しかし、ちょっとした身振り、眉を持ち上げることすらも彼の計画を挫くことになりかねないので、パスカルはじっと無表情を保った。
「これは意外でございます、侯爵」と彼は冷たい口調で言った。「このように激されるのは合点が行きませぬ。貴方様が不快に思われるのはよく分かります。しかし、そこまで怒りをぶちまけられますのはいささか……」
「ああ、それは貴殿が知らないからだ……」
彼はぴたりと言葉を止めた。今だ。真実が口まで出かかっている。
「何を、でございますか?」とパスカルは尋ねた。
しかし、もうド・ヴァロルセイ氏は再びガードを固めていた。
「私には今夜どうしても返済しなくてはならない借金がありましてね」と彼は用心深く答えた。「延期は出来ないのですよ……ゲームの借りでね」
「十万フランの、ですか?」
「いや、それほどではない。二万五千フラン……」
「貴方様のような裕福なお方が、そんなことのために心を砕いていらっしゃるのですか。それしきの金額なら用立ててくれる方はいくらもおられましょうに……」
ド・ヴァロルセイ侯爵は皮肉な調子で口笛を吹き、パスカルを遮った。
「そんなことをいつまでも信じているのかね」と彼は小馬鹿にした笑いを浮かべた。「モーメジャンさん、あなた自身たった今言われたではないですか。今の時代、現金を手元に置いておく者などいない、と。商売で稼いでいるのでなければね。最も裕福な私の友人たちは、腐るほど金を持っていても、手元に余分な金は一切置かない。ああ、こつこつ節約した金を毛糸の靴下の中に一杯詰めておく、などというのは過去の話です。金貨を詰め込んだ戸棚を壁で塞いだりなどして……。では銀行家のもとへ行くとしますか? 検討するのに二日は必要だと言うでしょうな。それに友人の二、三人にサインをして貰わねばならない、と。公証人のところへでも行こうものなら、更にもっともっと煩雑な手続きが必要となる。ぐちゃぐちゃと忠告を聞かされた上に、だ……」
しばらく前からパスカルは椅子の上でもぞもぞしていた。提案をしようと機会を窺っているかのように。ド・ヴァロルセイ氏が一息ついたのを見計らって彼は口を開いた。
「あの、ちょっとよろしいですか……」
「なんですか?」
「貴方様に二万五千フランご用立てする方法がございます」
「あなたにですか?」
「はい、私に」
「今夜六時前に?」
「はい、そのとおりです」
サハラ砂漠の真っただ中で乾きの為息も絶え絶えになった旅人にコップ一杯の水が差し出されたとしても、このときの侯爵が味わった恍惚とした喜び以上のものではなかったであろう。文字通り、彼は生き返った。死の淵から。
今夜中に二万五千フランを集めることが出来なければ、彼は終わりだった。その金があれば、それはいっときの猶予を意味し、時間稼ぎこそ彼にとっては頼みの綱だった。それに、こういう提案が示されたのは、彼の悲惨な状況がまだ明るみに出ていないことの証拠ではなかろうか……。9.21
「これは意外でございます、侯爵」と彼は冷たい口調で言った。「このように激されるのは合点が行きませぬ。貴方様が不快に思われるのはよく分かります。しかし、そこまで怒りをぶちまけられますのはいささか……」
「ああ、それは貴殿が知らないからだ……」
彼はぴたりと言葉を止めた。今だ。真実が口まで出かかっている。
「何を、でございますか?」とパスカルは尋ねた。
しかし、もうド・ヴァロルセイ氏は再びガードを固めていた。
「私には今夜どうしても返済しなくてはならない借金がありましてね」と彼は用心深く答えた。「延期は出来ないのですよ……ゲームの借りでね」
「十万フランの、ですか?」
「いや、それほどではない。二万五千フラン……」
「貴方様のような裕福なお方が、そんなことのために心を砕いていらっしゃるのですか。それしきの金額なら用立ててくれる方はいくらもおられましょうに……」
ド・ヴァロルセイ侯爵は皮肉な調子で口笛を吹き、パスカルを遮った。
「そんなことをいつまでも信じているのかね」と彼は小馬鹿にした笑いを浮かべた。「モーメジャンさん、あなた自身たった今言われたではないですか。今の時代、現金を手元に置いておく者などいない、と。商売で稼いでいるのでなければね。最も裕福な私の友人たちは、腐るほど金を持っていても、手元に余分な金は一切置かない。ああ、こつこつ節約した金を毛糸の靴下の中に一杯詰めておく、などというのは過去の話です。金貨を詰め込んだ戸棚を壁で塞いだりなどして……。では銀行家のもとへ行くとしますか? 検討するのに二日は必要だと言うでしょうな。それに友人の二、三人にサインをして貰わねばならない、と。公証人のところへでも行こうものなら、更にもっともっと煩雑な手続きが必要となる。ぐちゃぐちゃと忠告を聞かされた上に、だ……」
しばらく前からパスカルは椅子の上でもぞもぞしていた。提案をしようと機会を窺っているかのように。ド・ヴァロルセイ氏が一息ついたのを見計らって彼は口を開いた。
「あの、ちょっとよろしいですか……」
「なんですか?」
「貴方様に二万五千フランご用立てする方法がございます」
「あなたにですか?」
「はい、私に」
「今夜六時前に?」
「はい、そのとおりです」
サハラ砂漠の真っただ中で乾きの為息も絶え絶えになった旅人にコップ一杯の水が差し出されたとしても、このときの侯爵が味わった恍惚とした喜び以上のものではなかったであろう。文字通り、彼は生き返った。死の淵から。
今夜中に二万五千フランを集めることが出来なければ、彼は終わりだった。その金があれば、それはいっときの猶予を意味し、時間稼ぎこそ彼にとっては頼みの綱だった。それに、こういう提案が示されたのは、彼の悲惨な状況がまだ明るみに出ていないことの証拠ではなかろうか……。9.21