した議会制民主主義、鉄道、英語などはすべてイギリスにとって都合がよかったものばかりだとタルール氏が主張していることを紹介。また、昨年イギリスの国会議員のリアム・フォックス氏が「英国はEUにおいて、20世紀の歴史を葬る必要がない数少ない国の一つだ」とツイートしたことを上げ、大英帝国のインドでの行いについてイギリス人が十分に知らないことを裏付ける明らかな実例だ、と述べている。インデペンデント紙も、大英帝国についての詳細は、イギリスの学校では広く教えられておらず、歴史の授業は他の分野にフォーカスされがちだと述べ、国内の政治家からももっと帝国時代の歴史を教えるべきという意見が出ていたことを伝えている。

◆生まれる前の出来事への責任はどこまで?
 イギリスでも、政権によって、植民地政策への見方は分かれている。2006年に当時のブレア首相は、大英帝国が初期の奴隷貿易で果たした役割に関し「人道に対する罪」と述べ謝罪した。しかし2013年にインドを訪問したキャメロン前首相は、約400人のインド人が英帝国部隊によって殺害されたとされる、1919年のアムリットサル事件への謝罪を拒否している。このときキャメロン前首相は、植民地政策には長短があったと述べつつ、悪いことからは学び良いことは讃えるべきだとし、最終的にはイギリスの過去はインドの助けになったと主張している(インデペンデント紙)。

 イギリスの著名な歴史家、ウィリアム・ダーリンプル氏は、キャメロン首相は謝罪すべきだったという意見に対し、政治家が自らの間違いの謝罪をするならわかるが、生まれるよりずっと前に起きたことに対して謝ることは無意味だとし、そのような行為は純粋な悔恨というより、むしろ政治的方便ではないかと述べている(ガーディアン紙)。







奈良先端科学技術大学院大学 - Wikipedia






北陸先端科学技術大学院大学 - Wikipedia

北陸先端科学技術大学院大学(ほくりくせんたんかがくぎじゅつだいがくいんだいがく、英語: Japan Advanced Institute of Science and Technology)は、石川県能美市旭台1-1に本部を置く日本の国立大学である。1990年に設置された。大学の略称はJAIST(ジャイスト), 北陸先端大, 先端大学 (地元での略称)。






沖縄科学技術大学院大学 - Wikipedia






国営平城宮跡歴史公園  朱雀大路・二条大路の整備工事に着手します。 ~往時の平城京の姿を彷彿とさせる空間へ~

近 畿 地 方 整 備 局 国営飛鳥歴史公園事務所
配布日時 平成28年10月4日 14時00分

概 要
国土交通省は、我が国を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の保存と活用を図るため、国営平城宮跡歴史公園の整備を進めています。
このたび、国土交通省は、10 月より、朱雀門南側において、朱雀大路と二条大路を一体的に整備する工事に着手します。本工事の完成により、朱雀門南側に、往時の平城京を彷彿とさせる空間が姿を現します。

問 合 せ 先 近畿地方整備局 国営飛鳥歴史公園事務所 平城分室

1.朱雀大路・二条大路の整備
○国土交通省は、我が国を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の保存と活用を図るため、国営平城宮跡歴史公園の整備を進めています。
○このたび、朱雀門南側において、朱雀大路と二条大路を一体的に整備する工事に着手します。

2.朱雀大路と二条大路
○奈良時代の平城京の南北のメインストリートであった朱雀大路は、朱雀門から羅城門まで約3.8 ㎞あったとされ、今回はこのうち朱雀門から南へ約250m を整備するものです。
○二条大路は、朱雀大路に次ぐ規模で平城宮の南側を東西に走り、東大寺西大門まで約6.3 ㎞あったとされ、今回は、このうち朱雀門前後の約400m を整備するものです。
○本工事の完成により、朱雀門南側に、往時の平城京を彷彿とさせる空間が姿を現します。
○朱雀大路、二条大路の整備計画については有識者のご意見をいただきながら検討しました。












日本人の世界観とは何か?日本とは何か?どのような役割があるのか? - 国際情勢の分析と予測 2015年10月30日

【私のコメント】

世界情勢は混沌としているが、もはや国際金融資本の世界覇権崩壊と、大東亜共栄圏・ロシア・カトリックドイツ・フランス・中南米などの反対勢力連合の勝利は揺るがないと思われる。2006年に私が南朝鮮とイスラエルの滅亡が迫っていることに気づいて開設した本ブログもそろそろ役割を終えた様に思われる。しかしながら、本ブログが第二のテーマとして取り上げるべき重要な事柄があることに気付いた。それは、これからの日本の進むべき道を示すことである。それは日本人の世界観と切り離せない。

