アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

気功、導引

2022-11-14 06:59:44 | Overview of the meditation 冥想の全体像

◎【第五章】冥想の種類

◎単体冥想のいろいろ

(2)気功、導引

 

道教冥想は、李遠国の分類では、静功(心の冥想、性功、坐忘、守一など)、動功(導引(体操)、行気(呼吸法)など)、気功(気を巡らす、静功と動功の混合)、房中(カーマ・ヨーガ)、外丹(ソーマ・ヨーガ)、内丹(錬丹)に分かれるが、ここでは、動功と気功を気功、導引とする。

 

気功、導引は、ダンテス・ダイジの定義では、以下。

『気功導引法

 

気力・プラーナ・エーテルエネルギーによって、肉体の血行とホルモンバランスを整え、エーテル体をよりよく健康にする。したがって身心は、生命力に満ちた健康体となる。』

(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジP27から引用)

 

エーテル体とは半物質であり、全体の形状はいわば経絡だけを引き抜いた傘の骨状のもの。エーテル体ベースである気(プラーナ)を、呼吸あるいは体操や思念でもって動かすことが気功導引法ということになろう。実際には、太極拳、八段錦、導引ということになる。目的はあくまで、身心の健康。今風に言えば免疫力の強化。合気道は道教系ではないが、気功の一種と考えられる。

 

毛沢東時代以前の中国で盛んに太極拳が行われていたが、これは栄養状態の不足を気で補うというキャンペーンであったと考えられる。日本でも貝原益軒の養生訓に導引が挙がっており、それなりに知られていた。

 

気功、導引の位置づけとしては、ハタ・ヨーガがクンダリーニ・ヨーガの準備として行われるように、周天など内丹の準備として気功、導引が位置づけられるのだろうと思う。要するに、例えば内丹の柳華陽の慧命経では、きちんと「一片の光輝が法界を周り、日も月も忘れて寂浄にして霊虚」と究極であるニルヴァーナに届いているが、そうした本格的修行法に至る前段が気功、導引ということになる。

 

もちろんハタ・ヨーガに一生を費やす人がいるように気功、導引に一生を充てる人もいるのだろう。日本では国民の貧困化が進み、まず食を削っている人も多いのだろうと思う。その環境を考えれば、太極拳、八段錦などが必要なのは当代なのかもしれない。

 

私は八段錦を40年やり続けたが、八段錦をやらなかった場合と比較してどうかということは言えないが、40年間病気で入院するようなことはなかった。ただし老化による筋力低下に悩み、最近きくち体操を始めることになった。

 

20世紀前半以前は、ほとんどの国で平均寿命が40歳以前だったのだろうから、老化について本格的な対策があまりなかったのは理解できる。

そして人生に本気で取り組む純粋冥想を目指す場合は、まずすべてを棄てるのが前提条件であって、わが身の健康は二の次となることになろうから、その意味で歴史的に老人の健康対策などに本腰を入れてこなかったという理由はわかる。

 

なお、気、プラーナと同義ではないかと思われるものにライヒの言うオルゴンと出口王仁三郎の言う神霊原子がある。

 

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