●満州族の人口状況
第一節 現在の人口分布状况
1990年の第四次人口調査によれば、中国満族人口は、984.68万人で、各少数民族中、人口は、壮族に次ぐ第二位を占める。
満族人口の地域分布:
1644年(満族入関)前、満族人口は、満州(即ち、今の東北地区)に集住していた。1644年以降、大部分の満族人口は、続々と関中に入った。中国を統治する需要に基づき、満族人口は、中国各地に分布し始め、逐次、集住と分散が相結合する特徴を形成した。歴史の変化の結果により、現在の満族人口は、主として、東北三省及び北京、内蒙古、新疆一帯に集中分布している。
省別 1990年
遼寧省 50.31%
吉林省 10.71%
黒龍江 12.10%
北京省 01.68%
内蒙古 04.68%
河北省 17.62%
1990年、以上の地区に居住する満族人口は、中国満族人口総数の97.10%を占め、その他地区に居住する者は、わずか2.9%しか占めない。
第三節 人口の文化構成
1990年の人口調査資料によれば、満族人口1万人当たり、大学、高中、初中と小学文化程度を具有する人数は、各々1,652.2、2,758.7、3,809.3と918.4人であり、全国平均水準(各々、139.0、792.9、2,323.3と3,706.6)と漢族平均水準(各々、143.1、811.2、2,385.4と3,704.5)を大幅に超過し、更に少数民族平均水準より顕著に高い。中国各民族人口文化構成中において、満族の各種指標は、全て首位を占め、その内、1万人当たりの大学文化程度を有する人数は、全国平均水準と漢族平均水準より十倍以上高い。15歳以上人口中、文盲・半文盲が占める比率は、1990年、満族は、1.41%で、全国22.21%と漢族21.53%の平均指標よりも低く、中国各民族中、最低である。
第四節 人口の職業と就業構成:満族人口の就業構成の特徴
就業人口における三大産業の比重は、第一次産業が48.07%を占め、第二次産業が21.7%を占め、第三次産業が30.86%を占める。第三次産業の比率は、漢族(12.80%)よりも顕著に高い。満族人口の職業構成は、農、林、牧、漁労働者が首位(46.95%)を占め、各類専業、技術人員(17.21%)がそれに次ぎ、生産工人、運輸工人と関連人員(15.35%)がそれに次ぎ、四番目に商業工作人員(11.37%)、五番目に国家機関、党群組織、企事業単位責任者(6.55%)、六番目に弁事人員と関連人員(2.11%)、七番目にサービス性工作人員(0.55%)、最後に分類不能のその他労働者(0.09%)である。
●中国の民族区域自治
民族区域名称 設置時 州・県都所在地 面積(平方km) 2003年末の総人口(万人) 少数民族の比率(%)
河北省
大厰回族自治県 1955.12.7 大厰鎮 176 11.20 24.27
孟村回族自治県 1955.11.30 孟村鎮 393 18.72 23.98
青竜満州族自治県 1987.5.10 青竜鎮 3309 51.65 68.40
豊寧満州族自治県 1987.5.15 大閣鎮 8747 38.05 68.05
囲場満州族蒙古族自治県 1990.6.12 囲場鎮 9058 51.57 57.84
寛城満州族自治県 1990.6.16 寛城鎮 1933 23.39 63.50
遼寧省
阜新蒙古族自治県 1958.4.7 阜新鎮 6246 73.15 20.30
カラチンザヨ·蒙古族自治県 1958.4.1 大城子鎮 2240 42.36 19.71
岫岩満州族自治県 1985.6.11 岫岩鎮 4502 50.31 79.95
新賓満州族自治県 1985.6.7 新賓鎮 4287 30.66 73.5
清原満州族自治県 1990.6.6 清原鎮 3921 34.16 61.00
本渓満州族自治県 1990.6.8 小市鎮 3362 29.99 63.85
桓仁満州族自治県 1990.6.10 桓仁鎮 3547 30.29 59.00
寛甸満州族自治県 1990.6.12 寛甸鎮 6186 43.64 54.92
吉林省
延辺朝鮮族自治州 1952.9.3 延吉市 43474 218.57 40.89
長白朝鮮族自治県 1958.9.15 長白鎮 2496 8.51 15.86
前グォルロス蒙古族自治県 1956.9.1 前郭鎮 5117 57.54 9.99
伊通満州族自治県 1989.8.30 伊通鎮 2523 46.64 39.71
黒竜江省
トゥルパト蒙古族自治県 1956.12.5 泰康鎮 6427 24.88 21.00
●「満州国」における国民教育と民族教育―コリアン教育と満州族教育の比較考察― 北海道大学大学院教育学研究科紀要 20-Dec-2005
北海道大学大学院教育学研究科助教授 李 明玉
抄録: 「満州国」が樹立されて間もないころ,関東軍当局によって,満州族が満州族学校を開設することが許可された。このような社会背景下で,満州族の上層人物が発起し,主に溥儀個人名義の下賜金により,1934年8月14日,奉天維城学校を開設された。これは,「満州国」時期唯一の満州族中・高等学校であった。本研究は,「満州国」が満州族に対して他の民族と異なる教育政策を実施したのではないかという仮説から,在満コリアンに対する国民教育―皇民化教育と比較しながら満州族に対する民族教育を分析しようとするものである。具体的には溥儀自らの下賜金によって作られた学校が持つ意味と位置づけを,当該校の設立背景,教育理念及び経営実態から考察し,当時のコリアン教育との相違点を明らかにすることが本研究の目的である。
●満州民族 - Wikipedia