戦略家として名高い奥山真司氏は「戦略の階層」という概念を主張しており、全ての戦略について「世界観」が最も重要であると主張している。それは人生観、世界観、地理感覚、心、ビジョンなどを指す。日本について言えば、「日本とは何か、どのような役割があるのか」という問いかけになる。私はこの奥山氏の主張を聞いてから、日本人の世界観とは何か、他の人々の世界観とはどう異なるのかを自問自答し続けてきた。

大航海時代から20世紀まで世界を支配してきた国際金融資本の世界観とは、フェニキア・カルタゴ商人の商道徳である。それは、利潤の追求を最優先し、そのために顧客を騙す巧妙な技術を磨くことを至上とする。一般大衆は人間ではなく獣であり、彼らの財産や生命は奪うべきものである。大英帝国とはまさにこのような理念に基づいて建設され運営されてきた。

米国の世界観も上記の国際金融資本のそれに近い。米国はイギリス=国際金融資本の植民地から出発した。その過程で、移民たちは先住民を様々な方法で虐殺・追放して土地や資源を奪い取ってきた。そのような行為を米国国民は「マニフェスト・デスティニー」と呼んで正当化してきた。米国が銃社会であるのは、豪州やカナダと異なって先住民が移民に対抗するために武装しており、彼らを虐殺するために銃が必要不可欠だったという建国の由来が原因である。このような米英の世界侵略を見るとき、それを「鬼畜米英」と呼んで批判した我々の祖先の偉大さに感動せずにはいられない。そして、現在の日本が米英の占領下にあるのは、日本が「鬼畜米英」という真実をかつて叫んで彼らの打倒に立ち上がったことが原因である。

欧州の中心であるドイツの世界観は国歌に歌われている様に「世界に冠たるドイツ」であろう。歴史的に東アジアの中心であった中国の伝統的世界観も「中華思想」、すなわち我々が世界の中心というものであろう。南アジアの中心であるインドの世界観は恐らく「ヒンズー教の世界」、アラブ人の世界観も「イスラム教の世界」と思われる。残るユーラシアの超大国であるロシアの世界観は「我々は純粋な欧州ではなく、かといってアジアでもない、ユーラシアという独特の存在である」というものであると思われる。

では、日本の世界観とはなんだろうか?私の答えは、「思いやり(仁)と和が最も重要」である。

聖徳太子の「十七条憲法」の第一条には「和を以て貴しと為す。」とある。井沢元彦が「逆説の日本史」で主張する様に、日本最初の憲法の最初の条項には日本で最も重要なことが書かれている筈である。

もう一つ私が重要と考えるのは、仁である。大和言葉では「思い遣り」を意味する。第70代の後冷泉(ごれいぜい)天皇の「親仁」(ちかひと)以来現在まで、八例の例外(女帝は含まない)を除いて、全ての天皇の御名に「仁」が付いているという。これは、皇室が「仁」を極めて重要であると考えていることを示す。仁徳天皇の「民の竈」の逸話で明らかな様に、日本は古代から「仁=思い遣り」を非常に重要と考えてきた。

「和」と「仁=思い遣り」のどちらがより重要だろうか?恐らくそれは「仁=思い遣り」である。思い遣りの無い人・集団との和を維持することは苦痛以外の何物でも無い。元寇の時に鎌倉幕府は日本侵略の尖兵であったモンゴル人・高麗人の捕虜は全員殺したが、モンゴル人や高麗人の命令でやむなく日本攻撃に参加した南宋の兵士は殺さずに帰国させている。これは、「仁」を欠いた集団に対する日本人の厳しい態度と、同情すべき南宋への「仁=思い遣り」という鮮烈な対比を示す。

「仁」は儒教に於いて最高の徳目とされる。また、儒教では「礼は和をもって貴しとなす」とされており、「和」も儒教の徳目に属する。儒教は軍事力ではなく王の徳による統治を至上としている。戦乱の相次ぐ中国本土で失われてしまった儒教の徳目が日本では古来(儒教の伝来と関係があるのかどうかは不明)から実行され、現代まで維持し続けられているのである。

<中略>

日本の武道は他国のスポーツと異なり、肉体を鍛えることや競技に勝つことよりも精神修養を重視する。これは、外国から輸入されたスポーツ(たとえば野球)でも見られる。外国のスポーツは戦闘の練習という要素が大きい。同様に日本でも宮本武蔵に代表される剣豪は敵を殺す技術を競ってきた。しかし、武道では戦うべきは敵では無く自分の心である。試合というものが存在しない合気道はその究極の姿であろう。では、なぜ精神修養が必要なのだろうか?それは、「思い遣り=仁」を実現するには、全ての者が自己の欲望や怠惰な心を我慢して、同情すべきかわいそうな人に恩恵を与える必要があるからである。そして、高位の統治者には高いレベルの「思い遣り=仁」が必要とされる。仁徳天皇の「民の竈」の逸話はそれを説いたものである。恵まれない人々への恩恵を重視することは、イスラム教の喜捨の概念に通じる。


