●【書籍/竹島問題】独島紛争産んだ朴正熙政権の密室外交の黒幕~ロー・ダニエル著「独島密約」[2011/05/13]
「独島密約」
ノ・ダニエル著作、キム・チョルフン翻訳/ハンウル・2万4千ウォン
1965年1月11日夕方、ソウル城北洞(ソンブクトン)の汎洋商船所有主・朴健碩(パク・コンソク)の邸宅のホームバー。日本の国務大臣の密使である宇野宗佑・衆議院議員(後に総理)、丁一権(チョン・イルグォン)韓国国務総理と金鍾洛(キム・ジョンナク、金鍾泌=キム・ジョンピル氏の兄)韓一銀行常務、文徳周(ムン・トクチュ)外務次官、島本ゲンロウ(読売新聞ソウル特派員)等五人が集まった。14年間進行してきた韓日会談妥結の最大争点だった「独島(トクト)問題」に関する密約が最終確定する瞬間だった。そして5ヶ月後、日本の対韓支援と韓日強制併合条約無効化宣言等を含んだ韓日基本条約が公式締結されて両国の国交がついに正常化する。
「独島・竹島問題、解決しなければならないということで解決したものと見なす。したがって条約では言及しない」といういわゆる「未解決の解決」状態で韓日政府間の領有権解決を持ち越した独島密約は2007年に初めて公開されて韓日間に大きな波紋を起こした。
日本通の政治経済学者であるノ・ダニエル(Roh Daniel ロー・ダニエル)氏が当時、朴正熙(パク・チョンヒ)政権の密使として韓日交渉の水面下で活動した金鍾洛氏と日本側連絡責任者の島本ゲンロウなど主要関係者たちを直接取材して確認した内容だった。
ノ・ダニエルが書いた「独島密約」は、この独島密約の内容と進行過程、背景を豊富な資料とインタビューで現代史ドキュメンタリーのように再構成した本だ。日本で先に発刊されたこの本が韓国語に翻訳されて16日に出版される。著者は「日本と韓国の間に竹島に関する或る約束がある」という中曽根康弘・元総理の耳打ちで独島密約を取材し始めて20年近くこの問題に食い込んで本を書いた。
本を読んでみれば1996年6月に金泳三(キム・ヨンサム)政府が独島の領有権主張を強化する時まで、韓日2国の政府がなぜ静かな外交で一貫したかを一歩遅れて類推してみることができる。「両国が自国の領土と主張するのを認めて同時にそれに反論することに異論がない」という独島密約の最初の条項が相当期間有効に守られたのだ。
本は当時の韓国が経済発展のために日本の資金が必要だったとはいうが、日本の領有権主張に口実を提供した朴正熙政権の対日密室外交の黒幕を暴露する。韓国の外相と駐日韓国大使が密約の事実を知らないまま実務交渉で独島領有権の主張をして密約の実体を知る日本側外交官たちの嘲弄を買う場面も恥ずかしいが厳然な私たちの現代史だ。2次大戦以後連合国と日本のサンフランシスコ講和条約で日本が韓国領と認められていた独島を日本が返還しなければならない領土対象から外す過程などを見れば、日本政府がどれくらい強力な外交活動と歴史資料調査を実施したのか知ることになる。
韓国軍事政権らが独島密約を最後まで守ったことに対する著者の評価は示唆するところが大きい。「満州軍官学校や日帝の陸軍士官学校を卒業した先輩らを誇らしく思う彼らに『日本と仲良くする』ということは本能に近い観念だったのだ。こういう背景から全斗煥(チョン・ドゥファン)と盧泰愚(ノ・テウ)が大統領の席にあった時点まで独島密約の精神は伝えられて、結果的に守られていた計算だ。」
キム・ドヒョン選任記者
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 記事登録:2011-05-13午後09:24:06
●【産経/書評】ロー・ダニエル『竹島密約』~「漢江の奇跡」の土台には[2008/11/23]
■「漢江の奇跡」の土台には
本書の著者、ロー・ダニエル氏は韓国人である。ソウルの生まれ、アメリカ、日本に留学し、現在は日本と韓国で言論活動をおこなっている。
