アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

一切を越えた神秘体験に夢中だ

2025-02-03 06:23:47 | ダンテス・ダイジの風光

◎快楽の極限(老子狂言)

 

快楽の極限

 

もはや禅味だけになってしまった。

余りにも、

禅定が神秘で力強いエクスターゼだから。

 

宗教は阿片だ・・・

神秘体験以上の歓喜は、

この世に存在していないかのようだ。

 

かつて小麦色のしなやかな肢体の女に、狂喜したように、

今は、ただただ、一切を越えた神秘体験に夢中だ。

 

これが本当だったのだ。

これが完全なる至福だったのだ。

否、完全なる至福以上のこれ!

 

何もかもかもが、

本当に本当に

どうでもいいのだ。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

 

※禅味:禅を通して得られる、言葉では表現しきれない奥深い体験や感覚や味わい。

※禅定:ダンテス・ダイジは、定と三昧を区別している。定は、見ている自分がある。三昧は見ている自分がない。

※エクスターゼ:エクスタシー。

※どうでもいい:第七身体ニルヴァーナに居る感慨だと思う。【老子狂言のメシアン・ハンドブックの一節が参考になる。

「決して

情熱をやめないこと 

情熱なんぞどうでもいいなぞと

カタイことは言わないでくれたまえ

何ものかへの情熱こそ 

世界を世界にしているのだから」】

 

生きる情熱が十分でないと、悟りへは届かないし、いろいろなことが起こる。

また、このどうでもいいは、生きる情熱が十分でない人を安心させたり増長させたりするが、ダンテスの悪影響の原因でもあるように思う。

 

この詩全体として神秘体験肯定のように読めるが、そうではない側面もほのめかす。

 

老子狂言の目次&リンクス

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