エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2023-01-07 13:12:54 | 地獄の生活

この埋め合わせはさせて貰う。が、然るべきやり方で、です。私にはじっとしていることしか出来ないが、ド・シャルース伯爵とトリゴー夫人の間に出来た娘は孤立無援の身の上ではありませんか? それならば、私は彼女に手を差し伸べます。これは私がこれまでに為してきた愚行の一つに数えられるかもしれぬが、そんなこと気に掛けるものか。私は約束をしたのだ。そうとも!父親が人妻を気晴らしに誘惑するような男で、母親があばずれ女だからといって、それが可哀想な娘の罪ですか! 私ははっきりと彼女の味方をします!」

 マダム・ダルジュレは立ち上がった。彼女の顔は喜びに輝いていた。

 「ああそれなら、私達に救いはあるのですわね?」と彼女は叫んだ。「ああ、わたしは間違っていなかった。貴方を探しに行かせたとき、きっと貴方のお心に届くと思っていましたわ!」

 彼女は男爵の手を取ると唇に近づけようとした。が、彼はそっと手を引っ込めると、驚いたような口調で尋ねた。

 「それはどういう意味です?」

 「私がひどく後悔しているということです。この舘でこないだの晩、ゲームの席で辱めを受けたあの気の毒なお方を助けたいという貴方の意向に賛成しなかったことで……」

 「パスカル・フェライユール氏のことですか?」

 「ええ……、あの方は無実なんです! ド・コラルト子爵が犯人なのです。フェライユールさんの手に予め仕組まれてあったカードが渡るようにしたのは彼なのです。そしてこのような破廉恥なことを彼にさせたのはド・ヴァロルセイ侯爵の差し金だったんです!」

 マダム・ダルジュレをしげしげと見たときの男爵の顔には唖然とした表情が浮かんでいた。

 「何ですと!」彼は叫んだ。「貴女は知っていて、むざむざと見殺しにしたのですか! あの気の毒な青年が吊し上げになろうとしているとき貴女に無実を証明してくれと懇願したのに、貴女は口をつぐんでいる勇気が持てたと言うのですか! あのような言語道断な犯罪が、貴女の家の中で貴女の目の前で行われるのを容認したのですか!」

 「あのとき私は知らなかったんです。マルグリット嬢の存在も、あの若者が私の兄の娘の恋人だっていうことも、何も知らな……」

 男爵は憤然とした口調で遮った。

 「そんなことが何の言い訳になる! 貴女のしたことはあるまじき行為です!」1.7

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2023-01-03 10:45:34 | 地獄の生活

その間も彼は言葉を続けていた。

 「このように運命というものは私達を弄び、私達の計画を嘲笑うものなのだ……。貴女も覚えているでしょう、リア、私たちが初めて出会ったときのことを。貴女は腕に子供を抱えパリの街を彷徨っていた。身を寄せる家もパンもなく、蒼ざめ、疲労と空腹で憔悴しきっていた。死以外に避難場所はなかった、と貴女は後で言いましたね。あのとき私が自殺から救った女が、私の最も憎む敵、憤怒の限りをもってその命を狙わんとして果たせずにいたその男の妹であったとは! そのようなことを一体誰が想像できますか!」

 男爵の息づかいは激しくなって行き、機械的に手で額を何度も拭った。そうすれば彼に執りついていた考えを振り払うことが出来るかのように。

 「どのようにしても、とても言い尽くすことは出来ません」彼はぞっとするような笑みを浮かべながら続けた。「伯爵は死んだ。だがそれでも恥辱に対し恥辱を返してやることはできる……。彼は私の名誉を汚した。今度は私が、彼に消すことの出来ぬ汚名の烙印を押してやるのだ。彼があれほど自慢にしていたド・シャルースという家名に泥を塗る! 彼はかつて私の妻を誘惑した。今それを私がパリ中に知らしめてやる。彼がどんな奴だったか、彼の妹がどんな運命を辿ったかを!」

 ああ、これだったのだ。これこそマダム・ダルジュレの恐れていたことだった。彼女はへなへなと床に跪き、両手を合わせ、声を振り絞って懇願した。

 「ど、どうか御慈悲を!」彼女の言葉は途切れ途切れになった。「後生ですから、お許しください!……どうか私を憐れとお思いになって……わたくし、今まで、いつだって貴方の忠実な友だったではありませんか。貴方が過去のことを仰るなら、このことも思い出してください。貴方が背負っていらっしゃる耐え難い苦しみを共に分かち合ったのは誰でした? あなたも自殺しようとなさったことがありましたね。そのとき優しい言葉で貴方に自殺を思い留まらせたのは誰? 私ではありませんか!」

 彼は一瞬ほろりとして彼女を見た。大粒の涙が彼の頬を伝わった。それから、やにわに彼女の上に身を屈めると、彼女を立ち上がらせ、肘掛け椅子に座らせると叫んだ。

 「さぁさぁ……私が実際はそんなことなどしないということを貴女はよく知っているじゃあありませんか! 私という人間を分かっているんじゃなかったんですか! 私が貴女のことを大事に思っていて、私にとって特別な人だということが分からない筈がない!」

 彼は自制心を取り戻し、感情を制御しようと懸命に努力していることが見て取れた。

 「それに」と彼は付け加えた。「ここへ来る前に、既に私は許していましたよ。愚かなことでした。何があろうとこのことを社交界で言い触らしたりする気はありません。しかし事実はそういうことです。1.3

 

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2023-01-01 16:09:01 | 地獄の生活

 彼女は何も言えなかった。たとえ息子ウィルキーの命を救うことになるたった一言があったとしても、マダム・ダルジュレはそのひと言さえ言えなかったであろう。男爵がどのような苦しみのため一種の精神的な自殺へと追い込まれていったか、彼女には分かった。それが一日十二時間、丸一週間続く五十万フランを賭けたカードゲームだったのだ。

 「しかしそれだけではない」と彼は再び話し始めた。「聞いてください。貴女には何度も話したことですが、私の妻は私の不在中に子供を産んだのです。私は何年もの間、この呪われた子供を探し続けていました。この子供を辿っていけば父親に行き着く筈と考えて……。そして私はついにその子供を見つけた! その子は今や美しい娘に成長し、ド・シャルース邸に、つまり父親のすぐそばに住んでいました。名前をマルグリットという」

 マダム・ダルジュレは壁にぐったりと寄り掛かり、両手は力なく垂らしたまま、身体を木の葉のように震わせて聞いていた。しかし彼女が本当に聞いているかどうかは疑わしかった。目は虚ろに、悲嘆に打ちひしがれていた。それほどに事態は彼女の予想を越える悲惨さを帯びていた。数奇な現実は悪夢の狂おしさの何倍にも思われた。彼女の理性は何度も打撃を受け右に左に揺れていた。彼女の息子、兄、マルグリット、パスカル・フェライユール、コラルト、ヴァロルセイ……彼女の愛する、あるいは恐れ、あるいは憎むこれらの人々が混乱した彼女の脳裏に亡霊のように現れては渦巻いていた。男爵が冷静なだけに彼女の混迷はますますその度合いを深めていった。これまで幾度も男爵が天を衝く凄まじさで苦痛や憎悪を吐き出すのを見て来た彼女は、彼がこのように落ち着いているのが信じられなかった。この平静さは上辺だけのものではないか? 恐ろしい怒りの爆発を今のところ隠しているだけではないのか?1.1

 

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