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セーラー服あれこれ

2012-10-09 | 海軍

残暑はどうにか去りましたが、なかなか余韻が消えない
「海軍リス戦隊」シリーズでございます。

え~と・・・・・これ、さりげなく何度も断っていますが、全てエリス中尉の作品じゃないの・・・
誰も突っ込んでくれないので、説明のしようがなくて・・・・。
ご意見、ご感想など、何か文句がありましたら伝言承りますので、
どうかよろしくお願いします。

さて。

突然ですが、エリス中尉の出身中学は制服がセーラー服でした。
冬は紺サージに夏は白の、今の感覚で言うとおしゃれとは言いがたいものですが、
着ているときはそれなりに気に入っていたものでございます。

割と最近、出身高校からの校内誌が届けられ、それによると、制服が改訂されたとのこと。
女子は今風の、タータンのスカートにエンブレム付きのもの、そして、男子は詰め襟を廃止して
紺ジャケグレーズボンといったものに変わっていました。
なんでもその昔家庭科の先生がデザインした、という代物で、カッコワルさは筆舌に尽くしがたく、
何度も中学のセーラー服を懐かしんだエリス中尉としては慶賀に堪えないところです。

いっとき、スカートを引きずるセーラー服が不良のトレードマークになり、
その頃、私学ではセーラー服を廃止してブレザーを採用することが流行したのだそうです。
私学は「制服の可愛さで応募する」というスイーツ受験者を狙って、有名デザイナーに
制服のデザインを依頼したりしました。

公立とはいえ、我が母校のセーラー服はいまだ健在なりや、と考えたエリス中尉、
ある日グーグルマップで学校に行ってみたところ、生徒を発見。
なんと、いまだに全く変わりなく、昔のままの制服ではありませんか。
安心したような、ちょっとがっかりしたような。

そして、男子生徒はこれも変わらず黒の詰め襟金ボタンの学生服。
しかし当時は何も考えませんでしたが、こうなってつらつら考えてみると、
この「詰め襟セーラー服」は、いずれも帝国海軍の軍服にルーツがあったんですね~。

女子は言わずと知れた水兵さん。
そして、男子は予科練の七つボタンそのままです。

ボタンのない、前テープの将校タイプの制服は、学習院ので有名ですね。
海軍将校の中には、学習院の制服をそのまま着ていた人もいたとか。
中学時代からサイズが全く変わっていなかったのでしょうか。

左から、帝国海軍、フランス海軍(現在)イギリス海軍(現在)の水兵服三種。
フランス軍はさすがというか、帽子につけられた赤いボンボンと縞のシャツ、
カラーの背中側の色が違うことや袖のラインが粋です。
だけど、あまり強そうに見えないような気もします。

「甲飛予科練の憂鬱」という項で、「飛行士官になろうと思ってきたのに、
いきなり4等水兵としてジョンベラを着せられた」ということが、
難関を突破してきた若者達をいたく失望させたという話をしましたが、
「空の少年兵」で(エリス中尉の目には)カッコよく見えていた彼らのジョンベラ、
なにしろ物資不足であまり素材が良くなく、遠目にはともかく、米仏、ましてや
アメリカ軍のものと比べると、かなり粗末なものであったようです。

ご存じとは思いますが一応説明しておくと、セーラー服は元々イギリスで生まれました。
海軍の制服として生まれたので、あの襟は、風が強いときに後ろに引っ張り上げ、
集音器代わりに使う実用だったとか、昔は長髪をポニーテールにしていたので、
洗濯のできない船の上は汚れやすい襟だけ取り替えられるデザインが便利だった
とかいう説がありますが、実のところはわかっていません。

上図は、同じ人体をひな形にしたのでほとんどシルエットに違いはありませんが(笑)、
実はイギリス軍のセーラー服が一番ズボンが「ラッパ」度が高くダブダブしています。

いずれにしても、海中に転落したときも素早く脱ぎ去ることができるように、
上も下もダブダブしているのです。

海軍ではこれをジョンベラと呼び、それはそのまま「水兵さん」の呼称でした。
ジョンベラとはJohn Bullのことなのですがジョンブルとは「イギリス人」そのもののこと。
ジョンブル・スピリット、というと日本で言う大和魂です。
いわば元祖に敬意を払ってつけられたといえましょう。

