私は夢の中にいた。
それは、何週間か前にも夢の中で見たことのある光景だった。
壁全体がガラスに覆われた明るい屋内は、日光がさんさんと降り注ぎ温かかった。
コンビニのような、キオスクのようなショップがあり、床はレンガ色のタイルか木材でできていた。大きな広場には丸くて太い柱が数本建っている。
できたばかりの新名所というところだろうか?
でも、いったいそこがどこなのかは分からない。
私は、8歳の長女サーヤと3歳の次女エリー、そしてたぶん夫と、ここに遊びに来ていた。ひとしきり楽しんだ後、トイレに行こうと女三人でトイレの方へ歩いていく。
サーヤは興奮した様子で、広場を行ったりきたりしながら歩く。私のほうを「楽しいねぇぇ!」という顔をしながら振り向く。
エリーは、床のタイルのようなところを一段飛ばしか、何かの法則を決めて下を向いて楽しそうに歩いてくる。
楽しい、いつもの光景だ。
いつもの週末だった。
トイレは、広場からつながる広い廊下の横にあった。その廊下は、行き止まりではなく、ガラス張りの扉を出ると、外か隣接する施設へと続いているように見えた。
私たちは左側のショップを横目で見ながら、トイレの看板を見上げ、廊下の方へと目指した。
ふと、トイレの前の廊下に立っている、黒いスプリングコートの男性が目に入った。
背はさほど高くなく、眼鏡をかけた瞳で周りを見ている。棒立ちで、だ。
私は、なんだか不気味な男を、トイレの入り口に入る手前でチラッと見た。
目が、合った。
目が合った瞬間、私の背中にはぞぞぞぞっと寒気がした。嫌な感じがしたのだ。
サーヤとエリーのトイレが終わり、二人が手を洗っているのを見て、私はトイレから廊下へすっと出た。
男はまだ、立っていた。じっと、そのまま突っ立っていた。
私が広場の方へ戻りながら、後ろから娘たちが出てくるのを確認した。男は、私を見ていた。じーっと。そして、右のポケットを探っているのが見えた。
なんだか胸騒ぎがして、後ろを振り向きながら、その男の動きを確認しながら、どきどきどきどき、男の次に取る行動がどんななのかを予想するにも、頭の中は真っ白で、悪い予感しかよぎらない自分がいた。
そんな夢を見て、起きた。
私、変な夢を見たなと思った。少し疲れた。
今日だった。その夢をもう一度見たのは。
あの男は、また突っ立っていた。トイレの前で、広場のほうを見て立っていた。そしてまた、トイレに向かう私を見ていた。いやな感じは以前と同じだった。
私はトイレを娘たちより先に出た。そして、前と同じに、後ろの男の視線と行動を確認しながら広場へ歩いていった。
ポケットを探る右手、何か黒いものを持った男は、もう一度後ろを確認しようとする私の頭の後ろを、
たぶん打った。
拳銃に打たれたと思った私は一瞬、子どもたちが無事であることを祈った。そして、すぐに痛みも感じずに、私の記憶は消失した。
場面が変わり、たぶん打たれてから数日経っている。
私の姿はない。
娘たちは、どこかの屋内で走りながら遊んでいる。私は、姿は見えないのだけれど、娘たちと一緒に走ったり、手をつなごうとしたりして、一緒に笑ってそばにいた。ずっとずっと、彼女たちのそばにいた。愛しているという気持ちは、体があったときも、なくなってしまった今も、変わらなかった。
「あなたたちと、これからもずっと一緒にいて、そばにいて、遊んであげたい。」と思っていた。
すると急に、私の体が、頭の先のほうから何かに引っ張られていく。
一気に建物の3階くらいまで昇ってしまった。娘たちの姿が遠のいてしまうのを見て、はっとした!
今、逝けない!待って!!最後のお別れのあいさつ、してない!!!!