日本人は本能的に貧富の格差の縮小を善と考えており、新自由主義やTPPに代表される格差社会に批判的である。これは、日本人の世界観が新自由主義と相容れないことに由来する。また、日本人は漢民族がその激しい生存競争故に陥りがちな自己中心的・反公共的行動に批判的だが、これも日本人の世界観が原因である。多くの日本人は自覚していないが確固たる世界観を有しているのだ。

多くの中国人は日本に留学して、日本が儒教の徳目により統治されていることに気付く。そして、儒教のふるさとである中国も、全世界も、儒教の徳目によって統治されるべきであると考えるようになる。1924年11月に訪日中の孫文は神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問い、欧米の帝国主義にたいし東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えた。この「東洋王道」とは統治者の徳による統治という儒教的価値観に他ならない。また、2004年以降の中国で叫ばれている「和諧社会」も、日本的、あるいは儒教的な価値観の中国への導入に他ならない。このことは、日本人と中国人の理想とすべき社会が一致したことを示している。

<中略>

日本人は自分たちが日本人であって中国人では無いと考えている。しかしながら、米の飯を食べる湿潤地帯の農耕民族である日本人の生活は、モンゴル族・チベット族・満州族などの中国の少数民族よりもずっと中国人に近い。また、日本の公用語である日本語は中国語とは大きく異なっている。しかし、そもそも中国では方言が強く、地域が異なると言葉が通じないのが普通である。日本語の発音は中国の呉や越のそれに近いという話もある。日本語は中国の方言の一つという見方もできるのだ。更に、中国人の伝統的定義は「漢字を用いて意思疎通する」ことであり、日本人は間違いなく広義の中国人に含まれてしまう。それどころか、日本人は中国の伝統的かつ重要な思想である儒教を実行し続けており、日本人こそが真の中国人であって現在の中国人は中国人の心を失った偽中国人という見方すらできるのだ。

「文明の衝突」のハンチントンに代表される多くの欧米人が日本を中国から独立した文明として扱ってきたとの反論もあるだろう。しかし、これは日本を中国から切り離したいという彼らの野望の反映と思われる。日本は明治維新以降、中国侵略の基地として欧米シーパワーの事実上の占領下に置かれてきた。そして、中国を占領するための貴重な技術が欧米から多数導入されてきた。しかし、外見でも文字でも文化でも中国と日本の共通性はかなり高い。欧米の技術をたっぷり吸収した日本が中国に寝返ることは欧米シーパワーにとって悪夢と思われる。それが、欧米が日本を中国から独立した文明として扱う理由である。そして、日本は日清戦争期以降、表向きは中国と激しく対立して欧米シーパワーを安心させつつ、裏では中国と協力し、中国を経済的にも軍事的にも強大化させることに力を注いできた。中国の核武装は日本人技術者の貢献が大きいとは有名な話である。また、改革開放以降も日本は中国の工業に大きな貢献を行っている。これらの日本の協力によって中国は強大化し、今や多くの分野で米国を上回り始めているのだ。沖縄出身の先祖を持つと思われる歴史学者の與那覇潤は「中国化する日本」という主張を行っている。しかし、現実に起きているのは「日本化する中国」である様に思われる。

江戸時代の儒学者・兵学者である山鹿素行は著書「中朝事実」で、中国は異民族に何度も支配されるなど勢力が強くもなく、家臣が君主を殺して君主の地位を乗っ取る事件が多発するなど君臣の義が守られてもいないと指摘、異民族に支配されず万世一系の皇室が保たれている日本こそが真の中華であると主張した。現在の日本は米軍という異民族支配であり、皇室もかろうじて命脈を保っている状態である。しかしながら、仁や和などの儒教の徳目を国民が実践し、統治者も「徳による統治」を行ってきた日本人、元号という中国的文化を維持し続けている日本人は、漢民族以外で唯一漢字を公用語に使用していることを考慮すれば、広義の中国人であるだけで無く、中国人の理想とすべき社会を実践してきた真の中国人であると言えるだろう。中華民国時代の著名な学者である辜鴻銘氏の「日本人こそが本当の中国人だ」という言葉は「中国人の文明は元の時代にすでに途絶えており、日本人だけが真に漢や唐の文明の真髄を継承している」ことを意味する。実は唐も鮮卑族の拓跋氏による異民族制服王朝であり、中国は漢民族王朝と異民族征服王朝が交代してきた歴史を有している。そして混乱の度に厳しい生存競争が起こり、儒教の徳目を実践するような人は生き残れず、自分さえ良ければ良いという自己中心的な人しか生き残れなかったのだ。そして、漢民族の偉大な道徳理念である儒教は本土では滅亡し、海を越えた日本でのみ生き残って実践されてきたのだ。