清朝時代の満州民族:ホンタイジは後金を満州・モンゴル・漢の3民族を、満州人である愛新覚羅氏の皇帝が支配する帝国に発展させ、国号を清と改めた。多民族国家である清のもとで、満州人は八旗と呼ばれる8グループに分けられた集団に編成されて、清を支える軍人・官僚を輩出する支配民族となる。
清は、1644年に明が滅びると万里の長城以南に進出して明の旧領を征服し、八旗を北京に集団移住させて中国全土を満州民族が支配する体制を築き上げた。清の歴代の皇帝は、漢民族が圧倒的多数を占める中国を支配するにあたっても、満州語をはじめとする満州独自の民族文化の維持・発展に努めたが、次第に満州語は廃れ、満州人の間でも中国語が話されるようになり、習俗も中国化していった。
逆に、中国を扱った映画などの作品で見られる辮髪やチャイナドレスは元来は満州族の習俗であったものが清の時代に中国に持ち込まれたものである。
一方、満州民族の故地である中国東北地区(満州)は、皇帝の故郷として保護され、漢民族の移住は強く制限されていたが、清末には漢民族の農民が入植するようになり、漢民族人口が急増して満州民族をはじめとするツングース系諸民族は人口の上でも生活範囲の上でもまったく追いやられてしまった。
1932年には日本の手によって、清の最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を執政(のちに皇帝)として満州国が立てられるが、満州国は日本・朝鮮・満州・蒙古・支那の5民族による五族協和を理念としており、満州国の内部において自国が満州民族の国家として意識されていたわけではない。しかしながら満州民族においては建国後に帝政期成運動を起こすなど、満州国に民族の復権を期待する向きも一部ではみられた。
現代の満州民族:第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族とされる。
満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満州語を話す者はほとんどおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満州民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満州民族の民族意識はとても強いともいわれている。
●満州族 朝鮮族ネット-中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト
中国の少数民族のうち最大といわれる1,000万人の人口を持ち、東北3省を中心に広く分布しています。かつては女真族と呼ばれ、金、清などの王朝を建てました。16世紀末には女真族が朝鮮王朝と抗争を続け、丁卯胡乱(1627年)と丙子胡乱(1636年) を通じて清が朝鮮を服属させました。日本の植民地支配の時期には、朝鮮族・満州族・漢族が力を合わせ、抗日連軍を組織して抵抗しました。地理的にも歴史的にも、漢族と並び朝鮮族とは最も深い関係のある民族といえましょう。
現在、中国全土で1000万人を上回り、主に遼寧、吉林、黒龍江の3省に分布、遼寧に最も多く集まっています。残りの大部分は河北、内モンゴル、寧夏、甘粛、新疆、山東、福建などの省・区に分布し、一部は北京、天津、上海、西安、成都、広州などの大中都市区域に分散しています。
遼寧に居住している500万人程が、全国の満州族人口の半分以上を占めます。遼寧は8つの満州族の自治県(2つの県レベルの市を加える)と若干の満州族の郷・鎮があり、満州族が集中して活動する主要な地区です。
吉林満州族の2001年末の人口は104.81万人であり、その分布は長春、吉林、通化、四平市で大部分を占めています。吉林省には1つの満州族自治県があり、すなわち伊通満族自治県(1988年8月30日に創立)、その他10の満州族郷(鎮)があります。また4つの満州族朝鮮族郷と1つの朝鮮族満州族郷があります。
黒龍江省の満州族は91万人で、省全体の都市と農村の各地に分散して居住し、80%ほどが農村に居住しています。黒龍江省は満州族の発祥地です。周代に、満州族人の祖先は阿什川の流域に居住していました。寧安市一帯の満州族の土着の住民は比較的多く、黒河、嫩江、チチハル一帯の満州族は多くが北部国境の警備を強化するために清の康煕年間、吉林、寧古塔など征北軍として駐屯し、開墾して国境警備をしに来ていた人々の子孫です。
双城、五常、阿城のなどの満州族は、多くが清の乾隆年間に北京から移住して来た人々の子孫です。その他、一部の満州族人は吉林、遼寧から生計の道をはかるために来た人々の子孫です。
河北の満州族の人口は204.6万といわれます。承徳市、秦皇島市、唐山の遵化市、保定の易県に満州族の人口が比較的多くなっています。満州族は直隷(河北)に入って、丘陵に駐屯して防衛に当たり、土地を分割して配置したため、全省の各地に分布していますが、相対的な集中的居住区もあります。清朝時代、満州族の社会の政治の地位はその他の民族より高いものでした。辛亥革命により清朝が倒れると、満州族は特殊な社会の地位を失い、後は非常に大きな抑圧を受けました。中華人民共和国が創立した後、各民族はすべて平等となり、河北の満州族の人民は存分に平等な権利を有することとなりました。20世紀80年代、この省は続けて豊寧、青龍、寛城の3つの満州族自治県と囲場満族モンゴル族自治県を設けていました。
●女真族の後金・清と李自成の乱
●太平天国の乱 - Wikipedia
