エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2023-01-17 11:08:32 | 地獄の生活

「私に最後まで言わせて下さい。判断はその後になさってくださいな。私の過去について、貴方にはすべて正直に打ち明けました……但し、このことだけは除いて。私は結婚しているのです、男爵、合法的に。何ものも断ち切ることの出来ない鎖で繋がれているのです。私の夫は下劣な人間です。この男がいかに悪辣かをお知りになったら驚かれることでしょう。ああ、そんな風に首を振らないでくださいまし。私がかつてはあんなに愛した男のことをこんな風に言うのは誇張しすぎなどとは誰にも言わせません。だって本当に私は彼を愛していたのです。気も狂うほどに、自分自身も自分の家族も、名誉や人間として最も尊い義務までも見失うほどに。私の兄の血がまだ生暖かく彼の手に残っているとき、彼の後を追ってしまうほどに!……ああでも、その罰がすぐにやって来ない筈はなかったのです。過ちと同じくらい恐ろしい罰が。私がそのために何もかも投げ捨て、神のように崇めたその男が、駆け落ちして三日目に何と言ったと思います?

『宝石やダイヤモンドを置いてくるなんて、全くお前にはガチョウほどの脳もないのか』

その男は本当にそう言ったのです。乱暴に、怒りにまかせて。そのとき以来、私は自分の転がり落ちた深淵の深さがどれほどのものか思い知ることになりました。私が恋に酔いしれた相手のその男は私を愛してなどいませんでした。彼にとっては全てが金目当ての打算でした……私の心を虜にするため費やした何カ月もの間、彼はずっと冷ややかに計算していたのです……私に見ていたのは家の財産だけ……ああ!……しかも彼はそのことを隠しませんでした。

『もしお前の両親に人の心があるなら』と彼はしょっちゅう口にしていました。『いつかは僕たちの結婚を認めてくれる筈だ……そうすればたんまり持参金が貰える。僕たちはそれを共有する。お前には自由を返してやろう。僕たちはそれぞれにとても幸福に暮らすのだ』

だから彼はどうしても私と結婚すると言い張ったのです……私は息子のために同意しました。私の父と母が亡くなると、彼は私の相続分を要求させようとしました。彼は自分自身ではその要求をする勇気がなかったのです。意気地のない男でしたから。それに私の兄を怖がっていました……。でも私は、この男に一文も渡すものかと決心していました。どんなに脅されようと、どんなに殴られようと、私は自分の権利を行使して財産を得ることはしませんでした。私がどれほど残酷な仕打ちに耐えねばならなかったか、神様だけが御存知です。その後、私は幸運にも彼から逃げることが出来ました、ウィルキーと一緒に。彼は十五年間、ずっと私達のことを探し続けてきましたが、私達を見つけることは出来なかったのです。でも、私の兄のことはずっと監視し続けてきたのは間違いありません。私の虫の知らせは外れたことがないのです。1.17

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2023-01-15 10:39:23 | 地獄の生活

 「結構ですわ」と彼女は返事した。「あなたの仰るとおりに致します……それでその後は?」

 「何ですと! 私が何を言おうとしているか、まだ分からないのですか? その後は……貴女は姿を消すのです。私は新聞記者に五、六人は知り合いがいます。そのうちの一人に記事を書かせることは朝飯前ですよ。貴女が病院の粗末なベッドで死んだ、とね。これは胸を打つ、しかも教訓的な記事の見出しになりますよ。『巴里の花形また一つ去る』と新聞は書き立てるでしょう。『真面目に生きている婦人たちの眉を顰めさせるような娼婦の行き着く先はこのような終りである』とね」

 「で、わたしはどうなりますの?」

 「尊敬すべき女性になるのですよ、リア。貴女はイギリスに行き、ロンドン郊外に洒落た別荘を買ってそこに住み着くのです。そして新たな女性として生きる。貴女の家財道具を売り払って得た金でもって貴女とウィルキーは一年間は十分暮らして行けるでしょう。その期間が終わったら、貴女は必要な証明書類を取りそろえ、自分の身分を申し立て、ド・シャルース伯爵の遺産相続を申し出るのです……」

