●イタリア2州、自治権拡大求め住民投票へ 独立は訴えず:朝日新聞デジタル 2017年10月21日21時18分
スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立を巡る問題の混乱で、イタリア北部2州で22日にある自治権拡大の住民投票が関心を集めている。音頭をとる欧州統合懐疑派の右翼政党は独立は訴えないが、「富が中央政府に奪われている」との主張は同じだ。
2州は最大の産業都市ミラノを中心とするロンバルディア州と、観光都市ベネチアを含むベネト州。両州でイタリアの国内総生産の3割を担う経済力を誇る。住民投票では、州政府が特別な自治権や税収への広い裁量を求めて中央政府と交渉することの是非を問う。
<以下省略>
http://www.asahi.com/articles/ASKBD7QL4KBDUHBI030.html
●Italy referendums: Lombardy and Veneto 'back greater autonomy' - BBC News 23 October 2017
http://www.bbc.com/news/world-europe-41712263
●カタルーニャ州、結局独立宣言議決へ? - Sputnik 日本 2017年10月24日 08:40
http://jp.sputniknews.com/europe/201710244215197/
●クライド海軍基地 - Wikipedia 2014年08月24日
クライド海軍基地はスコットランドにおける海軍の司令部であり、イギリスの戦略核戦力であるトライデント D5 ミサイルで武装したヴァンガード級原子力潜水艦(トライデント潜水艦部隊)の母港としてもっともよく知られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0
●スコットランドが独立すると英国の核兵器が行き場を失う? | スラド
<前略>
現在、英国の核兵器はすべてスコットランドのクライドにある海軍基地に配備されている。しかし、スコットランド政府では独立が成立した場合にすべての核兵器を安全に廃棄し、スコットランド領内への持ち込みを永久に禁止すると公約している。一方、英政府や国防相はスコットランドが独立の道を選ばないと信じていると繰り返し主張し、代替の候補地選びは進めていないという。また、国防相は核兵器をイングランドに移動することは非常に困難であり、多大な費用がかかるとも述べているとのこと。ただし、比較的速く手頃な費用ですべての設備をイングランドに移動できるという意見も専門家から出ており、英政府や国防相の主張は政治的意図を持ったものだとの見方もあるようだ。
https://srad.jp/story/14/08/24/055229/
●皇室:天皇陛下、退位「19年3月末」有力 4月1日から新元号 - 毎日新聞2017年10月20日 20時18分
http://mainichi.jp/articles/20171021/ddm/001/040/160000c
●悠仁さま 高校受験回避のために筑附中無試験進学の可能性│NEWSポストセブン 2017.05.19 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20170519_556680.html?PAGE=2
●悠仁さま 東大合格者多数輩出難関私立一貫校の文化祭ご訪問- 記事詳細|Infoseekニュース 2017年10月20日 7時0分
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_622370
●世界制覇プロジェクトという病 - DEEPLY JAPAN
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/bebf01965d41c4e8bc561893a9c2557b
●新皇居は京都府精華町の祝園分屯地に、皇族の関西移住で悠仁親王は奈良女子大附属に転校へ - 国際情勢の分析と予測 2013年12月23日
さて、皇族の関西移住に伴う問題はもっと他にもある。学童期の皇族の教育機関である。東京には学習院があるが関西にはないので、同様の機能を果たす学校を選ばねばならない。数年以内に皇族が関西に移住するなら、恐らくその時には今上天皇は病気のため生前退位しており、南朝系の浩宮も皇太子を辞退し、北朝系の秋篠宮が即位していると想像される。皇太子になるであろう悠仁親王の通学する学校が必要になる。悠仁親王は学習院という前例を破ってお茶の水女子大附属小学校進学を選んだが、この学校は中学は男子が3分の1と少数派となり高校は女子校になる。従って中学進学か高校進学の時点で別の学校を選ばねばならない。同じ国立でもお隣の筑波大附属小学校であれば高校までそのまま進学可能(だたし授業についていけるかどうかは微妙だが)であったし、授業が心配ならより学力水準の低い東大附属という選択肢もあったのに、お茶の水附属小学校という選択肢は謎であった。
皇族の子弟の通う学校は本来国立であるべきである。学習院は戦前は国立だったが戦後にGHQの圧力で私学にさせられた。悠仁親王の選択は戦前への復帰とも言える。そして、祝園分屯地に最も近い国立の小中高校は、お茶の水女子大の姉妹校である奈良女子大の附属小学校と中等教育学校である。お茶の水女子大附属高校と異なり、奈良女子大附属は高校過程まで共学なので、別の学校に進学する必要が無い。この学校は1970年代前半頃までは難関進学校であったがその後レベルが低下してきており、皇族の子弟が入学しても学業に落伍する危険も低い。奈良県には他に奈良教育大附属小中学校もあるがここは高校が無いので選択肢から外れると思われる。その他には京都教育大附属、大阪教育大附属天王寺などの候補もあるが通学距離や生徒の学力水準の高さから考えて適切では無いであろう。
お茶の水女子大の前身である東京女子高等師範の西日本版として設立された奈良女子高等師範が奈良女子大の前身である。両者の関係は東大と京大、あるいは一橋大と神戸大法・経済・経営学部の関係に似ている。悠仁親王の将来の奈良女子大附属小学校あるいは附属中等教育学校への転校を念頭に置けば、お茶の水女子大附属小学校進学は極めて適切な選択肢であったと言える。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/abf0bc54a9ec8253d5519e0717f63f73
●『中国化する日本』(與那覇 潤・著) - 国際情勢の分析と予測 2011年11月22日