ロー氏は多くの日本人政治家と関係者の回想録や覚書を読み、存命する人たちに証言を求め、日本語で執筆したのが、この著書である。戦後生まれのロー氏の達意の文章に読者はまず驚き、40数年前に活躍した日韓両国の政治家の面目、その願望、メンタリティーを見事に描き切っていることに感嘆しよう。
1965年の日本の首相は佐藤栄作であり、「竹島密約」を考案した日本側の政治家は河野一郎だった。
日本では最高、最長のいざなぎ景気がはじまろうという年であったが、アメリカ軍はベトナムの戦いに介入し、毛沢東がはじめようとしている文化大革命の全体像は皆目見当がつかず、インドネシアでは中国が支援する共産党のクーデターが瓦解しはしたものの、東アジアは不安、危険な状況にあった。
60年に韓国大統領の李承晩が下野を迫られたあと、61年に軍事革命によって大統領となっていた朴正熙は、日本との関係を正常なものにして、それを国造りのてこにしようと望んだ。
両国間にある障害は52年に李承晩が「李承晩ライン」を宣言して、竹島を韓国の領土にしてしまっていたことだった。
だが、竹島で譲歩することは、韓国の国民感情を考えた場合、権威的な指導者である朴正熙にもできなかった。
「解決せざるをもって、解決したものとみなす」という密約を結び、竹島領有権の問題を棚上げして、その年、65年6月に日韓基本条約を結んだ。日本のお決まりの先延ばし外交と批判するのは易しい。
だが、朴の統治18年のあいだに、最貧国グループだった1人当たり国民所得が中進国のレベルにまで躍進した「漢江の奇跡」の力の土台に日韓基本条約があった。
それを成立させたのはこの密約だった。本書はそのすべてを明らかにしている。(草思社・1785円)
評・鳥居民(評論家)
◇
【プロフィル】ロー・ダニエル(Roh Daniel) 1954年、ソウル生まれ。「月刊中央」で活躍。
ソース:産経新聞 2008.11.23
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081123/bks0811230934011-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081123/bks0811230934011-n2.htm
●金泳三 - Wikipedia
金 泳三(キム・ヨンサム、1927年12月20日 - )は、大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年 - 1998年)。本貫は金寧金氏。号は「巨山」(コサン、거산)。略称はYS。実家は網元。植民地時代における創氏改名時の日本名(1945年まで)は金村康右(かねむら こうすけ)。日本語読みでは「きんえいさん」。早稲田大学特命教授。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。
大統領時代
内政
朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅し、金泳三政権は文民政権と呼ばれることになった。金泳三は軍部政権の残滓を徹底して排除するため、軍内の派閥「ハナ会」を潰し、会員を退席させるなど、軍の改革を進めた。また、野党政治家や政治運動家などを積極的に登用し、国家安全企部長、外務大臣、統一院長官などに大学の教授を迎えた。さらには、高級官僚の不正の追及にも乗り出し、大法院院長や検事総長、警察庁長官などが辞任することになった。
政治と経済の癒着を嫌悪し、「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルクッス(韓国式うどん)にする」と明言した[2] 。また、歴代大統領が議員に配っていた「モチ代」の制度も無くすなど、政治の無駄の部分を排除していった。 経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくすため、「金融実名制」を実施した。
外交
