ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

映画 「イン・アメリカ~三つの小さな願い事」

2007年01月31日 | 観劇・読書・感想記
映画を借りて観た。
ジム・シェリダン監督の、アイルランドから遠くニューヨークまで渡ってきた家族の物語。
一番下の男の子を階段からの転落で亡くしたという深い悲しみを持ちながら、家族は新天地での明るい未来を夢見る。長女は、そんな家族をきっとこの天国の弟が守ってくれると信じている。

物語は、根底にある家族の苦しみと、現実問題である生活苦と、スラムのような町での人間模様とが折り重なって、人が生きる上で起こる様々な出来事での、家族それぞれの感情を上手に引き出していて、見入ってしまった。
そして、ラストは・・・・

涙を流さずにいられませんでした。
でも、悲しい涙でも、お涙ちょうだい的なわざとらしい涙でもなく、泣きながら安心する涙なのだ。

ぜひ、観てみてください。
レンタルで出ています。

雪が降ったよ

2007年01月30日 | 子ども
雪が降ったよ どっかりと
雨を含んだ どっしり重たい雪が降ったよ

コンクリートの黒や 
拾われ忘れた缶コーヒーや
飼い主の見落とした犬の糞も
すべてすべて白で覆いつくして

木々の枝々にしがみついた氷
まるで巨大なカキ氷のような丸桶の水

積もった雪を 1箇所にまとめて
お山をつくったよ

となりの子といっしょに
滑って遊んだよ

アイスクリームやさんごっこをしたよ

楽しかったよ

話すこと 人 

2007年01月26日 | これも自分あれも自分
サーヤの小学校の体育で、スケートの日がある。
さすが、北国は違います。
山口にいるときに、一度スケートリンクへ行ったことがあるけれど、その時は壁をつたって立つのがやっとのことでした。
八戸へ転勤してきて、学校の体育でスケートがあると知ったとき、彼女は恐れおののき、「いやだぁ、いやだなぁ。」の連発でした。

ところが、体育の前の週末に1,2度屋内リンクへ連れて行くと、1年前にはまったく滑れなかったのが、壁や手すりに助けられずとも、幾分かましになっていました。体や脚力の発達もさることながら、必要性に駆られた時に人間は本来の、いや本来以上の力を発揮するものなのではないでしょうか。

先日、今学期2度目のスケートがありました。時間のある保護者は、スケート靴の紐を結ぶのをお手伝いに行きます。私も、微力ながら、足手まといになるエリーを連れて行ってきました。12月に行ったリンクは寒々しく、長い時間リンク内にいることができませんでしたが、1月の寒空ではリンクの中のほうが暖かでした!!
外の寒いこと、寒いこと。

無邪気な子どもたちとしゃべったり、見ていたら、思わず目じりが下がってしまう自分がいました。子どもって、遠巻きに見てるとかわいいよねぇ~(遠巻き?笑)
スケーターさながらに滑る子がいたり、膝をついて立ち上がる練習をする子がいたり、お友達と並んで滑る子がいたり。色とりどりの毛糸の帽子と子どもの甲高い声が、リンク内を明るくしてました。
「サーヤは??あ、いたいた。」
「オネエチャン、ガンバレー!」
少しはましに滑れるようになったサーヤも、楽しそうにしています。エリーには、陰でそっとお菓子で釣って、ここから出たいというセリフを言わせぬようにしておりました。もちろん、リンク内は飲食禁止なんですけどね。大目にに見てください。ま、そんな騙しも長くは続かず、いつのまにやら営業していない食堂の周辺で遊ぶことになってしまいました。

スケートリンクでのお手伝いが終わる頃、クラスの数名に声をかけて、一緒にお昼を食べに行きました。実は、クラスの方々に声をかけたのは、今回が初!!!
もう1年が終わろうとしているのに、遅い出発ではありますが、新天地で様子を見つつしていたら、こんな遅くになってしまったのです。今日の今日だったので、結局お誘いした中でも行ける方はほんの数名でしたが、私にとってはそれでも、初めてこんなふうにお食事をすること自体が感動で、嬉しかったのです。それに、友人が方々に声をかけるのを手伝ってくれたことも、とても頼りになって嬉しかったのです。ありがとう。

