アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

虚空蔵求聞持法の道場

2023-10-21 11:47:02 | マントラ禅(冥想法7)neo

◎感受性の深化

(2006-12-01)

 

受験生にとっては、記憶を増してくれる方法というのは睡眠学習などと並んでとても魅力的な響きを持つものである。記憶力増進法と言えば、虚空蔵求聞持法である。

円通寺律院(高野山事相講伝所)は、古くから虚空蔵求聞持法の道場として知られる。50日の修行が成就した奇跡もいろいろと伝えられているそうだ。

ここは女人禁制であり、虚空蔵菩薩を祀るお堂に籠もり、そば粉と牛乳という食事だけで50日間にわたって真言(マントラ)を唱え続けるというもの。

この真言百万遍を誦すれば、一切の教法の文義を暗記する事を得る、だそうだから記憶力増進ではなくて、この世のあらゆる教法の意味を感得する感受性を持てば、文義も暗記できる状態になる。つまり、記憶力増進ではなくて、記憶力のベースとなる感受性の深化をこのマントラ・シッディで得ようとするものだと思う。

真言密教中興の祖、覚鑁は九度もチャレンジしたそうだから、ますます記憶力とは関係なさそうなことがわかる。

本当に、このような修行ができる場所があることに日本の伝統の深みを感じる。

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虚空蔵菩薩求聞持法もいろいろ

2023-10-21 11:43:11 | 密教neo

◎洗脳に無防備な状態

(2009-11-24)

 

あの覚鑁(かくばん)ですら、虚空蔵菩薩求聞持法を9度も満行しないと、ものにならなかった。

この行法にチャレンジしていると、いろいろなことでダメになることがある。以下は、渓嵐拾葉集にある記事。

1.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、まず大海の塩水が道場の外にひたひたと満ちてきた。そのうちに潮水は、道場の中に波打って入り込んできて、行者と本尊の他にはことごとく大波が打ち寄せてきた。

驚いた行者は、行をやめてこの場を去って逃げ去った。それから程なくして、帰ってみると水もなく波もなかったそうだ云々。

 

2.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、金星を拝見する窓の間から死人の首が突然現れてきて、だんだん巨大化して道場の中に一杯に充満するほどになった。杖を振り回して追い払おうにも振るだけのスペースがない。

しょうがないので行者はこの場を引き払って逃げ去った。

 

3.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、結願の時に当たって露地の儀式を執り行っていたところ、乳器の上に肉のついた馬の足が突然出現し、その臭いことは卒倒するほどだった。行者はやむなく立って、これを取って遠くに捨てたが、このために行を妨げられることになった。

 

4.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を行っている時、壇上に乾糞の雨が降ってきた。これを取り去るために仏壇を西に寄せたり、北に寄せたりしたが、とても行法の邪魔になった。

 

5.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、ようやく結願の時になった。すると、金星を拝見する窓から、突然鳶が飛び込んできた。鳶は壇上でバタバタ羽を打ちつけまくり、肝心の乳(この行で用いるもの)をこぼして、行の邪魔をしてくれた。

 

6.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行をしていたことろ、黒犬がにわかに走り込んで、乳を食ってしまった。

 

意識レベルが落ちているといろいろなことがある。行者の方も、そんなのには慣れているはずだが、まましてやられる。首尾よくこれに引っかからなくて、満行成就しても何も起こらないかもしれないということもある。

テレビや映画を見るのも、それに入り込めば結構意識レベルが落ちていることがあるように思う。それに気がついていないというのは、洗脳されやすいということに自覚がないことでもあり、怖いものがある。日本人は、つい先だって素直に現人神洗脳でやられたばかりではなかったか。

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ヨーグルトと明星

2023-10-21 11:39:07 | 密教neo

◎虚空蔵菩薩求聞持法の周辺

(2009-11-28)

 

釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。

そして、中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経では、釈迦の覚醒時、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』とする。

キーワードはヨーグルトと明星。ヨーグルトを食し、然る後に明星が出た途端に大悟したという二つにアクセントを置いた修行法、それが虚空蔵菩薩求聞持法のステップの中にある。

空海が虚空蔵菩薩求聞持法の典拠としたものは、善無畏訳「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」とされ、今残っている最古の求聞持法テキストは、覚禅鈔(求聞持同異説)か阿娑縛抄(第百四)(承澄作)とされる。