金泳三政権は「歴史の立て直し」を主張し、行動した。まず、対北朝鮮の懸案となっていた非転向長期囚李仁模を1993年3月19日に北朝鮮に送還した。次いで、1993年8月には旧朝鮮総督府の解体を決定。1995年8月15日には解体が行われた。
1993年3月19日に北朝鮮が核拡散防止条約から脱退し、朝鮮半島全土に核危機が訪れるが、危機回避の会談はアメリカと北朝鮮間のみで行われ、韓国は一切手出し出来なかった。1994年7月8日に金日成が死去すると、金泳三政権は哀悼の意も表明せずに全軍に厳戒態勢を指示し、弔問のため訪朝しようとした勢力を弾圧。朝鮮半島情勢が一時期悪化した。
日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がった。
また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。一方外国、近隣では香港では「韓国がもめ事を起こした」として、日本の立場を支持するという回答が60%を超す調査結果が明らかとなった。結果として、紛争地域であるという認識を世界に広める形になった[3]。
就任前後に日本で高まった統一教会による誘拐事件への対応では日本側に不興の声も上がった。また、いわゆる「光復」50周年を記念して行われた歴史立て直し事業では、上述の旧朝鮮総督府解体のほか、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。
退任後
2002年より早稲田大学の特命教授に就任。公共経営研究科への特別講義や大学全体への公開講演会の開催など年に約2回の訪日時には、本人は「もう大分忘れてしまった」と謙遜気味に語ってはいるが、流暢な日本語での講義を受け持っており、テレビ出演もしている。
逸話
対日強硬派のイメージがあるが、対日穏健派とみられていた後任の金大中が公式な場は勿論、私的にもほとんど日本語を話さないことにしていたのに対して、上記の早稲田大学での講義や日本人ジャーナリストとのインタビュー等では、基本的に日本語で対応する。金泳三の反日発言は建前上の政策のためともいわれる。
小泉元首相の靖国神社参拝には反対姿勢を表明し、戦犯をリストから除名するのは「問題ない」とコメントしている。
当初は北朝鮮に対して宥和姿勢で臨み北朝鮮も久々の文民出身大統領であることから非難を差し控えていた。しかし、党内強硬派の圧力が強まるに従い対北朝鮮強硬姿勢に転じたため、平壌放送で「人間のくずの金泳三」と放送されたことがある。同時に(就任後時間が経ってから)お決まりの「反動」規定を受けた。
日韓国会議員サッカー大会の前日に山本順二を自宅に招き日本語で会話するなど、日本とは非常に親しい関係である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
【私のコメント】
ロー・ダニエル著「竹島密約」の韓国語訳が出版された。私がこの本の書評の中で注目するのは、1965年に竹島に関する密約が韓国軍事政権と日本の間で結ばれ継続されていたのに、1996年6月に金泳三(キム・ヨンサム)政府が竹島の領有権主張を強化して密約が破られたとの指摘である。1993年に就任した金泳三大統領は「歴史の立て直し」を主張し、旧朝鮮総督府の解体、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。また、日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。結果として、紛争地域であるという認識を世界に広める形になった。
では金泳三元大統領は反日派なのかというと、どうもそうではないようだ。日韓国会議員サッカー大会の前日に山本順二を自宅に招き日本語で会話するなど、日本とは非常に親しい関係であり、早稲田大学の特命教授に就任しており、流暢な日本語での講義を受け持っているという。反日でもあり親日でもある金泳三元大統領は一体何者なのだろうか?
