国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

なぜ日本政府は新元号「令和」の出典として『万葉集』のみを強調し、中国の『文選』を取り上げないのか?

2019年04月02日 | 21世紀の日本の進むべき進路
令和大恐慌 - ネットゲリラ


1912年7月30日(同日の明治天皇崩御により大正に改元)/1989年1月8日(前日の昭和天皇崩御により平成に改元)
1914-1919年:第一次世界大戦・ロシア革命で長い19世紀の英国世界覇権体制が崩壊、米ソ二極体制へ移行開始/1989年4月-1991年:天安門事件・ソ連圏崩壊で共産圏が打撃を受け、米ソ二極体制から米国一極体制に移行開始

1923年(大正12年)関東大震災/ 2011年(平成23年)東日本大震災・福島原発事故
1926年12月25日:大正から昭和に改元

1927年(昭和2年)昭和金融恐慌:1927年3月14日の衆議院予算委員会の中での片岡直温蔵相が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と失言したことをきっかけとして金融不安が表面化し、中小銀行を中心として取り付け騒ぎが発生した。一旦は収束するものの4月5日に鈴木商店が倒産し、その煽りを受けた台湾銀行が4月18日に休業に追い込まれたことから金融不安が再燃した。4月21日に就任した高橋是清大蔵大臣は4月22-23日(金曜・土曜)に全国の銀行を一斉に休業させる様要請を行い、4/25から3週間の間500円以上の支払いを猶予するモラトリアムを施行することで漸く金融危機は集束した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E9%87%91%E8%9E%8D%E6%81%90%E6%85%8C
1929年(昭和4年)10月 米国大恐慌の始まり
1930年(昭和5年)昭和恐慌(米国の大恐慌の波及)
1938年(昭和13年)7月 支那事変勃発により東京五輪開催返上、代替地ヘルシンキでの開催が決定
1939年(昭和14年)第二次大戦勃発によりヘルシンキ五輪中止
1940年(昭和15年)東京五輪開催予定/2020年(令和2年)東京五輪開催予定


新元号「令和」の出典『万葉集』の序文、ルーツは中国の『文選』と指摘も
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」の箇所について、『新日本古典文学大系「萬葉集(一)」』の補注では、中国の詩文集『文選』に収録されている詩、後漢の学者・張衡の「帰田賦」の一部を踏まえていると指摘されているという


●岩波文庫編集部 @iwabun1927
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」




梅花の歌三十二首并せて序 (万葉集巻五)

梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述※1(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

※1:「述」は原文では「手」遍+「慮」

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天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。
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この漢詩風の一文は、梅花の歌三十二首の前につけられた序で、書き手は不明ですがおそらくは山上憶良(やまのうへのおくら)の作かと思われます。
その内容によると、天平二年正月十三日に大宰府の大伴旅人(おほとものたびと)の邸宅で梅の花を愛でる宴が催されたとあります。
このころ梅は大陸からもたらされたものとして非常に珍しい植物だったようですね。
当時、大宰府は外国との交流の窓口でもあったのでこのような国内に無い植物や新しい文化がいち早く持ち込まれる場所でもありました。




秋篠寺訪問記:秋篠宮の名の由来、廃帝淳仁天皇と徳仁親王の廃太子、道鏡の役を演じる雅子妃と愛子内親王 - 国際情勢の分析と予測 2014年09月16日

三連休を利用して旅行してきた。目的地は京都府南部の精華町・木津川市の学研都市と、奈良市にある秋篠寺である。前者は私がかつてブログ記事で新皇居予定地として取り上げた場所であり、その現地視察が目的であった。内容は改めて後日記事にする予定である。今回の記事のテーマは秋篠寺である。

車で学研都市から西大寺に向かう途中に秋篠寺がある。駐車場に車を止め門をくぐると、境内は鬱蒼とした木々が生い茂り、木々の根元は一面に苔が覆っていてまるで絨毯の様である。受付で参観料を払って中に入る。庭の中の本堂にある「伎芸天像(ぎげいてんぞう)」が第一の目的であった。