結論を言おう。日本人は広義の中国人に含まれる。日本人の世界観は「仁=思い遣り」と「和」を至上としており、儒教的な「徳による統治」を実現し続けてきた。我々日本人は儒教という理想を漢民族と共有している。我々の使命は、漢民族と協力して鬼畜米英を滅亡させ、彼らの犯罪的世界観を粉砕し、その被害者を救い、加害者を全員処刑し、その上で世界の隅々まで「仁=思い遣り」と「和」を広げることである。その暁には、中国人vs日本人という区別は無くなり、日本人は広東人や四川人、上海人、北京人と同等の世界島東部(アジアという言葉はフェニキア人に支配されたギリシャ人がアナトリア半島を指して呼んだ言葉であり、今後は別の名前で呼ぶべきだと考える)の漢字文化圏の中の一民族となっているだろう。そしてその中心の一つになっているだろう。あるいは北京語に代わって日本語が世界島東部地区の共通語になっているかもしれない。それが恐らく原田武夫氏の主張する「パックスジャポニカ」なのだろう。




<引用終>







【私のコメント】
私が従来から注目してきた元外交官の原田武夫氏が2017年3月11日にフェイスブック上で「PAX JAPONICA会議」なる議論の場を設けた。そこでは参加者が食物・映画・思想・技術など様々な観点から持論を展開している。しかし、それらの大部分は戦略家の奥山真司氏の言う「戦略の階層」では、7つの階層の中で最下位の「技術」や6番目の「戦術」レベルであると思われる。原田武夫氏の言葉で言えば「流行の言葉だが意味も付加価値も無い」ということだろう。彼は議論がある程度出尽くした所で「もっと大事なことがあるではないか!」と「日本人の世界観」を提唱するのだと思われる。私は匿名で活動したいのでこの「PAX JAPONICA会議」には参加しない。本ブログの読者で心ある人は是非参加して議論を主導して欲しい。

日本外務省の高位の外交官の言葉だが、「外交交渉は双方の中間点で合意に至るべきであり、自分達が少し負けたと思えるぐらいでまとめるのが良い」と主張していた。これは、軍事力で敵を虐殺・威嚇してありとあらゆるものを全て奪い取ることによって覇権を維持してきた米英を中心とする西洋シーパワーの外交交渉とは対極にある。最近の米英の情報系企業も「winner take all」と市場を独占することを当然としているが、彼らはこの西洋シーパワー的世界観に深く毒されているのだ。これに対して日本的、あるいは儒教的(厳しい生存競争で儒教の生まれた中国では儒教の精神が滅んでいることに注意)な価値観は柔道の創始者である嘉納治五郎が唱える「自他共栄」であり、そこでは双方の利益が共に確保されることが重要である。強者と弱者の共存は弱者の滅亡を招くので避けるべきであると私は考える(それ故、共存共栄ではなく自他共栄を目指すべきなのだ)。

パックスジャポニカとは、単に日本を賞賛することであってはならない。日本の世界観、即ち「日本とは何ものか、どんな役割があるのか」を深く考えた上でそれを世界に広めていくことなのである。それは、ドイツの「世界に冠たるドイツ」や米国の「manifest desitiny」のように他民族にとって受け入れがたいものであってはならない。第二次大戦中に叫ばれた「神州不滅」は決して他民族に受け入れられないだろう。以前のブログ記事「日本人の世界観とは何か?日本とは何か?どのような役割があるのか?」で触れた通り、私の考える「日本の世界観」とは、「仁と和」を至上とする儒教的価値観である。これは中国文明の影響を受けた東アジア各国には間違いなく受け入れられる。それだけではない。オーストリア・ハンガリー帝国駐日大使を父に、日本人を母に持つ汎ヨーロッパ連合主宰者のリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー(1894年11月16日 - 1972年7月27日)の唱えた「友愛」にも通じ、それ故にロシアを含めた欧州大陸全域で受け入れられるだろう。

