◎ジェイド・タブレット-08-04
◎地獄も越えて-04
◎隙間イベントが起きると天国的な癒しは通用しない
地獄ということでいえば、悪には、不快、苦しい、つらいなどの天国サイドのアンチとなるもの以外に、「そもそも日常と認識している世界全体が足元から揺るがされるもの」の2種類があると考えざるを得ない。だが、「そもそも日常と認識している世界全体が足元から揺るがされるもの」とは、地獄とは考えにくい。
なぜなら「そもそも日常と認識している世界全体が足元から揺るがされるもの」とは、天国も地獄も吹き飛ぶイベントだからである。そして、その入り口が隙間である。
隙間イベントが起きると天国的な癒しは通用しない。だから隙間イベントが起きると、
人は元の人生観のままで生きることに退行するか、発狂するか、自殺するか、大悟覚醒するかに分かれるなどと言われる。
また人の頭は、想念、隙間、想念と連続して移動するが、想念の方が非現実・夢であり、隙間の方が現実。
天国と地獄を超えたところとは、結局隙間のことである。
一般的には宗教宗派の冥想修行体系によって、隙間への入り方が定まっていると思われているものだ。
そうした宗教的冥想修行によらず、階段から落ちたとか、自転車でころんだとかの偶発的な事件の拍子に、すべてが落ちてしまい隙間を感得することもあるし、禅の悟ったきっかけ集(禅関策進など)に出てくるように、隙間は宗教修行、冥想修行の一部に限定されることなく、日常の何気ない出来事が契機になるなど、無数のパターンがあり得る。
つまり悟りは、世間的には宗教団体でその宗派で定められた冥想手法に沿って悟りが発生するものだと思われているが、実は宗教団体に入信しなくても、一般人の日常の中でも続々と発生しているのだということ。
だが、悟った後は生存する可能性が低いということはある。