「中国化する日本」を読んだ。この本は、明治維新以来の日本人の意識転換を迫るものである。この本では、宋が貴族制を打破して科挙官僚を通じた皇帝の権力強化に踏み切ったことと貴族の荘園から農民が解放されて居住や職業選択の自由が実現したことを重視し、宋が世界で最も早く近世に移行した国であると説く。そして、近代の欧州の躍進は宋の哲学の影響を受けたものであり、逆に欧州の様な後進地域が世界の最先進地域に躍進できたことが最大の謎であると主張している。また、源平の争いは宋銭を大量に輸入して日本も宋の経済圏に参入しようとする平家と従来の農業主体の経済に固執する源氏の対立であり、源氏の勝利の結果日本は長い武家政治の期間中経済の停滞を経験、対照的に宋や清では経済が発展し人口も急増したと指摘している。著者の主張は多くの引用文献で裏付けられたおり、既に歴史学の定説になりつつある様だ。
1970年代末から中国と米英の三カ国で開始された新自由主義も宋の改革理念を実行したものであり特に中国で大成功を収めたとの認識の元に、著者は日本も中国的な社会に移行していく運命にあると予測している。一見欧米化している様に見えても、欧米の変化のお手本が中国である以上、それは中国化なのだという。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/3e73e33f13d6deb18f1e857a09b8a00b
●シリウスの都 江戸・東京:家康はなぜ江戸に本拠を置いたか?関ヶ原の戦いの目的は? - 国際情勢の分析と予測 2016年3月26日
安土桃山時代の日本は他の東アジア諸国と同様に国際金融資本=西洋シーパワーの侵略の危機に瀕していた。長崎はローマ教皇に寄付され教皇領となっていたし、九州の多くの大名・住民がキリスト教に改宗して日本の神社や寺院を破壊していた。そして国際金融資本はフィリピンやマラッカ、ジャワ島などを植民地化していた。豊臣秀吉の朝鮮・中国侵攻計画は、国際金融資本の海軍力に包囲され危険な日本本土から大陸に戦略的に撤退し、膨大な中国の人口(人民の海)を武器にして国際金融資本と対決するという戦略であったと思われる。この戦略は帝国陸軍が明治維新後に選択し、その後継者である残置諜者国家北朝鮮が現在も継続中である。豊臣秀吉の戦略眼の確かさには感動を覚えずにはいられない。
一方、徳川家康の戦略は、大陸への戦略的撤退は行わずに日本本土にとどまり、聖方位や真言宗、皇室の力で日本を防衛するというものであったのだと思われる。この戦略は明滅亡後の清の隆盛、日本や清の海禁政策などによって関ヶ原の戦いから少なくともアヘン戦争までの約240年間は有効であったし、現在も国際金融資本占領下で彼らに対抗するとともに日本の文化を維持し続けるという形で継続されているのである。徳川家康の戦略にも私は驚嘆を禁じ得ない。
関ヶ原の戦い、大坂冬の陣・夏の陣という徳川と豊臣の対決は、日本を国際金融資本から守るためにどうすれば良いかという戦略の違いに基づいている。当時の日本にはこの二つの戦略しか無く、日本の国益から見ていずれも正しいものであったと思われる。関ヶ原から4世紀以上過ぎた今も日本にはこの二つの戦略しかないのだ。そして、この二つの戦略を日本は同時並行で継続しているのだ。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/e19177fa72345ca9791ad36d6b77b8d1
●平成30年11月の即位の礼は奈良市の国営平城宮跡歴史公園の復元大極殿で行われ、それを期に皇室は関西に戻る。 - 国際情勢の分析と予測 2016年10月23日
10月16日の産経新聞が、2年後の平成30年(西暦2018年、皇紀2678年)11月の大嘗祭を報道した。以前からブログ記事で触れているように、秋篠宮が新天皇、悠仁親王が皇太子に、浩宮は廃太子となっていることだろう。とするならば、恐らく11月23日の大嘗祭の直前の11月上旬・中旬に新天皇の即位の礼も行われるはずである。その場所はどこだろうか?
<中略>
『みち』で触れている様に、京都や奈良の宮殿を住居として祭祀を行ってきた天皇を東京に連れ出して江戸城跡地の皇居に居住させるという明治維新以後の状況は異常である。京都でも桃山城や二条城という城があるがそこは秀吉や徳川将軍が本拠としていた。城は武士の住処であって皇室の住処では無いのだ。それは平成30年に終わるのである。
また、平成30年11月には悠仁親王が立太子すると思われる。平成31年3月にお茶の水女子大附属小学校を卒業した後、4月に奈良女子大附属中等教育学校に進学するならば、奈良近辺での新皇居の建設が間に合わない。悠仁親王を含めた秋篠宮一家は奈良の迎賓館的存在であり奈良公園の一角にある奈良ホテル等にしばらく仮住まいすることになるだろう。あるいは、祝園分屯地等の新皇居完成を待って平成34年3月にお茶の水女子大附属中学を卒業後に奈良女子大附属中等教育学校に編入するのかもしれない。現在の附属小4年生、2年後の中等教育学校入試で選抜される新入生は皇太子の御学友として人選を行う必要があろう。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/aafae86243cd924b3667d85904606efb
●聖徳太子と北条早雲と桜田門外の変と・・・ - DEEPLY JAPAN 2017-03-26
<前略>
とことんまとまりのないことを書いているけど、多分、今後の方向性として、日本単独で見ないで、東アジア世界の動乱を誘引として変化、対応してきた日本、みたいな視点が重要になってくるんだろうと思う。7世紀の動乱だけじゃないですからね。
もう一つは、日本は少なくとも東西で分けて歴史を書いていった方がいいんじゃないだろうか。西南日本というのは要するに東シナ海文化圏に対応しながら生きて来たところで、東北日本はそれに対していえば目立つのは軍事貴族(中央の武士)だが、総じていえば開発農民の社会発展史みたいに考えていった方がずっと現在に繋がる実りのある歴史として認識できるように思う。
まったくの私見だが、西南日本のそれはどこまで行っても著しくシナっぽいが、東北日本のそれは結構世界的に汎用性のあるモデルを作れると思うな。鎌倉時代はもっと見直されるべき。
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/0f9417a6e25040bd29d85f2864ae8580
●承久の乱 - Wikipedia
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。以後、北条義時は朝廷を倒した唯一の武将として知られることとなった。
