ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

未熟未熟でかたじけない・・

2007年02月27日 | これも自分あれも自分
自分の未熟さと、言葉の足りなさ。
いつまでも変わらないこの私。
いやぁ、ほんとに、いろんな方に迷惑をかけている気がする。

反省しつつ、これも持ち味か?なんて開き直ったりして。

子育てオープンサロン計画(乳幼児編と小学生編)を進め中。
おおお、いっちゃったっよ。有言実行だい!!
自宅と、公共の場の双方を使い分けて、行き場を失っている親子のために集える広場を作りたいのです。
週に1度でも、ここに行けば誰かに会えて、話を聞いてくれる、同じ子育て世代の人がいる、そんな安心できる場所を。
どうなることかは、まだまだ未知数。まだまだ不明。
山口で動いたように、見切り発車な私ですが、こんな見切り発車にも、1年近くかかるものです。うふ

ん?八戸子育てメイト

2007年02月26日 | 愛ある辛口
八戸に、“八戸子育てメイト”さんが300余人も登録していて、
各地域や市内で行われる子育てサロン等で活躍されている。
これは、国から設置要請のある「ファミリーサポート」制度の中のサポーターの方とは違う。託児をする方々ではなく、特に有資格者というのでもなく、市内に住む育児を経験した一般の方で、サロン運営に携わりつつ、子どもと保護者へいろいろな方法で子育て支援をする方たちのことだ。

八戸の子育てサロンは、市内に20数箇所ある。
そのどれもが、月に1度ないしは2度開催されている。だから、週に何度かは、どこかの地域でサロンが開かれているということになる。
サロンは、たいてい10:00~12:00で、手遊びをしたり、工作をしたり、ゲームをしたりして過ごす。すべて親と子とペアでする遊びを教えてくれる。
途中、おやつタイムがあるので、会費はそのおやつ代として100円だけ。
こんなにいろんな所でサロンが開かれていると、行動力のある親子にはとってもありがたい。
「今日は○○公民館にいこう!!」
「あさっては、△◆センターだね!お友だちも誘おう!!」
そして、近くのサロンにだけ行く人にとっても、
「今月は、○日に“キッドビクス”があるから、行こうね。」
と、月に1度のサロンを楽しみにできる。近くのサロンだと、いつも会う顔ぶれに会えるので、それが何よりも安心する。

私は、とっても今出不精だ。転勤して10ヶ月が過ぎた今でも、幼児を抱えての買い物やら外出やらには、手間がかかり、朝の起きる時間にもあたふたしている毎日だ。
こんな状態だから、誰か人に会うという日も少ない。ということは、子育ては私一人で(当たり前のこと?これが当たり前なのか?核家族だし、転勤族だから当たり前なのか。。。)担っている。夫の帰りは遅く、また疲れた体に育児を背負わせるのは躊躇する。子育て、タイヘンなことばかりではないけれど、タイヘンな時はすんごくタイヘンで、叫びたくなるほどだ。
そんな私にとって、各地で催される八戸の「子育てサロン」は、足を運ぶことが困難だ。いちいち「今日はここの日。来週の何曜日があそこ。」って、チェックするほど細かい性格でもないので、地域のサロンに月に一度出かけられたらいいほうだ。
しかし、だ。
その月に一度のサロンには、だいたい小学校のPTA委員会があって、この10ヶ月の内で、たったの一度しか行けていない。そこで出会った、感じのいい親子に、それ以降一度も会えずじまいだった。
でも、そのサロン。子育ての大先輩たちが5名以上はいて、参加者よりも多くいて、親身に人の話を聞いてくれたり、子育て世代の私たちが話している時は、後ろに下がって見守ってくれている。とても温かで和やかなサロンだった。とってもいいものを持っているのだ。みなさん。

これだけの財産がありながら、なぜ常設のサロンが開けないのだろう??
それが、私の今日の「ん?」だ。

八戸市内には、「子育て広場」というフリースペースもある。
福祉公民館の中にある1室を、子育て中の親子のために空けている、じゅうたん張りで15畳はあるかと思えるほど広い部屋だ。壊れていたり、汚かったりするが、おもちゃもある。しかし、そこに行っても、誰もいない。誰かスタッフがいるわけでもなく、利用者と出会うこともない。いつも貸切状態なのだ。
何か育児サークルが来ているときに行ったら?誰かしら来てるわよ。と薦められたが、私の求めているものと違う。