この答えを出すのに最も重要なのは、大統領期間の金泳三の政策である。竹島問題に関する密約を破る行為や日本の歴史認識を問題視する政治姿勢は韓国の反日世論を刺激し、結果的に日韓の軍事同盟は不可能になった。1990年代には既に米国の没落が明らかになっていたことを考えると、韓国としては米国衰退後の安全保障政策として日本との軍事同盟を真剣に検討する時期にあった。結果として韓国は現在、唯一の同盟国である米国の衰退に直面し、日本・中国・北朝鮮という仮想敵国に囲まれて孤立した滅亡寸前の状況に追い込まれている。冷戦後、つまり21世紀の韓国の安全保障を決定的に破壊したのが金泳三政権なのだ。自国の国益を追求するはずの政治家がなぜそれを損なう行動を行うのか、非常に不思議である。
私は、金泳三は日本政府の工作員なのではないかと考えている(金大中も同様)。恐らく日本政府の依頼を受けて大統領時代に反日政策をとったのだろう。1990年代はクリントン政権が露骨な反日政策を採り日米関係が緊張する中で、米国の衰退も明瞭化してきていた。日本政府は将来米国が衰退して米軍が韓国から撤退することを予期し、米軍撤退後の韓国を支援せずに滅亡させることを決定したのだと想像している。そして、滅亡する韓国に過剰な工場設備を集積させ、近未来の米国の覇権崩壊に伴う世界恐慌の時に合わせて韓国を滅亡させて工場設備を一挙に破壊する政策を推進しているのだと考えている。
金泳三や金大中が日本政府の工作員になる理由はよく分からない。考え得るのは、金泳三や金大中は日本統治時代の韓国の発展のすばらしさと李承晩時代の混乱し停滞した韓国の惨めさを青年時代に経験しており、韓国人の愚かさに絶望し、韓国人ではなくかつて大日本帝国の臣民であったことにアイデンティティを持っているのではないかということである。
↓↓↓ 一日一回クリックしていただくと更新の励みになります。
「独島密約」
ノ・ダニエル著作、キム・チョルフン翻訳/ハンウル・2万4千ウォン
1965年1月11日夕方、ソウル城北洞(ソンブクトン)の汎洋商船所有主・朴健碩(パク・コンソク)の邸宅のホームバー。日本の国務大臣の密使である宇野宗佑・衆議院議員(後に総理)、丁一権(チョン・イルグォン)韓国国務総理と金鍾洛(キム・ジョンナク、金鍾泌=キム・ジョンピル氏の兄)韓一銀行常務、文徳周(ムン・トクチュ)外務次官、島本ゲンロウ(読売新聞ソウル特派員)等五人が集まった。14年間進行してきた韓日会談妥結の最大争点だった「独島(トクト)問題」に関する密約が最終確定する瞬間だった。そして5ヶ月後、日本の対韓支援と韓日強制併合条約無効化宣言等を含んだ韓日基本条約が公式締結されて両国の国交がついに正常化する。
「独島・竹島問題、解決しなければならないということで解決したものと見なす。したがって条約では言及しない」といういわゆる「未解決の解決」状態で韓日政府間の領有権解決を持ち越した独島密約は2007年に初めて公開されて韓日間に大きな波紋を起こした。
日本通の政治経済学者であるノ・ダニエル(Roh Daniel ロー・ダニエル)氏が当時、朴正熙(パク・チョンヒ)政権の密使として韓日交渉の水面下で活動した金鍾洛氏と日本側連絡責任者の島本ゲンロウなど主要関係者たちを直接取材して確認した内容だった。
ノ・ダニエルが書いた「独島密約」は、この独島密約の内容と進行過程、背景を豊富な資料とインタビューで現代史ドキュメンタリーのように再構成した本だ。日本で先に発刊されたこの本が韓国語に翻訳されて16日に出版される。著者は「日本と韓国の間に竹島に関する或る約束がある」という中曽根康弘・元総理の耳打ちで独島密約を取材し始めて20年近くこの問題に食い込んで本を書いた。
本を読んでみれば1996年6月に金泳三(キム・ヨンサム)政府が独島の領有権主張を強化する時まで、韓日2国の政府がなぜ静かな外交で一貫したかを一歩遅れて類推してみることができる。「両国が自国の領土と主張するのを認めて同時にそれに反論することに異論がない」という独島密約の最初の条項が相当期間有効に守られたのだ。
本は当時の韓国が経済発展のために日本の資金が必要だったとはいうが、日本の領有権主張に口実を提供した朴正熙政権の対日密室外交の黒幕を暴露する。韓国の外相と駐日韓国大使が密約の事実を知らないまま実務交渉で独島領有権の主張をして密約の実体を知る日本側外交官たちの嘲弄を買う場面も恥ずかしいが厳然な私たちの現代史だ。2次大戦以後連合国と日本のサンフランシスコ講和条約で日本が韓国領と認められていた独島を日本が返還しなければならない領土対象から外す過程などを見れば、日本政府がどれくらい強力な外交活動と歴史資料調査を実施したのか知ることになる。
