アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

天国体験から見神体験へ

2024-07-29 03:48:38 | 浅い霊感から神人合一まで

◎エベン・アレグザンダー

 

エベン・アレグザンダーは、ハーヴァード・メディカルスクールで脳神経外科医だったが、急性髄膜炎により7日間の深い昏睡状態にあって、天国を見た。

 

最初は、彼がミミズの目の世界と呼ぶまるで土の中に埋もれているような感覚を味わったが、そこから抜け出す時が来た。

『やがて、上方からゆっくりと、光の存在が降りてきた。それはあとで“回転する光のメロディ“と名づけた美しい調べを響かせながら、金や銀にきらめく閃光を放つ、まぶしい球状の光だった。私のいた砂をかむような世界に降りてきたきらめく光は、中に裂け目をつくり、私はポー タルともいうべきその穴をくぐると、目がくらむばかりに美しい谷あいの世界に抜け出していた。

青々と緑が広がり、澄みわたる水に滝がしぶきを散らしていた。私は認識の一点と言えるような意識体になって蝶の羽根に乗り、周りには何万という蝶が波のようにうねりを描いて群れ飛んでいた。深い藍色をしたビロード様の空には、金色にきらめく光の球が無数に飛び交っているのが見えた。むくむくした色鮮やかな雲をバックにくっきりと長い光の尾を残す光たちは、詠歌か聖歌のような音楽を奏でており、私はのちにそれを天使の合唱と呼ぶことにした。光が奏でる音色は、地上のどんな音楽及ばないほど美しかった。向こう側の世界には、積み重なるようにして果てしなくつづく無数の広大な宇宙世界が開けていることも、知ることができた。

〝上方の領域〟と名づけることにしたそうした場所は、さらなる学びをうながしてもらえる場所でもあった。天使の合唱は、いっそう高次の世界へとポータルを開いてくれた。

私はなおも上昇し、広大 無辺の漆黒の闇、聖域中の聖域である深奥の〝コアの世界〟に導かれた。それはことばにならない崇高な無私の愛が、溢れんばかりに満ちている場所だった。そこでは限りなく力強い全知全能の大いなる存在に出会った。こちらの世界に戻ってからその存在を"オーム"と呼ぶことにしたのは、そこにはオームの音が鳴り響いていたからである。コアの世界では、私の力ではとうてい 表現することのできないような、深くすばらしいことがらを教えられた。そのコアの世界にいたのは、永遠の聖なる存在、輝く光の球、そして純粋な意識体の三者であることを、そのあいだは強く感じつづけていたのだった。

 

向こう側ではつねに案内者がついてくれていた。それは認識の一点として蝶の羽根に乗り、最 初にゲートウェイの世界に入ったときからずっとそばにいたとても美しい女性だった。初めて会った知らない人だったが、その人のおかげで心の傷が癒され、以前であれば想像もできなかった完全な自分を取り戻すことができた。自分がとてつもなく愛され、慈しまれていること、この宇 宙は夢にも考えられないほどの広大なすばらしいところであることを、ことばを使わずにわからせてもらえたのだ。自分は(そして人はだれもが)全体の欠かせない一部であることがわかり、それまでの不安や悲しみはその大切な事実を忘れていたせいで抱いていた感情だったことに、気づかせてもらえたのである。』

(マップ・オブ・ヘヴン/エベン・アレグザンダー/早川書房P27-28から引用)

 

全知全能の大いなる存在とは、神なのだろう。そこで響きわたるオームの音。ただし、見ている自分はずっとあるので、天国を越えて見神の体験であったと言えるのではないか。

紹介してくれた女性は、高級神霊だろう。

蝶の羽に乗り、多数の蝶を見る。荘周胡蝶の夢胡蝶は、誰でも見たりなったりするものなのだろうか。

さらに言えば、彼は天国を通過し見神したが、世界全体が幻影であるという認識までは行っていない。

インテリの描写する臨死体験として、わかりやすいものに仕上がっているが、大悟ではない。

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