アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

現実としての超能力と現実認識の実際

2024-09-18 03:14:27 | 人と神の「実際のところ」

◎エネルギーとしての意識

 

笹目秀和の出会った超能力みたいなものは、

  1. 白頭山で200歳のリョ神仙に出会ったこととテレパシー通信したこと。
  2. 崑崙山脈で500歳の疏勒神仙に出会ったことと肉体でトラック並みの大型鶴(鶴仙)に乗って崑崙山中を何十キロか高高度を飛行したこと。
  3. リョ神仙宅にも疏勒神仙宅にもラジオも新聞もないが、ヒトラー、スターリン、ムソリーニを悪玉の中心人物の一人として天眼通にて承知していたこと。
  4. また両神仙は、宿命通にて、笹目秀和の人生全体のディテールを、その死に至るまで承知していたこと。

 

このような超能力は、真正の覚者には普通にあることである。

ただし、両神仙など覚者の世界観人生観は次のようなものであるように思う。

 

1.人間の精神は物質的存在を超越する。したがってわれわれは多次元的存在である。

2.自我は精神の中核ではなく、より大きな実体の一部にすぎない。その実体は、自我が無意識の精神として感知するものから現れ、遂には世界全体宇宙全体へと逆転する。

3.時間空間物質は世界全体宇宙全体の一部であり、唯物論者の立場は幻想である。

4.意識とはエネルギーの一形態である。

5.物質と精神活動は、エネルギーとしては同列であり、物質パワー、肉体パワー、気・プラーナ、情動、想念などはその現われの違いと見ることができる。

したがって、ある次元では、思想とは「物質的」存在であるともいえる。

6.自我意識の働く次元(コーザル体以下)では、肉体の自我意識に気づかないような霊的存在を体験することがある。

7.これら隠れた力(霊的存在)は「自分のことで精一杯」なので、時空の因果関係を離れたところで働き、自我の主観的経験を象徴的に物質的領域に映し出すことがある。これが霊現象、オカルト現象だが、見え方は、人間の平素慣れ親しんだ見方で解釈するものだ

8.他者の精神的エネルギーは、意識的に焦点を当てるにしろ無意識にしろ、精神的にも肉体的にも直接人に影響を与えることができる。

※神はバチを当てないが人はバチを当てるから、気をつけろ。by出口王仁三郎。

9.時は意識そのものに関係があり、隙間と複雑に結びついている。

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