日本史上初めて朝廷の勅や院宣に逆らう反乱軍(北条義時の幕府軍)の軍事行動によって朝廷が負けたとする朝廷を中心とした見方がある一方で、鎌倉幕府への討幕のため朝廷が挙兵し負けたとする見解もある(後述)。
鎌倉幕府の成立後、東日本を領地として持つ武家政権である鎌倉幕府と、西日本を領地として持つ京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
鎌倉幕府の御家人で源氏一門(御門葉)の重鎮であった大内惟信は、敵方である後鳥羽上皇に味方し敗死し、源頼朝が最も信頼を置いていた平賀氏・大内氏は没落することになる。山本七平の「日本史上最大の事件」という意見もある[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
●平氏政権 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B0%8F%E6%94%BF%E6%A8%A9
●日明貿易 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%98%8E%E8%B2%BF%E6%98%93
【私のコメント】
2017年10月1日にスペインのカタルーニャ州で独立を巡る住民投票が行われた。政府や国王はこれを激しく批判し自治権を停止する見込みとなっている。来るべき世界金融危機と同時期に独立戦争が始まるシナリオかと想像する。同じくイタリアでも富裕な北部の2州で自治権拡大を求める住民投票が行われて賛成票が多数となった。イタリアの住民投票は分離独立こそ目指していないが、北部2州で納税された税金の多くが貧しい南部地区で使用されていることを問題にしており、争点はカタルーニャ州と同様である。スペインでは他に少数民族バスク人の住む富裕なバスク地方が高度の自治権を有し税金の自主権も有している。しかし、バスク地方と比較してカタルーニャ州やイタリアの北部2州は規模が大きすぎる。これらの地域が分離独立するとイタリアやスペインは欧州の最貧国に転落するだろう。
スペインとイタリアはともに半島国で、カルタヘナやベネチアなど国際金融資本が歴史的に活動してきた拠点を有する。1479年にカタルーニャを中心とするアラゴン王国がカスティーリャ=レオン王国と同君連合が形成されスペイン王国が成立するが、これは国際金融資本が世界征服を行う拠点の整備の目的だったのではないかと想像する。その後国際金融資本がオランダ・ロンドン・ニューヨークと拠点を移したあとも、イベリア半島の大部分を統一するスペインが国際金融資本の影響下にあるという状態が維持された。そして、国際金融資本の世界覇権の消滅に伴って、旧アラゴン王国が独立に向かっているのだ。
イタリアの統一は1861-71年にかけて行われたが、同時期にはプロイセンによる統一ドイツの形成(オーストリアは排除された)や天皇による日本の統一(幕府が排除された)、南北戦争による米国の再統一が起きている。これは偶然ではなく、国際金融資本の主導によるものであり、欧州で人口規模の揃った複数の大国を並立させることで、伝統的な欧州の覇権国で人口規模も最大であったフランスを封じ込める目的だったと想像する。オーストリアが主導した独仏の国家統合=EU形成により欧州の繁栄の中心は欧州大陸中心部に移動し、半島国のイタリアやスペインでは繁栄が独仏に接した北部に限定されるようになる。そして、国際金融資本の世界覇権の消滅に伴って、イタリアでも旧ロンバルド=ヴェネト王国が独立に向かっているのだ。
スコットランドはこれらと異なり、大ブリテン島の北端という辺境に位置する。しかし、スコットランドは枯渇まで少し余裕がある北海油田と、核ミサイル搭載潜水艦の母港を有する。連合王国(英国)がEU離脱、スコットランドが独立しEUに残留することで、イングランドは大ブリテン島にEUとの陸上国境を有することになり陸軍整備が必要になる。金融業が消滅した欧州の最貧国イングランドは陸軍整備で手一杯で新たな母港を建設できず核保有国の地位を失うだろう。
長々と欧州情勢について述べてきたが、国際金融資本=西洋シーパワーの覇権が消滅すれば東洋でも同じことが起きる。日本列島や台湾、香港、シンガポール、上海、釜山といったシーパワーの拠点の繁栄は下り坂となり、中国大陸内陸部が大きく繁栄することは間違いない。また、伝統的に東日本中心に統治してきた武家政権が何らかの形で復活し、西日本の朝廷との二権分立体制に復帰することが望ましいのではないかと考える。源平合戦で入水して死去したとされる安徳天皇、承久の乱で幕府に敗れた後鳥羽上皇に代表されるように、鎌倉時代は西日本の朝廷に対抗する勢力が東日本に誕生した偉大な時代である。多くの論者が天皇陛下という言葉に思考停止するが、天皇陛下の政策も誤ることはありうるのであり、それを修正できる対抗勢力が誕生したのは喜ぶべきことなのだ。そして、明治維新以降の東京時代で最も嘆かわしいことは、この「天皇に対抗できる勢力」が日本から消滅し、その拠点であった関東地方の人々すら天皇陛下の権威に跪く様になったことなのだ。このような観点からも、皇族を関東地方から西日本に追い返し、東京を旧名の江戸に復帰させ、皇居を江戸城に戻して将軍の末裔を住まわせ、失われた武家の精神を復活させることが必要なのだ。有力とされる西暦2019年3月末の今上天皇退位に際してそれが起きると私は予想している。
中国の周囲の国々では、中国に近い地域と遠い地域で中国からの影響力が異なることから異なる風土が生まれやすい。モンゴルでいえば中国に近い内蒙古(フフホトや包頭が中心都市)と遠い外蒙古(ウランバートル、旧名フレーが中心都市)は、前者は今や中国の一部となり後者はロシアの強い影響下となっている。チベットで言えば青海省西寧とチベット自治区のラサの関係である。ベトナムではハノイとホーチミンシティの関係である。朝鮮では平壌と釜山の関係である。これが日本で言えば福岡や京都奈良大阪などの西日本と東京や東北北海道などの東日本の関係に相当する。
名著「中国化する日本」で著者の與那覇潤は、源平合戦とは宋で生まれた近代資本主義経済の導入を目指す西日本の平氏と、農業中心の伝統的経済の維持に固執する源氏の対立であったと説く。鎌倉時代の次の室町時代は勘合貿易により明の近代資本主義が日本に導入されている。その次の安土桃山時代では、国際金融資本の海軍力による日本侵略の危機を前にして、列島に籠城して戦うという家康と、中国大陸に戦略的に撤退して戦うという秀吉の二つの戦略の対立が起こり、それが関ヶ原の戦いに繋がっている。西日本の政権は常に中国大陸との密接な関係を追求し、東日本はその逆であったのだ。東京時代の首都機能が関東地方に置かれているのは、事実上国際金融資本の占領下で、大陸と首都の間の距離を離して間に緩衝地帯を作ることが目的では無かったかと想像する。今後西洋シーパワーが日本近海から撤退すれば、繁栄する中国大陸との密接な関係を維持するために西日本に遷都することは全く合理的である。その際には、島嶼国の不利を補うためにも、朝鮮海峡海底トンネルにより西日本の鉄道を朝鮮・中国につなぐことを検討すべきだろう。その一方で、東日本はシベリア鉄道を延伸してロシアと親しくしていくべきだ。東日本はロシア語が第一外国語、西日本は中国語が第一外国語にしてもよいかもしれない。