私は、力を出して下へ戻った。建物の中へ入ろうとするが、なかなか行けない。そこへ、ガラスの扉を開けて外へ出ようとするサーヤが見えた。
私は彼女の頭上で、
「サーヤ!サーヤ!! サーーヤーー!!!」と叫ぶ。
どんなに声が割れるばかりに叫んでも、娘に私の声は聴こえない。
私は、サーヤに抱きつくようにして、建物の中に押し込んだ。
サーヤは、
「何なに?この風は・・・」と、心地よい風を感じて後ずさってくれた。
このとき私は、サーヤに思いっきり抱きついていたのだ。抱きついて、思いっきり後ろへ押していたのだ。
もう、お別れの時が来てしまったから。なんの前触れもなく、行かなければならないみたいだ。そんな雰囲気が感じられるほど強い引力だった。
私の足は宙に浮いていた。さっきまで、一緒に遊んでいた時は、地に足がついていたのに、今はついていなかった。
「サーヤ、サーヤ、ママ、もう行かなくちゃいけない。
ママね、風になってずっ一緒にいるからね!ずっとずっと一緒だからね!!」
と言いながら、抱きついていた。
サーヤは、なんだろう?という顔で後ずさりしながら、だけど次第に感じているみたいに見えた。サーヤの顔がだんだん優しくなっていくのが分かった。私はそれを見て、安心した。ママの空気を、感じてくれている!
「サーヤ!エリーは?エリーを呼んで来て!早く!早く!エリーを!」
と叫びながら、でももう時間がないように、私の足は感じていた。
あああ、もう間に合わない・・・。エリーには、会わずにさよならしなくちゃいけない。。。
「サーヤ、エリー、ほんとに愛してるよ!ほんっとに愛してるよぉー!!」
私は、その言葉を残して、引力に引かれて上へ昇っていった。。。。
あああ、私の愛しい子どもたち、こんな形であなたたちとお別れすることになるなんて。寂しい。悲しい。悔しい。また、会いたい!
あなたたちを抱っこしたい!
触れたい!
愛したい!!!
でも、上へ引っ張られる力は、とてもとても気持ちがよかった。
だから私は、娘たちと永遠にお別れすることができたのだろう。。。
上へ引っ張れる感覚、足が宙に浮く感じ、まるで本当にそうなったかのような、不思議な夢だった。
まさに夜中に、実体験したような感じだった。
だから、今も不思議な感じなのだ。今日は誰とも会いたくなかった。
私は、一回死んだんだ、と思った。
子どもを遺して死んでいく人の気持ちが、ずきずきと痛みながら感じる。
だけど、離れたくない!という思いと、離れても、子どもたちの幸せを応援する!という思いとがあることも感じた。
そして、遺された人には、「どうか悲しみすぎないで。。。」と思っているということも。母がいなくなったからって、ミジメに暗くすごさずに、これをばねにして明るく前向きに生きていってほしい!と思った。そう生きてくれることが、何よりの供養だと、死んだ私は思った。
私は幸せだ。
夢の中で一回死んだことで、愛してやまない子どもを、こうやって触れることができることだけでも、なんて幸せなことなんだ!と、実感することができたから。
さまざまな悩みや、こうなったらいいのに、こうしてくれたらいいのに、なんて贅沢な要求は、なんの効力も発揮しない。
死んでしまったら、触れることも、捕まえることも、一緒にお茶を飲むこともできないじゃない。
こうやって、触って、感じて、笑って、泣いて、怒ってができる、この日常が、どんなに素晴らしくて、輝いていることか、あなたに分かりますか?
贅沢な悩み、持つのはやめよう。
生きている、それだけいいんだよ。
あなたが生きている、私が生きている、手を触れて感じている、感じているのがわかる、それが最高の人生なんだ!
私の頭の中は、おかしいと思う。
なんでこんな臨死体験をしたんだろう?と思う。
でもそれは、今生きながら、悩み苦しみ、絡まっている人たちへメッセージを伝えなければならないという、何かしらのお告げ?なのかもしれない。
なんか、宗教めいてきたから、嫌だけど、気持ち悪いけど、現実、死んだような経験をしてしまったら、私みたいになってしまうのかもしれないね。
それは、何週間か前にも夢の中で見たことのある光景だった。
壁全体がガラスに覆われた明るい屋内は、日光がさんさんと降り注ぎ温かかった。
コンビニのような、キオスクのようなショップがあり、床はレンガ色のタイルか木材でできていた。大きな広場には丸くて太い柱が数本建っている。
できたばかりの新名所というところだろうか?
