◎死期と分身
(2014-05-26)
その肉体を離れて魂が漂泊することを離魂という。
北勇治という人が外出から帰ってきて、居間の戸を開けると机におしかかっている人がいた。誰だろうと思ってみると、ヘア・スタイルから衣類まで自分がいつもセットしたり着ているものと同じである。顔を見ようと歩いていくとその人は向こうを向いたまま障子の細く開いたところから縁先に出てしまって、後を追ったが、姿はみえなくなっていた。
それから勇治は病気になり、その年のうちに亡くなった。母やその家の家来は、勇治の父もその祖父もそのような病気で亡くなったことを知っていたが、敢えて勇治本人には教えないままにしていた。(参考:栗原清一/日本古文献の精神病理学的考察)
このように自分自身の姿を見ると死ぬという言い伝えは日本とドイツにあるという。
さて似たような話で、唐代伝奇の猜娘(せんじょう)離魂のエピソードは禅の公案にもなっている。
猜娘は王宙と相思相愛の恋仲になるが、猜娘の両親はそれとは気がつかず、猜娘はやがて、両親の言いつけのままに他の男性と婚約させられる。王宙はこのことを不本意として、都に上る旅に出る。
その日の暮れつ時、思いもかけず猜娘が裸足のまま後を追ってきて、二人はその足で、蜀に逃避行を敢行する。蜀で5年暮らすうちに、子供も二人生まれたが、猜娘が父母を恋しがるので、故郷へ帰ることにした。
猜娘の実家の近くで猜娘を待たせ、王宙が猜娘の実家に挨拶をすると、母親は、「娘は病気で5~6年寝たきりなのに、でたらめなことをいう」と言って怒る。
両親がそれを確かめに猜娘に使いを出すと、間違いないことがわかった。寝たきりだったもう一人の猜娘はこれを知ると起きて着替えて迎えに出て行った。すると不思議や二人の猜娘は一つに合体し、着物までぴたりと一致した。
北勇治の話と猜娘の話は、全く別のスキームの話であると思う。
死期が近づき、人生の最終ステージになると、次のステージののぞき窓がへその下にちょっと開く。これでもって、何かの拍子にちょこっとアストラル・トリップしてわが肉体を見た。これが北勇治の話ではないだろうか。
猜娘の話は、フィリス・アトウォーターの8分身のことを知っていれば、練達のクンダリーニ・ヨーギであればできることだとわかるだろう。猜娘の思いの純粋さがこうした人間離れした出来事を起こしたのだと思う。