私の予想通り今上天皇の後を継ぐのが「御寺泉涌寺を守る会」会長の秋篠宮であるとすれば、皇太子となる悠仁親王がどこに住みどの学校に通うかは極めて重要なことである。皇太子が転校生として遷都先の学校に移ることは教育上好ましくない。皇太子は厳選された級友とともに新入生として中学校に入学すべきである。悠仁親王が中学に進学するのと同時に今上天皇が退位するのは、秋篠宮が祝園分屯地等の新皇居に移ることを示唆していると考える。愛子内親王は2019年4月には高校3年生であり、浩宮が奈良で天皇に即位すると東京で一人暮らしか奈良近辺の学校に転校となってしまい、考えにくい。あと、愛子内親王は英国のハリー王子と結婚して英国王室が日本の皇室を男系で乗っ取るという密約があったのではないかと私は想像している。愛子内親王が結婚可能な16歳になる2016年12月1日に婚約が発表される密約となっており、その前にヘンリー王子が黒人の血を引く恋人のメーガン・マークルと婚約するか、あるいは浩宮が廃太子となり秋篠宮が立太子して愛子内親王が将来女帝になる可能性をなくすというシナリオも考えられる。
以前にも書いたが、悠仁親王が学習院以外の学校に通うならば、小学校から高校まであり普通の学力でも受け入れ可能な東大附属が最も好ましい選択肢だった。23区内の学習院以外の私学の多くはキリスト教系(暁星・青山学院・立教)や国際金融資本系(慶応幼稚舎)で、神道を守るべき皇族には相応しくない。国立も学芸大附属や筑波大附属は高校が進学校であり小学校からの内部進学者の大部分は高校進学時までに学力不足を理由に追い出される。よほど学業優秀で無いと授業について行けないだろう。お茶の水女子大附属は高校が女子校なので高校進学時に追い出されてしまう。お茶の水女子大附属小学校という選択肢の理由は、姉妹大学に併設された奈良女子大附属の中等教育学校への進学と想像する。ここは現在はそれほど進学校では無く、普通の学力の皇族でも受け入れ可能だ。中等教育学校なので中学に入学すればそのまま高校まで進学可能であるのも大きな利点。筑波大附属中学への無試験進学制度創設や渋谷学園渋谷中学の学園祭見学はそれを隠蔽するための工作ではないかと考える。渋谷学園渋谷中学はかなりの進学校であり普通の学力では授業についていけないと思われるし、ビル街の中の校舎は皇族の学ぶべき環境にはほど遠い。
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スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立を巡る問題の混乱で、イタリア北部2州で22日にある自治権拡大の住民投票が関心を集めている。音頭をとる欧州統合懐疑派の右翼政党は独立は訴えないが、「富が中央政府に奪われている」との主張は同じだ。
2州は最大の産業都市ミラノを中心とするロンバルディア州と、観光都市ベネチアを含むベネト州。両州でイタリアの国内総生産の3割を担う経済力を誇る。住民投票では、州政府が特別な自治権や税収への広い裁量を求めて中央政府と交渉することの是非を問う。
<以下省略>
http://www.asahi.com/articles/ASKBD7QL4KBDUHBI030.html
●Italy referendums: Lombardy and Veneto 'back greater autonomy' - BBC News 23 October 2017
http://www.bbc.com/news/world-europe-41712263
●カタルーニャ州、結局独立宣言議決へ? - Sputnik 日本 2017年10月24日 08:40
http://jp.sputniknews.com/europe/201710244215197/
●クライド海軍基地 - Wikipedia 2014年08月24日
クライド海軍基地はスコットランドにおける海軍の司令部であり、イギリスの戦略核戦力であるトライデント D5 ミサイルで武装したヴァンガード級原子力潜水艦(トライデント潜水艦部隊)の母港としてもっともよく知られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0
●スコットランドが独立すると英国の核兵器が行き場を失う? | スラド
<前略>
現在、英国の核兵器はすべてスコットランドのクライドにある海軍基地に配備されている。しかし、スコットランド政府では独立が成立した場合にすべての核兵器を安全に廃棄し、スコットランド領内への持ち込みを永久に禁止すると公約している。一方、英政府や国防相はスコットランドが独立の道を選ばないと信じていると繰り返し主張し、代替の候補地選びは進めていないという。また、国防相は核兵器をイングランドに移動することは非常に困難であり、多大な費用がかかるとも述べているとのこと。ただし、比較的速く手頃な費用ですべての設備をイングランドに移動できるという意見も専門家から出ており、英政府や国防相の主張は政治的意図を持ったものだとの見方もあるようだ。
https://srad.jp/story/14/08/24/055229/
●皇室:天皇陛下、退位「19年3月末」有力 4月1日から新元号 - 毎日新聞2017年10月20日 20時18分
http://mainichi.jp/articles/20171021/ddm/001/040/160000c
●悠仁さま 高校受験回避のために筑附中無試験進学の可能性│NEWSポストセブン 2017.05.19 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20170519_556680.html?PAGE=2
●悠仁さま 東大合格者多数輩出難関私立一貫校の文化祭ご訪問- 記事詳細|Infoseekニュース 2017年10月20日 7時0分
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_622370
●世界制覇プロジェクトという病 - DEEPLY JAPAN
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/bebf01965d41c4e8bc561893a9c2557b