親子で何かをする場が欲しいんじゃない。
親子でお歌を歌う時間が欲しいんじゃない。
そういうのは、毎日していることだもの。毎日毎日飽くことなく繰り返される日常の延長をするために、私は居場所を求めているのではない。
あんないい人材と、あんないい場所があるのに、それがうまくジョイントされていないではないか。なんと勿体ないことか!!
この二つを、どうにか結びつけることができないのだろうか?
300余人もいる子育てメイトさんの、すばらしい人柄を、この素敵な公共の場で発揮することができないのだろうか?
どこかかみ合っていない、どこかずれている、そんな風に思うのは、私だけだろうか?
あああ、辛口。愛ある、ね。

話 笑い 泣き 喉の渇き

2007年02月24日 | これも自分あれも自分


自分の能力に自信はない。
だったら、自信のないところはいろんな有能な方たちにお願いしよう。
私は、発想には自信があるけれど、論理的思考には向きません。
ただ、自信を持っていえることは、
「子どものコミュニケーション不足が言われているが、その前に、その親世代である私が、コミュニケーションのとり方を忘れてしまっているということ。そして、そのことで子どもにいろいろな障壁を与えているということ。だったら、それらを改善するためには、より気持ちのいい地域を、より心広く見守りつつ優しく時には厳しく接してくれる大人の存在が必要だということ。」

八戸のみんな!
みんなで、みんなの子どもの子育てしよう!!


復活か!?オープンハウス“ぶる~む”

2007年02月22日 | これも自分あれも自分
いよいよ活動開始か?

年が明けてから、なんとなく気持ちにゆとりが出来始めていた。
新たな地で、新しい出会いを重ねていく中で徐々にいろんなことが見え始めていた。
足りていること
足りていないこと
いいところ
改善したいところ
いろんな人や場所のカラー
私のインスピレーションと第1印象と直感を少しばかり借りて

明日、とりあえずサーヤのクラスの子どもたちと保護者の方を対象にした
「遊び場提供!」プロジェクト
山口時代の、「オープンハウス“ぶる~む”」的な空間をご用意して、
あなたの来るのをお待ちしています。

ここでは、肩の力を抜いた感じで、気になりがちなわが子の行動や言動を少し離れたところから観察する感じで、みんなと遊びに興じる子どもたちを見守る感じで、私たちはコーヒーでも飲みながら、ゆっくりしていってくれると嬉しいな。

来月も開催予定ですっ!


伝統芸能「八戸えんぶり」にとりこですっ!

2007年02月19日 | 観劇・読書・感想記
先週の土曜日から始まった「八戸えんぶり」
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/kanko/festival/enburi/index.html
約800年の歴史を持つという伝統行事であるという。
田んぼをならす農具「えぶり」に由来し、八戸地方のいろいろな地域で「組」があり、各地域で継承している伝統芸能だ。
国指定重要無形文化財のひとつに数えられているらしい。

八戸に来た当初、「三社大祭」という青森ねぶたとはまた異なる大型の山車のお祭りの存在と、この「えんぶり」という行事があることをポスターや市役所からいただいた冊子などから知っていた。「三社大祭」は8月上旬。そして「えんぶり」は寒さが一番厳しいと思われる2月にあるということで、「えんぶり」にはぜったいに行かないかも・・・と思っていた。ポスターや写真にある、変わった烏帽子をかぶった男性たちを見ても、はっきり言って何も感じなかったことも、そう思った要因だろう。
青森といえば、「ねぶた」。大きすぎるほどの山車、豪快で猛々しいねぶたの顔。あのダイナミックさに比べたら、「えんぶり」の太夫と呼ばれる男性たちの立ち姿や、舞っているらしい姿の写真は、何も知らない私には地味だった。