リンクそばの和食屋さんのお座敷で、エリーも交えていただいたランチは、手頃な価格に豪華版。嬉しい限りでした。一緒に行ったお母様の提案で行く、初めての場所でした。こんなところに、こんな穴場があったとは!外食大好き人間、知りませんでした。
そこで話した、学校のことや、子どものことや、勉強のことや、他愛のないことなど、人と話すっていいことだなぁ、と思い改めました。私ばかり、たくさんしゃべってしまい、なんだかまぁ、いつものことなのですが、帰りに少々反省したり、落ち込んでみたりして・・。
人と話すことで、絡まっていた糸が次第にほどけていく。
人の目を見つめることで、同時に見つめられている自分に気づき、襟を正そうと思う。
人と人とが話す空気を柔らかにすることで、話していることすべてがよい意味をなしていく。
あなたの話を、もっと聞きたい。
あなたの声を、出してほしい。
おしゃべりが得意な人も、苦手な人も、みんなが声に出してほしい。
声に出すと、楽になれること、たくさんあると思うから。
口に出すと、固かった表情が、見る見るうちに柔らかくなるから。

また、行きましょう。


じぐざぐな心、でも子育て

2007年01月23日 | これも自分あれも自分
親子、兄妹、親戚という血の濃い間柄で起きる事件がいやに目に付く。実際のところ、そういう事件が多いのか、センセーショナルな事件の内容に触発されて、メディアがこぞって取り上げているのかは定かではないが、テレビや新聞を見るたびに、「またか。」「またぁ!?」と思わずにはいられない日が続いている。昨年末から、おめでたいはずの新年まで。。。
今の日本は、どうなってしまったのか?という議論も、様々なメディアで取り上げているが、その議論も結局は様々な考えの中に埋まっている段階で、これといった打開策は見出せないでいる。社会は、混沌としている。そして、とりあえず自分の周りで何事も起きていないことに一抹の安堵感を覚え、それに甘えて何も動かない、何も考えない、普通の日常を送る自分がいる。

テレビを見ながら夕食をとる娘が、おかずをポロッと落とし、ころころとテーブルの下を転がり落ちた。私の足元を通り過ぎ、椅子の後ろで止まった。
「何やってるの!!!だから、テレビを見ながらご飯なんか食べちゃだめって言ったでしょ!!」
どうしても見たい!という番組途中に、夕食が出来上がった。始め、テレビを消して食べるように促した。だが、醜い顔で泣きじゃくる娘に、はらわたが煮えくり返りながらも、その醜い顔(北海道弁で、“みったくない顔”)を見るほうが苦痛で、あの大げさな泣き声を聞く方が拷問に感じて、テレビを見ながら食べることを許したのは、私だった。
その事実が心の片隅で鼓動を打っているのを感じながら、こんな些細なことがきっかけで、この子を殴りたい衝動にかられる自分の暴力的な気持ちを必死に抑えていた。そして、心の中で冷静な自分が語りかける。「自分の責任でしょ?」と。

隣を見ると、ご飯を3口食べただけで、「ごちそうさまぁ。」と言っている娘もいる。思わず口をつく、意地悪な言葉。
「食べないんだったら、もうあんたにご飯作ってやんないよ!そんなことしたら死んじゃうんだから!いいの!?」
ついて出る冷たい言葉の数々に、惰性で言っているこの口が憎らしくなる。なんて母だろう、と。
心がささくれ立っている時は、本当に食事を作ることを拒否しようかとか、食べさせないようにしようかと思ってしまう。そして、ふとよぎるわが子を餓死させてしまう事件。児童虐待の記事。
私には、そんな心の壊れた状態になる母親の気持ちが分かる。ただ、きっと実際に行動に移すまで至らない程度の、夫の助けや自分の時間や心の予防線があるから、私は新聞に出ないだけなのだと思う。

