◎ジェイド・タブレット-05-04
◎青春期の水平の道-4
悟った人でも怒りはするし、悲しみはするし、悩みもするが、二重の現実であることを知っている。
塩沼大阿闍梨が、大峯千日回峰行と四無行とを満行した後でも、人間関係がうまくいかない相性の人がいると率直に述べている。そのことを明かすこと自体、権威も名声もある方だからこそ、大変に勇気がある方だと思う。
そして満行した後もそれをひらけらかさないこと。やはり師匠に「行を終えたら行を捨てよ」と、行に入る前23歳の時に師匠に言われていたが、実際に名声も地位も金もできてからするのはすごい。
逆転したかどうかは定かでないが、「回峰行の一歩一歩が感謝と謙虚」という生真面目さ、真摯さは、若い時のアッシジのフランチェスコを思わせるものがある。
「回峰中の体調は悪いか最悪かのどちらか」というのには、苦笑した。我ら60代の人間は日常的にそう思っても不思議はないが、わりにアスリートと呼ばれる人たちもそうなのではないかと思った。彼は痛みを隠しながら千日を歩くのだそうだ。
回峰行中に中途でやめなければならない時は、持っている短刀で切腹するか、死出紐で首吊りするかどちらかにするよう定められている。その死出紐の他、袴の紐、小物入れの紐を腰に結ぶが、紐の結び加減できつすぎれば全身の血が回らないようになり、緩すぎたら下腹に力が入らないようになるという。
下腹を中心にして山を登り降りしているのですね。顎を引いて腰を入れて下腹を意識して歩くのだそうだ。曰く、姿勢が悪いと呼吸が乱れ、呼吸が悪いと精神が乱れる由。
笠をかぶり提灯と杖を持って、大峯山頂まで標高差1400m、往復48キロの旅がスタートするが、スタートしたら暗闇の中、以後15時間は無言の行となる。水筒はないので水の補給は2本の川のみ。
思春期に片親となり、誰も知らない布団の中で何回も泣いたそうだ。そんなことを書いて公表できるフランクさこそ常人ではない。
回峰行490日目から熱が38度あった。494日目には下痢20回。道端に倒れて泣く。
495日目に下痢による脱水症状で、激しく転んで起き上がれなくなり、ここで腹を切ることになるのかと思った瞬間、母から言われた「どんなに辛くとも苦しくとも、岩にしがみついてでも、砂を噛むような思いをしてでも、立派になって帰ってきなさい」(人生生涯小僧のこころ/塩沼亮潤/致知出版社P119から引用)という言葉が浮かんだ。その時、わずか数分の間に人生のいろいろな場面が走馬灯のように甦ってきたという。パノラマ現象である。
ここが大峯千日回峰行のクライマックスだったのでしょう。