今年は暖冬。日ごろの行いがよいのか、初めての冬がこんな暖かく過ごしやすい冬でよかった。そのおかげで、初の「八戸えんぶり」を観にいく気になった。
新聞で少し前に見かけた記事に、「長者山の神社で、行事の当日早朝に舞の奉納をする。街で繰り広げられる摺り(すり)と呼ばれる舞いよりも、この早朝の舞いはなんとも壮厳で、人形を作ろうという気持ちにさせた。」という内容が掲載されていた。和紙でつくる人形師の方の談だった。
それをたまたま読んでいた私は、その長者山にほど近い場所に住んでいるので、これはラッキー!と、読んですぐに観にいく事に決めた。
行事の日の前日の夜。遠くから太鼓や笛のお囃子の音が聴こえてきていた。夫が、明日の練習でもしてるのかな?と言いながら、私も耳をすませた。その音は、深夜もやまず、そして朝方も鳴り続けていた。哲也?ちがった、徹夜?

翌朝、私は7時を待って防寒着に身を包み、一人でそっと出かけた。
神社への階段は、半分以上氷に覆われていて、かろうじて溶けている場所を選んで上っていった。お囃子の音がだんだん大きくなっていくたびに、私の心も踊る。寒さも忘れるほどだ。
神社の境内に着くと、たくさんのえんぶり組と、それを観に来た人たちでいっぱいだった。いつもは閑散として寂しい神社が、この人だかり。しかもこんな朝早く。
私は、いろんな格好をしている人たちや、子どもたちの衣装や化粧を見ながら、境内へ進んだ。

「一番!」という掛け声の後、一番と書かれた布札を、組の大きな旗に結びつけた。一番の組は、そのまま前に進み、烏帽子をつけた太夫3人が、舞を披露する。
寒い朝の、冷たい石畳の上を藁で作ったぞうりと藁の、まるでレッグウオーマーみたいなものをつけた男性が踊るのだ。それも、雄雄しい姿で。厳かに。
思わず、鼻の奥がつーんとなった。感動したのだ。
後で新聞記事で知ったのだが、この一番というのは、最初から決められた順番なのではなく、前日の夕方4時に開門された境内に一番最初に到着した組から順番に、奉納の順番が決まるというのだ。深夜のお囃子は、到着した時の舞の音だったのかもしれない。

組は、今年は33組。子ども組は8組。あの境内に、それだけの組が集まっていたということだ。組ごとに人数はまちまちだが、老若男女で形成され、15人から20人くらいが一般的らしい。子どもから10代20代30代・・・おじいちゃんおばあちゃんまで、それぞれの年代が必ず存在するということに、とても感動した。すごい継承だ。
ただ、やはり継承者不足が課題であるという組も、少なからず存在するようだが。

この朝の奉納の瞬間から、私はこの「えんぶり」という伝統芸能にとりこになってしまった。この土曜の朝から、毎日堪能している私って、かなり凝り性。
昼は一斉摺り(いっせいずり)といって、街中で舞を見せる。魅せる。
夜は重要有形文化財指定の「更上閣」の庭での「お庭えんぶり」(チケット制だが、今年の演目は全日完売)や、八戸市庁前広場での「かがり火えんぶり」などが行われる。
その他にも、昼でも夜でも、街のそこここで舞を披露しているのが、ドライブの車中からも見かけられる。
行事は、先週土曜日から今週の火曜日まで。

昨夜、市庁前にかかげられたかがり火の火の粉舞い散る中での「えんぶり」を堪能した。そして、今夜も二人の子どもを抱えて行ってきた。
何度観てもいい。
太夫の摺り(すり)の舞は、本当になんともいえない。
サーヤも、いくつかある舞の中で、この摺りが好きだという。
エリーも真剣に見ている。
囃子と掛け声と、歌に合わせて、手拍子したり踊ったりするエリー。
なんとも雄雄しく、けれど男性特有の繊細さも垣間見える。何よりも、私にとってはなんとも艶っぽく、色気を感じるこの太夫の舞に、東北の男性に対する見方が一変した。優しいだけではない、男の魅力を感じた。

明日も、もちろん行きますっ!
とことん、好きになりました。
八戸に来てよかった!!すんごいところに来たもんだ。
この伝統と、継承と、八戸の歴史。
堂々たるものです。プライドがあるという感じを受けた。自信を感じた。

県内の人も、県外の人も、ぜひ一度ご覧あれ!です。

広告