◎ジェイド・タブレット-05-06
◎青春期の水平の道-6
GreatTraverseで有名な田中陽希の、急登を常人の倍以上のスピードで進む能力も一種の超能力のようなもの。また20代で大峯千日回峰行(一日で48キロの山道の往復を繰り返す)を満行した塩沼亮潤大阿闍梨も50代になって、それを振り返り「人間のやることではない。」などと評していたが、そのスピードだけでなく、無事故で進めることも一つの奇跡である。
奥山の道を進めば、風雨あり、熊、猪、鹿、猿、蛇あり、意識のゆらぎでの霊異あり。
田中陽希が、足元が不安定になる濡れた木の根、細かいガレ(大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱しているもの)場を進むには、一歩一歩これを踏んだら次にどうなるかを瞬時に予測して進むと語っていたが、特に下りでは、それが重要。だがそれは、誰でもできる技ではない。
また四囲をガスに覆われて視界が効かなくなると、人の心理は内側に下降していくもの。このようなシーンは、TV的には何も面白くないので、ほとんどカットされているが、冥想ヲタク的視点からは、一般にこのタイミングで狐狸などが登場し化かされるものである。狐狸は、見かけは人として現れるもの。
そういうテレビ画面に出てこない登山のいろいろな障害を承知している人なら、塩沼亮潤大阿闍梨の千日回峰行満行の偉大さを一層わきまえているのだろう。また、彼の過去のカルマの集大成という側面も無視はできない。
最初の頃は怖い幻覚を見たが、だんだんきれいなものに変わり、三年目からは神様仏さまを見るようになった。これで天国には届いたのだ。(人生生涯小僧のこころ/塩沼亮潤/致知出版社P155)
また回峰行中に黄金色に光り輝く世界に入り、空中に大日如来やいろいろな観音様が宙に浮いているのを目撃したのが、見仏(有想定)。
土砂降りの雨の中で、おにぎりに雨が当たり米粒が崩れ落ちながら食べている時に、「自分はなんて幸せなんだろう。食べるものも家も風呂もあるが、そうでなく命の危険に晒されて生きている人も多い。」などと感じて、涙が止まらなかった。これは、『愛』。
千日回峰行の最後のほうで、
『朝から生あくびが出て、なんだか気持ちが悪く、吐き気を催していました。出発して二キロほど登ったところにある水分(みくまり)神社の手前で、心臓の様子がおかしいことに気づきました。と同時に、体の力 が抜けていくような感じになり、水分神社に到着して般若心経を唱えている間にふらふらしてきて、そのまま神社の石段に倒れこんでしまいました。死ぬのかもしれないと思いました。気が遠くなって、体がふわっと軽くなりました。あぁ心臓が苦しいな気持ち悪い、吐き気がする・・・・・そう思いながらも必死に祈りました。
「水分さん、お願いします。行を続けさせてください」
そう強く祈りながら、それからあとの記憶はございません。しばらくして気がつき、 「あぁ、今、寝てたんだ」と思って時計を見ると、いつもより十五分遅れています。 気がつきますと、心臓が元に戻り、それから以降はいつものとおりです。』(上掲書P124から引用)
この眠ってしまった時間帯に何が起きたかは、大いに興味を惹かれる部分である。
千日回峰行あるいは、四無行という、一行専心の中で、とあるタイミングで見仏が起こり、さらに自分が仏となる逆転もあったかもしれない。
『人生生涯小僧のこころ/塩沼亮潤/致知出版社』という本には、足ることを知る事、人を思いやることなど事上磨錬に必要なあらゆることが書いてある。そして彼は、夜寝る前に正座して一日を反省するという。
千日回峰行あるいは、四無行とは、カルマ・ヨーガ的だが、その人の適性によっては、禅や只管打坐やクンダリーニ・ヨーガ系(古神道、密教など)もあり得ると思った。