韓国軍事政権らが独島密約を最後まで守ったことに対する著者の評価は示唆するところが大きい。「満州軍官学校や日帝の陸軍士官学校を卒業した先輩らを誇らしく思う彼らに『日本と仲良くする』ということは本能に近い観念だったのだ。こういう背景から全斗煥(チョン・ドゥファン)と盧泰愚(ノ・テウ)が大統領の席にあった時点まで独島密約の精神は伝えられて、結果的に守られていた計算だ。」
キム・ドヒョン選任記者
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 記事登録:2011-05-13午後09:24:06
●【産経/書評】ロー・ダニエル『竹島密約』~「漢江の奇跡」の土台には[2008/11/23]
■「漢江の奇跡」の土台には
本書の著者、ロー・ダニエル氏は韓国人である。ソウルの生まれ、アメリカ、日本に留学し、現在は日本と韓国で言論活動をおこなっている。
ロー氏は多くの日本人政治家と関係者の回想録や覚書を読み、存命する人たちに証言を求め、日本語で執筆したのが、この著書である。戦後生まれのロー氏の達意の文章に読者はまず驚き、40数年前に活躍した日韓両国の政治家の面目、その願望、メンタリティーを見事に描き切っていることに感嘆しよう。
1965年の日本の首相は佐藤栄作であり、「竹島密約」を考案した日本側の政治家は河野一郎だった。
日本では最高、最長のいざなぎ景気がはじまろうという年であったが、アメリカ軍はベトナムの戦いに介入し、毛沢東がはじめようとしている文化大革命の全体像は皆目見当がつかず、インドネシアでは中国が支援する共産党のクーデターが瓦解しはしたものの、東アジアは不安、危険な状況にあった。
60年に韓国大統領の李承晩が下野を迫られたあと、61年に軍事革命によって大統領となっていた朴正熙は、日本との関係を正常なものにして、それを国造りのてこにしようと望んだ。
両国間にある障害は52年に李承晩が「李承晩ライン」を宣言して、竹島を韓国の領土にしてしまっていたことだった。
だが、竹島で譲歩することは、韓国の国民感情を考えた場合、権威的な指導者である朴正熙にもできなかった。
「解決せざるをもって、解決したものとみなす」という密約を結び、竹島領有権の問題を棚上げして、その年、65年6月に日韓基本条約を結んだ。日本のお決まりの先延ばし外交と批判するのは易しい。
だが、朴の統治18年のあいだに、最貧国グループだった1人当たり国民所得が中進国のレベルにまで躍進した「漢江の奇跡」の力の土台に日韓基本条約があった。
それを成立させたのはこの密約だった。本書はそのすべてを明らかにしている。(草思社・1785円)
評・鳥居民(評論家)
◇
【プロフィル】ロー・ダニエル(Roh Daniel) 1954年、ソウル生まれ。「月刊中央」で活躍。
ソース:産経新聞 2008.11.23
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081123/bks0811230934011-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081123/bks0811230934011-n2.htm
●金泳三 - Wikipedia
金 泳三(キム・ヨンサム、1927年12月20日 - )は、大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年 - 1998年)。本貫は金寧金氏。号は「巨山」(コサン、거산)。略称はYS。実家は網元。植民地時代における創氏改名時の日本名(1945年まで)は金村康右(かねむら こうすけ)。日本語読みでは「きんえいさん」。早稲田大学特命教授。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。
大統領時代
内政
朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅し、金泳三政権は文民政権と呼ばれることになった。金泳三は軍部政権の残滓を徹底して排除するため、軍内の派閥「ハナ会」を潰し、会員を退席させるなど、軍の改革を進めた。また、野党政治家や政治運動家などを積極的に登用し、国家安全企部長、外務大臣、統一院長官などに大学の教授を迎えた。さらには、高級官僚の不正の追及にも乗り出し、大法院院長や検事総長、警察庁長官などが辞任することになった。