 マダム・ダルジュレはここで突然立ち上がった。

 「そんなことしません!」彼女は叫んだ。「決して!」

 男爵は自分の耳を疑った。何か聞き間違ったのだろう、と思い、よく理解できなかった。

 「な、なにを言っておられる」彼は口の中でもごもごと呟いた。「合法的に貴女のものである何百万という財産を放棄して国庫に委ねると?」

 「ええ、そのとおりです。そうしなければなりません」

「貴女の御子息の将来が犠牲になるのですぞ……」

 「いいえ、私には出来ないことでもウィルキーならしてくれます……もっと後になれば」

 「しかし、そのようなことは狂気の沙汰だ……」

 これまでぐったりしていたマダム・ダルジュレだったが、今は熱に浮かされたような興奮が彼女を捕えていた。怒りのため顔はきりっとなり、普段は活気なく沈んでいるその目は爛々と輝いていた。

 「狂気の沙汰などではありません!」彼女は叫んだ。「復讐です!」

 唖然としていた男爵が口を開こうとしたとき、彼女は遮った。1.15

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2023-01-13 10:37:58 | 地獄の生活

 「というわけで貴女は差し押さえられる。貴女は異議申し立てをしません。で一週間後パリ中に派手な掲示が貼り出され、司法当局によりドルオー通りの邸で競売が行われる旨宣伝される。マダム・ダルジュレの家具一式、持ち衣裳、カシミア、レース、ダイヤモンド等が最高値をつけた人に競り落とされる、と。これでどんな騒ぎになるか、目に浮かぶようではないですか? 貴女の友人やサロンに入り浸っている連中が大通りで口ぐちに言い合っている様子が。「おや君か! あのダルジュレの話を聞いたかい?……ああ、もちろんだとも……意図的な投げ売りだな……いやいや、賭け金を全部巻き上げられたんだ、すってんてんなんだよ……なんとなんと、残念なことだ! ……良い女だったのになぁ……そのとおりさ、彼女の舘では随分楽しかったね。ところでここだけの話だが……なんだね? ……残念ながら、彼女も娘盛りという年じゃないしね……ま、君も知ってのとおり僕のことだから、競売には行って一声なりと掛けてみるよ」 とこんな具合に、リア、貴女の友人たちはこぞってドルオー通りの舘に馳せ参じ、気前の良いところを見せてくれますよ。貴女の家の棚に置いてあった小さな置物に二十スーの競り値を付けたりなどして……」

 屈辱感に打ちのめされ、マダム・ダルジュレは頭を垂れた。たったこれだけの言葉だったが、今ほど自分の置かれた状況の悲惨さを如実に感じたことはなかった。彼女が転落した境涯の惨めさがこれほど赤裸々な言葉で表現されたことはかつてなかった。しかもこの侮辱は誰からもたらされたものか? 彼女の持つ唯一の友、彼女にとってのたった一つの希望であるトリゴー男爵からなのだった。そして恐ろしいことに、男爵自身はこの言葉の残酷さに全く気付いていないように見え、更に苦々しい皮肉を込めて言葉を続けていた。

 「例にならい、競売に先立って競りに掛けられる品物の展示が行われる。そこへ社交界の名花たちがこぞって押しかけてくるのを見ることになるでしょう。社交界出入りの商人たちや服飾専門家たちやその他の愚か者どもが『最高の貴婦人』と呼ぶ女たちを。彼女たちはある有名な女がどんな暮らしをしていたか、値踏みに来るのです。ついでに何か掘り出し物を安く買えるのではないかと物色しに。これぞ貴族の粋というものです! 最高の貴婦人たちは娼婦が売りに出したダイヤモンドを恥ずかしげもなく身に纏って見せびらかす。ああ、心配には及びませんよ。貴女の装飾品を見に訪れるのは私の妻と娘、ボア・ダルドン子爵夫人、ド・ロシュコート夫人とその五人の令嬢たち、という面々です。それから新聞記者たちも記事のネタを探しにやって来る。彼らは貴女の破産を公にし、貴女の絵画の値段を書き立てる。すべてが終わると……」

 マダム・ダルジュレはびくびくしながらもある種の好奇心を持って男爵を観察した。彼がこのような懐疑的な態度を誇示し、心から高揚した様子を見せるのは何年ぶりのことだろうか……。1.13

