ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海軍兵学校同期会@江田島~水交館

2014-12-03 | 海軍

海軍兵学校の同期会が江田島で行われたのは、
今回を以てこのクラスは「解散」、つまり最後の会合だったからです。

集まった元学生の様子を見ていても皆さんまだまだお元気 そうで、
あと5回くらいは余裕で開けそうに見えましたが、それはわたしが
今回だけ参加したからそう思っただけで、毎年のように回を重ねて来ると
1年のうちに逝去する同級生が次第に加速度を付けて増えてきて
今元気な自分も来年は、というようなことを考えてしまったり、
幹事の負担が心理的にも身体的にも増してきたのかもしれません。

というところでちょうど今年入学から切りのいい数字となったので、
これを以て打ち止めとなったのでありましょう。

そして、最後のクラス会ともなると、海上自衛隊はその遂行のために
惜しみない協力をするものなのですね。

前日の懇親会から第一術科学校と幹部学校の校長が参加し、
当日は到着のときから控え室にはお茶を用意し、気のせいか
別嬪のWAVEさんを会場には配して万全の態勢です。

6つのグループに分かれて午前と午後で違うコースを見学する
参加者のために、敷地内をマイクロバスが走り回り、
それを運転する隊員、団体に付き添って解説をする隊員、
至る所に警衛係と支援役員という役職の隊員がトランシーバー完備で
配され、警戒、誘導各種心配りも完璧。

「広報が任務の自衛隊」にとって本職と言えないこともありませんが、 
一般の見学ツァーとの対応のあまりの違いに、正直驚いてしまいました。

高齢の方々に対する自衛隊側の気遣いは大変なもので、
わたしのグループには車いすで参加した方がいたのですが、
この夫婦のためだけに自衛隊は車いすごと乗れる小さなバンを用意し、
この人だけを運ぶ係が割り当てられていたくらいです。


この車椅子の方は、そういう状態であっても、いやそうなったからこそ、
最後の同期会と江田島を見ておきたかったのかもしれません。


参加したことのある方はご存知のように、一般の見学ツァーは
一人の自衛官と入り口近くのスタート地点から歩いて、
大講堂、赤煉瓦、教育参考館見学までがワンセットのコースです。

しかし、この同期会の江田島訪問では、自衛隊側は「特別コース」
を用意してくれていたのです。

つまり、こんな機会でもないと行けない場所、入れない建物、
目にすることのない施設を目にすることができたのです。

術科学校長と幹部学校校長のお二方と話をさせていただいたとき、

「また別の機会に見学に来られるのでしたら、そのときには
普段はお見せしない部分にもご案内しますよ」

と嬉しいお約束をしていただいたのですが、おそらくそれは
今回の「特別コース」のことかと思われます。
(来年にもご招待に預かることになりそうです)

さて、その「特別コース」、それがまずご紹介する

水交館

です。



午前中の見学でわたしたちは教育参考館を見ましたが、約半数は
先にこちらのコースを見学したようです。
昼食をした「第一食堂」の真ん前にはマイクロバスが待っており、
我々はそれに乗り込みました。

教育参考館からも見える武道場の横を通って行きます。
要所にはちゃんと警衛係(警備を自衛隊的にはこういうらしい)が
肩からレシーバーを下げて立っています。



途中の道は必要最小限の舗装しかされておらず、ほとんどが

昔のままの土の道です。

おそらくこれも兵学校時代からある防火用水プールでしょう。
どうやって水をためているのか分かりませんが、罰ゲームで
幹部学校生徒が放り込まれたりしないように(たぶん)、
周りには鉄線の柵が巡らせてあります。


バスに乗るからには遠いのかと思ったら、わずか2~3分で
赤煉瓦の瀟洒な建物の前に到着しました。



これが水交館です。

水交館は、明治憲法公布の前年、明治21年(1888年)に「集会所」として
建築されたもので、江田島地区で現存する最も古い建築物です。

通称「赤レンガ」と呼ばれる有名な海軍兵学校生徒館は、
日清戦争の前年、明治26年(1893)、その5年も前の竣工で、
兵学校の築地からの移転と同時にまずここが立てられたことがわかりますね。


エントランスは昔のこういった様式のものに違わず、
車寄せのためのアーチが設えてありますが、ここに車が停まったのは
おそらくごく最初の頃だけだったのでしょう。
今では両脇にツツジや紅葉などの植栽が大きく育ってその跡も見えません。



アーチのカーブに白いレンガを挟んで装飾にしています。
築地の兵学寮の設計と、ここ江田島の赤煉瓦は同じイギリスの
建築家の手によってデザインされていますから、おそらくここもでしょう。



ただ、たとえばレンガ一つとっても、生徒館のそれと比べると、

ご予算の点で質には若干差があったらしく、経年劣化が見られます。
見学ツァーでは必ず赤煉瓦の建物の近くまで行って、その表面が
ツルツルしていてまったく劣化していないことを確かめるのですが、
要するにこちら側が普通で赤煉瓦は特別だということです。

外側のメンテナンスも丈夫なのをいいことになにもしていないようですが、
そのせいでこんなところ(エントランス上部側壁)に草が生えてますね。



エスコートの自衛官と語らう元生徒。

本来なら兵学校生徒は卒業前のマナー実習をここで行いました。
全員が盛装して遠洋航海を始め士官として必要な洋食のテーブルマナーを
実際に料理を供されながら実習するというイベントがあったのです。