太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は中国清代に起きた大規模な反乱。洪秀全を天王とし、スローガンとして「滅満興漢」を掲げ、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起こされた。この乱により2000万人の犠牲者を出したと言われる。
●満洲国臨時政府
満州国地図
●愛新美術館-豆知識-愛新覚羅一族家系図
●愛新美術館-豆知識-清朝歴代皇帝の生涯
皇位の継承は在位帝の指名により定められたため、各帝の出生順位は一様ではない。いずれの世代にも皇権をめぐって骨肉の争いが演じられた結果である。
●立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部教授 愛新覚羅烏拉熙春(日本名:吉本智慧子)
清朝乾隆帝第五子栄純親王永祺の八代目の孫にあたる。
【私のコメント】
清を建国した民族である満州族について最近興味深い情報を幾つか知った。まず、満州族は漢族と比較して大学レベルの文化水準を持つものが十倍以上と異常に多く、文盲・半文盲者の比率は十分の一以下と異常に少ない。現在と違って大学が非常に狭き門であった1990年以前の大学卒業者というのは中国では非常なエリート階層であると考えられる。中国の総人口の1%に満たない少数派である満州族であるが、恐らく中国の大卒者の中では10%程度という圧倒的勢力を有していると思われる。満州族が多数居住する遼寧、吉林、黒龍江・河北の4省ではその比率は更に高いと予想される。また、就業人口の内第三次産業に就く者の割合は漢族の約2.5倍と異常に多く、公務員などの管理職に就いている者の比率も高いと思われる。明治日本の公務員の多くが士族であったのと同様、中華人民共和国の公務員にも清代の支配階層であった満州族が多いということなのだろう。少なくとも遼寧、吉林、黒龍江・河北の4省では満州族は政治的に非常に大きな影響力を有していると思われる。
もう一つの興味深い情報は、満州族の自治県に関するものである。朝鮮族ネットによると、「辛亥革命により清朝が倒れると、満州族は特殊な社会の地位を失い、後は非常に大きな抑圧を受けまし。中華人民共和国が創立した後、各民族はすべて平等となり、河北の満州族の人民は存分に平等な権利を有することとなりました。」とされる。しかし、中国の少数民族の自治区・自治県の成立時期を見ると、蒙古族・朝鮮族・回族・チベット族などの民族自治区域が建国間もない1950年代から1960年代にかけて続々と設置されているのとは対照的に、満州族の自治県は1985年6月から1990年6月までの短い期間に設置が集中している。これらの自治県での満州族の比率はかなり高く、近隣の他の民族自治区域の平均を明らかに上回っている。他の少数民族と比較して設置が遅れたのは、やはり何らかの政治的理由ではないかと想像される。
Wikipediaでは「1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満州民族の民族意識はとても強いともいわれている。」と、1980年代以降の政府の少数民族優遇政策が原因であることを示唆している。しかし、満州民族の民族意識がとても強いのならば、それは1985年以前からのものであると想像され、1985年以前に満州族自治県が設置されなかった理由を説明できない。やはり、中華人民共和国時代でも漢民族優位主義の中で満州族への差別や迫害が存在したか、あるいは中華民国時代の迫害の記憶故に満州族がその出自を隠さざるを得なかったというような事情が存在するのではないかと予想する。そして、1980年代はその満州族迫害が終焉して、自らの出自を隠していた人々が一斉にカミングアウトし始めた時期なのだろう。満州族自治県初設置の三ヶ月前の1985年3月にゴルバチョフがソ連書記長に就任したことが関係しているのかもしれない。
中国の軍隊は地域との関係が深く、一種の軍閥的要素があるとされる。中国東北地方を管轄する瀋陽軍管区は満州族が大きな影響力を有している可能性が考えられる。また、高句麗や渤海が中国の地方政権か朝鮮民族国家かを巡って韓国と激しく対立する「東北工程」と呼ばれる中国の歴史認識運動、更には今年2月に吉林省長春で開催された中国で初の冬季アジア大会で長白山(韓国名は白頭山)が中国のシンボルとして取り上げられ、韓国人選手団が「白頭山は韓国のものだ」と抗議したことで話題となったことも、中国と韓国の対立というよりも満州族と朝鮮民族の対立という色合いがある様にも想像される。清と李氏朝鮮は17世紀前半に軍事衝突を経験しその結果李氏朝鮮が清に服属しているが、朝鮮半島の南北分裂という違いはあるものの、四世紀前の対立が繰り返されているようにも思われる。あるいは韓国をシーパワーによる半島南部の占領地域ととらえるならば、豊臣秀吉の朝鮮出兵による占領地域が現在の韓国に相当するのかもしれない。
現在の満州族がどの様な政治意識を持ち、どの様な政治体制を欲しているのかは私はよく知らない。しかし、もし彼らが清という大帝国の名誉ある後継者であるとの自覚を持ち、祖国を建国したいと願っているならば、彼らが集中して居住する東北三省と河北省の北東部が満州民族主導の国家として独立する可能性は否定できないだろう。現在の中国政治は少数の都市住民が全体を支配しており、大卒者や第三次産業従事者の非常に多い満州族はその集中的居住地域(特に遼寧省 )では人口比率とはかけ離れた巨大な影響力を有している可能性が考えられるからだ。