●新皇居は京都府精華町の祝園分屯地に、皇族の関西移住で悠仁親王は奈良女子大附属に転校へ - 国際情勢の分析と予測 2013年12月23日
さて、皇族の関西移住に伴う問題はもっと他にもある。学童期の皇族の教育機関である。東京には学習院があるが関西にはないので、同様の機能を果たす学校を選ばねばならない。数年以内に皇族が関西に移住するなら、恐らくその時には今上天皇は病気のため生前退位しており、南朝系の浩宮も皇太子を辞退し、北朝系の秋篠宮が即位していると想像される。皇太子になるであろう悠仁親王の通学する学校が必要になる。悠仁親王は学習院という前例を破ってお茶の水女子大附属小学校進学を選んだが、この学校は中学は男子が3分の1と少数派となり高校は女子校になる。従って中学進学か高校進学の時点で別の学校を選ばねばならない。同じ国立でもお隣の筑波大附属小学校であれば高校までそのまま進学可能(だたし授業についていけるかどうかは微妙だが)であったし、授業が心配ならより学力水準の低い東大附属という選択肢もあったのに、お茶の水附属小学校という選択肢は謎であった。
皇族の子弟の通う学校は本来国立であるべきである。学習院は戦前は国立だったが戦後にGHQの圧力で私学にさせられた。悠仁親王の選択は戦前への復帰とも言える。そして、祝園分屯地に最も近い国立の小中高校は、お茶の水女子大の姉妹校である奈良女子大の附属小学校と中等教育学校である。お茶の水女子大附属高校と異なり、奈良女子大附属は高校過程まで共学なので、別の学校に進学する必要が無い。この学校は1970年代前半頃までは難関進学校であったがその後レベルが低下してきており、皇族の子弟が入学しても学業に落伍する危険も低い。奈良県には他に奈良教育大附属小中学校もあるがここは高校が無いので選択肢から外れると思われる。その他には京都教育大附属、大阪教育大附属天王寺などの候補もあるが通学距離や生徒の学力水準の高さから考えて適切では無いであろう。
お茶の水女子大の前身である東京女子高等師範の西日本版として設立された奈良女子高等師範が奈良女子大の前身である。両者の関係は東大と京大、あるいは一橋大と神戸大法・経済・経営学部の関係に似ている。悠仁親王の将来の奈良女子大附属小学校あるいは附属中等教育学校への転校を念頭に置けば、お茶の水女子大附属小学校進学は極めて適切な選択肢であったと言える。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/abf0bc54a9ec8253d5519e0717f63f73
●『中国化する日本』(與那覇 潤・著) - 国際情勢の分析と予測 2011年11月22日
「中国化する日本」を読んだ。この本は、明治維新以来の日本人の意識転換を迫るものである。この本では、宋が貴族制を打破して科挙官僚を通じた皇帝の権力強化に踏み切ったことと貴族の荘園から農民が解放されて居住や職業選択の自由が実現したことを重視し、宋が世界で最も早く近世に移行した国であると説く。そして、近代の欧州の躍進は宋の哲学の影響を受けたものであり、逆に欧州の様な後進地域が世界の最先進地域に躍進できたことが最大の謎であると主張している。また、源平の争いは宋銭を大量に輸入して日本も宋の経済圏に参入しようとする平家と従来の農業主体の経済に固執する源氏の対立であり、源氏の勝利の結果日本は長い武家政治の期間中経済の停滞を経験、対照的に宋や清では経済が発展し人口も急増したと指摘している。著者の主張は多くの引用文献で裏付けられたおり、既に歴史学の定説になりつつある様だ。
1970年代末から中国と米英の三カ国で開始された新自由主義も宋の改革理念を実行したものであり特に中国で大成功を収めたとの認識の元に、著者は日本も中国的な社会に移行していく運命にあると予測している。一見欧米化している様に見えても、欧米の変化のお手本が中国である以上、それは中国化なのだという。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/3e73e33f13d6deb18f1e857a09b8a00b
●シリウスの都 江戸・東京:家康はなぜ江戸に本拠を置いたか?関ヶ原の戦いの目的は? - 国際情勢の分析と予測 2016年3月26日
安土桃山時代の日本は他の東アジア諸国と同様に国際金融資本=西洋シーパワーの侵略の危機に瀕していた。長崎はローマ教皇に寄付され教皇領となっていたし、九州の多くの大名・住民がキリスト教に改宗して日本の神社や寺院を破壊していた。そして国際金融資本はフィリピンやマラッカ、ジャワ島などを植民地化していた。豊臣秀吉の朝鮮・中国侵攻計画は、国際金融資本の海軍力に包囲され危険な日本本土から大陸に戦略的に撤退し、膨大な中国の人口(人民の海)を武器にして国際金融資本と対決するという戦略であったと思われる。この戦略は帝国陸軍が明治維新後に選択し、その後継者である残置諜者国家北朝鮮が現在も継続中である。豊臣秀吉の戦略眼の確かさには感動を覚えずにはいられない。
一方、徳川家康の戦略は、大陸への戦略的撤退は行わずに日本本土にとどまり、聖方位や真言宗、皇室の力で日本を防衛するというものであったのだと思われる。この戦略は明滅亡後の清の隆盛、日本や清の海禁政策などによって関ヶ原の戦いから少なくともアヘン戦争までの約240年間は有効であったし、現在も国際金融資本占領下で彼らに対抗するとともに日本の文化を維持し続けるという形で継続されているのである。徳川家康の戦略にも私は驚嘆を禁じ得ない。
関ヶ原の戦い、大坂冬の陣・夏の陣という徳川と豊臣の対決は、日本を国際金融資本から守るためにどうすれば良いかという戦略の違いに基づいている。当時の日本にはこの二つの戦略しか無く、日本の国益から見ていずれも正しいものであったと思われる。関ヶ原から4世紀以上過ぎた今も日本にはこの二つの戦略しかないのだ。そして、この二つの戦略を日本は同時並行で継続しているのだ。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/e19177fa72345ca9791ad36d6b77b8d1
●平成30年11月の即位の礼は奈良市の国営平城宮跡歴史公園の復元大極殿で行われ、それを期に皇室は関西に戻る。 - 国際情勢の分析と予測 2016年10月23日
10月16日の産経新聞が、2年後の平成30年(西暦2018年、皇紀2678年)11月の大嘗祭を報道した。以前からブログ記事で触れているように、秋篠宮が新天皇、悠仁親王が皇太子に、浩宮は廃太子となっていることだろう。とするならば、恐らく11月23日の大嘗祭の直前の11月上旬・中旬に新天皇の即位の礼も行われるはずである。その場所はどこだろうか?
