◎ジェイド・タブレット-03-04
トレヤ・キラム・ウィルバーは、アメリカの覚者ケン・ウィルバーの亡き奥様。彼女は思春期に見神以上の体験を経ている。
ケン・ウィルバーとトレヤの関係は一目惚れで始まった。
(文中の「ぼく」は、ケン・ウィルバー)
『「それは、いつ起きたの?」トレヤと会ってまだまもない頃のある夜、ぼくはたずねた。
「13歳の頃。暖炉の前にひとり座って火を見つめていると、突然わたしは、火から立ち上る煙になったの。空にどんどん高く昇っていって、とうとう空間そのものと一体になったわ。」
「もう個としての自分や肉体に同一化していなかったんだね?」
「私は完全に溶解して、すべてとひとつになっていた。自分なんて全然なかった」
「それでも意識はあった?」
「ばっちり目が覚めてたわ」
「でもそれはとてもリアルな体験だったんだね?」
「完璧にリアルだった。まるでわが家に帰ってきたような、とうとう自分が本来属する場所に帰ったという感じがしたわ。これがどんな名前で呼ばれているかは知っているわよ。---真の自己を、神を、タオを見つけ出したってことよね---でも当時はそんな言葉は知らなかったわ。
ただ自分がわが家にたどり着き、完全に安全で、たぶん救われたんだってことだけがわかっていた。夢じゃなかった。というか。それ以外の何もかもが夢のようで、普通の世界も夢のように思えたわ。でもこれはリアルだったのよ。」
彼女はあまり多くを語らなかったが(「知る者は語らず・・・・」〔老子『道徳経』の言葉〕)、この神秘体験は、トレヤの生活において重要な導きとなった。これは霊性と瞑想に関して彼女が終生抱き続けた関心の一端をなすものであり、名前をトレヤと変えたことの背景であり、ガンとの直面において、彼女の力と勇気の一部になったのだ。』
(グレース&グリット/ケン・ウィルバー(上)/春秋社P155-156から引用)』
これをクンダリーニ・ヨーガ系の悟りと見ないのは、個なる自分からの脱身とすべてとひとつになるまでのプロセスが急速であるから。よって水平の道の方だと見る。すべてとひとつになるのは、冥想十字マップでは、有相三昧であって、自分がないやつ。
トレヤは思春期に至るまでどのような冥想をしたのかは明かしていないが、ケン・ウィルバーと一緒になってから瞑想合宿などにも参加しており、悟りのメカニズム、プロセスもよく承知していた。彼女は末期乳がんで介護を必要とするようになってからも、その崇高さを失わなかった。彼女は、若くして亡くなり、ケン・ウィルバーは爾後3年間筆を執れなかったほどの暗黒時代を過ごした。
禅の高僧でもなかなか思春期で大悟する例は見当たらず、ここに思春期で大悟の例として女性である彼女の例を挙げる。これは、女性の悟りという問題について、問答無用で(男性に変身してから悟るなどというまだるっこしいことでなく)女性も悟れるという結論を突きつけているが、女性の悟りについては、別途論じたい。