『「植民地政策は現地にとって良かった」 英印間で認識に隔たり インド側には強い怒りも』という3月21日付けのニュースは、大英帝国を正当化する英国と、被害に怒るインドの間の世界観の違いを反映している。英国人は世界を植民地化する過程で有色人種を大虐殺しその財産や土地を強奪し続けてきたが、それを「正義」と正当化している。このニュースは英語圏シーパワー白人国家連合を本拠地とする国際金融資本の世界覇権が崩壊し始めたことの前兆である。今後米英豪等はナチスドイツを上回る最悪の犯罪国家・犯罪民族として全世界に糾弾され、国家の正統性を失っていくだろう。

国際金融資本の世界覇権崩壊の兆しは原田武夫氏の「PAX JAPONICA会議」だけではない。2016年9月発行の学士会会報920号にも興味深い記事がある。メディアと政治の間(濱田純一前東京大学総長)、放送の公平性について(長谷部恭男早稲田大学教授)、なぜ偏向したテレビ報道を排除することが問題なのか(松井 茂記ブリティッシュコロンビア大学教授)の3本の記事は、米英を中心とする西洋が嘘の報道(fake news)を流すことで米英などのdeep state(国家内国家)を通じた世界支配を続けてきたことを念頭に置いていると思われる。米国にはワシントンDC、英国にはシティという国家主権が十分に及ばない地域が存在し、国家内国家による国家統治に深く関与していると思われる。そして、川北稔大阪大学名誉教授による「近代世界システム論の課題 ─ ヨーロッパとアジア ─」という記事は、西洋の隆盛を単に「ブレークスルー」とのみ表現してその裏にある世界観に触れない西洋の論者を批判した上で、最近のアジアの勃興について、その世界観が西洋と同じであるなら単に支配者が変わるだけであると指摘している。新たな世界観の必要性を指摘する偉大な論文である。

 日本人の世界観について考える時に決して忘れてはならない人物を一人挙げたい。それは三島由紀夫である。彼は昭和45年11月25日に自決しているが、その約4ヶ月前の7月7日に産経新聞に書いた「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」という評論の中でこう述べている。「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」

彼が批判しているのは日本独自の「世界観」を失い、米英の世界観に完全に洗脳された、経済大国である以外に何の取り柄も無い空虚な国と化した日本である。彼がそれを激しく批判したにも関わらず、彼の死後の日本は日本独自の世界観から更に遊離してしまった嘆かわしい現状にある。ネット右翼達を含めた多くの日本人は米英を崇拝して中国や北朝鮮を見下し、中国や北朝鮮より富裕であることを唯一の心の支えとしてしまっている。私の周囲の人々の多くもそのような人々である。私も三島由紀夫と同様にそのような人々と口をきく気にもならないのだが、生活のためやむを得ず交流しているのである。もはや日本という国はほとんどなくなってしまっているのである。

多くの日本人は「戦後民主主義」なるものに満足している様である。しかし、日本の真相は、国家主権を失い米国政府を通じた国際金融資本の命令を実行するだけの植民地政府に他ならない。世界覇権国である米国すら国家主権は無く国家内国家に支配されているのだから、日本が国家主権を回復するには米国の国家内国家を倒すことが必要不可欠なのだ。「民主主義」とは、国際金融資本が国家主権を奪ったこと、あるいはこれから奪おうとしていることを隠すために行われている宣伝に過ぎないのだ。

また、多くの日本人は中国よりも富裕であることを心の支えにしている。しかし、日本の頂点とされる東京大学の入学試験の難易度が中国で30番目の中堅大学とほぼ等しいとされること(とある中国出身東大生が書いていた話)からもわかる様に日本の上位大学の学生の基礎学力は中国のそれよりもかなり低い。そのような基礎学力の低い国が中国よりも富裕なのは実におかしな話であり、国際金融資本の中国侵略基地という役割を果たしてきたことの御褒美なのだろう。中国の急速な経済成長により日中の経済規模は逆転し、日本は既に経済小国に転落している。今後国際金融資本の世界覇権が崩壊すれば日中の生活水準すら逆転してもおかしくないのだ。そうすればネット右翼達の唯一の心の支えも失われてしまうだろう。そこまで転落しないと、日本は「日本独自の世界観」を回復できないのかもしれない。