ちなみに本家ジョンブルのジョンベラの襟には三本線がつけられています。
エリス中尉の通っていた学校のセーラー服も線は三本でした。
この線は、
「ナイル、トラファルガー、コペンハーゲン」
の三大勝利を意味しているということですが、
帝国海軍がセーラー服のデザインをイギリスから拝借したとき、線を一本にしたのは、
さすがに遠慮というものだったかもしれません。

冒頭のウィーン少年合唱団がセーラー服を着ているのは、元々ヨーロッパを中心に
子供服のデザインとして1800年代の後半から爆発的に流行ったことからきています。
この場合の「仕掛け人」はビクトリア女王で、王室付きのヨットマンの制服が気に入り、
子供用に仕立てさせて我が子エドワード王子に着せたところ、大ヒット。
もともと「大人が着るもの」を、子供が着るという「コスプレ」的可愛さが受けたのでしょう。
イギリスを中心にヨーロッパ中の流行にまでなったということです。

ウィーン少年合唱団は1498年の設立という大変な歴史を持っていますが、
この「セーラー服ブーム」に乗っかって制服を変えた時期があったのでしょう。
因みに、冒頭の団員の疑問にお答えしておくと、
確かにオーストリアは海がありませんが、全欧での大流行だったので、
海のあるなしにはあまり関係なくデザインとして選ばれたのだと思います。

このウィーン少年合唱団のおかげで、セーラー服を制服に採用する日本の少年少女合唱団は
かなりの数現存しているようです。


実際に学校の制服としては1920年、大正9年頃から女子学生の制服として現れ始め、
戦時中は「セーラー服にもんぺ」が定番となっていました。

現在、制服にこれを採用している学校は一時に比べ減ったのですが、
セーラー服の売れ行きは全く減っていないそうです。
というのも「セーラームーン」をはじめとする、日本の「萌え」業界が、海外に
「Sailor Fuku」を伝え、これがコスプレ的におしゃれであるという認識が全世界に広まったからです。

タイ、サウジアラビアでは「セーラーフク」が女子校の制服に採用され、人気だとか。
元々イギリス発祥の軍服で、子供服だけでなく、女性用にもデザインされていたはずなのに、
こと女学生用のセーラー服は「日本発」ってことになってしまったらしいですね。


さて、最後に我が海軍について一言だけ。
昭和20年4月、すでに水上部隊の勢力はすっかり疲弊し、主たる戦いのほとんどは陸上基地の航空艦隊に移りました。
前年には連合艦隊司令部は東京近郊に場所を移す「オカの連合艦隊」となっていたのです。
そして、第二艦隊は戦艦「大和」を旗艦として、わずか9隻の二水戦を引き連れ、海上特攻に出撃しました。
水上艦隊最後の戦闘。

大和特攻に赴く水兵たちは、みな「艦隊の男」の象徴であるジョンベラをまとっていました。

しかし、大和は轟沈し、連合艦隊の全てが消滅すると共に、誇り高き「ジョンベラ」も消滅したのです。
乗るフネのない水兵たちはそのときから草色の第三種を着用することとなりました。

そして、そのまま、昭和二十年八月十五日を迎えます。
ジョンベラたちがネイビーブルーのセーラー服をまとうことは二度とありませんでした。


今日の海上自衛隊に採用されているジョンベラをつぶさに点検してみると、
袖の形を除いて、全く旧海軍の軍服そのままのデザインであることに気づきます。
ペンネントの錨マーク、所属艦の名前が入るのも全く同じ。

世界中の海軍が当たり前のようにセーラー服を水兵の制服にしているのですから、
変わりなくても当然なのですが、何でもかんでも「旧軍とは違います」という感じで
変えてしまった(第一種軍装カムバ~ック!!)自衛隊にしては、やるじゃない!
とついほっとしてしまったエリス中尉であります。