先日お伝えした友人のお通夜に昨晩行ってまいりました。
会場に着くとすでにほかのバイク仲間たちも来られており、
皆で最後のあいさつを済ませた後、ご遺族の方々のご厚意で、
皆で別室に集まりしばらくの間故人の思い出話に花を咲かせました。
その話の輪の中には、故人の奥様もいらっしゃったわけですが、
じつは私たちのほとんどは初対面。
なのに驚くほどに私たちのことをご存じなので驚いていたらば、
どうも生前いろいろな話を一方的に聞かされていたとのこと。
そしてそのことをお話になる奥様の様子からは、
とても仲の良かったご夫婦であった雰囲気がものすごく伝わってき、
また故人が結構奥さんに対して甘えたであったような感じも受けたので、
それも私はずいぶん意外でした。
だって、いつも渋く決め、どっちかというと硬派なイメージでしたから。
とはいえ、言われれば確かに、
ファッションやいでたちに常に色気を欠かさない方だったので、
お家の中では、また全然違った雰囲気であったんでしょうね。
そうして色々お話させていただいたのですが、
話題はやはりバイクのことが中心に。
実は故人の乗っていたバイクの中に、非常にレアで数の少ないものがあり、
それを手に入れたいきさつなども、
「なるほど、そういういきさつで…」と興味深く拝聴。
で、実はこのバイクについては生前故人からこう言う話を聞いていたのです。
ここ数年な、今まで全く連絡なかった連中から年賀状が来るんや。
でな、何かいなと思って目を通すと、
あのバイクはまだお持ちですか?みたいなことが書いてあるんや。
そろそろわしがバイクを降りる思って、譲ってくれみたいな感じなんやわ。
そういうのは、なんかな~。
でも、わしは死ぬまであれに乗るで。
まあ、その言葉通り最後まで大切に乗られていたわけですが、
私たちもやはり今後あのバイクがどうなるかは正直気になっていたのです。
ですので、昨晩もその話題になった時、
「あれには僕が乗ります。」
と、そう声を上げたのは故人の息子さん!
おお!
それは嬉しい!
それが絶対一番いい!
ほかの誰が乗るよりも、あの方が一番喜ぶ!
だって、私たちやほかの誰もよりも、
いつも間近で見ていたご家族の方があれの本当の価値を良く分かっておられる。
というか、あの方があそこまで愛されたバイクだから、
ご家族にとっては、それはもうご主人であり、父親でもあるのだから。
むろん、お若い頃いつもタンデムシートに乗っていた奥様にとってはなおさら。
その後も夜が更け深夜近くなるまでいろいろと語り会っていたのですが、
さすがにこのまま朝まで語明かすわけにもいかないので、
もう一度最後のご挨拶をしに御棺まで。
するとしのやんが、「あれ?このお棺でよく収まりましたね?」と。
そう言われれば確かに、結構上背があったのに、こうしてみるとそうでもない。
すると奥様が、
実は、そのままでは収まりきらなかったので、足を少し曲げているんですよ。
でも、実際はやはり病気してから縮んだのもあると思います。
と。
そしてまた、お棺に共に入れる愛車たちの写真や愛用品を見せていただき、
確かに病気はあったけれど、最後まで好きなことをして生きたから、
あの人らしかったなと思います。
とも。
でも最後に一言。
こんなはずじゃなかったんだけどな~。
これには私たちも無言でうなずくしかありませんでした。
ほんっと、こんなはずじゃアなかったんだよな~。
ハンドルネームも、「透析ライダー」は縁起が悪いから、
今後は「セパハン」に変更や!
わしはどんなに歳いっても、一生セパハンを握りしめるで!
って、この夏、蒸し暑い夜の公園でそう言っていたのに!