政治と経済の癒着を嫌悪し、「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルクッス(韓国式うどん)にする」と明言した[2] 。また、歴代大統領が議員に配っていた「モチ代」の制度も無くすなど、政治の無駄の部分を排除していった。 経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくすため、「金融実名制」を実施した。
外交
金泳三政権は「歴史の立て直し」を主張し、行動した。まず、対北朝鮮の懸案となっていた非転向長期囚李仁模を1993年3月19日に北朝鮮に送還した。次いで、1993年8月には旧朝鮮総督府の解体を決定。1995年8月15日には解体が行われた。
1993年3月19日に北朝鮮が核拡散防止条約から脱退し、朝鮮半島全土に核危機が訪れるが、危機回避の会談はアメリカと北朝鮮間のみで行われ、韓国は一切手出し出来なかった。1994年7月8日に金日成が死去すると、金泳三政権は哀悼の意も表明せずに全軍に厳戒態勢を指示し、弔問のため訪朝しようとした勢力を弾圧。朝鮮半島情勢が一時期悪化した。
日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がった。
また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。一方外国、近隣では香港では「韓国がもめ事を起こした」として、日本の立場を支持するという回答が60%を超す調査結果が明らかとなった。結果として、紛争地域であるという認識を世界に広める形になった[3]。
就任前後に日本で高まった統一教会による誘拐事件への対応では日本側に不興の声も上がった。また、いわゆる「光復」50周年を記念して行われた歴史立て直し事業では、上述の旧朝鮮総督府解体のほか、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。
退任後
2002年より早稲田大学の特命教授に就任。公共経営研究科への特別講義や大学全体への公開講演会の開催など年に約2回の訪日時には、本人は「もう大分忘れてしまった」と謙遜気味に語ってはいるが、流暢な日本語での講義を受け持っており、テレビ出演もしている。
逸話
対日強硬派のイメージがあるが、対日穏健派とみられていた後任の金大中が公式な場は勿論、私的にもほとんど日本語を話さないことにしていたのに対して、上記の早稲田大学での講義や日本人ジャーナリストとのインタビュー等では、基本的に日本語で対応する。金泳三の反日発言は建前上の政策のためともいわれる。
小泉元首相の靖国神社参拝には反対姿勢を表明し、戦犯をリストから除名するのは「問題ない」とコメントしている。
当初は北朝鮮に対して宥和姿勢で臨み北朝鮮も久々の文民出身大統領であることから非難を差し控えていた。しかし、党内強硬派の圧力が強まるに従い対北朝鮮強硬姿勢に転じたため、平壌放送で「人間のくずの金泳三」と放送されたことがある。同時に(就任後時間が経ってから)お決まりの「反動」規定を受けた。
日韓国会議員サッカー大会の前日に山本順二を自宅に招き日本語で会話するなど、日本とは非常に親しい関係である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
【私のコメント】
ロー・ダニエル著「竹島密約」の韓国語訳が出版された。私がこの本の書評の中で注目するのは、1965年に竹島に関する密約が韓国軍事政権と日本の間で結ばれ継続されていたのに、1996年6月に金泳三(キム・ヨンサム)政府が竹島の領有権主張を強化して密約が破られたとの指摘である。1993年に就任した金泳三大統領は「歴史の立て直し」を主張し、旧朝鮮総督府の解体、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。また、日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。結果として、紛争地域であるという認識を世界に広める形になった。
では金泳三元大統領は反日派なのかというと、どうもそうではないようだ。日韓国会議員サッカー大会の前日に山本順二を自宅に招き日本語で会話するなど、日本とは非常に親しい関係であり、早稲田大学の特命教授に就任しており、流暢な日本語での講義を受け持っているという。反日でもあり親日でもある金泳三元大統領は一体何者なのだろうか?