このマナー実習は生徒たちにとって大変な楽しみでした。
しかし、今回江田島訪問をした生徒たちはそれを経験していません。
彼らが最上級生になる前に戦争が終わってしまいましたし、
そもそも戦争末期には物資不足でマナー教室に供するような
コース料理を作る余裕もなかったのです。

それではどうやったかというと、ここ水交館にテーブルセットをし、

「料理が出ているつもりで」

スープの飲み方、肉の切り方などをレクチャーされたのだそうです。

こんなマナー教室は楽しみどころかやらない方がまし、
という生徒の怨嗟の声もあがったものだそうですが、
おそらく彼らの在学中にはそんな「まねごと」すら
廃止になっていた可能性もあります。



装飾の一切ない真っ白な漆喰の壁がいかにも兵学校の建物らしいとはいえ、
飾り彫りの階段の手すり、赤絨毯などに優美な雰囲気を残します。

二階には上がれませんでしたが、これまで見たこの時代の建築の
例で言うと、二階もやはり廊下の両側に小部屋が並んでいるのでしょう。



一般には公開していないこの建物とはいえ、現在でも
国内外の来賓の接遇等に使用されているため、内部は
大変手入れが行き届いています。


壁も絨毯も何度も替えを行っているようでした。



部屋の内部。
このテーブルにカットグラスや洋皿が並べられ、
しゃちほこばって生徒がシルバーを使うこともあれば、
図書館として使われていた時期もありました。



「海軍兵学校沿革」という蔵書の明治21年の項を見ると、

四月 江田島ニ新築中ノ建物、物理講堂、水雷講堂、運用講堂、重砲台、
官舎、文庫、倉庫、活版所、製図講堂、雛形陳列場、柔道場等落成ス

と書かれています。
この年に兵学校は

八月一日 本校ヲ安芸国江田島に移サル汽船旧東京丸を以テ学習船と称し
船内ニ於テ同月十三日ヨリ開聴シ校務を処弁ス 江田島丸ヲ受領ス

と書かれているように夏に江田島移転をしています。
それに先駆けて作られた建物の中には、この「水交館」もありました。

記述の中にある「文庫」がここを指します。
ここが「水交館」という名称になったのは海上自衛隊に返還されてからです。




「返還された」というのは、そう、終戦後には進駐軍が接収していたからですね。
進駐時代にはここは牧師などが宿泊していたということです。

テラス越しに臨む庭園はいまでも樹木の手入れが行き届いています。




我々グループを案内してくれたのは長身剃髪(というかスキンヘッド)、
明るく大きな声で姿勢の良い士官でした。

彼の後ろには今までに贈呈された記念品が飾ってあります。



この額はピントがボケていて細部が読めなかったのですが、
右側は東京消防庁から贈られた「纏」の意匠です。
何か交流行事が行われた記念でしょう。

この部分にはかつて本物の薪をくべる暖炉があったものと思われます。



ランプ等の照明器具は取り替えられたものと思われます。
雰囲気を壊さないようなデザインのものが選ばれていますね。



廊下にはずらりと並んだ帽子掛け。
生徒や海軍軍人たちは、ここに軍帽と短剣を掛けたのでしょう。
冬には海軍マントも・・・。




こういう古い建築物に異様な執着を持つわたしとしては、
皆が行かない隅までのぞいてみないと気がすみません。

一番奥に行ってみると、まるで理科実験室のような部屋がありました。
冷蔵庫や食器、調理台もあることから、ここはキッチンですね。



スプレーにセロファンテープ???????
何となく道具がその辺に雑然と置いてあるのがリアル。



天窓も空気切りとして開閉できたようです。

白い格子の窓ガラスを填めた美しいドア。



レンガの部分には修復の形跡は全く見られません。
江田島で最古の建物といっても、たかだか126年。

わたしはイギリスの田舎で中世に建てられた古城で行われた
知人のイギリス人同士の結婚式に出席したことがありますが、
かの地では数百年前の建築物を使い続けるのはごく普通のこと。
何百年も前の幽霊が出るのをステイタスにしているくらいです(笑)


この当時のイギリス風建築で建てられた水交館がいまだに

びくともせず使用に耐えていても当然のことと思われます。
 




一段上の裏側から見た「水交館」。
古い雨樋などをなぜかそのままにしてありますが、
いたるところ排水等の修繕がされたらしい外観です。

窓のアーチ部分の白いレンガがアクセントとなっていますね。

「文庫館」として建てられた水交館は、その後、同時に落成した
ほとんどの建物が建て替えられてもレンガ造りのため残され、
(やはりレンガ造りの理化学講堂はまだ残っている)

その間

「図書館」→「会議所」→「将校集会所」

と使用目的を変えつつ終戦を迎え、進駐軍からの返還を経て

現在も江田島の第一術科学校校内にその優美な姿を留めています。



建物の見学を終えて外に出た一同を、案内の自衛官は先頭に立って
次の見学場所に誘導して行きました。
なんとこの自衛官が

「わたしはここに在学していましたが、その間はもちろんのこと、
そして勤務している現在も、ここに来たことがありませんでした。
つまり、これを見るのは今初めてなんです」

と感慨深げに述懐したところの

賜さん館

です。
今調べてみましたが、ここだけは見学ツァーは勿論のこと、

どういうわけか第一術科学校のHPにすら記述が見当たりません。

さぞ貴重な見学になると思われますが、さて。


続く。