文仁親王は平成2年に結婚した後に天皇陛下から歴史ある皇室ゆかりの地名である「秋篠」に因んだ「秋篠宮」の宮号を賜った。その当時、紀子妃殿下の横顔が、伎芸天像に似ているという評判が立ったという。確かに伎芸天像の眉は紀子妃殿下の眉にそっくりである。その後、秘仏の大元帥明王を見たかったのだが一年に一回しか見れないとのことで断念、本堂入り口の受付で販売していた写真集で我慢する。優美な伎芸天像とは対照的な筋肉質の男性象で、怒りに満ちあふれた表情である。連休というのに参拝者は私の他に3人だけ。いずれも目的と思われる伎芸天像の前の長椅子に座って仏像を長時間眺めていた。帰りがけに本堂の入り口の受付と寺の入り口の受付の両方で「よくお参りいただきました」とお礼を言われたことに感動した。

さて、この記事の目的は単なる観光案内ではない。大元帥明王が元寇という国難の時期に作られている。目的は国難から日本を守るためと考えて間違いない。現在の日本もまた国際金融資本支配下の米軍に敗北し占領され、ごく最近にも大地震や原発事故という悲惨な経験をしている。今ほど大元帥明王の力が必要な時期は無いのだ。

日本は元寇・第二次世界大戦敗北の他にもう一つ、合計で建国以後3回の国難を経験している。最初は西暦660年の百済(日本と同じ扶余族で兄弟の国であった)滅亡と663年の白村江の戦いの敗北である。その後に壬申の乱で天智天皇は病死(恐らく暗殺された)、大友皇子=弘文天皇も恐らく殺され、勝った大海人皇子が天武天皇に即位している。天武天皇の男系子孫が途絶えて天智天皇の子孫の光仁天皇が即位し、以後は天智天皇の子孫だけが皇統となっている。この光仁天皇が廃后・廃太子しその後死去(恐らく暗殺)した自分の妻子の井上内親王と他戸親王(母が45才の時生まれており、実子ではない可能性もある)の祟りを恐れて作ったのが秋篠寺であるようだ。この井上内親王は天武天皇の女系の子孫であり、他戸親王は女系を挟んだ天武天皇の子孫ということになる。この二人を殺し、井上内親王の娘・孫も子を残すことなく世を去ったことで天武天皇の血統は皇統から永遠に排除されたのである。

天武天皇は親新羅政策を採っており井沢元彦の「逆説の日本史」では新羅系ではないかとされている。飯山一郎氏の言う「済州島=沈羅系」よりも恐らく正しいだろう。新羅は超大国唐と朝鮮半島で対立しており、日本を味方に付けることは死活的に重要であったからだ。天智天皇は自分の二人の娘(一人は持統天皇)を天武天皇の后とし、もう一人の娘は天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子の后としている。天武天皇が恐るべき実力者であったからこそ3人の娘を后にしたのだ。天武天皇は生まれた年が不明で兄の筈の天智天皇より年長との話もあり、実は全く血縁のない新羅系渡来人であった可能性は十分あるだろう。

ここで私が想像するのは1688年の英国の名誉革命である。天武天皇=オレンジ公ウィリアム、天智天皇=ジェームス二世、持統天皇=メアリー二世と擬えれば、壬申の乱とは日本版名誉革命であることがわかる。イングランドが対岸の大陸の小国オランダに国を乗っ取られたのと同様に、日本は壬申の乱で対岸の大陸の小国新羅に国を乗っ取られたのだ。これは、唐の侵略の脅威に対抗するには新羅と同盟するしかないという現実的な判断でもある。唐は支配階層が鮮卑拓跋という遊牧民族であり、元と同様の遊牧民族による制服王朝である。それ故に軍事力も強大であった。白村江の戦いは第一次の元寇なのだ。

