スミソニアン航空宇宙博物館の「第二次世界大戦の航空」コーナーから、
今日は当時の航空搭乗員の制服ファッションショーをお送りします。
搭乗員のユニフォーム展示は、この一角の他、アメリカ搭乗員と
ルフトバッフェのものは下階のマスタングの横、それからどういうわけか
イギリス軍のは踊り場の途中とよくわからないところに分散されています。
それでは早速参りましょう。
まずはアメリカ航空隊のユニフォームからです。
🇺🇸 アメリカ合衆国陸軍航空隊
アメリカ陸軍航空隊搭乗員服(夏用)
右手に持った皮の手袋には
「ARMY AIR FORCES」
とあり、左手の丸い定規状のものには「コンピューター」と書いてあります。
夏用の飛行服は非常に軽量にできていました。
ヘルメットはAN-H-15型、ゴーグルはAN-6530型、
酸素マスクはAー14型、などとすべての型番が明記されています。
そのなかでT-30-Q throat microphone「喉マイク」
この言葉を全く聞いたことがなかったので調べてみました。
スロートマイク=喉頭マイクは、首に装着したセンサーによって、
喉から直接振動を吸収するマイクの一種です。
なんと米軍、第二次世界大戦中に、すでにこのような、航空機コクピットの
風の強い環境でも音声を拾うことができるシステムを開発していたのです。
高度な喉頭マイクはささやき声でも拾うことができるため、
ヘルメットや呼吸器を装着しながらでも使うことができます。
スロートマイクは、マスクのフェイスシールの外側に着用し、
酸素マスクと併用できるというわけです。
この写真で搭乗員が首輪のように付けているのがスロートマイクです。
MiGパイロットの着用例 髭が濃くても大丈夫!
スロートマイクを発明したのはイギリスで、第一次世界大戦のころには
すでに革製のヘルメットに組み込むタイプが存在していました。
第二次世界大戦時にはルフトバッフェとドイツ戦車兵が使っており、
その後アメリカ軍もこれを使うようになったというわけです。
ソ連製
ルフトバッフェから、ロクな設備がなくて可愛そう呼ばわりされた
ソ連軍のパイロットですらこれを使っていたというので、
おそらく大日本帝国空軍にもなんらかの装置があったと考え、
調べてみたら、「日本の軍装」という図解本に、ちゃんと
海軍搭乗員の「咽頭マイク」Larygophoneが描かれていました。
写真で見たことがなかったのは、皆このマイクの上から
白い絹のマフラーをしていたからでしょう。
true airspeed G-1 Computer
これもいまいちよくわからなかったのですが「true airspeed」は対気速度。
つまりこの円盤みたいなのは、
対気速度に特化したフライトコンピュータです。
ピトー管により測定される全圧、静圧孔から測定される静圧、
そして空気密度がわかれば、
ベルヌーイの法則を使って対気速度が求められます。
航法計算盤といわれるフライトコンピュータにこれらの数字を入れると、
簡単にそれが計算できるというわけです。
一番外側にあるTASというのがtrue airspeedのことで、
この計算尺はノット表記です。
足元のパラシュートはスミソニアンが細部の写真を撮ってくれています。
搭乗員が履いている耐Gスーツをご覧ください。
この画期的な発明によって、アメリカ航空隊のパイロットは
少なくとも第二次世界大戦最後の2年間というもの、
敵国に対してたいへん強力なアドバンテージを得ることになりました。
昔我が家は岩国の海兵隊基地に訪問し、戦闘機パイロットのブラッドに
基地の中を案内してもらったことがありますが、同行したMKが、
ロッカールームで海兵隊パイロットの耐Gスーツを
実際に身につけさせてもらいました。
MKがそのときに身につけた耐Gスーツは、
ここにある第二次世界大戦時のとほとんど同じ形状をしていましたが、
同じ理論によるものなので、変わっていなくて当然ですね。
アメリカ陸軍航空隊乗員服(冬用)
爆撃機の搭乗員の冬または高高度用の飛行服です。
飛行服の下には、しばしば電気加熱式の衣服が着用されました。
ヘルメットは1943年8月6日に規格化されたA-11型。の上に、
M3スチール製「フラック」ヘルメットを重ねて使用しています。
まずAー11型は第二次世界大戦中に最も人気があり、
広く使用されたタイプです。
ゴム製のイヤホン取り付け部は、ラジオ受信機が内蔵されています。
フラック(flak)ヘルメットは、