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2023-01-11 10:44:57 | 地獄の生活

「ド・コラルトは彼の過去の悪行をわたしが人に洩らしたと知った途端、彼の方でも秘密を暴露するでしょう」

 「それなら、そうするがいい。勝手に喋らせておきなさい」

マダム・ダルジュレは身震いした。

 「そうなるとド・シャルースの名前に瑕が付きます」と彼女は言った。「ウィルキーは母親が誰なのか知ってしまいます……」

 「いや、そうはさせない!」

 「でも……」

 「いいですか、最後まで言わせてください、リア、私に考えがある。この上もなく簡単なことだ。早速今夜、貴女はロンドンの連絡先、パターソン氏とかいいましたかね、に手紙を書いて、貴女の息子をイギリスに呼び寄せて貰うのです。何らかの口実を設けて……お金を渡すから、とでも言えばいいでしょう。ウィルキーは当然飛んで行くでしょう。そしてその地に引き留めて貰うのです。一方コラルトは彼の後を追ったりはしない。で、我々はこちらでゆっくり事を構えればよい、と」

 「まあ」 とマダム・ダルジュレは呟いた。「わたし何故思いつかなかったのかしら……」

 すっかり動転していた男爵も、次第に冷静さを取り戻しつつあった。

 「貴女に関しては、リア」と彼は尚も言葉を続けた。「話はもっと簡単だ……。一つ芝居を打つんです。貴女の家財道具を売り払ったら、どれぐらいの価値がありますか? 数十万フランというところではありませんか? よろしい、貴女は私の使っている名義人の一人に当てた前日付の借用証書にサインをするのです……で、期限日が来たら、仮に月曜としておきましょう、貴女は証書を突きつけられますが、支払いを拒否するのです。貴女は催促されますが、されるがままになっておきます。差し押さえられても、そのままにしておく。うまく説明できているかどうか、分からんのですが……」

 「ああ、とてもよく分かりますとも!」1.11

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2-V-11

2023-01-09 12:16:46 | 地獄の生活

彼女はうなだれ、殆ど聞き取れないような声で言った。

 「わたしに自由があったでしょうか!自分より強い力に従う他なかったのです……ああ、コラルトの脅しがどんな恐ろしいものか、貴方に聞いて貰いたかった! あの男は私の秘密を嗅ぎ付けました。ウィルキーを知っているんです。わたしはあの男の言いなりになるしかありませんでした……ああそんな風に眉を顰めないで。言い抜けしようなどと思っているのではありません。すべてをお話しますわ。わたしの置かれている立場はそれは惨いものです。貴方以外に心を打ち明けられる方はいません。わたしを助けに駆けつけてくださるのは貴方だけです。聞いてください!」

 そして彼女は早口に語った。ド・コラルトから脅しを受けている状況、ド・ヴァロルセイ侯爵の深慮遠謀について聞き知ったこと、フォルチュナ氏から不気味な訪問を受け忠告された内容、彼女自身感じている怖れ、そして今やマルグリット嬢を敵の悪巧みから救い出そうと固く決心していることなどを。

 男爵は座って聞きながらも興奮に息を弾ませていた。カードゲームで最高潮の緊張場面を迎えたときよりもずっと心を奪われていた。マダム・ダルジュレの説明はパスカル・フェライユールからの打ち明け話を補完するものであり、ド・ヴァロルセイ侯爵から聞いた思いがけない誓いの意味も頷けた。今や男爵はド・シャルース伯爵の何百万という財産を巡る腹黒い陰謀の存在を疑わなかった。まず目的を明確に把握すれば。そこに至る方法も見えて来る筈、と彼は考えた。破産状態にあるド・ヴァロルセイ侯爵が、同じく一文なしであるマルグリット嬢との結婚を何故あれほどまでに望んでいるのか、その理由がようやく分かった。

 「あの悪党は」と彼は考えていた。「マダム・ダルジュレがシャルース一族の人間だということをコラルトから聞いたのだな……。マルグリット嬢を妻に迎えれば、マダム・ダルジュレに兄の遺産相続を強要し、自分と山分けできると踏んだのだ」

 マダム・ダルジュレはここで話を終えた。

 「それで、これから」と彼女は言葉を続けた。「どうすべきでしょうか? 何をすればいいのでしょう?」

 男爵は顎を撫でていた。彼が何か考え事をするときの癖なのだ。

 「手始めに」と彼は答えた。「コラルトとヴァロルセイの目論見を白日の下に曝し、あの健気なフェライユール氏の名誉を回復します。これをするのに十万フランほどかかるでしょうが、なに、惜しくはありません。来年の夏には三、四万ほどを失うことになるんですから。同じ金を遣うなら、良いことに遣いたいものです。我が友ブラン株の配当金を増やすことなどより……」1.9

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