天武天皇と持統天皇の間では恐らく、天皇の后は天智天皇の子孫にすることで日本の皇室の血統を女系ではあるが維持することで合意があったのだと思われる。「持統天皇」という名前は、新羅系に天皇の地位を乗っ取られた苦しい状況の中で、女系で天智天皇の血を守り続けたことを意味しているのだ。天武天皇崩御後は草壁王子が皇太子でありながら天皇になれず、母の持統天皇や妃の元明天皇が皇位を継いでいるなど、露骨に天武天皇の男系子孫を皇位から異物として排除する動きが見られる。皇室の菩提寺である泉涌寺で天武系天皇が奉られていないのとよく合致する。唐の脅威に対抗するには、日本の皇室が新羅系と百済・日本系の共同統治であるかのように唐に見せつけることが必要不可欠である。ただ、形式上は共同統治と見せかけながらも可能な範囲で、異国・異民族の新羅の影響力を排除したいと日本政府が考えていたのだろう。

さて、755年から763年の安史の乱で超大国唐は一挙に弱体化し、日本侵略の危険はほぼ消滅した。玄宗がやむを得ず寵愛する楊貴妃を殺したとされる事件である。この時の日本の天皇は天武天皇系列の最後の男系天皇である淳仁天皇(在位758-764年)である。淳仁天皇は孝謙天皇=称徳天皇に764年に廃位を宣告され、脱走後捕まり765年に病死している(恐らく暗殺)。この廃位の764年の前年には唐・ウイグル(モンゴル高原を支配)。その他の西域商人などが関与した国際的事件である安史の乱が終結、その後唐の弱体化につけこんだ新たな外敵チベットの侵入と首都長安占領が起きている。この状況を見た日本政府は、もはや唐による日本侵攻の脅威はなくなり、日本の皇室に新羅系天皇を置くことで唐に対する抑止力とする必要がなくなったと考えたことだろう。一年間のタイムラグは不安定な航海での情報伝達に「かかった時間と考えられる。その後井上内親王と他戸親王(新羅が日本での影響力拡大を狙って送り込んだスパイ?)を殺すことで新羅系女系皇族も排除されていき、長かった国難は終わりを告げるのである。

私が知る範囲では、淳仁天皇の廃位と安史の乱の関連性は指摘されていない。大海人皇子の正体も不明なままである。ただ、状況証拠を積み上げ論理的思考でそれらを組み合わせると深い関連が疑われる。日本史は従来日本国内だけで完結した歴史として扱われてきたが、実際には国際情勢を深く反映している筈である。そして、それが「新羅系王族による日本国乗っ取り」という屈辱的な事態であるが故に入念に隠蔽され、国内で完結した嘘の日本史が流布されてきたのだろう。淳仁天皇の廃位を行った未婚の女帝・孝謙上皇=称徳天皇は道鏡との姦通説で有名だが、これは天武系から天智系への皇統移転を正当化するための世論操作ではないかと想像する。雅子妃は現代の道鏡である。

秋篠寺は第一の国難である白村江の敗戦と天武王朝に関連して設立され、第二の国難である元寇にも大元帥明王を通じて深く関係している。秋篠宮は泉涌寺を守る会の会長を務めることからも分かるように、今上天皇や皇太子が恐らく南朝系=長州系天皇であるのとは異なり北朝系=孝明天皇の血を引いていると思われる。明治維新以来皇室が二系となってしまったことは明治維新以来現在まで続く第三の国難に深く関係している。秋篠宮の名は国難に立ち向かってきた秋篠寺から取られたのだ。それは、秋篠宮が国難に立ち向かい解決する指導者として天皇陛下から指名されたことを意味する。現皇太子の徳仁殿下は恐らく淳仁天皇と同様の行方を辿り廃太子となるシナリオであろう。このような「秋篠」の言葉が持つ深い意味合いに気付いたが故に私はこの度秋篠寺を訪れたのであった。このブログの読者の皆さんも是非秋篠寺を訪れられることをお勧めする。

日本の第一の国難は安史の乱によって終わった。現在の第三の国難は、9月17日発表のFOMCや9月18日のスコットランド独立投票、9月20日のG20財務大臣・中央銀行総裁会議、11月9日のカタルーニャ独立投票等の結果次第だが、国際金融資本の劇的な弱体化によって終わりそうな気配である。これは現代版の安史の乱に他ならないのだ。長く辛い国難の日々はもうすぐ終わる。読者の皆さんも私も、秋篠宮を中心にしてもう少しの間、皆で団結して国難に立ち向かっていこう!!!






