アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

どんな不信仰な人でも耳を傾ける年

2023-10-05 06:04:25 | キリスト者の秘蹟neo

◎凡夫の耳も菊の年

(2022-06-13)


新約聖書外伝のペテロ行伝の最初に、回心者パウロが人々にパンと水を分け与えていた時、ルフィナという女性が近づいてきた。パウロは、「彼女は聖餐を受けるのにふさわしくないのに受けようとしている」と咎めた瞬間に、彼女は左半身不随になって口もきけなくなった事件が出ている。これを見た周囲の人は、恐れおののいて、自分の心の在り方を再チェックすることになった。

ルフィナが倒れたのも奇蹟の一種であって、そうした突発事件を見せて、パウロがこれは人々の行動を採点する神の仕業であると説明すれば人々は容易に信じる時代の手法。

時は下り1970~80年代は、人間の外的欲望が実は無形のものへの欲望であって神への希求が隠されていることを、聖者(クリシュナムルティ、OSHOバグワン、ダンテス・ダイジなど)が複数出て盛んに説いた時代だった。当時はまだそういう手法が通用した。

いまは、黒いものを白と言いくるめ、オレオレ詐欺、ネットワークビジネス、コロナ持続化給付金詐欺まで、便利と損得で釣れば、神も仏もなく、ころりと騙される人が多い時代となり果てた。

便利と損得コスパしか念頭になければ、まず神も仏も意識には上がってこないものだ。

そうした時代でも、生活に全然余裕がない人や、便利と損得コスパしか頭にない人たちも、神仏に祈るようなことが発生する時期。それが、どんな不信仰な人でも神仏に耳を傾ける年のことであって、凡夫の耳も菊の年。

そのような異常事態の発生は、明治中期から幻視されていた。その幻視は人類にとってはベターな路線ではなく、神知る人が至る所に発生し、平素当たり前に慈愛、憐み、清貧、節制、温情を為し、神仏のことを思う人が大多数である路線のほうがベターである。つまり異常事態が発生しない路線の方がベター。

自分が不幸、不満なのは、政治のせい、経済政策のせい、反日政策をとる隣国どものせい、日本から収奪する米国のせい、社会のせい、家族のせいなどいろいろ理屈はあるかもしれない。

ところが、人が今日一日無事に過ごせて、食べるもの着るものがあれば、それは十分に奇蹟である。そこから感謝と敬虔が起こる。それにピンとくる人が増えれば、時代は変わり始める。

その点で、神仏に無関心な人の耳目さえ一気に引き寄せる『凡夫の耳も菊の年』の到来は偉大だが、それは神仏の本意ではあるまいと思う。

※「辛の酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組。」伊都能売神諭。
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終わりの世の意識レベルの低下

2023-10-05 03:50:57 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-02-02

○若者は幻を見る

 

使徒行伝では、終わりの世には、あなたがたの息子、娘は預言をして、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るという。この原因は、イエスの霊が下るからだと説明しているが、意識レベルが世の中全体に低下する現象が見られることを云うと考える。潜在意識の表層意識への露出あるいは浮上である。

潜在意識の表層意識への露出あるいは浮上とは、肉体の進化の結果、この身このままで神にコンタクトする準備ができたということでもあり、また肉体ではないレベルに対して感受性が開けたということもである。

予言というと憑依や霊言をイメージしがちだが、そのような中間レベルへの意識現象をペテロが狙っているわけではないだろう。ペテロは、幻視や予言などの通俗的霊現象のみならず、そのものズバリへのコンタクトが多数の人に起きる時代を見ているのだと思う。

だからこそ、「そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう」と云わねばならない。

スマホを四六時中持って、顕在意識を常時働かせるという技は、潜在意識との壁を強化するという効果があるように思えてならない。顕在意識と潜在意識のギャップが深まるのだ。・・・・若者は幻を見ている・・・・

 

新約聖書使徒行伝第二章14~21から

『そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。

「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。

今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。

そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、

『神がこう仰せになる。

終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。

そして、あなたがたの息子、娘は預言をし、

若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。

その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。

そして彼らも預言をするであろう。

 

また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、

すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。

主の大いなる輝かしい日が来る前に、

日はやみに月は血に変るであろう。

そのとき、主の名を呼び求める者は、

みな救われるであろう』。』

このように神に救いを求めて、意識レベルが低下することが想定されている。

 

多くの人が、幻視したり、白昼夢を見るということは、相当に妙なことだから、多くの人が同時に意識レベルが低下して変性意識状態に陥るようなことはあり得ない、と思う人は多いだろう。

ところが、次の至福千年、あるいはみろくの世は、霊的文明と言われ、万人が霊すなわち微細身のあるのが感覚として普通になる。さらにウダーナ気という上昇を特性とする気の原理を応用した飛行物体が発明されると言われている。そのことを考えれば、至福千年、あるいはみろくの世の人間は、常時ある種の変性意識状態にあるからこそ、普通に霊を感じるのではないかと想像する。

現代は、肉体レベル物質レベルを以て物理化学と称しているが、至福千年にあってはエーテル体の次元も人間が普通に感じとり実在に疑問もなくなり、同様にアストラル体の次元も人間が普通に感じとり実在に疑問も抱かないようになると思われる。

そうなれば、現代のように霊的現象を科学的に証明するなどと無理に頑張る必要はなくなってしまう。そもそもアストラル体など別次元の事象を物質次元で証明しようというのが、ドン・キホーテ的な試みだったのだろうと思う。

スピリチュアル現象を科学的に証明する方法は、万人が霊的次元の感覚を有するようになることだったと、その時代に判明するだろう。

その移行は、人間の世界観が一挙に何倍にも拡大してしまう驚異のイベント(the great day)だが、逆立ちではない。その辺が、次の時代で学校で冥想を教える所以である。

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