<中略>
『みち』で触れている様に、京都や奈良の宮殿を住居として祭祀を行ってきた天皇を東京に連れ出して江戸城跡地の皇居に居住させるという明治維新以後の状況は異常である。京都でも桃山城や二条城という城があるがそこは秀吉や徳川将軍が本拠としていた。城は武士の住処であって皇室の住処では無いのだ。それは平成30年に終わるのである。
また、平成30年11月には悠仁親王が立太子すると思われる。平成31年3月にお茶の水女子大附属小学校を卒業した後、4月に奈良女子大附属中等教育学校に進学するならば、奈良近辺での新皇居の建設が間に合わない。悠仁親王を含めた秋篠宮一家は奈良の迎賓館的存在であり奈良公園の一角にある奈良ホテル等にしばらく仮住まいすることになるだろう。あるいは、祝園分屯地等の新皇居完成を待って平成34年3月にお茶の水女子大附属中学を卒業後に奈良女子大附属中等教育学校に編入するのかもしれない。現在の附属小4年生、2年後の中等教育学校入試で選抜される新入生は皇太子の御学友として人選を行う必要があろう。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/aafae86243cd924b3667d85904606efb
●聖徳太子と北条早雲と桜田門外の変と・・・ - DEEPLY JAPAN 2017-03-26
<前略>
とことんまとまりのないことを書いているけど、多分、今後の方向性として、日本単独で見ないで、東アジア世界の動乱を誘引として変化、対応してきた日本、みたいな視点が重要になってくるんだろうと思う。7世紀の動乱だけじゃないですからね。
もう一つは、日本は少なくとも東西で分けて歴史を書いていった方がいいんじゃないだろうか。西南日本というのは要するに東シナ海文化圏に対応しながら生きて来たところで、東北日本はそれに対していえば目立つのは軍事貴族(中央の武士)だが、総じていえば開発農民の社会発展史みたいに考えていった方がずっと現在に繋がる実りのある歴史として認識できるように思う。
まったくの私見だが、西南日本のそれはどこまで行っても著しくシナっぽいが、東北日本のそれは結構世界的に汎用性のあるモデルを作れると思うな。鎌倉時代はもっと見直されるべき。
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/0f9417a6e25040bd29d85f2864ae8580
●承久の乱 - Wikipedia
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。以後、北条義時は朝廷を倒した唯一の武将として知られることとなった。
日本史上初めて朝廷の勅や院宣に逆らう反乱軍(北条義時の幕府軍)の軍事行動によって朝廷が負けたとする朝廷を中心とした見方がある一方で、鎌倉幕府への討幕のため朝廷が挙兵し負けたとする見解もある(後述)。
鎌倉幕府の成立後、東日本を領地として持つ武家政権である鎌倉幕府と、西日本を領地として持つ京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
鎌倉幕府の御家人で源氏一門(御門葉)の重鎮であった大内惟信は、敵方である後鳥羽上皇に味方し敗死し、源頼朝が最も信頼を置いていた平賀氏・大内氏は没落することになる。山本七平の「日本史上最大の事件」という意見もある[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
●平氏政権 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B0%8F%E6%94%BF%E6%A8%A9
●日明貿易 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%98%8E%E8%B2%BF%E6%98%93
【私のコメント】
2017年10月1日にスペインのカタルーニャ州で独立を巡る住民投票が行われた。政府や国王はこれを激しく批判し自治権を停止する見込みとなっている。来るべき世界金融危機と同時期に独立戦争が始まるシナリオかと想像する。同じくイタリアでも富裕な北部の2州で自治権拡大を求める住民投票が行われて賛成票が多数となった。イタリアの住民投票は分離独立こそ目指していないが、北部2州で納税された税金の多くが貧しい南部地区で使用されていることを問題にしており、争点はカタルーニャ州と同様である。スペインでは他に少数民族バスク人の住む富裕なバスク地方が高度の自治権を有し税金の自主権も有している。しかし、バスク地方と比較してカタルーニャ州やイタリアの北部2州は規模が大きすぎる。これらの地域が分離独立するとイタリアやスペインは欧州の最貧国に転落するだろう。
スペインとイタリアはともに半島国で、カルタヘナやベネチアなど国際金融資本が歴史的に活動してきた拠点を有する。1479年にカタルーニャを中心とするアラゴン王国がカスティーリャ=レオン王国と同君連合が形成されスペイン王国が成立するが、これは国際金融資本が世界征服を行う拠点の整備の目的だったのではないかと想像する。その後国際金融資本がオランダ・ロンドン・ニューヨークと拠点を移したあとも、イベリア半島の大部分を統一するスペインが国際金融資本の影響下にあるという状態が維持された。そして、国際金融資本の世界覇権の消滅に伴って、旧アラゴン王国が独立に向かっているのだ。
イタリアの統一は1861-71年にかけて行われたが、同時期にはプロイセンによる統一ドイツの形成(オーストリアは排除された)や天皇による日本の統一(幕府が排除された)、南北戦争による米国の再統一が起きている。これは偶然ではなく、国際金融資本の主導によるものであり、欧州で人口規模の揃った複数の大国を並立させることで、伝統的な欧州の覇権国で人口規模も最大であったフランスを封じ込める目的だったと想像する。オーストリアが主導した独仏の国家統合=EU形成により欧州の繁栄の中心は欧州大陸中心部に移動し、半島国のイタリアやスペインでは繁栄が独仏に接した北部に限定されるようになる。そして、国際金融資本の世界覇権の消滅に伴って、イタリアでも旧ロンバルド=ヴェネト王国が独立に向かっているのだ。