しかし、希望もある。日本支配階層は一貫して「日本独自の世界観」を維持しており、それを復興させるための準備を行っていると思われる。北陸・奈良・沖縄の三カ所に設立された科学技術大学院大学がそれである。北陸先端科学技術大学院大学は英語名ではJapanを名乗っており、日本の科学技術研究の最高峰として設立されたと思われる。この大学は東工大を母体に設立され、当初は埼玉県に設置予定だったが途中で石川県に変更された経緯がある。明治維新後の日本では国家を代表する組織は殆ど例外なく東京近郊に設置されてきたが、北陸先端科学技術大学院大学はその慣例を破っている。続いて設置された奈良先端科学技術大学院大学が平城京のすぐそばにあることも考慮すると、この二つの大学院大学は、加賀前田藩や古都奈良の伝統的文化的遺産に研究者が触れることを目的に設置されたのだと思われる。研究の効率だけ考えれば英語圏の国で行うのが良いのかもしれない。しかし、英語圏とは異なる世界観を有してきた日本で、東海道ベルト地帯の繁栄から半ば取り残されたが故に明治以前の日本の文化的伝統をよく保存している金沢や奈良で研究を行うなら、英語圏の国々では不可能な斬新な発想に基づく成果が期待できるかもしれない。ノーベル賞を受賞した山中京大教授のiPS細胞の研究は奈良先端科学技術大学院大学で打ち立てられている。

国営平城宮跡歴史公園では2016年10月から朱雀大路・二条大路の整備工事が開始されている。中国・北京に天安門広場と紫禁城があり中華帝国の文化遺産が残されているのと同様に、秋篠宮が即位するであろう国営平城宮跡歴史公園でも朱雀門の南側に古代平城京の空間が復元されるのだ。私は先日この現場を訪れたが、二条大路から東を望むと三笠山が見える。阿倍仲麻呂が「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と歌ったようにこの風景は日本文化の原点なのだ。仲麻呂がこの歌を詠んだのは安史の乱の直前で、長年玄宗皇帝に仕えて高官となっていた彼が日本に帰国するために出発する際に詠んだ歌である。ひょっとすると仲麻呂は楊貴妃や安禄山による玄宗皇帝の統治力低下を裏で工作し、その成果を日本に伝えるために帰国しようとしたのかもしれない。残念ながら帰国の船は暴風雨でベトナムに漂流し、日本に帰国することはできなかった。以前ブログ記事で触れた様に、当時の日本は白村江の戦いから安史の乱までの第一の国難の最中で、巨大な唐帝国に対抗するため天武天皇など新羅系天皇を頂く、国家主権を半ば奪われた危機的な時期であった。それは、元寇という第二の国難を克服したあと、黒船到来から現在までの米英帝国に国家主権を奪われた属国と化した第三の国難に重ねて見ることができる。トランプ大統領の登場、自叙伝で国際主義者を自称するデイヴィッド・ロックフェラーの死は米英帝国の衰退の象徴であり、第三の国難の終焉を意味する。第一の国難を克服するために敵地唐で長年働いた仲麻呂の様に、第三の国難を克服するために敵地米英や亡命政権のある平壌、あるいは南朝鮮・中国・東南アジアなどで日本のために働いてきた多くの日本人工作員や残置諜者が存在するのだと思われる。仲麻呂が月を見て三笠の山(若草山)を想像し祖国日本を懐かしんだ様に、彼らも異国の地で日本を懐かしんでいることだろう。

沖縄科学技術大学院大学もまた、金沢や奈良にはない独自の文化的遺産を背景に設立されていると思われる。沖縄は江戸時代は日本と中国の両方に属する国であった。つまり、日本でもなく中国でも無い独自の文化を有しているのだ。そして、第二次世界大戦末期には故郷を守るために青壮年男子全員が徴兵されて米軍と戦った。「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」との太田実帝国海軍少将の遺言はその証拠である。戦争に敗れて現在まで米軍の占領下に置かれながらも、心ある沖縄県民は主体思想の元に北朝鮮の帝国陸軍亡命政権と連携して米帝と戦い続けている。沖縄科学技術大学院大学の外国人研究者は、海軍司令部壕を訪れて「沖縄県民かく戦えり」との言葉を目にした時に強い印象を持つことだろう。そのような精神的インパクトは、東京に改名することで武士の都であった江戸の武士道精神を捨て去って、国際金融資本占領下で空虚な金銭的繁栄を積み重ねた、「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない」東京では決して得られないのだ。








↓↓↓ 一日一回クリックしていただくと更新の励みになります。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 政治ブログ 国際政治・外交へにほんブログ村
コメント (146)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3/12-15のサウジ国王の訪日は... | トップ | なぜ日本は戦後民主主義を見... »
最新の画像もっと見る

146 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-03-24 07:15:48
日本の著者による論文数、5年間で8%減少…ネイチャー誌「日本は01年以降、科学への投資が停滞」

英科学誌ネイチャーは23日、日本の著者による論文数が過去5年間で8%減少し、日本の科学研究は失速していると発表した。日本政府が研究開発への支出を手控えた状況が反映されたという。