このテキストに、蝕とヨーグルトのことやら、虚空蔵菩薩のイメージ・トレーニング(観想)をしながら、マントラ百万遍を唱えることが書かれてある由。

またその中に毎日早朝(後夜)、明星を拝む手順があるが、朝に金星を拝めるのは一年のうち半分だけなので、蝕日を満行の日とし、また金星が朝出ている時期を修行期間に当てるという当時ではかなり高度な天文知識がないと修行期間の設定すらできなかったのではないだろうか。

空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきたということだろうか。(空海はヨーグルトにはこだわっていないようだ。)

中心太陽は、クリシュナムルティには星と見えたことがあり、ダンティス・ダイジでは紛れもなく太陽と見えていることから、空海がだんだんと中心太陽に接近する様子を「明星来影す」と表現している可能性がないわけではない。

いずれにしても明星とヨーグルトで、求聞持法の修行者は自分を釈迦に擬する。

明星来影について、空海はそれ以上明かにしなかったし、覚鑁(かくばん)も何が起きたかについて多くは語らなかった。

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西洋の記憶術と虚空蔵求聞持法

2023-10-21 11:24:25 | 超能力・霊能力neo

◎記憶術と観想法

(2010-04-05)

 

西洋の記憶術と虚空蔵求聞持法。どちらも記憶力を増進させる方法で受験生には重宝されるもの?である。不思議なことに、どちらもそれに連続するメソッド=引き続いてやるべき修行法が何かはっきりしないのが奇妙である。

西洋の記憶術は、長時間演説を行うためには,膨大な記憶力が必要とされていたので、雄弁術の付随的な技術として発展したというのが定説のようである。ところがローマ時代以前のギリシア哲学者には、哲学者もいたがクンダリーニ・ヨーギたる冥想家が少なからずいたようであり、冥想技術のひとつとして記憶術がもともとあったようにも見える。しかし記憶術とは、ただそれだけのものだったのだろうか。

虚空蔵求聞持法を空海は成就した由。「記憶術増強」がその後の密教修行にそれは必須の技術だったのだろうか。あるいは、現代の密教ではそこまで記憶力が良くないとダメとされているのだろうか。

ローマ時代の賢人キケロは、その著「弁論家について」において、シモニデス(大きな宴席で天井が落ちて客人全員がなくなった時、彼は客の座席位置と名を記憶していたことにより、見分けのつかないほどになった遺体の識別ができた。これによって記憶術を発見したとされる。)の記憶術発明について次のように、記憶するもののイメージをそれぞれ特定の場所にセットすることであると述べる。

『彼の推論によると、この[記憶能力]を育みたい者は、一連の場を選定し、頭の中で、記憶したい事柄を意味するイメージを形づくり、これらのイメージをそれぞれの場に貯えて置かねばならない。

その結果、場の秩序が事柄の秩序を維持し、事柄のイメージが事柄そのものを表すこととなる。かくして、われわれは場とイメージを、それそれ蝋引書板とそこに記された文字として、用いることになる。』

(記憶術/フランセス・A・イエイツ/水声社P22から引用)

キケロは更に、五感のうちでは視覚の印象が最も記憶に残るとする。

この操作でやっていることは、イメージの形成とそれをあるポジジョンに据えるという操作である。

つまりある程度意識レベルを低下させたところで、心中にイメージを思い浮かべ、ある位置に固定するとは、観想法と同じ技法なのである。よって虚空蔵求聞持法が以後の連続的な観想法修行の前駆として置かれることは、何の不自然さもないように思われる。

同様に西洋では、記憶術はもともと観想法主体のクンダリーニ・ヨーガのウォーミングアップとして利用されていたとしても、不思議はないように思う。雄弁術以外の視点で記憶術に関心を寄せていたのは、観想法を駆使するキリスト教修道士たちの他に、神秘家とされるジョルダーノ・ブルーノなどがいて、その効果の親近性は経験的に知られていたのだと思われる。

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記憶術からコンピューターまで

2023-10-21 10:57:51 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎奥の深い魔法

(2012-04-15)

 

記憶術は、古代ローマの昔から、単なる思い出以上の利用価値あるものと展望されていた。

事実我々は日常生活の中で、様々な家電、PC、自動車、携帯電話などで、ロム上のメモリーをフル活用して生活している。

ジョルダーノ・ブルーノは、まず頭の中に大きなリングを作り、その上に5つの同心円のリングを置く。この6つのリングには、様々な記憶の一つ一つを置く。これによって、リングを回転させれば置かれている記憶を取り出すことができる。そして6つのリングがそれぞれ回転すれば、バラバラだった記憶が結びついて新しい知識が得られると考えた。