私は今日は仕事で告別式には参列できませんでしたが、
仲間たちが今ちょうど本当に最後のお見送りをしてくれている頃。
いつも飛ぶようにかっ飛んで走っていたあの方は、
本当に空の向こうに飛んでっちゃってしまったわけだな。
田屋さん安らかに。
会場に着くとすでにほかのバイク仲間たちも来られており、
皆で最後のあいさつを済ませた後、ご遺族の方々のご厚意で、
皆で別室に集まりしばらくの間故人の思い出話に花を咲かせました。
その話の輪の中には、故人の奥様もいらっしゃったわけですが、
じつは私たちのほとんどは初対面。
なのに驚くほどに私たちのことをご存じなので驚いていたらば、
どうも生前いろいろな話を一方的に聞かされていたとのこと。
そしてそのことをお話になる奥様の様子からは、
とても仲の良かったご夫婦であった雰囲気がものすごく伝わってき、
また故人が結構奥さんに対して甘えたであったような感じも受けたので、
それも私はずいぶん意外でした。
だって、いつも渋く決め、どっちかというと硬派なイメージでしたから。
とはいえ、言われれば確かに、
ファッションやいでたちに常に色気を欠かさない方だったので、
お家の中では、また全然違った雰囲気であったんでしょうね。
そうして色々お話させていただいたのですが、
話題はやはりバイクのことが中心に。
実は故人の乗っていたバイクの中に、非常にレアで数の少ないものがあり、
それを手に入れたいきさつなども、
「なるほど、そういういきさつで…」と興味深く拝聴。
で、実はこのバイクについては生前故人からこう言う話を聞いていたのです。
ここ数年な、今まで全く連絡なかった連中から年賀状が来るんや。
でな、何かいなと思って目を通すと、
あのバイクはまだお持ちですか?みたいなことが書いてあるんや。
そろそろわしがバイクを降りる思って、譲ってくれみたいな感じなんやわ。
そういうのは、なんかな~。
でも、わしは死ぬまであれに乗るで。
まあ、その言葉通り最後まで大切に乗られていたわけですが、
私たちもやはり今後あのバイクがどうなるかは正直気になっていたのです。
ですので、昨晩もその話題になった時、
「あれには僕が乗ります。」
と、そう声を上げたのは故人の息子さん!
おお!
それは嬉しい!
それが絶対一番いい!
ほかの誰が乗るよりも、あの方が一番喜ぶ!
だって、私たちやほかの誰もよりも、
いつも間近で見ていたご家族の方があれの本当の価値を良く分かっておられる。
というか、あの方があそこまで愛されたバイクだから、
ご家族にとっては、それはもうご主人であり、父親でもあるのだから。
むろん、お若い頃いつもタンデムシートに乗っていた奥様にとってはなおさら。
その後も夜が更け深夜近くなるまでいろいろと語り会っていたのですが、
さすがにこのまま朝まで語明かすわけにもいかないので、
もう一度最後のご挨拶をしに御棺まで。
するとしのやんが、「あれ?このお棺でよく収まりましたね?」と。
そう言われれば確かに、結構上背があったのに、こうしてみるとそうでもない。
すると奥様が、
実は、そのままでは収まりきらなかったので、足を少し曲げているんですよ。
でも、実際はやはり病気してから縮んだのもあると思います。
と。
そしてまた、お棺に共に入れる愛車たちの写真や愛用品を見せていただき、
確かに病気はあったけれど、最後まで好きなことをして生きたから、
あの人らしかったなと思います。
とも。
でも最後に一言。
こんなはずじゃなかったんだけどな~。
これには私たちも無言でうなずくしかありませんでした。
ほんっと、こんなはずじゃアなかったんだよな~。
ハンドルネームも、「透析ライダー」は縁起が悪いから、
今後は「セパハン」に変更や!
わしはどんなに歳いっても、一生セパハンを握りしめるで!
って、この夏、蒸し暑い夜の公園でそう言っていたのに!
私は今日は仕事で告別式には参列できませんでしたが、
仲間たちが今ちょうど本当に最後のお見送りをしてくれている頃。
いつも飛ぶようにかっ飛んで走っていたあの方は、
本当に空の向こうに飛んでっちゃってしまったわけだな。
田屋さん安らかに。