もし満州民族が中心となって満州国を再建した場合、それは日本にとっては基本的には好都合である。大陸全体が単一のランドパワーに占拠される体制ではなく、ロシア・満州・中国の三大国が並立する形態になるからだ。四世紀前と同様に満州国が統一朝鮮国家を軍事的に打ち破って支配下に置き東アジアに平和をもたらす可能性も期待できる。瀋陽軍管区に存在する核ミサイル基地が与える脅威に韓国は対抗することは不可能だろう。これは、日本と中国を悩ましてきた朝鮮半島問題を一挙に解決するものである。
中国にとっても、満州国建国は満州を失うダメージがある一方で、中国語を公用語とする満州国という潜在的友好国を得る利益にもなり得る。ロシアとの間に満州国という緩衝国を持つことでロシアに与える脅威を減少させ、中露間の対立に終止符を打つことが出来る。
内モンゴルのモンゴル人にとっては、中国とロシア以外の新たな国家と国境を接することで独立、あるいはモンゴル国との統合への期待を持つことも可能になってくるだろう。大連、あるいは満州国に返還後のウラジオストクが内陸国家モンゴルの外港として機能することも考えられる。
ロシアにとっても、4000kmの中露陸上国境の向かい側の国の人口が十三億人から一億人強に減少することは脅威が小さくなる点で大きな利益であろう。しかし、その一方でシベリアの大部分は満州族と同じツングース系民族が先住民族であり、満州国によるシベリア返還要求が噴出する危険もあるように思われる。特に、アムール川以北と沿海州は19世紀にロシアが清から奪った地域であるし、沿海州南部は渤海や高句麗の本拠地の一部であったことから返還要求が強まる可能性も考えられる。現在の満州地域の人口の9割以上が漢民族であることを考えると、これらの地域が満州国に返還されることで日本海沿岸に膨大な数の中国人が居住する様になり、日本が西だけでなく北からも中国の圧力に脅かされる結果となりかねない。日本海やオホーツク海にも中国人の漁船が大量に出現して乱獲や密漁が問題になるかもしれない。
1980年代になって急に民族自治区域を獲得し始めた満州民族の独立への意志の有無とは別として、仮に満州国が再建される場合それが日本の国益にどの様な影響を与えるのかを日本は予め予測しておく必要があるだろう。そして、それが好ましくない結果を導かないように適宜満州民族の中枢階層に働きかけ、日本の国益にあった政治形態を誘導するべきであろう。その中で最も重要なのが、1856年と1860年に清からロシアに割譲されたアムール川以北と沿海州の領土問題であると想像される。恐らく、日本政府・ロシア政府・満州族中枢階層の間で既に何らかの秘密合意が出来上がっているか、あるいは合意形成中ではないかとも予想される。
19世紀半ばに起きた太平天国の乱の首謀者である洪秀全はキリスト教の信者であった。満州族に支配された漢民族の反抗心を煽るこの反乱が国際金融資本の支援で実行されたことは想像に難くない。そして、日本もまた20世紀前半の中国侵略過程で同様の反日活動を経験しているが、早期に中国から撤退した御陰で満州族のように独自の文化を失うことも、故郷を中国人に占拠されることも避けられた。我々は満州族の轍を踏まないよう、中国への直接的軍事介入は避けて間接支配に徹するべきである。その際に、遼寧省の満州族と上海閥は利用できるかもしれない。
第一節 現在の人口分布状况
1990年の第四次人口調査によれば、中国満族人口は、984.68万人で、各少数民族中、人口は、壮族に次ぐ第二位を占める。
満族人口の地域分布:
1644年(満族入関)前、満族人口は、満州(即ち、今の東北地区)に集住していた。1644年以降、大部分の満族人口は、続々と関中に入った。中国を統治する需要に基づき、満族人口は、中国各地に分布し始め、逐次、集住と分散が相結合する特徴を形成した。歴史の変化の結果により、現在の満族人口は、主として、東北三省及び北京、内蒙古、新疆一帯に集中分布している。
省別 1990年
遼寧省 50.31%
吉林省 10.71%
黒龍江 12.10%
北京省 01.68%
内蒙古 04.68%
河北省 17.62%
1990年、以上の地区に居住する満族人口は、中国満族人口総数の97.10%を占め、その他地区に居住する者は、わずか2.9%しか占めない。
第三節 人口の文化構成
1990年の人口調査資料によれば、満族人口1万人当たり、大学、高中、初中と小学文化程度を具有する人数は、各々1,652.2、2,758.7、3,809.3と918.4人であり、全国平均水準(各々、139.0、792.9、2,323.3と3,706.6)と漢族平均水準(各々、143.1、811.2、2,385.4と3,704.5)を大幅に超過し、更に少数民族平均水準より顕著に高い。中国各民族人口文化構成中において、満族の各種指標は、全て首位を占め、その内、1万人当たりの大学文化程度を有する人数は、全国平均水準と漢族平均水準より十倍以上高い。15歳以上人口中、文盲・半文盲が占める比率は、1990年、満族は、1.41%で、全国22.21%と漢族21.53%の平均指標よりも低く、中国各民族中、最低である。
第四節 人口の職業と就業構成:満族人口の就業構成の特徴
就業人口における三大産業の比重は、第一次産業が48.07%を占め、第二次産業が21.7%を占め、第三次産業が30.86%を占める。第三次産業の比率は、漢族(12.80%)よりも顕著に高い。満族人口の職業構成は、農、林、牧、漁労働者が首位(46.95%)を占め、各類専業、技術人員(17.21%)がそれに次ぎ、生産工人、運輸工人と関連人員(15.35%)がそれに次ぎ、四番目に商業工作人員(11.37%)、五番目に国家機関、党群組織、企事業単位責任者(6.55%)、六番目に弁事人員と関連人員(2.11%)、七番目にサービス性工作人員(0.55%)、最後に分類不能のその他労働者(0.09%)である。