【私のコメント】
ネットゲリラが新元号「令和」公表直後に「令和恐慌」という記事を投稿している。及川幸久氏もyoutube動画配信で4月1日に同様の内容を述べている。実に興味深い。

ホブズボームの言う「短い20世紀」は1914-1989年の米ソ二極体制時代で、1914(大正3年)-1945年(昭和20年)はその体制確立までの混乱期に相当する。1989年(平成元年)に始まった長い21世紀は恐らく中露二極を中心とする多極時代で、今も体制確立までの混乱期が続いている。

「令和」の「和」は「昭和」で使われたばかり。片岡直温蔵相の失言による昭和金融恐慌は昭和改元から79日後に起きている。歴史が繰り返すならば、改元公表の2019年4月1日の79日後の6月19日頃に財務大臣の失言で経営困難状態に陥った地方銀行が破綻して令和金融恐慌が開始されるのだろうか?ネットゲリラの管理者の地元のス○ガ銀行などが容易に想像されるが、何らかの事前情報があるのだろうか?

また、鈴木商店と台湾銀行に相当するのはどこだろうか?鈴木商店は大正時代に急成長しで業界トップに躍り出た非財閥系の総合商社だった。平成時代で対応するのはソフトバンク・楽天・セブンイレブンあたりが想像されるが、その中で経営状態が思わしくない所が破綻するシナリオは考えられる。そして、そのメインバンクも危機に瀕するかもしれない。

大正時代と同様に平成時代には米国で巨大な金融バブル・不動産バブルが形成されている。このバブルが弾けて世界大恐慌が始まったのが昭和4年、翌5年には日本にも波及して戦前で最も深刻な不況になっている。令和初期にも同様の事件が起きてもおかしくない。大正時代と平成時代、昭和初期と令和時代はあまりに類似点が多すぎる。西側金融システムが崩壊する様な大恐慌が起きて「零=ゼロ」に戻ることを示唆しているのかもしれない。

「令月」は旧暦2月(如月)を指すこともあるが、この歌が詠まれたのは1月13日なので、「好ましい、良い」という意味と思われる。「令嬢」「令息」の「令」と同じ意味だ。
もし2月とすれば、旧暦2月(新暦1912年4月15日)生まれの金日成、あるいは新暦2月生まれの徳仁親王・金正日あたりを指している可能性はありうるかもしれない。
あるいは、全世界に散らばる陸軍中野学校出身者の子孫等の残置諜者に「和=大東亜戦争の終結」との命「令」を下すのが目的なのかもしれない。
更には、私の持論である近未来の京阪奈学研都市への遷都を前提として、「和}=大和国への遷都を命「令」することを示すのかもしれない。
ただ、これらの考察は何ら根拠の無い仮説に過ぎず、意味があるのかどうか疑問である。

さて、本題に入ろう。新元号「令和」の出典、万葉集の序文「初春の令月、気淑しく風和らぐ」は後漢・張衡による『文選』の句を踏まえていることが、岩波書店出版の新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されているという。日本の元号は従来常に中国の古典を出典としてきた。それは中国古代文明を尊重するという日本の姿勢を示している。今回も実はその姿勢は維持されている。なのに、安倍首相らは史上初めて中国の古典ではなく日本の古典(万葉集)を出典としたと主張し続けている。中国軽視・中国離れの姿勢の表れとの見方もある様だが、日本の古典が中国の古典の強い影響下に成立したことは歴史的に明らかである。そもそも元号やそれを表記する漢字は中国文明に由来しており、真に中国離れするならば南北朝鮮やベトナムの様に漢字や元号を廃止してしまえばよいだけなのだ。なのに、日本はそれはしないのだ。この理由は何だろうか?