 同誌は「日本は長年にわたって世界の第一線で活躍してきた。だが01年以降、科学への投資が停滞しており、高品質の研究を生み出す能力に悪影響が現れている」と指摘している。

 自然科学系の学術誌68誌に掲載された論文の著者を、データベースを使って調べた。

 その結果、12年から16年の5年間で、中国の論文数が48%、英国が17%伸びた一方、日本は8%減少したことが判明した。米国も6%減った。

https://this.kiji.is/217342253709379067
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-24 08:45:38
ロシアのクリミア併合から3年 住民の声
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170320-10001685-bbcv-int
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-24 10:33:10

アメリカ時代(パックスアメリカーナ)の終焉を象徴するアメリカ第一主義
ニューヨーク・ダウ平均株価はトランプ当選以後、減税、インフラ投資、規制緩和等の期待で2月末の12日間連続上昇など一直線上げ、3月から議会における期待の現実化に注目が集まり今や12日間連続下げとなっている。
一方日経平均株価はニューヨーク株価にかかわりなく完全にドル・円相場に連動している。
3月15日FRBの利上げ、日銀の80兆円緩和継続で市場原理に基づきドル高・円安になると思いきや、逆に(かねてからの私の予想の通り)115円から110円台の円高になった。
この逆現象は、バーデン・バーデン(ドイツ)におけるG20(3月17‐18)蔵相・中央銀行総裁会議の秘密合意(バーデン・バーデン合意)の結果、つまり1985年9月のプラザ合意、昨年2月の上海合意に続くマニピュレーション(価格操作)であり今後も続く。
秘密合意が発表されないのはアメリカの利益のために各国が犠牲になることをそれぞれの国民に見せないための配慮である。
アメリカの目的は、ドル安(日本犠牲)と関税(各国犠牲)でアメリカの経常収支を改善し、利上げで各国の余剰資金をアメリカに集中させることにある。
つまり自国民の犠牲ではなく他国を犠牲にして借金の枠を広げる戦略である。
目指すところは、金(ゴールド)保有高2万トン(現在の公式保有高8,300トン)である。
自分の金(通貨)を刷ってみんなに配り、配ったマネーを借用し金(ゴールド)を買い、金が10倍になり、自分の金(ドル)が10分の一になったところで10%の金(ゴールド)でみんなからの借金を完済する。
今後の政治、経済はこの基本線に沿って動くことになる。
他国はアメリカに文句を言っても国際通貨の自由裁量権を持ち、世界一の軍事力、世界一の消費市場を持っている国には逆らえない。
敗戦国日本に与えられた任務は貸すこと(日本は世界最大の債権国)であって金(ゴールド)を買うことは許されない(外貨準備の1%)。
もし日本の対外債権が金(ゴールド)に代わったなら、アメリカは日本に金融支配されることになる。(とっくの昔に芽は摘まれている:大平内閣時)
貸す方の通貨(円)は高いほうが借りたマネーのバリューが上がるからアメリカにとって有利だが、返済する場合は不利になるが、どうせ借りた金(ドルでも円でも)は二束三文になるのだから返済のことは考える必要はない。
2025年からの金本位制(1+1=2)の復活をもってパックスアメリカーナが終わると共に、人間性バブル(過剰人間性・過剰権利)が崩壊して人間性クラッシュ(非人間性・過剰義務)の時代が始まる。
西洋キリスト教的民主主義思想ベースの政治・経済体制の反対軸である儒教的全体主義ベースの政治・経済体制が雲霞(うんか)の如く押し迫っている
返信する
黒澤明特集 (読書貧乏)
2017-03-24 11:45:02
どこの国でも一般国民はメディアと自分の職業によってがんじがらめにされて洗脳される。
ブラッドベリの「華氏451度」を見る通り。どこの国民も洗脳されバカになっている。

さらに自分が死んでも相手を倒すという凶悪な戦闘民族の日本人はされに洗脳され、バカになった。
戦前の右翼の気概は、戦後左翼に受け継げられ、さらに滅びた。

坂口安吾は良い時期に死んだ。
三島由紀夫は長生きしすぎた。

人生に意味を見出す人間に現代とは、さらに日本とは空虚というしかない。
しかし、硫黄島の洞穴に潜んで戦う日本兵のように、えんえんと死ぬまで抵抗して相手に被害を与えながら死んでいくしかない。

ちょっとした気休めがある。
今週からNHKで黒澤明特集をやるから見れる人は見たらどうだろうか。
黒澤明は武士道の伝統と、大正期の西欧文化を体現した文武両道の人間だ。
多分、世界でも最も尊敬されている日本人ではないか。
戦前の日本知識人の迫力が出ているのだと思う。