●中国の民族区域自治
民族区域名称 設置時 州・県都所在地 面積(平方km) 2003年末の総人口(万人) 少数民族の比率(%)
河北省
大厰回族自治県 1955.12.7 大厰鎮 176 11.20 24.27
孟村回族自治県 1955.11.30 孟村鎮 393 18.72 23.98
青竜満州族自治県 1987.5.10 青竜鎮 3309 51.65 68.40
豊寧満州族自治県 1987.5.15 大閣鎮 8747 38.05 68.05
囲場満州族蒙古族自治県 1990.6.12 囲場鎮 9058 51.57 57.84
寛城満州族自治県 1990.6.16 寛城鎮 1933 23.39 63.50
遼寧省
阜新蒙古族自治県 1958.4.7 阜新鎮 6246 73.15 20.30
カラチンザヨ·蒙古族自治県 1958.4.1 大城子鎮 2240 42.36 19.71
岫岩満州族自治県 1985.6.11 岫岩鎮 4502 50.31 79.95
新賓満州族自治県 1985.6.7 新賓鎮 4287 30.66 73.5
清原満州族自治県 1990.6.6 清原鎮 3921 34.16 61.00
本渓満州族自治県 1990.6.8 小市鎮 3362 29.99 63.85
桓仁満州族自治県 1990.6.10 桓仁鎮 3547 30.29 59.00
寛甸満州族自治県 1990.6.12 寛甸鎮 6186 43.64 54.92
吉林省
延辺朝鮮族自治州 1952.9.3 延吉市 43474 218.57 40.89
長白朝鮮族自治県 1958.9.15 長白鎮 2496 8.51 15.86
前グォルロス蒙古族自治県 1956.9.1 前郭鎮 5117 57.54 9.99
伊通満州族自治県 1989.8.30 伊通鎮 2523 46.64 39.71
黒竜江省
トゥルパト蒙古族自治県 1956.12.5 泰康鎮 6427 24.88 21.00
●「満州国」における国民教育と民族教育―コリアン教育と満州族教育の比較考察― 北海道大学大学院教育学研究科紀要 20-Dec-2005
北海道大学大学院教育学研究科助教授 李 明玉
抄録: 「満州国」が樹立されて間もないころ,関東軍当局によって,満州族が満州族学校を開設することが許可された。このような社会背景下で,満州族の上層人物が発起し,主に溥儀個人名義の下賜金により,1934年8月14日,奉天維城学校を開設された。これは,「満州国」時期唯一の満州族中・高等学校であった。本研究は,「満州国」が満州族に対して他の民族と異なる教育政策を実施したのではないかという仮説から,在満コリアンに対する国民教育―皇民化教育と比較しながら満州族に対する民族教育を分析しようとするものである。具体的には溥儀自らの下賜金によって作られた学校が持つ意味と位置づけを,当該校の設立背景,教育理念及び経営実態から考察し,当時のコリアン教育との相違点を明らかにすることが本研究の目的である。
●満州民族 - Wikipedia
清朝時代の満州民族:ホンタイジは後金を満州・モンゴル・漢の3民族を、満州人である愛新覚羅氏の皇帝が支配する帝国に発展させ、国号を清と改めた。多民族国家である清のもとで、満州人は八旗と呼ばれる8グループに分けられた集団に編成されて、清を支える軍人・官僚を輩出する支配民族となる。
清は、1644年に明が滅びると万里の長城以南に進出して明の旧領を征服し、八旗を北京に集団移住させて中国全土を満州民族が支配する体制を築き上げた。清の歴代の皇帝は、漢民族が圧倒的多数を占める中国を支配するにあたっても、満州語をはじめとする満州独自の民族文化の維持・発展に努めたが、次第に満州語は廃れ、満州人の間でも中国語が話されるようになり、習俗も中国化していった。
逆に、中国を扱った映画などの作品で見られる辮髪やチャイナドレスは元来は満州族の習俗であったものが清の時代に中国に持ち込まれたものである。
一方、満州民族の故地である中国東北地区(満州)は、皇帝の故郷として保護され、漢民族の移住は強く制限されていたが、清末には漢民族の農民が入植するようになり、漢民族人口が急増して満州民族をはじめとするツングース系諸民族は人口の上でも生活範囲の上でもまったく追いやられてしまった。
1932年には日本の手によって、清の最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を執政(のちに皇帝)として満州国が立てられるが、満州国は日本・朝鮮・満州・蒙古・支那の5民族による五族協和を理念としており、満州国の内部において自国が満州民族の国家として意識されていたわけではない。しかしながら満州民族においては建国後に帝政期成運動を起こすなど、満州国に民族の復権を期待する向きも一部ではみられた。
現代の満州民族:第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族とされる。
満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満州語を話す者はほとんどおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満州民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満州民族の民族意識はとても強いともいわれている。
●満州族 朝鮮族ネット-中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト
中国の少数民族のうち最大といわれる1,000万人の人口を持ち、東北3省を中心に広く分布しています。かつては女真族と呼ばれ、金、清などの王朝を建てました。16世紀末には女真族が朝鮮王朝と抗争を続け、丁卯胡乱(1627年)と丙子胡乱(1636年) を通じて清が朝鮮を服属させました。日本の植民地支配の時期には、朝鮮族・満州族・漢族が力を合わせ、抗日連軍を組織して抵抗しました。地理的にも歴史的にも、漢族と並び朝鮮族とは最も深い関係のある民族といえましょう。
現在、中国全土で1000万人を上回り、主に遼寧、吉林、黒龍江の3省に分布、遼寧に最も多く集まっています。残りの大部分は河北、内モンゴル、寧夏、甘粛、新疆、山東、福建などの省・区に分布し、一部は北京、天津、上海、西安、成都、広州などの大中都市区域に分散しています。
遼寧に居住している500万人程が、全国の満州族人口の半分以上を占めます。遼寧は8つの満州族の自治県(2つの県レベルの市を加える)と若干の満州族の郷・鎮があり、満州族が集中して活動する主要な地区です。
吉林満州族の2001年末の人口は104.81万人であり、その分布は長春、吉林、通化、四平市で大部分を占めています。吉林省には1つの満州族自治県があり、すなわち伊通満族自治県(1988年8月30日に創立)、その他10の満州族郷(鎮)があります。また4つの満州族朝鮮族郷と1つの朝鮮族満州族郷があります。
黒龍江省の満州族は91万人で、省全体の都市と農村の各地に分散して居住し、80%ほどが農村に居住しています。黒龍江省は満州族の発祥地です。周代に、満州族人の祖先は阿什川の流域に居住していました。寧安市一帯の満州族の土着の住民は比較的多く、黒河、嫩江、チチハル一帯の満州族は多くが北部国境の警備を強化するために清の康煕年間、吉林、寧古塔など征北軍として駐屯し、開墾して国境警備をしに来ていた人々の子孫です。
双城、五常、阿城のなどの満州族は、多くが清の乾隆年間に北京から移住して来た人々の子孫です。その他、一部の満州族人は吉林、遼寧から生計の道をはかるために来た人々の子孫です。
河北の満州族の人口は204.6万といわれます。承徳市、秦皇島市、唐山の遵化市、保定の易県に満州族の人口が比較的多くなっています。満州族は直隷(河北)に入って、丘陵に駐屯して防衛に当たり、土地を分割して配置したため、全省の各地に分布していますが、相対的な集中的居住区もあります。清朝時代、満州族の社会の政治の地位はその他の民族より高いものでした。辛亥革命により清朝が倒れると、満州族は特殊な社会の地位を失い、後は非常に大きな抑圧を受けました。中華人民共和国が創立した後、各民族はすべて平等となり、河北の満州族の人民は存分に平等な権利を有することとなりました。20世紀80年代、この省は続けて豊寧、青龍、寛城の3つの満州族自治県と囲場満族モンゴル族自治県を設けていました。
●女真族の後金・清と李自成の乱
●太平天国の乱 - Wikipedia
太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は中国清代に起きた大規模な反乱。洪秀全を天王とし、スローガンとして「滅満興漢」を掲げ、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起こされた。この乱により2000万人の犠牲者を出したと言われる。
●満洲国臨時政府
満州国地図
●愛新美術館-豆知識-愛新覚羅一族家系図
●愛新美術館-豆知識-清朝歴代皇帝の生涯
皇位の継承は在位帝の指名により定められたため、各帝の出生順位は一様ではない。いずれの世代にも皇権をめぐって骨肉の争いが演じられた結果である。
●立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部教授 愛新覚羅烏拉熙春(日本名:吉本智慧子)
清朝乾隆帝第五子栄純親王永祺の八代目の孫にあたる。
【私のコメント】
清を建国した民族である満州族について最近興味深い情報を幾つか知った。まず、満州族は漢族と比較して大学レベルの文化水準を持つものが十倍以上と異常に多く、文盲・半文盲者の比率は十分の一以下と異常に少ない。現在と違って大学が非常に狭き門であった1990年以前の大学卒業者というのは中国では非常なエリート階層であると考えられる。中国の総人口の1%に満たない少数派である満州族であるが、恐らく中国の大卒者の中では10%程度という圧倒的勢力を有していると思われる。満州族が多数居住する遼寧、吉林、黒龍江・河北の4省ではその比率は更に高いと予想される。また、就業人口の内第三次産業に就く者の割合は漢族の約2.5倍と異常に多く、公務員などの管理職に就いている者の比率も高いと思われる。明治日本の公務員の多くが士族であったのと同様、中華人民共和国の公務員にも清代の支配階層であった満州族が多いということなのだろう。少なくとも遼寧、吉林、黒龍江・河北の4省では満州族は政治的に非常に大きな影響力を有していると思われる。
もう一つの興味深い情報は、満州族の自治県に関するものである。朝鮮族ネットによると、「辛亥革命により清朝が倒れると、満州族は特殊な社会の地位を失い、後は非常に大きな抑圧を受けまし。中華人民共和国が創立した後、各民族はすべて平等となり、河北の満州族の人民は存分に平等な権利を有することとなりました。」とされる。しかし、中国の少数民族の自治区・自治県の成立時期を見ると、蒙古族・朝鮮族・回族・チベット族などの民族自治区域が建国間もない1950年代から1960年代にかけて続々と設置されているのとは対照的に、満州族の自治県は1985年6月から1990年6月までの短い期間に設置が集中している。これらの自治県での満州族の比率はかなり高く、近隣の他の民族自治区域の平均を明らかに上回っている。他の少数民族と比較して設置が遅れたのは、やはり何らかの政治的理由ではないかと想像される。