内部に防寒用のウールがライニングされています。
そして電気加熱式ポラロイドゴーグル。
ポラロイドというとわたしたちはインスタントカメラのことだと思いますが、
元々の意味は「人造偏光板」のことなので、こちらでは
遮光メガネのことを「ポラロイズ」と言ったりします。
そのゴーグルまで電気加熱式とはさすがはアメリカです。
そして酸素マスクにはもちろんマイクが内蔵されています。
Bー3タイプのフライングコートは裏地がフリースでできています。
外側はもちろん皮革でしょう。
ズボンはA-3タイプ、手袋はA-9タイプといちいち制式番号が付きます。
そして、特筆すべきは
スチール製のボディアーマー=「フラックスーツ」
を着ていること。
フラックスーツは、スチールが内蔵され、エプロンのついた前身頃と、
装甲のない後ろ身頃からできています。
ちなみに日本機と違って彼らの座席は装甲タイプなので、
ボディアーマーの背中側の装甲は省かれています。
これらはパラシュート降下の際に対応しています。
エプロンの下の緊急リリースを引っ張ると、瞬時にして
パラシュートのパックをハーネスに装着することができるのです。
こういうことを調べるたびに思うのは、アメリカという国は
人材の確保=人命を本当に重要視していたということです。
飛行機は落とされても作れるが、莫大なお金と時間をかけて
育成した搭乗員の命はそうそう失うわけにはいかない。
ということですよね。
言いたくありませんが、座席に装甲板どころか穴を開け、
パラシュートもろくに搭載せず(面倒くさがって
搭乗員が積まなかったという噂もありますが)生身の人間を、
攻撃され、落とされること前提の戦闘機に乗せていた日本軍って・・。
マップを入れるポケットは、
ズボンではなくブーツに付いているのがアメリカ式。
足元のものはパラシュートです。
そういえば昔、海軍兵学校に終戦の年に在籍していた方が、
呉大空襲の時に撃墜されたアメリカ軍の飛行士の遺体が
学校の前の湾から引き揚げられたとき、その遺体を見て
何より目を奪われたのが、彼の履いていた皮のブーツだった、
それはそれは立派なもので驚いた、といっていたのを思い出します。
ちなみにアメリカでは「フラック」ジャケット、
スーツなどはボディアーマーといいます。
フラック(Flak)の語源は「フラッグ」(破片、フラグメント)
から来ているとか、ドイツ語の対空砲、
Fliegerabwehrkanone"「航空機防御砲」の省略形、
「flak」であるとかいわれていますがはっきりしていないようです。
ナチス ドイツ ・ルフトバッフェ
続いて、あまり実物を見る機会が少ないルフトバッフェの
冬用飛行服をご覧いただきます。
1944年冬のコレクション(ファッションショーっぽい?)から、
金属製のジッパーの代わりにプラスチック製をあしらった、
標準的な冬の飛行服のラインでございます。
冬の任務にも耐える毛皮の襟付きジャケット、
両袖にはルフトバッフェの特別な徽章があしらわれており、
この搭乗員がT/Sgtつまり軍曹のランクであることを表しています。
アメリカ軍の冬用と同じく、飛行服の裏地にはフリースを用い、
軽さとともに保温性を重視したお作りとなっております。
同じく起毛したフリースで裏打ちされた飛行帽は、
ジーメンスSiemens社製で型番はLKPW101、
もちろんイヤフォンと咽頭マイクが内蔵されており、
現在でもオークションではすぐに売り切れとなる人気商品です。
ちなみにジーメンス(シーメンス)社は日本と大変つながりが深く、
1861年、ドイツ外交使節が徳川将軍家に
シーメンス製電信機を献上したのが始まりです。
その後、足尾銅山への電力輸送設備設置、九州鉄道へのモールス電信機、
京都水利事務所など多数の発電機供給、
江ノ電の発電機などなどを展開しました。
軍需製品などでも深く日本軍と関係を持ち、
なんなら関係が深すぎて海軍高官のリベート事件、
「ジーメンス事件」が起こったのは皆さんご存知の通り。
この事件で海軍出身の山本権兵衛を首班とする内閣は総辞職しています。
飛行服の上には水上&夜間用の救命胴衣が付けられています。
この救命胴衣を製作したのは、
現在医療機器メーカーとして日本にも進出している
ドレーゲル(Dräger)社です。
ビールの注ぎシステムの開発から始まって二酸化炭素の還元弁を発明し、
それが麻酔薬の供給システム、そして酸素吸入器へと分野を広げ、