スコットランドはこれらと異なり、大ブリテン島の北端という辺境に位置する。しかし、スコットランドは枯渇まで少し余裕がある北海油田と、核ミサイル搭載潜水艦の母港を有する。連合王国(英国)がEU離脱、スコットランドが独立しEUに残留することで、イングランドは大ブリテン島にEUとの陸上国境を有することになり陸軍整備が必要になる。金融業が消滅した欧州の最貧国イングランドは陸軍整備で手一杯で新たな母港を建設できず核保有国の地位を失うだろう。
長々と欧州情勢について述べてきたが、国際金融資本=西洋シーパワーの覇権が消滅すれば東洋でも同じことが起きる。日本列島や台湾、香港、シンガポール、上海、釜山といったシーパワーの拠点の繁栄は下り坂となり、中国大陸内陸部が大きく繁栄することは間違いない。また、伝統的に東日本中心に統治してきた武家政権が何らかの形で復活し、西日本の朝廷との二権分立体制に復帰することが望ましいのではないかと考える。源平合戦で入水して死去したとされる安徳天皇、承久の乱で幕府に敗れた後鳥羽上皇に代表されるように、鎌倉時代は西日本の朝廷に対抗する勢力が東日本に誕生した偉大な時代である。多くの論者が天皇陛下という言葉に思考停止するが、天皇陛下の政策も誤ることはありうるのであり、それを修正できる対抗勢力が誕生したのは喜ぶべきことなのだ。そして、明治維新以降の東京時代で最も嘆かわしいことは、この「天皇に対抗できる勢力」が日本から消滅し、その拠点であった関東地方の人々すら天皇陛下の権威に跪く様になったことなのだ。このような観点からも、皇族を関東地方から西日本に追い返し、東京を旧名の江戸に復帰させ、皇居を江戸城に戻して将軍の末裔を住まわせ、失われた武家の精神を復活させることが必要なのだ。有力とされる西暦2019年3月末の今上天皇退位に際してそれが起きると私は予想している。
中国の周囲の国々では、中国に近い地域と遠い地域で中国からの影響力が異なることから異なる風土が生まれやすい。モンゴルでいえば中国に近い内蒙古(フフホトや包頭が中心都市)と遠い外蒙古(ウランバートル、旧名フレーが中心都市)は、前者は今や中国の一部となり後者はロシアの強い影響下となっている。チベットで言えば青海省西寧とチベット自治区のラサの関係である。ベトナムではハノイとホーチミンシティの関係である。朝鮮では平壌と釜山の関係である。これが日本で言えば福岡や京都奈良大阪などの西日本と東京や東北北海道などの東日本の関係に相当する。
名著「中国化する日本」で著者の與那覇潤は、源平合戦とは宋で生まれた近代資本主義経済の導入を目指す西日本の平氏と、農業中心の伝統的経済の維持に固執する源氏の対立であったと説く。鎌倉時代の次の室町時代は勘合貿易により明の近代資本主義が日本に導入されている。その次の安土桃山時代では、国際金融資本の海軍力による日本侵略の危機を前にして、列島に籠城して戦うという家康と、中国大陸に戦略的に撤退して戦うという秀吉の二つの戦略の対立が起こり、それが関ヶ原の戦いに繋がっている。西日本の政権は常に中国大陸との密接な関係を追求し、東日本はその逆であったのだ。東京時代の首都機能が関東地方に置かれているのは、事実上国際金融資本の占領下で、大陸と首都の間の距離を離して間に緩衝地帯を作ることが目的では無かったかと想像する。今後西洋シーパワーが日本近海から撤退すれば、繁栄する中国大陸との密接な関係を維持するために西日本に遷都することは全く合理的である。その際には、島嶼国の不利を補うためにも、朝鮮海峡海底トンネルにより西日本の鉄道を朝鮮・中国につなぐことを検討すべきだろう。その一方で、東日本はシベリア鉄道を延伸してロシアと親しくしていくべきだ。東日本はロシア語が第一外国語、西日本は中国語が第一外国語にしてもよいかもしれない。
私の予想通り今上天皇の後を継ぐのが「御寺泉涌寺を守る会」会長の秋篠宮であるとすれば、皇太子となる悠仁親王がどこに住みどの学校に通うかは極めて重要なことである。皇太子が転校生として遷都先の学校に移ることは教育上好ましくない。皇太子は厳選された級友とともに新入生として中学校に入学すべきである。悠仁親王が中学に進学するのと同時に今上天皇が退位するのは、秋篠宮が祝園分屯地等の新皇居に移ることを示唆していると考える。愛子内親王は2019年4月には高校3年生であり、浩宮が奈良で天皇に即位すると東京で一人暮らしか奈良近辺の学校に転校となってしまい、考えにくい。あと、愛子内親王は英国のハリー王子と結婚して英国王室が日本の皇室を男系で乗っ取るという密約があったのではないかと私は想像している。愛子内親王が結婚可能な16歳になる2016年12月1日に婚約が発表される密約となっており、その前にヘンリー王子が黒人の血を引く恋人のメーガン・マークルと婚約するか、あるいは浩宮が廃太子となり秋篠宮が立太子して愛子内親王が将来女帝になる可能性をなくすというシナリオも考えられる。
以前にも書いたが、悠仁親王が学習院以外の学校に通うならば、小学校から高校まであり普通の学力でも受け入れ可能な東大附属が最も好ましい選択肢だった。23区内の学習院以外の私学の多くはキリスト教系(暁星・青山学院・立教)や国際金融資本系(慶応幼稚舎)で、神道を守るべき皇族には相応しくない。国立も学芸大附属や筑波大附属は高校が進学校であり小学校からの内部進学者の大部分は高校進学時までに学力不足を理由に追い出される。よほど学業優秀で無いと授業について行けないだろう。お茶の水女子大附属は高校が女子校なので高校進学時に追い出されてしまう。お茶の水女子大附属小学校という選択肢の理由は、姉妹大学に併設された奈良女子大附属の中等教育学校への進学と想像する。ここは現在はそれほど進学校では無く、普通の学力の皇族でも受け入れ可能だ。中等教育学校なので中学に入学すればそのまま高校まで進学可能であるのも大きな利点。筑波大附属中学への無試験進学制度創設や渋谷学園渋谷中学の学園祭見学はそれを隠蔽するための工作ではないかと考える。渋谷学園渋谷中学はかなりの進学校であり普通の学力では授業についていけないと思われるし、ビル街の中の校舎は皇族の学ぶべき環境にはほど遠い。