「七人の侍」をはじめ名作を放送されて今でも普通に面白いのだが、出色は「生きる」だと思う。

「生きる」は癌に蝕まれた事なかれの市役所職員が、残りの余生を何十年と放っていた汚染地域を公園にする案件を実現しようとする話だ。

死というのが何よりも先に来る。
死ぬからこそ生があるという、実に実存的な話である。

日本人の優位は島国であること。
さらに武士道とは死ぬこととみつけたりとあるように、
死ぬことをもって生きることにあると考える。
返信する
2017-03-24 10:33:10のコメント (princeofwales1941)
2017-03-24 13:01:39
アメリカ時代(パックスアメリカーナ)の終焉を象徴するアメリカ第一主義  | 増田俊男の時事直言
http://www.masuda-toshio.com/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%99%82%E4%BB%A3%EF%BC%88%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A%EF%BC%89%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89%E3%82%92/

2017-03-24 10:33:10のコメントは上記の増田俊夫の時事直言のコピペかと思いますが、ソースを記載していたいていないのは困ります。コピペする場合は必ずソースのリンクを記載して下さい。著作権上問題になります。
返信する
失礼しました (2017-03-24 10:33:10です)
2017-03-24 14:16:54

増田俊男氏時事直言のリンクを貼るのを忘れてしまいました。増田氏、ブログ主両者に大変迷惑をかけたこと…心よりお詫びいたします。

増田氏の
>西洋キリスト教的民主主義思想ベースの政治・経済体制の反対軸である儒教的全体主義ベースの政治・経済体制が雲霞(うんか)の如く押し迫っている

とブログ主の予測があまりにも似ていたのと、そのタイミングがシンクロしていたのでリンクを貼るのも忘れてしまいました。
返信する
Unknown (az)
2017-03-24 16:42:50
日本と中国はお隣同士であり、相手が嫌だからと言っても引っ越しできませんから
折り合いをつけて共存していかなければならないし
ネトウヨの様に断交ニダなどと感情論をぶちかますつもりも毛頭ありません
日本の国民平均年齢は46歳で世界ダントツの高齢化社会です
閉経国家と言っても差し支えないでしょう
一方の中国は35歳でまだまだ若く、経済的な伸びしろもあるのでしょう
日本が落ち目なのはブログ主の言う通りですが
だからと言って前エントリで言われたような日本は中国の属国として生きて行けばいい
というブログ主の考えは受け入れられませんね
それは宗主国がアメリカから中国に代わっただけで今と何も変わらないでしょうから
多極化世界の中で日本は小さくとも一つの極として存在し続けたいものです
返信する
JAISTとNAISTは連携する必要がある。 (バアルのような者)
2017-03-24 20:09:35
JAISTとNAISTは互いに相手の持つ資源を羨ましがっている関係にあり、研究設備等は必要なときは必要だが、空いているときはがら空きなのがふつうである。従って、移動しにくい資源に対する利用者たる研究員の流動化を図るために北陸新幹線は金沢と精華町を結ばなくてはならない。
出来た。なんだ、めっちゃ簡単じゃん。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-24 21:24:49
 □■□ IISIA代表・原田武夫からの〈メッセージ〉 □■□

⇒“今日の焦点”はズバリ:

 「東芝株を旧村上ファンド関係者が大量取得」です。

⇒その理由は……:

 ─「歴史は二度繰り返す」と言います。
  ただし“1度目は悲劇として、2度目は喜劇として”です。

 ―この世界は“冪(べき)”から成っているのです。
  フラクタル構造が全てを貫いています。

 ―だからこそ、繰り返し同じ出来事が起きて行くのです。
  ただし毎回がオリジナルでもあります。

 ―したがってユニークと想える出来事も注視する必要があります。
  なぜならば、それこそが「未来」を反映しているからです。

「東芝」が引き続き揺れています。
そんな中でアクティヴィストによる投資活動が明らかになりました。

あの「村上ファンド」の関係者たちが手を出し始めたのです。
かなりのパーセントの同社株を取得したと言います。

村上良彰氏といえば、経済産業省OBです。
当然、人脈もまだ同省とはつながっています。

これまでのルールであれば「東芝は救済される」のです。
その破綻を許さない、というのがルールだったからです。

「これまで」の世界を熟知する同人らは当然、一つの方向に賭けます。
「救済」を前提にするのです。

しかし、本当そうなのでしょうか?
そこに大きな落とし穴はないのでしょうか?

ここでもまた「新しい時代に向けた大きな溝」が見え始めています。
・・・分かり、ますか?
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-24 21:45:02
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000153-jij-m_est
ムバラク元大統領、自由の身に=失脚から6年ぶり―エジプト
返信する

コメントを投稿