でも、いったいそこがどこなのかは分からない。
私は、8歳の長女サーヤと3歳の次女エリー、そしてたぶん夫と、ここに遊びに来ていた。ひとしきり楽しんだ後、トイレに行こうと女三人でトイレの方へ歩いていく。
サーヤは興奮した様子で、広場を行ったりきたりしながら歩く。私のほうを「楽しいねぇぇ!」という顔をしながら振り向く。
エリーは、床のタイルのようなところを一段飛ばしか、何かの法則を決めて下を向いて楽しそうに歩いてくる。
楽しい、いつもの光景だ。
いつもの週末だった。
トイレは、広場からつながる広い廊下の横にあった。その廊下は、行き止まりではなく、ガラス張りの扉を出ると、外か隣接する施設へと続いているように見えた。
私たちは左側のショップを横目で見ながら、トイレの看板を見上げ、廊下の方へと目指した。
ふと、トイレの前の廊下に立っている、黒いスプリングコートの男性が目に入った。
背はさほど高くなく、眼鏡をかけた瞳で周りを見ている。棒立ちで、だ。
私は、なんだか不気味な男を、トイレの入り口に入る手前でチラッと見た。
目が、合った。
目が合った瞬間、私の背中にはぞぞぞぞっと寒気がした。嫌な感じがしたのだ。
サーヤとエリーのトイレが終わり、二人が手を洗っているのを見て、私はトイレから廊下へすっと出た。
男はまだ、立っていた。じっと、そのまま突っ立っていた。
私が広場の方へ戻りながら、後ろから娘たちが出てくるのを確認した。男は、私を見ていた。じーっと。そして、右のポケットを探っているのが見えた。
なんだか胸騒ぎがして、後ろを振り向きながら、その男の動きを確認しながら、どきどきどきどき、男の次に取る行動がどんななのかを予想するにも、頭の中は真っ白で、悪い予感しかよぎらない自分がいた。
そんな夢を見て、起きた。
私、変な夢を見たなと思った。少し疲れた。
今日だった。その夢をもう一度見たのは。
あの男は、また突っ立っていた。トイレの前で、広場のほうを見て立っていた。そしてまた、トイレに向かう私を見ていた。いやな感じは以前と同じだった。
私はトイレを娘たちより先に出た。そして、前と同じに、後ろの男の視線と行動を確認しながら広場へ歩いていった。
ポケットを探る右手、何か黒いものを持った男は、もう一度後ろを確認しようとする私の頭の後ろを、
たぶん打った。
拳銃に打たれたと思った私は一瞬、子どもたちが無事であることを祈った。そして、すぐに痛みも感じずに、私の記憶は消失した。
場面が変わり、たぶん打たれてから数日経っている。
私の姿はない。
娘たちは、どこかの屋内で走りながら遊んでいる。私は、姿は見えないのだけれど、娘たちと一緒に走ったり、手をつなごうとしたりして、一緒に笑ってそばにいた。ずっとずっと、彼女たちのそばにいた。愛しているという気持ちは、体があったときも、なくなってしまった今も、変わらなかった。
「あなたたちと、これからもずっと一緒にいて、そばにいて、遊んであげたい。」と思っていた。
すると急に、私の体が、頭の先のほうから何かに引っ張られていく。
一気に建物の3階くらいまで昇ってしまった。娘たちの姿が遠のいてしまうのを見て、はっとした!
今、逝けない!待って!!最後のお別れのあいさつ、してない!!!!