この答えを出すのに最も重要なのは、大統領期間の金泳三の政策である。竹島問題に関する密約を破る行為や日本の歴史認識を問題視する政治姿勢は韓国の反日世論を刺激し、結果的に日韓の軍事同盟は不可能になった。1990年代には既に米国の没落が明らかになっていたことを考えると、韓国としては米国衰退後の安全保障政策として日本との軍事同盟を真剣に検討する時期にあった。結果として韓国は現在、唯一の同盟国である米国の衰退に直面し、日本・中国・北朝鮮という仮想敵国に囲まれて孤立した滅亡寸前の状況に追い込まれている。冷戦後、つまり21世紀の韓国の安全保障を決定的に破壊したのが金泳三政権なのだ。自国の国益を追求するはずの政治家がなぜそれを損なう行動を行うのか、非常に不思議である。
私は、金泳三は日本政府の工作員なのではないかと考えている(金大中も同様)。恐らく日本政府の依頼を受けて大統領時代に反日政策をとったのだろう。1990年代はクリントン政権が露骨な反日政策を採り日米関係が緊張する中で、米国の衰退も明瞭化してきていた。日本政府は将来米国が衰退して米軍が韓国から撤退することを予期し、米軍撤退後の韓国を支援せずに滅亡させることを決定したのだと想像している。そして、滅亡する韓国に過剰な工場設備を集積させ、近未来の米国の覇権崩壊に伴う世界恐慌の時に合わせて韓国を滅亡させて工場設備を一挙に破壊する政策を推進しているのだと考えている。
金泳三や金大中が日本政府の工作員になる理由はよく分からない。考え得るのは、金泳三や金大中は日本統治時代の韓国の発展のすばらしさと李承晩時代の混乱し停滞した韓国の惨めさを青年時代に経験しており、韓国人の愚かさに絶望し、韓国人ではなくかつて大日本帝国の臣民であったことにアイデンティティを持っているのではないかということである。
↓↓↓ 一日一回クリックしていただくと更新の励みになります。
もしかしたら済州島と巨済島は日本の領土と考えているのかもしれないですね。
対称的に、朴正煕・全斗煥・盧泰愚の軍事政権の3人の大統領は慶尚南道北部や慶尚北道といった内陸地域の出身です。また、日本と緊密な関係を組むことで自国を発展させるという韓国の国益に合致した戦略をとってきました。現在の李明博大統領は大阪生まれですが慶尚北道浦項育ちで、反日を抑制する基本方針なので、軍事政権大統領の路線です。ただ、日本にとっては親日の韓国は安全保障上の大きな重荷なので、現在の政権は好ましくありません。むしろ、反日の民主化政権時代の方が好ましかったと考えられます。
彼の年代の韓国人で「族譜に載ってないのに高学歴か地位が高い」のは日本人の可能性が高い。
いわば、オセロの駒のようなものだ。
何か事があると突然、駒が白黒ひっくりかえるのだ。
これを知らない日本人は驚くばかりだが、よく理解すれば、驚かずにすむ。
世間では元全共闘の戦士として有名ですが、信条や行動を見る限り管直人とともに日本政府から送り込まれた工作員ではないかと勘繰りたくなります。
金正日=日本人、北朝鮮=帝国陸軍の亡命政権説とつなげて、戦後韓国政府内にも旧日本軍のスパイが入っていた、と持っていっても解釈できるように思います。
金大中=日本人説もそれでしょう。
なにせ、二人は空港から平壌市内までの車中で、手を握り合ってた、って言うじゃないか。
要するに日本は舐められてるって事だ。
領土問題=竹島問題が典型だろう。
戦前の日本だったら奴らは怖くて出来ん。
また日本以外の国だったらあんな真似は出来ん。