私が最も注目するのは、この万葉集の梅花の歌の宴会が開かれた時代背景と場所、そして登場人物である。

この宴会が開かれた天平2年は西暦730年に相当する。唐の第一回高句麗侵略(西暦644年)に始まる最初の日本の国難は、律令国家を目指した大化の改新(西暦646年)を引き起こしたと思われる。その後百済滅亡(西暦660年)、白村江の戦い(西暦663年)、新羅と唐の戦いを通じた半島の新羅による統一(西暦669-675年)と大きな情勢変動を背景に、親新羅の天武王朝を女系の持統天皇系が支えるという国内新体制への移行が壬申の乱(西暦672年)で起きる。その後の日本は新羅と唐の二国家の影響下に置かれ、安史の乱(西暦755-763年)で唐が大きく衰退するまで事実上唐の属国であったと思われる。

この宴会で序文を書いたと思われる山上憶良は第8回の遣唐使で西暦702-704年に唐に滞在している。西暦717年の第9回遣唐使では阿倍仲麻呂、吉備真備、玄昉らが入唐、吉備真備と玄昉は西暦735年に第10回遣唐使で帰国している。更に第12回遣唐使(西暦752-754)では吉備真備が二度目の入唐を行い、唐の高官となっていた阿倍仲麻呂と共に帰国しようとするが、船の難破で阿倍仲麻呂が帰国できず唐で生涯を終えたことは有名である。歌が詠まれた天平2年(西暦730年)の時点では阿倍仲麻呂、吉備真備、玄昉の3人は共に唐に長期滞在中であった。そして、歌が詠まれたのは太宰府という日本の玄関かつ対外外交の場であったのだ。

安史の乱での唐弱体化に決定的な役割を果たした楊玉環(楊貴妃、西暦719-756)は西暦735年に玄宗皇帝の息子の妃に、740年に玄宗皇帝の妃に、745年には貴妃(高い地位の妃)となり玄宗皇帝の寵愛を独占するに至る。752年にはいとこの楊国忠が唐の大権を握るに至るが、安禄山との対立が深まり、755年の安史の乱に至るという経緯がある。安史の乱終結後の763年には吐蕃の軍が唐に侵入して首都長安を占領するなど、唐の弱体化は著しい。

楊玉環(楊貴妃)は、生まれ・育ちでは日本に縁が無いはずだが、北朝系皇室(天武系も排除されていることが重要)の菩提寺である京都市の泉涌寺には楊貴妃観音が有り、三種の神器の一つを有する熱田神宮には「楊貴妃の墓石」がある。山口県には、楊貴妃が阿倍仲麻呂と共に安史の乱を逃れて日本に亡命してきたとの伝説が存在し、長門市油谷町の二尊院というお寺には楊貴妃の墓と伝わる五輪塔があるとされる。これらの伝承に基づいて、日本の皇室が吉備真備や阿倍仲麻呂を唐に送り込んで工作を行い、楊貴妃を玄宗皇帝の後宮に送り込み内乱を誘発して唐を弱体化させ国難を打開した、唐の弱体化を確認した764年に天武系(つまり新羅系)男系最後の淳仁天皇が廃位となり、その後女帝の称徳天皇を経て天智系(つまり日本系)の光仁天皇(770年即位)に皇統が戻ったという仮説を以前私は本ブログで開陳したことがある。光仁天皇の即位にも晩年の吉備真備が深く関与している様だ。更に、wikipediaによると、奈良県五條市にある楊貴氏墓誌には吉備真備が母の楊貴氏を天平11年(739年)8月12日に葬った墓であることが記載されており楊貴氏とは楊貴妃に因んだ「八木氏」の好字であるとされるが、楊玉環が「貴妃」の位に就く6年前に墓誌が書かれた点が合わないことが指摘されている。これは、吉備真備が阿倍仲麻呂と協力して楊玉環を後宮に送り込み貴妃の位に就けて玄宗皇帝を骨抜きにして唐を弱体化させるという計画を在唐期間中から遂行していたことを示唆しているのではないかと想像する。

