◎実は人間は人に騙され続けている
出口王仁三郎は、だまされる被害者は心の中に悪と欲と利己心が充満していると指摘した。
もう一つの見方がある。『人間は人に騙され続けている』のが自分ということと、誰にも騙されない自分があるということが両方とも存在するというもの。
水平の悟りにあっては、何者にも騙されない自分と人に騙され続けている自分を両方もって生きている。その片側を指して『実は人間は人に騙され続けている』と云う。一方、何者にも騙されない自分とは、鎌倉円覚寺の開山無学祖元やスーフィの聖者ホセイン・マンスール・ハッラージのように、首をちょん切ると脅しても譲らないで、ああ切るなら切れ、これが真実だと言う場合。
無学祖元は、鎌倉円覚寺の開山。中国の温州(浙江省)の能仁寺に住していたとき、南宋攻略で、モンゴル兵が寺に侵入し白刃をかざして迫ったが、無学は泰然として,
〈乾坤孤笻(こきよう)を卓するに地無し
喜び得たり人空法亦空
珍重す大元三尺の剣
電光影裏に春風を斬る
大意:
(元軍の侵攻で)天地には一本の竹棹を立てる余地もない。
ただ喜ばしいことは、人は空であり、法も亦空である。
珍重すべきは、元兵が持つ三尺の剣である。
その剣を振るったとしても稲妻のように瞬間に、春風を斬るようなものである。(斬られる自分などない)〉
と偈を呈し,難を免れた。
モンゴル兵が結局大剣を振り下ろさなかったのは、モンゴル兵にこの偈を聞いてそれを感じる感性があったからである。
一方ホセイン・マンスール・ハッラージの場合は、イエス・キリストと同様に大衆の要望で殺害されてしまった。ただし殺されようが殺されるまいが、それを問題にしない自分があるというのが眼目。
最近の世の中は、悪人と悪人同士の騙し合いであって、より進んだ知識を持ってどうそこを切り抜けるのかという発想が当たり前のように考えられている。これは、奥底に自分が善人であって、他人が悪人であるという考えが見えるが、高みから見れば、悪人と悪人同士のやりあいの姿ではないか?これを地獄の相という。
これをさらに複雑にしているのは、金を相手からもらったりもらおうとする借りやシステムや仕組や法規制があれば、相手が悪事を要求してきても拒みにくいというようなこと。ホワイト・フォックス、白狐、金運の神の法則。
これがいわば、地獄的様相を拡大、固定化している原因の一つでもある。
こういうのを見ても。出口王仁三郎がいう『最後は神と学との戦い』とは、神対人間の狡知と科学の戦いのことだと感じさせられる。
中国不動産バブルの処方箋は、ソフト・ランディングなら中国政府が公的資金を不動産業界や金融業界に注入して、責任者の中国共産党員を次々に処罰するということなのだろう。ところが、それができそうもないから、台湾有事と同時に『中国で大規模な飢餓が発生し、それをきっかけに中国が世界戦争に打って出る』(『「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』の予言)可能性は、無視できないように思う。
9月中旬なのに朝の最低気温が28度と異常な高温で、そういうことを感じさせられる季節の変わり目である。