おかずを拾う娘に向かって、キッと目を吊り上げ、今にもその後頭部を殴りそうになりながら、そうする自分の行動とその後の娘の泣き声と叫び声を想像する。ささくれた心に突き刺さる泣き声は、私の命を脅かすように聴こえる時もある。おかしな防衛本能が働き、私は娘を手にかける・・・・・・
そんな空想を浮かべながら、心を落ち着かせた。空想するのと、実行するのとでは天と地の差があると、識者は口を揃える。残酷なシーンを空想しながら、じぐざぐな私の心は、「こんな風に思っても、明日になればまたいつも通りに笑ったり、じゃれたりしている自分がいるんだよな。」と考えていた。

人はいったいどこで、どんなきっかけで、事件を起こすのだろう?その後は、どんな気持ちになるのだろう?
白と灰色の雲間から見える青空を見ながら、逝った知人を想った。
じぐざぐの心でも、子どもは毎日一緒にいる。母のそんなじぐざぐを感じながら、子どもはいろんなことを学ぶのだと、狭い自分を肯定したい。

明日の自分は、どんなかな。

あけましておめでとうございます!?

2007年01月12日 | これも自分あれも自分
亥年です。
あけましておめでとうございます。
いや、もう寒中お見舞い申し上げます、ですね。

今日、3週間ぶりに八戸へ帰ってきました。
この3週間の移動距離、どのくらいあったかな?
函館→関西→函館→八戸
正直、自分の時間というものがなく、ゆっくりとはできなかったものの、
私の方も、夫の方も、両親のところでお正月を過ごすことができたので、充実した冬休みでした。
小学校は、来週からです。そ、北国は夏と同じくらいのお休み期間。もう少しで、普段の生活に戻ります。気持ちがなかなかついていかないかもしれませんが。

サーヤの円形脱毛症について、心配しながら函館の皮膚科を訪れました。診ていただいた結果、円形脱毛症の症状ではないとのこと。
自分で抜いたり、ちぎったりしたところを見たことはありませんか?と先生は言われるが、私も夫もそんな仕草を見たことがなく、困惑した表情をして見せた。先生は、今度注意して見てみてください、とおっしゃり、発毛を促すという塗り薬を処方してくださった。
「なんの薬ですか?」
「その薬を塗って、効果がありますか?」
「その薬は絶対に必要ですか?」
「副作用はありますか?」
質問攻めの私に、少し嫌な感じを受けたかもしれないけれど、ボランティアで訪問医療をされているという先生は、その気持ちを出すまいとして目と眉にきゅっと力を込めた。その表情を感じながら、私は申し訳ないという気持ちと、薬を使用するという自己責任を果たす気持ちのはざ間で、強い姿勢は崩さなかった。よい先生であろうと、あまりよくない先生であろうと、自分の責任の前に、その区別はないのだ。
私は納得した上で、一応処方された薬を購入して帰った。でも、先生の「気休めのためでもある」という口ぶりもあったことから、結局一度も塗ってはいない。
サーヤの髪は、次第に生えてきていて、だいぶ薄さが目立たなくなってきている。ツンツンとした髪が、頭頂部から元気に生えてきた。大丈夫、大丈夫。
原因は分からないけれど、学校が始まったら、少し注意深く見守っていこうと思っている。

ご心配をおかけしました。気が動転してしまって、ブログで吐き出してしまった。反省しているよ。でも、みんなの気持ちを感じて、心強かった。
コメントを記入して下さった方々、そして心の中でコメントを送ってくれた方々、そんなあなたたちの気持ちが、私の中に深く温かく、守ってくれているという何かを感じていました。ずーっと。ありがとう・・。

本年も、どうぞよろしくお願いします。
こんな私ですが。
こんな私たちですが。
どうか、見守っていて。

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