いつだったか「声に出して読みたい日本語 」という本が出て、結構話題になりました。
たとえその言葉の意味が分からずとも、
暗唱しているうちに、自然と美しい日本語の力が身に付くだとかなんだとか…
まあ、しゃべると、聞くのとで方向性は反対ですが、
「聞き流すだけで英語力が身に付く!」
というよくある英会話の勉強法ももしかしたら同じようなものなのでしょうか。
さて、そういう効果が本当にあるかどうかは別にして、
確かに思わず口にしてみたくなる言葉は確かにあります。
例えば…
王政復古の大号令
カノッサの屈辱
囲い込み(エンクロージャー)
こういうのは、どことなくかっこよい響きがあり、
たとえ意味が分からずとも、口にするだけで気持ちが良く嬉しい。
ちなみに歴史用語が多いのは、
学生時代暗記するために、繰り返し口にし、
そのせいで頭に刷り込まれたものが多いから。
そういう意味では次のようなものは覚えるために繰り返し口にしたので、
今となっては最初の音節が始まると、後は自動的に口から出るような感じで面白い。
墾田永年私財法(こんでん えいねん しざいほう)
禁中並公家諸法度(きんちゅう ならびに くげ しょはっと)
租・庸・調 (そ・よう・ちょう)
六波羅探題 (ろくはら たんだい)
坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)
東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅう ひざくりげ)
廃藩置県(はいはん ちけん)
民選議員設立建白書 (みんせんぎいん せつりつけんぱくしょ)
二葉亭四迷(ふたばてい しめい)
モホロビチッチの不連続面
ペ レ ス ト ロ イ カ
アウストラロピテクス
ターヘルアナトミア
やはり歴史関連が多いですが、これはやはり暗記科目だったからでしょうね。
こういう言葉は、不意に頭に浮かび、音(おん)だけがまず浮かび、
そしてその後意味がついて来るから面白い。
特に作家の「二葉亭四迷」は「くたばってしま(め)え!」という言葉をもじりペンネームにしたとのことですが、
わたしにはもう、「ふたばていしめい」以外の何物でもありえない!
意味を通り越し、もう音が主役に置換されちゃってるのですよ。
それほどまでにそれらの言葉は、語呂というかリズムが最高なんだと思っております。
またそのように語呂とリズムといえば、
表記ではほとんど意味を持たないカタカナ語にこそ多く、
そういうものはもう、語感が即私の脳内を刺激し、
思わず、突拍子もないイメージをうかべさせるのです。
でもそのほとんどは意味のない、説明しようもない。
そういうイメージ。
例えばこんな感じ。
ポリプロピレン
→ポリプロ(多分アイドル)が、「ピレン♪」ってな感じでなんとも可愛い♪
アマルガム
→微妙に納得できないけれど、それを押し殺し納得しようとしている渋い男性のイメージ。
ア・バオア・クー
→切羽詰まっているのに、それを隠して落ち着き払っている紳士のイメージ。
右往左往
→それぞれ魚(うお)と竿(さお)を持ったちょんまげ頭の町人二名が、
「うお~!」「さお~!」と大騒ぎしして走りまわっているイメージ。
練馬
→箸と納豆の入った器を手にし、それを練りまわしながら人を襲う怪しい人物(練り魔)のイメージ。
後半は、純粋に音ではなく駄洒落風な感じになっておりますが、
どうも私はこの手のことばを口に出すときには、そういうイメージがどうしても付きまとうのです。
とまあ、このような感じで、私には思わず口にしたくなる言葉というのはまだまだあるのです。
例えば
「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。」
に代表される古文の出だしなど。
で、他の人たちにもこのような感じの言葉はあるのだろうか?
ふとそう考えてみると…
あった!
これだ!