Wikipediaでは「1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満州民族の民族意識はとても強いともいわれている。」と、1980年代以降の政府の少数民族優遇政策が原因であることを示唆している。しかし、満州民族の民族意識がとても強いのならば、それは1985年以前からのものであると想像され、1985年以前に満州族自治県が設置されなかった理由を説明できない。やはり、中華人民共和国時代でも漢民族優位主義の中で満州族への差別や迫害が存在したか、あるいは中華民国時代の迫害の記憶故に満州族がその出自を隠さざるを得なかったというような事情が存在するのではないかと予想する。そして、1980年代はその満州族迫害が終焉して、自らの出自を隠していた人々が一斉にカミングアウトし始めた時期なのだろう。満州族自治県初設置の三ヶ月前の1985年3月にゴルバチョフがソ連書記長に就任したことが関係しているのかもしれない。
中国の軍隊は地域との関係が深く、一種の軍閥的要素があるとされる。中国東北地方を管轄する瀋陽軍管区は満州族が大きな影響力を有している可能性が考えられる。また、高句麗や渤海が中国の地方政権か朝鮮民族国家かを巡って韓国と激しく対立する「東北工程」と呼ばれる中国の歴史認識運動、更には今年2月に吉林省長春で開催された中国で初の冬季アジア大会で長白山(韓国名は白頭山)が中国のシンボルとして取り上げられ、韓国人選手団が「白頭山は韓国のものだ」と抗議したことで話題となったことも、中国と韓国の対立というよりも満州族と朝鮮民族の対立という色合いがある様にも想像される。清と李氏朝鮮は17世紀前半に軍事衝突を経験しその結果李氏朝鮮が清に服属しているが、朝鮮半島の南北分裂という違いはあるものの、四世紀前の対立が繰り返されているようにも思われる。あるいは韓国をシーパワーによる半島南部の占領地域ととらえるならば、豊臣秀吉の朝鮮出兵による占領地域が現在の韓国に相当するのかもしれない。
現在の満州族がどの様な政治意識を持ち、どの様な政治体制を欲しているのかは私はよく知らない。しかし、もし彼らが清という大帝国の名誉ある後継者であるとの自覚を持ち、祖国を建国したいと願っているならば、彼らが集中して居住する東北三省と河北省の北東部が満州民族主導の国家として独立する可能性は否定できないだろう。現在の中国政治は少数の都市住民が全体を支配しており、大卒者や第三次産業従事者の非常に多い満州族はその集中的居住地域(特に遼寧省 )では人口比率とはかけ離れた巨大な影響力を有している可能性が考えられるからだ。
もし満州民族が中心となって満州国を再建した場合、それは日本にとっては基本的には好都合である。大陸全体が単一のランドパワーに占拠される体制ではなく、ロシア・満州・中国の三大国が並立する形態になるからだ。四世紀前と同様に満州国が統一朝鮮国家を軍事的に打ち破って支配下に置き東アジアに平和をもたらす可能性も期待できる。瀋陽軍管区に存在する核ミサイル基地が与える脅威に韓国は対抗することは不可能だろう。これは、日本と中国を悩ましてきた朝鮮半島問題を一挙に解決するものである。
中国にとっても、満州国建国は満州を失うダメージがある一方で、中国語を公用語とする満州国という潜在的友好国を得る利益にもなり得る。ロシアとの間に満州国という緩衝国を持つことでロシアに与える脅威を減少させ、中露間の対立に終止符を打つことが出来る。
内モンゴルのモンゴル人にとっては、中国とロシア以外の新たな国家と国境を接することで独立、あるいはモンゴル国との統合への期待を持つことも可能になってくるだろう。大連、あるいは満州国に返還後のウラジオストクが内陸国家モンゴルの外港として機能することも考えられる。
ロシアにとっても、4000kmの中露陸上国境の向かい側の国の人口が十三億人から一億人強に減少することは脅威が小さくなる点で大きな利益であろう。しかし、その一方でシベリアの大部分は満州族と同じツングース系民族が先住民族であり、満州国によるシベリア返還要求が噴出する危険もあるように思われる。特に、アムール川以北と沿海州は19世紀にロシアが清から奪った地域であるし、沿海州南部は渤海や高句麗の本拠地の一部であったことから返還要求が強まる可能性も考えられる。現在の満州地域の人口の9割以上が漢民族であることを考えると、これらの地域が満州国に返還されることで日本海沿岸に膨大な数の中国人が居住する様になり、日本が西だけでなく北からも中国の圧力に脅かされる結果となりかねない。日本海やオホーツク海にも中国人の漁船が大量に出現して乱獲や密漁が問題になるかもしれない。
1980年代になって急に民族自治区域を獲得し始めた満州民族の独立への意志の有無とは別として、仮に満州国が再建される場合それが日本の国益にどの様な影響を与えるのかを日本は予め予測しておく必要があるだろう。そして、それが好ましくない結果を導かないように適宜満州民族の中枢階層に働きかけ、日本の国益にあった政治形態を誘導するべきであろう。その中で最も重要なのが、1856年と1860年に清からロシアに割譲されたアムール川以北と沿海州の領土問題であると想像される。恐らく、日本政府・ロシア政府・満州族中枢階層の間で既に何らかの秘密合意が出来上がっているか、あるいは合意形成中ではないかとも予想される。
