ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画 大空のサムライの特撮魂

2010-12-21 | 映画

  映画「大空のサムライ」より笹井醇一中尉(志垣太郎)



うーん、この笹井中尉、濃い。暑い。
主役の藤岡弘と一緒だと暑苦しさ倍増。
もうその話はええって?

志垣太郎のデビューって「巨人の星」の星飛雄馬役だったって知ってます?
配役の決め手はこの眉毛であった、に一票。

映画にありがちなことなのですが、笹井中尉、最初から最後までがっつりと第三種軍装に身を固めっぱなし。
そういう意味だけでも暑苦しい。なんたってここラバウルなんですから・・・。
映画って、こういうところにリアリティがないですよね。
実際の笹井中尉はほとんどシャツ姿(第二ボタンまで全開)で過ごしていたようです。

笹井中尉亡きあとのラバウルで司令部始め大野中尉、川添中尉、馬場中尉、山口中尉といった士官が
全員おそろいでこの陸戦服をきっちりと着用して写っている集団写真があります。
もしこの写真に収まることがあったら笹井中尉もこの三種軍服姿を残していたのでしょうが・・・。

さて、前回配役、脚本についての感想を書きました。
今日は特撮技術と参りましょう。
あ、音楽もね。

 
「東京上空三〇秒」
という1944年アメリカ制作の映画で特撮が当時としては優れていた、という話をしました。
この映画は、特撮監督に当時新進気鋭だった川北紘一を起用。
「東京」とは比べ物にならないくらい空撮シーンに途轍もない比重が込められた撮影となっています。

この川北紘一氏は円谷プロで研鑽を積み評価されていた助手で、この映画が特技監督としてのデビューです。
会社は当初この映画の特撮に零戦のミニチュアを使うことに難色を示したらしいのですが、
それを押し切ってラジコン模型での撮影で効果をあげました。

この映画の空戦シーンは、そのすべてがラジコン飛行機か、あるいは吊ったユーコン模型の下をカメラがレール移動するという撮影法で撮られていますが、映画をご覧になった方はおそらく当時にしては迫力があり模型にしてはリアルな映像に気づかれるのではないでしょうか。

この特撮チームの「戦い」については、DVD再発売の際つけ加えられた特典映像で
その奮闘ぶりを見ることが出来ます。
川北氏はこの映画の監督デビュー後数々の作品を手がけました。
「零戦燃ゆ」も川北特技監督の手によるものです。
「特撮の鬼」の別名を取り、『特撮魂 東宝特撮奮戦記』(洋泉社)
という自伝も書いておられます。

特典映像では特撮のNGシーンも見られます。
最終的に映画では採用されなかった「ドッグファイト」の空撮シーンについての説明によると、
縦の回転をする戦闘機を撮るために、糸で吊って水平回転している二機の模型をカメラをホリゾンタルから(倒して)撮影したのですが、再生してみれば端っこにスタッフが、それも横向きで映っていて、ボツ。
(どうして撮影時にスタッフは誰も気づかなかったのでしょう?)


2010年現在、CG技術が映画に取り入れられるようになってからはどんな非現実的な映像も可能になり、「特撮」という技術そのものが過去のものとなっています。
しかし、この時代、その技術の粋を集めてこれだけの空戦シーンを作り上げたその「特撮魂」。
これは称賛に値します。


その川北氏自身が語っていることですが、戦闘機のパイロットの視点で撮られた戦争映画というのはそれまでになかったもので、たとえば「ひねり込み」の空戦技術を伝授するときにフットバーやスティックの動きをかなり細かく映像で再現したり、あるいは笹井―坂井の「ミーティング」で弾道が下を向いてしまう状態を回避するための「マイナスG」理論を黒板で俳優に図解させたり、そのような細部にこだわることで「パイロットの視点」という面を強調しているそうです。