もともとのこの着想は、スペインの錬金術師ライムンドゥス・ルルスに由来すると言われる。また、それから100年後のライプニッツは、これをヒントにいくつもの同心円盤から成る初期の計算機を作った。

更にブルーノは、『「奥の深い魔法は、結合点を発見したあとに正反対のものを引きはなす」。ふたつの正反対のものは「結合点」で一致し、そこを出ると正反対に分かれて「反対」となるというのだ。』

(メンデレーエフ 元素の謎を解く/ポール・ストラーザン/バベル・プレス社P125から引用)

 

この奥の深い魔法のことは、世界の始まりと終わりを見た者しか言えないことを言っている。ジョルダーノ・ブルーノは、世俗的には決して恵まれなかったが、相当のところまで行っていたように思う。

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秋の室内ウォーキング、筋トレ、観想法+呼吸法

2023-10-21 07:26:41 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎実際にやって初めて効果を実感するもの

 

9月下旬に最高気温30度越えは一回あったが、以後20度台が続いている。肉体は秋分までの酷暑モードから徐々に切り替わってきた。散歩場所も徐々に室内から屋外へと移し、ノーマルな状態に戻そうとはしている。

ところが、6月から9月までの4か月弱、屋外ウォーキングをほぼやらなかったせいで、屋外散歩しても以前のようなスピード、距離にならないのに愕然。いつも散歩時にすれちがう老人男性も同様のようでスピードはとても遅くなっている。

酷暑の4か月は、散歩がほぼできなかった4か月であって、関東圏では老人の運動機能低下は広汎に起きているのかもしれない。

その間もほぼ毎日50分の室内散歩を行い、途中で上半身筋トレ(10分)も加えてきた。

室内散歩は確かに全身を動かして血行を促すという効果はあるが、屋外散歩に比して脚全体の負荷が小さいのではないかと思った。禅道場で行う経行(きんひん)も屋外。だが、屋外散歩がベターだが、雨の日、強風の日は、室内散歩となるのは、やむを得ない。

最近、ちと思うことがあり、白隠の夜船閑話の軟酥の観にならい、腹式呼吸と軟酥の観風の観想法を始めてみた。

これは、著効があったようだ。こんなことならもっと早くトライすべきだったと反省している。

まず腹式呼吸は、若い頃から時々やっていたが、2、3回やってもあまり効果が感じられないことからあまりやることはなかったが、20分、30分と効果が出るまで繰り返すものだということがわかった。最初から2、3回やっただけで効果が出るのは天才だけである。

軟酥の観風の観想法は、20代の頃から11月には不調になることがあり、時々試してはいた。これも最初のうちはまねびだが、習熟していくうちに効果が出るものだろうと思う。

まことに冥想法は、実際にやって初めて効果を実感するものであり、効果を実感すればますますやるもの。だが、そのやり方の絶対性は、やらずに本やネットで眺めたりしているだけでは何も起こらない、と改めて思った。

冥想法には、効果を求めるタイプの冥想以外に効果を求めないタイプの冥想もある。古神道で言えば、幽斎と顕斎の違いである。

 

参考:幽斎と顕斎

『道之大本 第三章

一.神を斎(いつ)きまつるには、顕斎、幽斎の二つの大別あり。

二.顕斎は、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するものにして、宮殿あり、祝詞あり、幣帛ありて、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表するの道なり。

三.幽斎は、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もなし。ただ願望するところを、吾人の霊を以て祈祷し奉るの道なり。

四.要するに顕斎は、祭祀を専とし、幽斎は祈祷を専とするの道なり。

五.真の神は霊なり。故に其至霊に対するは、霊を以て祈るべし。

六.顕斎のみに偏るも非なり。幽斎のみに偏するも亦(また)非なり。

七.ある宗教の唱ふる如く、「神は霊なり」として、霊のみに偏し、形あるものを祭ることを忌み嫌いて、顕斎の道を無みし、偶像宗教などとそしるもの、あまり偏見にして、未だ全き教理といふべからず。

八.斎きまつるには、神像必ず不可ならず。されど祭祀祈祷の大道を誤りて、顕斎のみによりて福祉を祈るは非なり。祈りは霊を以てせざるべからず。』

(出口王仁三郎著作集第一巻/出口王仁三郎/読売新聞社から引用)

※幽斎が、効果や目的を求めない冥想である。

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