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ここが問題なんです
日本は神道の国ですから
しかし、現皇族の意図はどうなんだろうと、今まで神社を護ってきた方々はかなり不安があるのではないかと
国が破壊されようとしているように思えてならない
この回より小選挙区比例代表並立制
第41回 橋本1 1996年10月20日 日曜 59.65%
第42回 森1 2000年6月25日 日曜 62.49%
期日前投票の法律改正
第43回 小泉1改2 2003年11月9日 日曜 59.86%
第44回 小泉2改 2005年9月11日 日曜 67.51%
第45回 麻生 2009年8月30日 日曜 69.28%
第46回 野田改3 2012年12月16日 日曜 59.32%
第47回 安倍2改 2014年12月14日 日曜 52.66%
間
第48回 安倍 2017年10月22日 日曜 53.60%
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2017/10/26/8713701
【私のコメント】
1995年春の阪神大震災と地下鉄サリン事件の前の日本の総選挙の投票率は67.26%-76%の間で推移。
ところが、それ以降は67-69%の2回を除くと異常な低投票率。これはおかしい。
やはり、1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件で国際金融資本=米国の陰の政府に命令されて、選挙の得票数の捏造を実行させられているとみる。具体的には上記ブログが可能性を挙げている様に野党票の破棄だろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B3%89%E5%AF%BA_(%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E5%8C%BA)
渋渋近隣の長泉寺 (渋谷区)
長泉寺の創建は、文治年間(1185年-1190年)と伝わり、その後は青松寺7世であった瑞翁によって文禄元年(1559年)、同寺14世であった不中によって、それぞれ再興されている。
長泉寺は「人肌観音(金王丸守護仏)」で特に知られるが、この観音を安置した滝見堂は、室町時代には穏田川(渋谷川)の滝の傍らにあったとされる。また、本堂裏手の墓地の奥、山手線の築堤沿いには約200体の石仏群があり、そこには一面観音、千手観音、馬頭観音、地蔵菩薩などが含まれている。このため長泉寺には、石仏研究を目的でも人々が訪れる。
鏡の井戸
現在明治通りに通じている長泉寺の駐車場付近にはかつて、「鏡の井戸」と呼ばれる井戸があった。
これは広島藩穏田屋敷の屋敷内にあった井戸で、この屋敷は自昌院の別邸であったことから、自昌院とその娘である姫にまつわる逸話で知られる。その姫は器量が悪かったため、顔を見ないようにと鏡を井戸に投じた。しかしながらある日井戸を覗いた姫は、水面に映った自分の醜い顔を見てがっかりするが、そのうちに気を取り直して心の優しい人になろうと決意したという。
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>インターエデュ【4745930】 投稿者: UN intl airport (ID:PGRaOIyOa9M)
投稿日時:17年 10月 21日 09:08
……秋篠宮悠仁親王の渋谷下向以降、皇室は東宮家を中心とし女系を支持するする学習院統と、秋篠宮家を中心とする長泉寺統に分裂することとなった。
これを第二次南北朝と呼ぶ。……
http://www.sankei.com/world/news/171026/wor1710260019-n1.html
↓
ケネディ暗殺資料、全面公開先送り=半年かけ内容再審査-米
http://news.livedoor.com/article/detail/13806817/
渋谷ギャルで有名だった渋谷女子が渋渋と名前を変えて、進学校化した理由や経緯
まずここの経営者が80年代に幕張に男女共学の渋谷教育学園幕張を開校します。
市川中学はまだ当時は男子校で、この辺に男女共学のライバル中高一貫校がなかったため、伸びていきます。
その後渋渋も男女共学化し、渋渋でも渋幕の教育プロセスを導入することを宣伝し伸びたというわけです。
渋渋は、震災前までは「会津」が研修旅行先
文化祭は、「飛龍祭」。。。
会津藩士だった「山川浩」は、
明治18年(1885年)、森有礼の命により、東京高等師範学校(現・筑波大学)及びその附属学校(現・筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の校長に任じられ、東京高師附属中学の校友会である「桐陰会」の会長も務めた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171026/k10011197591000.html
賃料が16倍に!
「八重の桜」では降谷建志が演じた 、、新選組の斎藤一
明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。
退職後、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務める。出自、経歴は不明な点も多い。
中国のマック、現地風に社名変更 「ださい」酷評も
企業名の変更が報道された25日夜以降、中国のネットでは「金」の字が成り上がりを思わせることから「ださい」「変な名前」と酷評される一方、中国風で「民族の自信と誇りを強める」など好意的な見方も出ている。