現在では人工呼吸器、麻酔器、保育器などの医療機器などを扱っています。
ちなみにドレーゲル社の日本ホームページをのぞいてみたのですが、
「弊社の起源」(この言葉選びも何だか変)として、
「弊社の起源ー1889年のハインリッヒ・ドレーゲルの発明精神は
彼をいじくり回して洗練させ、
1889年に最初の二酸化炭素の還元弁を手にしました」
機械翻訳をそのままHPに使うのやめれ。
酸素マスクはデマンドタイプ(供給型)Hm-51、
左腕に装着されているのは時計ではなく、補助コンパスです。
ベルトの左腰部分を見ていただくと空の拳銃のホルスターがありますが、
ここにはよく7.65mmあるいは9mmのピストルを装備していました。
それではベルトに引っかかっているピストルみたいなのは何かというと、
こちらは
27mm信号銃 Heinrich Krieghoff
(ハインリッヒ・クリーグホフ兵器工場)社製
です。
H. Krieghoff GmbHは、現在もドイツのウルムに本社を置いて、
ハイエンドの狩猟・スポーツ用銃器のメーカーとして存続しています。
北米では、ペンシルバニア州に姉妹会社を置いているとか。
足元にはパラシュートが置かれていますが、これは
現在も存在する「Autoflug GmbH」社の製品です。
同社は航空技術と防衛工学の分野で1919年に設立されました。
元々モーターバイク(当時はモーターランナー)の製造会社でしたが、
アメリカのパラシュート会社の総代理店となり、
1930年代後半から第二次世界大戦中、ドイツ空軍向けに
ハーネス、ロック、パラシュートを大量に製造していました。
現在のオートフラッグ社は、ドイツ軍向けの航空機や
特殊軍事車両の安全シート、航空機用燃料センサーのほか、
パラシュート、ハーネス、
パイロット保護スーツ・装備などを開発・製造しています。
ドイツも戦後は「戦犯認定」された軍需産業がかなり締め付けられましたが、
装備などの生産、つまりあまりメインに据えられなかった企業は生き残り、
戦後も普通に発展しているらしいことがわかりました。
この後も、第二次世界大戦当時の各国搭乗員の飛行服を紹介していきます。
続く。
スピードを算出する術は、大気の流速(Air Speed)を図るしかありませんが、自分自身が高速で移動しているので、観測される流速は、自分の速度を加味した見掛けの「対気速度」となります。
これをベルヌーイさんの計算(勉強したのですが、難しくて、説明出来ません)で「対地速度」に変換して、航法していました。パイロットになる人は、みんな、最初はこの計算尺を教わります。
陸上自衛隊のパイロットは、今でも地上の地形地物を見て、飛んでいるそうです。映画「シンゴジラ」の武蔵小杉の戦い(都内へのゴジラの侵入を阻止するために、多摩川沿いの武蔵小杉に自衛隊が集結した「タバ作戦」)で「アパッチは武蔵小杉駅上空で待機」というセリフがあります。
「武蔵小杉駅上空」でパイロットにわかる訳ないジャンと思って、本職に聞いたら「地上の地形地物を見て飛んでいるので、ああいう指示をします」とのことでした。加藤隼戦闘隊も、南方進出は大変だっただろうと思います。
もういいかげんコロナ物忌み、外出制限はうんざりしてますが いかがお過ごしでしょうか。
さて 戦闘機パイロットの飛行装備でエリス中尉が耐圧スーツと書かれた物は
日本語ですと耐Gスーツの方が通りが良いかと存じます。
元の言葉はPressurized suit、あるいは compression suitでしょうか?
そもそもが高高度での与圧が目的でなく、急旋回での血流が下半身に
停滞し脳に上がって来なくなり失神(ブラックアウト)することを圧縮空気を入れて
防ぐものだからです。
急旋回を続けるドッグファイト中に失神してたら一巻の終わりですから
そのメリットは絶大なものなのでしょう。
重箱隅指摘失礼しました。
RASは近年はCAS(Cariburated AS)と呼ばれて、ザックリ言うと速度計に表示された速度です。これに気温や高度を加味してTASを算出します。これに外力(風や気流)を加味した実際の対地速度がGAS(Ground AS)です。最近のは裏面にGASを計算するのがあります。
要は計算尺を丸くしたものですが、この他に速力・時間・距離を計算する航程計算盤や、潜水艦乗りが愛用する方位変化率計算盤(Bearing Rate Computer)があります。慣れたら電卓叩くより早く計算できます。