秋篠宮の名の由来である秋篠寺は第一の国難に関連する天武系最後の皇族である井上内親王と他戸親王の祟りを恐れ弔うために建設され、元寇という第二の国難の時期には大元帥明王が作られるなど、日本の国難に深く関わっている。現在はアヘン戦争(あるいは大航海時代)に始まる第三の国難の真っ最中であるが、今上天皇の生前退位と徳仁親王の即位によって秋篠宮が皇太弟(皇嗣)となることが既に決まっている。徳仁親王の在位はそれほど長くなく、その後秋篠宮が長期にわたって在位するものと私は想像している。

結論に入ろう。「令和」は『文選』と「万葉集」の二つの出典を持つが、「万葉集」のみが強調されている。それは、天平2年に太宰府で山上憶良が書いたことを強調する目的と想像する。この時期の日本は唐の属国状態で天皇も新羅系になり女系で辛うじて日本系の皇統を維持するという苦難の状態にあったと思われる。それは、鮮卑拓跋という騎馬遊牧民族による征服王朝である随唐が朝鮮半島から日本まで侵略の手を伸ばそうとしたという、最初の日本の国難によるものである。恐らく日本は国家の総力を挙げて工作を行い、楊貴妃を玄宗皇帝の後宮に送り込んで安史の乱を誘発して唐を弱体化させたのだと思われる。その工作の中心になったのが遣唐使であり、工作の舞台となったのが太宰府であったのだ。日本は歴史上3つの大きな国難を経験している。最初が白村江の戦いから安史の乱まで。2回目は元寇。そして最後はアヘン戦争から現在までの西洋の海軍力による軍事占領である。「万葉集」出典の強調は、当時と同様に現在も日本は国難に置かれているが、それを克服するために工作を続けていることをわかる人に伝える目的と思われる。天平二年の太宰府で山上憶良が考えていたのと同じことを日本の外交官を初めとする政府関係者は今考えていると思われる。多くが帝国陸軍残置諜者の子孫など日本人であると思われる北朝鮮政府関係者も同様だろう。それは「国難の克服のためどのように行動すべきか」ということであろう。

山上憶良が太宰府で歌を詠んでから淳仁天皇の廃位で第一の国難が終わるまでに実に34年かかっている。国際金融資本を倒すまでの戦いはあと何年続くのだろうか?彼らは500年前から有色人種を対象として大虐殺を行い続けている。我々もかつて広島・長崎・東京で、そして恐らく最近は兵庫県南部・地下鉄霞ヶ関駅・福島・熊本などでもその被害を被り続けているのだ。今もシリアでは多くの罪の無い住民が国際金融資本の傭兵によって虐殺され続けている。何としてもこの虐殺を食い止めねばならないのだ。

我々は昭和16年12月9日に国際金融資本の支配する米英に対して立ち上がった。ただ、我々の力が弱かったから、虐殺を食い止めることが出来なかったのだ。われわれはそれを深く反省せねばならない。今や我々の友邦であるロシアと中国は強大な軍事力と経済力を手に入れ、米英を圧倒しつつある。勝利の日は間違いなく近づいている。その後、我々は中華文明の個性ある一員という立ち位置を得るだろう。我々は軍事力や経済力はおろか、科学技術でも中国に対抗することは不可能と思われる。しかし、我々には中国本土が持たない二つの優れた財産を有している。一つは、中国本土で失われたものも含めて古代中国文化の神髄を今も伝承し維持し続けていることだ。皇室、儒教、元号、漢籍などがそれに相当する。もう一つは、昭和16年12月9日に米英に対して立ち上がり、その後も戦い続けていることだ。米英の軍事基地を長駆攻撃して一時占領した史上初のアジア国家という苦難と栄光に満ちた日本の歴史は、後に続いた北朝鮮やベトナム、パレスチナとともに有色人種の歴史に今後何千年もの間、燦然と輝き続けることだろう。択捉島占冠湾、真珠湾、知覧、沖縄、広島、長崎、福島などの古戦場は38度線やディエンビエンフー、ガザなどと共に今後多くの有色人種が訪問し巡礼する場所となり繁栄することだろう。