(・∀・)「お経。」
無論とてもありがたい言葉なわけなのですが、
あのお経というものは、そのまま唱えるだけでもとても気持ちが良い言葉の集まりでできている。
多分意味を理解せずとも。
たとえその言葉の意味が分からずとも、
暗唱しているうちに、自然と美しい日本語の力が身に付くだとかなんだとか…
まあ、しゃべると、聞くのとで方向性は反対ですが、
「聞き流すだけで英語力が身に付く!」
というよくある英会話の勉強法ももしかしたら同じようなものなのでしょうか。
さて、そういう効果が本当にあるかどうかは別にして、
確かに思わず口にしてみたくなる言葉は確かにあります。
例えば…
王政復古の大号令
カノッサの屈辱
囲い込み(エンクロージャー)
こういうのは、どことなくかっこよい響きがあり、
たとえ意味が分からずとも、口にするだけで気持ちが良く嬉しい。
ちなみに歴史用語が多いのは、
学生時代暗記するために、繰り返し口にし、
そのせいで頭に刷り込まれたものが多いから。
そういう意味では次のようなものは覚えるために繰り返し口にしたので、
今となっては最初の音節が始まると、後は自動的に口から出るような感じで面白い。
墾田永年私財法(こんでん えいねん しざいほう)
禁中並公家諸法度(きんちゅう ならびに くげ しょはっと)
租・庸・調 (そ・よう・ちょう)
六波羅探題 (ろくはら たんだい)
坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)
東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅう ひざくりげ)
廃藩置県(はいはん ちけん)
民選議員設立建白書 (みんせんぎいん せつりつけんぱくしょ)
二葉亭四迷(ふたばてい しめい)
モホロビチッチの不連続面
ペ レ ス ト ロ イ カ
アウストラロピテクス
ターヘルアナトミア
やはり歴史関連が多いですが、これはやはり暗記科目だったからでしょうね。
こういう言葉は、不意に頭に浮かび、音(おん)だけがまず浮かび、
そしてその後意味がついて来るから面白い。
特に作家の「二葉亭四迷」は「くたばってしま(め)え!」という言葉をもじりペンネームにしたとのことですが、
わたしにはもう、「ふたばていしめい」以外の何物でもありえない!
意味を通り越し、もう音が主役に置換されちゃってるのですよ。
それほどまでにそれらの言葉は、語呂というかリズムが最高なんだと思っております。
またそのように語呂とリズムといえば、
表記ではほとんど意味を持たないカタカナ語にこそ多く、
そういうものはもう、語感が即私の脳内を刺激し、
思わず、突拍子もないイメージをうかべさせるのです。
でもそのほとんどは意味のない、説明しようもない。
そういうイメージ。
例えばこんな感じ。
ポリプロピレン
→ポリプロ(多分アイドル)が、「ピレン♪」ってな感じでなんとも可愛い♪
アマルガム
→微妙に納得できないけれど、それを押し殺し納得しようとしている渋い男性のイメージ。
ア・バオア・クー
→切羽詰まっているのに、それを隠して落ち着き払っている紳士のイメージ。
右往左往
→それぞれ魚(うお)と竿(さお)を持ったちょんまげ頭の町人二名が、
「うお~!」「さお~!」と大騒ぎしして走りまわっているイメージ。
練馬
→箸と納豆の入った器を手にし、それを練りまわしながら人を襲う怪しい人物(練り魔)のイメージ。
後半は、純粋に音ではなく駄洒落風な感じになっておりますが、
どうも私はこの手のことばを口に出すときには、そういうイメージがどうしても付きまとうのです。
とまあ、このような感じで、私には思わず口にしたくなる言葉というのはまだまだあるのです。
例えば
「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。」
に代表される古文の出だしなど。
で、他の人たちにもこのような感じの言葉はあるのだろうか?
ふとそう考えてみると…
あった!
これだ!
(・∀・)「お経。」
無論とてもありがたい言葉なわけなのですが、
あのお経というものは、そのまま唱えるだけでもとても気持ちが良い言葉の集まりでできている。
多分意味を理解せずとも。