この特撮チームによるその撮影方法を少し説明すると、たとえば編隊飛行の零戦を撮るとき、
吊った飛行機を少しずつ動かしながら、地面のレールをカメラが走りながら撮るという方法。
ラジコンの撮影ではフィルム速度を速くして撮ったものを低速にすることで飛行機の重量感を出します。

戦闘機の照準を通して敵機などを見るという映像は、プロジェクターを使用して景色や雲の流れを表現。
さらにそこを模型が移動していくというわけ。
 自爆し発火する飛行機については三分のタイマーを仕込み、空中で「演技をさせた」ということです。

最初に観たとき「戦闘開始に増槽を落とす零戦」にかなり驚きましたが、これも川北監督は坂井氏の意見を取り入れたそうで、増槽が落下時にどのような動きをするかということまで指導を受けたということです。
因みに増槽はマグネットでくっつけてあり、落とすときにはリモコンでマグネットを切りました。

また、ラジコンは全部で日米両軍分20機ほど(10分の一から大きなものは発進用の3分の一スケール)制作したそうですが、ラジコンとはいえ実際の空を80キロから100キロのスピードで飛ぶのですぐフレーム(画面)から外れてしまい、さらにその飛行機に「芝居をさせること」は困難を極め、無線も当時のものは操縦がうまくいかず、「自爆」してしまう機もいくつかあったそうです。。
当然使用フィルムも膨大なものとなり「会社には評判が悪かった」とのこと。


メイキングを見てからあらためてこの空撮を見なおしてみました。
この観点から見ると、超力作です。
他が大したことないと言っているわけではありません。

しかし、この付随音楽。
何とかならんかったのか。

しまりのない音楽で全く評価できない、と「海兵四号生徒」
の感想において書いたことがありますが、この時代の映画音楽にはやたら点の辛いエリス中尉、この映画についても全く容赦しませんよ。

悲壮な場面には悲壮な曲調、というのはこの時代の定石というか常識だったわけですが、そうなると必ずマイナーのじゃーんじゃじゃーん、って感じになってしまい、これが実に感興を殺ぐのですね。

ちなみに、メインテーマは

ラーーー↑ド↑ミーーーー、ファ↓ミーー↓ード↓ラ―ーーー

という安易なメロディから成っています。
例の一式陸攻が空中で弧を描きつつ自爆するシーンですが、途中まで無音。
それはよし。
固唾をのんでそれを見つめていると、左回転で10時の位置に来たとき爆発するのですが、
このときにマイナー(♯13thだったかな)のコードがじゃーん、ときて上のメロディが
「じゃーん・じゃ・じゃーん」とくる。
効果音に「すごいでしょう、哀しいでしょう」
と感情をリードするような押しつけがましさがあると、何か萎えてしまうんですよ。
折角無音で緊張が高まっているのに、実にもったいない。


この映画の作曲者は「三匹の侍」などの音楽を手掛けている超ベテラン。
しかし、映画音楽というのは何より時代の空気を取り入れますから、
数世代を経てなおかつ感覚の変化に耐え得る音楽というのはまれです。

余談ですが、一世を風靡したという「ある愛の詩」の音楽も、今映画とともに聴くと
「いや、このシーンには壮大すぎるだろ」
と思わずにはいられません。
その当時は映画のヒットに音楽の効果が多大な寄与をしていたのだと思うのですが。

しかし、これは逆に言えば、たとえば爆発するシーンにリベラのような聖歌や優雅な音楽を当てはめたり、
エンドタイトルに流行りの歌手の歌うバラード、なんていう「流行の手法」は20年後には
「がっくり」
なんて言われてしまうということかもしれません。

当時の最新鋭特撮技術が時代の波に弾かれて今日全くと言っていいほど不要のものになってしまったように。



確かに当時としては優れたこの空戦シーンも、今観るとそれそのものは
「当時にすれば」「この手法で撮ったとしては」という注釈つきでしか評価できません。


しかし、この映画特撮クルーの見せた「特撮魂」だけは
技術が古くなってしまった今となっても全く色褪せていないと言えましょう。