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859 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ( )
2019-04-02 16:38:23
>ネットゲリラ

反日+パヨチン+陰謀論者という、
日本社会の最底辺ゴミクズキチガイ低脳に
連動するのはもうやめて下さい
返信する
Unknown (Unknown)
2019-04-02 17:01:09
>徳仁親王の在位はそれほど長くなく

奇しくも伯家神道に伝わる予言では
今は(明治天皇)金帝様だが
次は銀帝、次は 銅帝、次は泥帝、次は哀帝になる」と。
伝えられてる

ちなみに次に即位する新天皇がちょうど哀帝に当たる
返信する
「令和」安倍晋三首相と菅義偉官房長官の「黒い陰謀」 (Unknown)
2019-04-02 20:07:44

https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
菅義偉官房長官は、日本最初の元号とされる「大化」から数えて248番目となる新元号の出典を「万葉集」巻五に求めて「令和」と決めたと発表したけれど、その底意は何か?

◆〔特別情報1〕
「ポスト安倍」を窺う菅義偉官房長官は4月1日午前11時41分、新元号を「令和」と発表した。日本最初の元号とされる「大化」から数えて248番目となる新元号の出典を、「万葉集」巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文(「梅花の歌三十二首并せて序」)。

 初春の令月にして
 気淑く風和らぎ
 梅は鏡前の粉を披き
 蘭は珮後の香を薫らす


万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)
中西 進
講談社


 立命館大の白川静名誉教授の名著「字通」によると、「令」とは、「礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形。神官が目深に礼帽を著けて跪く形。神意を承ける象」(日本においては、八百万の神々に日々、世界の恒久平和と繁栄を祈っておられる神官の最高位・天皇陛下を意味している)という。なお、鈴も初めは「令」に従って鈴に作り、神を降ろし、神を送るときに用いる。
「令月」とは、1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」、2 陰暦2月の異称。新暦では2月下旬から4月上旬ごろに当たる。 2月の別名は如月(きさらぎ)である。ちなみに、菅義偉官房長官は、鳩山邦夫法相(故人)が主宰していた派閥横断型の政策グループ「きさらぎ会」(所属議員が、自民党最大派閥の町村派93人を上回り、106人に達した)を引き継いでおり、「令月」を意識して、「令和」に惹かれたのかも知れない。


字通 [普及版]
白川 静
平凡社


 なお、万葉集18巻の大伴家持の長歌から一部を採った「海行かば」は戦前に軍歌の歌詞として採用され、第2国歌とも言われたことを忘れてはならない。

 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ

 安倍晋三首相と菅義偉官房長官の「黒い陰謀」が見え隠れしている。
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Unknown (Unknown)
2019-04-02 20:11:06
https://golden-tamatama.com/blog-entry-us-flood.html

2019.04.02
アメリカの洪水が2億人に影響

元号についてはあれこれあるので、後で書くとして、気になる話を載せときます。
3月21日前後。
何か大きなことがある。
前からあのQさんが警告してたのですが。
もしかしてこれ?なんでしょうかね。
どうも3月19日から始まったアメリカの大洪水。
とうもかなり酷い状況のようです。
今後2か月間大雨が続き、アメリカ全土の3分の2が水没する。
2億人が被災する可能性があると アメリカ海洋大気庁が発表したとか。
被害にあったのはアイオワ州,ネブラスカ州、ミズーリ州等々。
12か所以上の堤防が決壊して家畜や農地が全滅のようです。