私は、力を出して下へ戻った。建物の中へ入ろうとするが、なかなか行けない。そこへ、ガラスの扉を開けて外へ出ようとするサーヤが見えた。
私は彼女の頭上で、
「サーヤ!サーヤ!! サーーヤーー!!!」と叫ぶ。
どんなに声が割れるばかりに叫んでも、娘に私の声は聴こえない。
私は、サーヤに抱きつくようにして、建物の中に押し込んだ。
サーヤは、
「何なに?この風は・・・」と、心地よい風を感じて後ずさってくれた。
このとき私は、サーヤに思いっきり抱きついていたのだ。抱きついて、思いっきり後ろへ押していたのだ。
もう、お別れの時が来てしまったから。なんの前触れもなく、行かなければならないみたいだ。そんな雰囲気が感じられるほど強い引力だった。
私の足は宙に浮いていた。さっきまで、一緒に遊んでいた時は、地に足がついていたのに、今はついていなかった。
「サーヤ、サーヤ、ママ、もう行かなくちゃいけない。
ママね、風になってずっ一緒にいるからね!ずっとずっと一緒だからね!!」
と言いながら、抱きついていた。
サーヤは、なんだろう?という顔で後ずさりしながら、だけど次第に感じているみたいに見えた。サーヤの顔がだんだん優しくなっていくのが分かった。私はそれを見て、安心した。ママの空気を、感じてくれている!
「サーヤ!エリーは?エリーを呼んで来て!早く!早く!エリーを!」
と叫びながら、でももう時間がないように、私の足は感じていた。
あああ、もう間に合わない・・・。エリーには、会わずにさよならしなくちゃいけない。。。
「サーヤ、エリー、ほんとに愛してるよ!ほんっとに愛してるよぉー!!」
私は、その言葉を残して、引力に引かれて上へ昇っていった。。。。
あああ、私の愛しい子どもたち、こんな形であなたたちとお別れすることになるなんて。寂しい。悲しい。悔しい。また、会いたい!
あなたたちを抱っこしたい!
触れたい!
愛したい!!!
でも、上へ引っ張られる力は、とてもとても気持ちがよかった。
だから私は、娘たちと永遠にお別れすることができたのだろう。。。
上へ引っ張れる感覚、足が宙に浮く感じ、まるで本当にそうなったかのような、不思議な夢だった。
まさに夜中に、実体験したような感じだった。
だから、今も不思議な感じなのだ。今日は誰とも会いたくなかった。
私は、一回死んだんだ、と思った。
子どもを遺して死んでいく人の気持ちが、ずきずきと痛みながら感じる。
だけど、離れたくない!という思いと、離れても、子どもたちの幸せを応援する!という思いとがあることも感じた。
そして、遺された人には、「どうか悲しみすぎないで。。。」と思っているということも。母がいなくなったからって、ミジメに暗くすごさずに、これをばねにして明るく前向きに生きていってほしい!と思った。そう生きてくれることが、何よりの供養だと、死んだ私は思った。
私は幸せだ。
夢の中で一回死んだことで、愛してやまない子どもを、こうやって触れることができることだけでも、なんて幸せなことなんだ!と、実感することができたから。
さまざまな悩みや、こうなったらいいのに、こうしてくれたらいいのに、なんて贅沢な要求は、なんの効力も発揮しない。
死んでしまったら、触れることも、捕まえることも、一緒にお茶を飲むこともできないじゃない。
こうやって、触って、感じて、笑って、泣いて、怒ってができる、この日常が、どんなに素晴らしくて、輝いていることか、あなたに分かりますか?
贅沢な悩み、持つのはやめよう。
生きている、それだけいいんだよ。
あなたが生きている、私が生きている、手を触れて感じている、感じているのがわかる、それが最高の人生なんだ!
私の頭の中は、おかしいと思う。
なんでこんな臨死体験をしたんだろう?と思う。
でもそれは、今生きながら、悩み苦しみ、絡まっている人たちへメッセージを伝えなければならないという、何かしらのお告げ?なのかもしれない。
なんか、宗教めいてきたから、嫌だけど、気持ち悪いけど、現実、死んだような経験をしてしまったら、私みたいになってしまうのかもしれないね。