19世紀半ばに起きた太平天国の乱の首謀者である洪秀全はキリスト教の信者であった。満州族に支配された漢民族の反抗心を煽るこの反乱が国際金融資本の支援で実行されたことは想像に難くない。そして、日本もまた20世紀前半の中国侵略過程で同様の反日活動を経験しているが、早期に中国から撤退した御陰で満州族のように独自の文化を失うことも、故郷を中国人に占拠されることも避けられた。我々は満州族の轍を踏まないよう、中国への直接的軍事介入は避けて間接支配に徹するべきである。その際に、遼寧省の満州族と上海閥は利用できるかもしれない。
{今天看了一个大笑话!除了梦话和笑话以外,剩下的都是废话。中华民族的团结程度,是你们日本人无法想象的。}
既に他の方が仰っておられますが、独立した所で人口の関係により早晩満州人の国家という形質を失うでしょう。
また、経済的にも利益があるとは思えません。
現在受けている少数者優遇制の資金も結局の所、漢民族からの税で賄われています。
中国から切り離されてしまえばこれも失われてしまいます。
そして満州人の国家として独立したとしても、単一国家としての経済基盤を築く事が出来るのでしょうか。
満州族故地に居住する漢民族との関係はどうとって行くのでしょうか。
言語による民族自覚は、全力で実行すればそれも可能なのかもしれません。
しかし、中国政府はそれを容認するのでしょうか。
確かに政府は現在民主化を謡ってはいますが、独立を目的とした民族教育を認めはしないでしょう。
漢民族より圧倒的に人口で劣る満州族に広大な北東旧満州所有を認めるのは、さすがに冒険が過ぎるのではないでしょうか。
何よりも、高度な教育を受けた満州人指導層がかのようなリスクを負ってまで独立を願うとは思えません。
モンゴル人が支配した元、満州族が支配した清、最近まで外省人が支配してきた台湾、上海閥が現在支配している中華人民共和国というように、民主主義の伝統のない中国では強い団結力を有する少数派が国家を支配してきました。このことを考えると、満州+河北省北東部を領域とし、満州民族を支配階層とする新満州国の再建はあり得ないとは言えないと思うのです。そして、新国家で父母or祖父母のいずれかを満州族とする者に満州族の籍を与える事を認めると共に、漢族と異なる満州族の文化伝統を維持していくならば、恐らくかなり高い頻度で存在するであろう満州族と漢族の通婚を通じて、徐々に満州族とのアイデンティティを持つ国民の割合が増加することも期待できます。
>満州族は中華民族の一民族として生きていくような気がする。
そもそも「中華民族」という概念が少数民族の漢民族への同化を前提とするフィクションであり、「漢民族」という概念も揚子江を境とする北方モンゴロイドと南方モンゴロイドの異なる人種を無理矢理ひとまとめにしたフィクションに過ぎません。それを考えると、満州に住む漢民族(主に華北からの移住者であり、満州族と同じ北方モンゴロイドであると想像される)の一部に各種優遇処置や教育を通じて「満州族」との自覚を持たせることは不可能ではないと思うのです。
現在の中国の共通語とされている北京語は清代に北京に移住した満州族が使用していた中国語が起源であり、満州族訛りの中国語方言という見方が出来ます。その一方で、上海語や広東語の様に満州族の影響の小さい中国語方言も存在します。ロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語が方言程度の違いしかないことを考えれば、この言語の違いを文化的アイデンティティとして満州・上海近辺・広東省などに徐々に国民国家が成立していく可能性も考えられます。
>ただし、満州族は中国を操縦して、朝鮮半島を支配・粛清しようとするのでしょうね。
満州族が中国全体を支配するシステムが、満州族に対する漢民族の反感を煽る陰謀により崩壊しやすいことを彼らは19世紀後半の苦い経験から学んでいるでしょう。だからこそ、満州族の出身地であり支配の正当性を有する地域に限定した新国家が考えられるのです。
ただし、満州族は中国を操縦して、朝鮮半島を支配・粛清しようとするのでしょうね。じゃないと、朝鮮人たちは、満州族の歴史や文化を盗もうとするでしょうし。それを阻止するために、満州族は中国を使って朝鮮人を粛清する。ちょうど、近世の終わりに、朝鮮人の満州への進出を阻止するために、漢族の満州への移民を解禁したように。
2007/03/31(土) 21:15 | URL | 孔明 #-[ 編集]
やはり、米議会の「慰安婦決議案」はアメリカ孤立化のために仕組まれたとしか考えられませんね。安倍総理が次の参院選を乗り切れば、完全に形成が逆転します。安倍晋三が高杉晋作を意識していないはずはありません。
2007/03/31(土) 21:59 | URL | タカダ #IalhYDqo[ 編集]
満州国臨時政府?
ブログランキング一位のサイト
http://my.shadow-city.jp/?eid=396560
野次馬氏のサイトは中国から正式に反中国政府サイトとして登録されています。
野次馬氏を
「満州国日本総領事」に
推薦しました。
http://www.manchukuo.org/index.htm
日本語英語中国語フランス語の臨時政府ホームページ
これは北朝鮮やイランを支援する中国に対する英日露欧の威嚇ではないかと愚考しています。
Webも本格的に英語中国語日本語フランス語で作成されています。
2007/03/31(土) 22:27 | URL | 老兵 #mQop/nM.[ 編集]
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「2004年、満洲国臨時政府が成立。目標は満洲の復国です。」とあります。