アメリカ中西部の黙示録 少なくとも100万エーカーの農地が水没した
Midwest Apocalypse: Satellite Data Show “At Least 1 Million Acres Of US Farmland” Devastated By Floods
私達はこれまでにこんなことを見たことがない。
ロイター通信が発表したばかりの衛星データによると、「少なくとも100万エーカーの米国の農地」が今月少なくとも7日間、水で覆われた。
それは現代アメリカの歴史にない災害です。
B級ニュースのように主流のメディアは扱っていますが、
そうではなく、これはこれまでのところ2019年の最大のニュースでしょう。
人々は何が起こっているのか知りたがってます。
数日前、私は「ネブラスカで失われた何百万もの子牛」の話題にふれました。 そしてそれはすでに145,000回以上ソーシャルメディアで共有されています。
この洪水の結果、中西部の農業地帯は今や紛争地帯のように変貌しました。
メディアエリト達はそれについて書きたくありません。
そして、今後2ヶ月間の洪水が増えるにつれ 、この危機は悪化するばかりです。
これは、農家が小麦、トウモロコシ、大豆の栽培準備期間中で、今では私たちの農地のかなりの部分がこの年に使用できなくなるでしょう。
ロイター通信によると 、少なくとも今月は少なくとも7日間、少なくとも100万エーカーの農地が洪水で覆われており、「今年はトウモロコシ、小麦、大豆の生産量が減少する可能性があります」…

うーん。
アメリカ史上最大の災害と書いてます。
穀物の先物価格を見たのですが、
今のところ価格が暴騰してるということはないようです。
むしろ下がってる。

価格に反映されるのはもうちょっと先なんでしょうかね。
日本の食料品はもちろん輸入が多いので日本の価格もかなり上がる可能性があります。
今のうちに買っとくのも良いかもしれません。
これはずーっと前に載せたトカナさんの地図。
これは、なんとなく当たってるような。
タイムトラベラーが示した2025年の未来地図です。今回の洪水の被害地域、アリゾナ州・ネバダ州・オレゴン州が入ってる。
とかなんとか。
まぁ、これは話半分です。
本当にありがとうございますた。
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Unknown (Unknown)
2019-04-02 23:23:59
新元号「令和」の真相をここだけで語る。(原田武夫の道中辻斬り Vol. 50)
https://www.youtube.com/watch?v=x-Ey6BRmDJA
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Unknown (アジア主義者)
2019-04-03 08:18:57
大川周明が悪の本体のアメリカではなくイギリス、と言ってたが本当だったね。アメリカに見捨てられ断末魔の叫びをあげてる。
令和はその出展がポイントで国際金融資本を表してる。
「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」
令月=ブルームーン=アメリカ
梅=メイ=イギリス
蘭=オランダ
アメリカという横暴な権力の暴風が止み、イギリスは現実に対面して無力さを露わにし、オランダは自分達が背後から操ってたが、腐った臭いが隠しきれなくたなったということ。
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Unknown (Unknown)
2019-04-03 09:34:03
メガバンクの新卒採用 「倍返しだ!」で注目→今は激減
https://www.asahi.com/articles/ASM425304M42ULFA00S.html
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年号候補 英弘 (読書貧乏)
2019-04-03 14:30:30
年号について何も言うことはありませんが。
年号で気になったのは候補にまでなった英弘です。

これはすなわち外語大教授だった岡田英弘のことでしょう。
モンゴルと日本から中国を厳しく研究した人。
ギョッとした中国人もいたでしょう。
何かしらの楔を打ち込んでみたのかも。

『菊の刀』のように『この厄介な国、中国』を読めば、
中国人の行動パターンを理解、予想することができます。

中国と友となるも敵になるも最低限の教養として読むべき本です。


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Unknown (sam)
2019-04-03 14:33:26
令和 ゼロサム
経済リセット

新天皇は安倍氏より強い天皇
期待したい
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Unknown (Unknown)
2019-04-03 19:46:11
皇太子と2度も面会 安倍首相が気にする“犬猿の仲”の存在
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250635

東宮御所を出る安倍晋三w
https://www.jiji.com/jc/p?id=20190329195535-0031021606

なんで渋面なの?
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